北村元的警抜劇 reflection:イタリアはローマの裏道
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     北村元的警抜劇 reflection
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      イタリアはローマの裏道19/08/13 閲覧数 7496



     


    初冬のローマの日没はつるべ落とし。日没が近づくと、寒気が空から降ってくる感じだ。沈みゆく日のわびしさに涙するとき、その胸に愛をみたす…イギリスの詩人、バイロンの詩だ。裸足で飛びまわるがんぜない子供。客と口げんかする八百屋の屋台のオーナー。急ぎ足の修道女。大股で歩く修道士。毛皮のコートを着た婦人の影が濃く長く落ちる。映像の巨匠フェリーニは、そのようなローマの裏町をこよなく愛した。

     

    イタリアに魅せられた文豪も少なくない。ゲーテ、スタンダール、バルザック、ミルトン等々。中でもシェークスピア。一度もイタリアの地を踏んだことがないのに、『ロミオとジュリエット』など、イタリアを舞台にした戯曲は十指にあまるのである。

     

    ロンドン生まれのバイロン。ロンドン社交界から追放され、一八一六年にイギリスを出国し離れたバイロンは、ヨーロッパ大陸に渡って、ライン川を遡りつつジュネーブへ。バイロンはここで『シヨンの囚人』を著し、そこに滞在していたクレア・クレアモント(バイロンの父の後妻の連れ子、実父は不明)を愛人にした。彼の筆は勢いを増し、『マンフレッド』(二幕)、『チャイルド・ハロルドの巡礼』(第三篇)などを生み出していく。四ヵ月後、バイロンはイタリアを目指す。一八一七年一月には、イギリスに帰ったクレアは彼の娘アレグラを出産。同じ年、バイロンはヴェニスで破天荒な生活を送りながらも、『マンフレッド』(第三幕)を完成。

     

    その後、彼はローマへと。イタリア詩人、タッソーが昔、幽閉されていた牢獄を見てバイロンに詩興が湧き、『タッソーの嘆き』として結実。ローマでは『チャイルド・ハロルドの巡礼』(第四篇)が生み出される。彼の筆力は休まるところを知らない。ヴェニスに戻っては、がらりと違った、明るく世俗的な『ベッポ』の世界を展開し、陽気で、諷刺的で、冷笑と機知に満ちた大作『ドン・ジュアン』に着手するのもこの頃である。一八一八年には勇壮だがもの悲しい物語詩『マゼッパ』が書かれる。書店は、一八一九年に、『ドン・ジュアン』の最初のふたつの詩篇を出版した。たちまち雑誌が食いつき、「汚(きたな)らしく不敬な詩」であるとこき下ろした。しかしゲーテは誉め称え、バイロンは大いに勇気づけられた。逆境は真実ヘの第一歩(「ドン=ジュアン」より)の格言はうなづける。

     

    バイロンは、ローマの町を「あゝローマ! わが故國! わが魂の憧れの都市!」と詠んだ(チャイルド・ハロルドの巡禮:第四卷)が、彼にとってイタリアの町は詩作活動を鼓舞する工房だったのではないか。


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