オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
娯楽記事

北村はじめの『ちょっと立ち読み』


卓袱台(ちゃぶだい)をひっくり返す言葉 

29/12/2017


 

落語には枕がつきものだ。枕とは、演目へ入るさいの導入部分のこと。客席が本題の演目に入りやすくするための工夫のひとつである。 春風亭小朝師匠の枕話で、有名なのがある。「うちの師匠が脳梗塞で倒れまして。命はとりとめたんですが左半身がマヒしちゃうようなことになりましてね。看護婦さんが師匠にそのことを言いましたら、そっとおちんちんを右に寄せました」。
ある落語家が、枕で、日本の三大シツゲンというのがありまして…尾瀬沼、釧路、渡邊ミッチー…結構の笑いを客席からとった時代があった。ミッチーこと故渡邊美智雄代議士の口舌元気な頃である。
年末でもあるし、「シツゲン」という軽めの話題を取り上げてみた。

 

 

バカヤロー事件その① 北村的枕話

 

二〇〇〇年六月二十三日の思い出。この日の午前一時頃、ブリスベンの北部三百六十キロ北にあるバンダバーグのバックパッカー用のホステルで火災が起きた。焼死した十五人の中に日本人が入っていたことから、東京本社のデスクは、すぐに現場に飛べと指示が来た。

 

すぐさま飛行機の座席を抑え、飛行機に乗った。エコノミー席は満席で、ビジネス・クラスしかなかった。出発時間がとっくに過ぎているのに、搭乗口のドアが閉まらない。「急いでいるのに…」と心に焦りを感じた。

 

と、警官二人が乗りこんできて、なんと、後部座席に座っていた商売敵(しょうばいがたき)のテレビ・クルーが下りていった。

 

何があったのか?

 

現場に一番乗りして、め組の纏をあげるのだ…と心は焦っていたので、相手の不可思議な動きに、想像をめぐらした。

 

もともと、相手がカネをふんだんに使う放送局だから…と考え着いた先は、ブリスベン空港から現場まで長い距離なので、彼らは、ヘリを往復チャーターして、早くバンダバーグの現場に乗りこみ、日本に衛星で送るに違いない…と読んだ。

 

しかし、火事現場に着くと、彼らはいなかった。するってぇと、火災より大きなニュースを探知して、火事を捨て、そちらに方向転換をしたのか…その場合、あの警官が飛行機に乗りこんできて、彼らを連れだしたのは何故か? 

 

もっと不可思議だったのが、彼らは二時間ほど遅れて火災現場にやって来たことだ。彼らが他の特ダネを掴んだ推理は消えたが、謎は解けなかった。

 

その後、二ヵ月ほどして…そのときのカメラマンに単刀直入に聞いた。「何であのとき、飛行機から降りたのか?」と。

 

答えは意外だった。

 

シドニー空港のカンタス航空カウンターで、ちょっとしたもつれがあり、カメラマンが、「バカヤロー」と小声でいったのを、カウンターにいた女性職員が聞き逃さなかった。搭乗券は発行したが、警察に通報した。

 

そして、警官が機内まで乗りこんで来て、事情聴取で同行を求められたのだ。

 

いくら相手の態度が大きくても、「バカヤロー」は、急用のときに事態を悪くする。「勤勉は馬鹿の埋め合わせにはならない」と、誰かが言った。

 

 

 

バカヤロー事件その② 議会レベル

 

日本の議会で飛び出した「バカヤロー」発言には、戦中と戦後に一回ずつあるが、ここでは、戦後の「バカヤロー」発言をとりあげた。

 

一九五三年二月二十八日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と社会党右派の西村栄一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって衆議院が解散された出来事である。

 

質疑応答

 

衆議院議事録からとって載せるが、衆議院議事録は「無礼」と「バカヤロー」が伏せ字となっている。そこで、赤文字で、その二文字をいれて、転載させてもらう。

 

西村(榮)委員:総理大臣が過日の施政演説で述べられました国際情勢は楽観すべきであるという根拠は一体どこにお求めになりましたか。

 

吉田国務大:私は国際情勢は楽観すべしと述べたのではなくして、戦争の危険が遠ざかりつつあるということをイギリスの総理大臣、あるいはアイゼンハウアー大統領自身も言われたと思いますが、英米の首脳者が言われておるから、私もそう信じたのであります。これは最も戦争か平和かという衝に当つておる当局者の言うことであつて、相当な根拠があつて言つておることであろうと考えましたがゆえに、戦争の危険は遠のきつつある。こう私は信ずる。こう申し上げたのであります。

 

西村(榮)委員:私は日本国総理大臣に国際情勢の見通しを承つておる。イギリス総理大臣の翻訳を承つておるのではない。(中略)やはり日本の総理大臣としての国際情勢の見通しとその対策をお述べになることが当然ではないか、こう思うのであります。

 

吉田国務大臣:ただいまの私の答弁は、日本の総理大臣として御答弁いたしたのであります。私は確信するのであります。

 

西村(榮)委員:総理大臣は興奮しない方がよろしい。別に興奮する必要はないじやないか。(吉田国務大臣「無礼なことを言うな」と呼ぶ)何が無礼だ。(吉田国務大臣「無礼じやないか」と呼ぶ)質問しているのに何が無礼だ。君の言うことが無礼だ。(中略)翻訳した言葉を述べずに、日本の総理大臣として答弁しなさいということが何が無礼だ。答弁できないのか、君は…。(吉田国務大臣「バカヤロー」と呼ぶ)何がバカヤローだ。バカヤローとは何事だ。これを取消さない限りは、私はお聞きしない。議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、バカヤローとは何事だ。取消しなさい。私はきようは静かに言説を聞いている。何を私の言うことに興奮する必要がある。

 

吉田国務大臣:…私の言葉は不穏当でありましたから、はつきり取消します。

 

西村(榮)委員:年七十過ぎて、一国の総理大臣たるものが取消された上からは、私は追究しません。しかしながら意見が対立したからというて、議員をバカヤローとか、無礼だとか議員の発言に対して無礼だとかバカヤローとかと言うことは、東條内閣以上のフアツシヨ的思想があるからだ。静かに答弁しなさい。(以下略)

 

私の父はずっとラジオ放送を聴いていて、嘆いていたのを、幼心におぼえている。「どっちもどっちだな」と。

 

吉田が席に戻るときに小声でつぶやいた「バカヤロー」の一言をマイクが拾い、騒ぎは大きくなった。西村榮一に足を取られたのだ。

 

三月二日に、右派社会党は、吉田首相の懲罰動議を出した。百九十一票―百六十二票で吉田首相の懲罰動議は可決されてしまった。この時、鳩山一郎派(三十七名)と広川弘禅派(三十名)が欠席していた。

 

やがて、野党から吉田内閣不信任案が上程された。

 

三月十四日に、鳩山一郎、石橋湛山、河野一郎、三木武吉ら二十二名は自由党を脱党し、内閣不信任案は二百二十九票―二百十八票で可決された。吉田は、憲法第六十九条に従って、即日衆議院を解散した。

 

総選挙の結果は、自由党が第一党を守ったが、過半数割れした。しかし、成立した第五次吉田内閣は、少数与党政権ではあったが、事実上の閣外協力の姿勢をとる改進党、同じ保守である鳩山自由党の協力を得て、スト規制法案、恩給法案、一九五三年度予算を成立させた。

 

 

 

 

バカヤロー事件その③ “黙れ”事件

 

もう四年半ほど前になるが、日本の人道・人権大使が、ジュネーブの国連会議で「シャラップ!」とやったことがあった。また、今年の十月、日本の総選挙の運動期間中に、自民党の大物が大阪府守口市で街頭演説中にヤジを続けた聴衆を「黙っておれ」と厳しく制し、演説を中断したことを思いだすが、これから取り上げる事件は、こんなものではない。

 

一九三八年三月三日

 

戦争に走る日本。国家総動員法が衆議院に提出されたのが一九三八年三月三日。

 

一九三七年七月の盧溝橋事件から始まった日本軍と中国軍の衝突。七月の段階では衝突は北京付近だけだったが、八月に上海でも武力衝突が起きる(第二次上海事変)と、支那事変(現在はこの名称は、日華事変になった)と命名された。

 

上海に出兵するやたちまち頑強な抵抗にあい、非常な苦戦に陥った。〔中略〕攻撃は困難をきわめ、いたずらに砲弾を消耗した。

 

陸軍省軍務局軍務課国内班長
佐藤賢了中佐の回想

 

支那事変はいよいよ長期戦の様相を呈するに至ったので、総動員体制を整える必要に迫られた。そこで、総力戦に即応する体制を整える法的根拠を作る必要が感じられた。
〔中略〕
そこで弾薬だけでなく、軍需産業全般に設備の新設・拡張もでき、企業主に損失をかけないですむような特別の工夫を要するのであった。それには、「政府は必要なる設備の新設・拡張を企業主に命令することができ、それによって損失が生じたら、政府はこれを補填する義務を負う」という制度を作るよりほかにない。
〔中略〕
こうした制度が総動員体制であり、総動員法の狙うところである。
〔中略〕
統制しなければ乏しい物の分配は不公平になる。
〔中略〕
自由に放任しておいては、戦力・国力造出に必要な生産力の拡充に、重点的に力が向けられるはずがない。
政界も、財界も、世間一般もどうしてこの情勢、この気持がわかってくれないのか。私は議会における総動員法案審議の成り行きが心配であり、また憤慨に堪えなかった。
(『軍務局長の賭け』佐藤賢了著 芙蓉書房出版) 

 

さて、三月三日の衆議院総動員法案委員会審議は、統制経済を語れる者がいなかったため審議は遅々として進まなかった。

 

そこで、野党の板野議員から提案があった。

 

板野友造議員

 

「この法案は若い軍人達や官僚達の起案したもので政府諸侯はわかっていないから、誰でも良いからわかっている人が説明してくれ」。

 

説明員として、限定された事項の説明にあたっていた佐藤賢了(けんりょう)中佐は、統制経済の専門家だったが、議員でもなく発言権のない説明員と言う立場だ。

 

佐藤賢了中佐

 

「米軍は戦略を知らず、モルトケ(註一)以来の戦略戦術を知る日独の前に鎧袖一触(註二)…」 と始まった。

 

註一:モルトケとは、ヘルムート・カール・ベルンハルト・グラーフ(伯爵)・フォン・モルトケ(一八〇〇年-一八九一年)は、プロイセン及びドイツ帝国の軍人、軍事学者。ドイツ統一に貢献した。近代ドイツ陸軍の父と呼ばれる。最終階級は元帥。

 

註二:鎧袖一触とは:鎧の袖がわずかに触れただけで、敵が即座に倒れる意から。弱い敵人にたやすく一撃を加えるたとえ。

 

佐藤の説明は三十分を過ぎても終わらず、宮脇長吉議員が立ちあがった。

 

宮脇長吉議員:「委員長、この者にどこまで答弁を許すのですか」。

 

佐藤:「説明をやめろとおっしゃるならやめます。続けよといわれるなら続けます」といって委員長の指示を待った。

 

小川委員長の「続けろ」という指示で、佐藤は説明を続けたところ、宮脇議員が妨害を繰り返した。

 

佐藤:「黙れ!」(長吉を辛うじて呑み込む)

 

なぜ佐藤に発言の番がまわってきたのか

 

この日、東条首相は欠席。首相代理の広田外相が答弁に立ち、「こと重大なる憲法問題だから、企画院総裁をして答弁させます」といって引っ込んだ。企画院総裁が出ようとすると、議員は「首相が出ろ」「国務大臣が答弁しろ」といきり立って、議場はたちまち混乱した。

 

休憩後、法律問題だからというので塩野司法大臣が立って、違憲でないゆえんを答弁したが、論旨が徹底しなかった。

 

佐藤賢了は、当時のことをこう振り返っている。

 

私は議会では説明員という資格で、自ら進んで議員の質問に対して答弁する資格はない。国務大臣や政府委員の指示によって、限られたことの説明をするだけである。ところが今、議員から誰でもよい、説明してくれとの発言があったのだから、私にとっては渡りに舟である。私はバネ仕掛けの人形のように飛びあがって、総動員や、軍需動員の実際業務を例にとって滔々と説明しだした。約三十分も説明を続けた。議員たちも静かに傾聴してくれた。一説明員の説明に三十分も傾聴することはめったにないが、内容が今までの法律論や抽象論とは異って、具体的であったからかもしれない。宮脇長吉議員がにわかに立って、「委員長、この者にどこまで答弁を許すのですか」と食ってかかった。そこで私は「説明をやめろとおっしゃるならやめます。つづけよといわれるならつづけます」といって委員長の指示を待った。
〔中略〕
小川委員長が私に続けろと指示したので、私は説明を続けたところ、宮脇議員はまたガナリ立てて、私の説明を妨害したので、堪忍袋の緒を切って、「黙れッ、長吉」とのどまできたのだが、場所柄を考えて「黙れッ」だけいって、あとの「長吉」を呑みこんだ。(前出著百十六-百二十二頁)

 

佐藤は、陸軍出身の宮脇議員が、自分の育った陸軍に対して実に皮肉きわまる悪意に満ちた質問で食い下がったのを見て、たまりかねて「黙れ!」と発言したという。この国会議員ではないただの説明員の暴言に、委員会は混乱し休憩が宣せられた。

 

佐藤中佐は杉山陸軍大臣の叱責を受け、陸軍大臣は翌日陳謝し、佐藤中佐は以降自発的に登院を遠慮したが、この事件後国家総動員法案の審議は順調に進んだ。

 

さらにおかしいのは、宮脇長吉議員は佐藤賢了の士官学校時代の教官(十五期 元大佐)であったことだ。かつての教官を帝国議会で「長吉!」と怒鳴りつけようとしたことは、後々までの語り草となった。

 

佐藤賢了とは

 

最後は陸軍中将。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業後、アメリカ駐在を経て、主に軍政畑を進み、陸軍省軍務課長、軍務局長を務めた。東条英機の側近でもあった。

 

一九三八年、軍務課国内班長の時に国家総動員法の国会審議に出席、法案説明中に宮脇長吉議員からの野次に対し「黙れ!」と一喝して問題になった。

 

一九四一年、東条陸相の下、軍務局軍務課長として、日米開戦に至る政府部内での折衝の実務に当たる。

 

一九四二年、陸軍省軍務局長に就任。しかし、一九四四年サイパン失陥によって東条内閣が退陣を余儀なくされると、中央から追われ、支那派遣軍総参謀副長となる。

 

一九四五年八月終戦。佐藤は陸軍幹部として中国との戦争を積極的に遂行したとして、最年少のA級戦犯となり、極東国際軍事裁判で終身刑の判決を受けて服役し、A級戦犯では最も遅くまで拘留され、一九五六年(昭和三十一年)三月三十一日に釈放。

 

開戦当時、一課長にすぎなかった私が、大臣たちと並んでA級戦犯の仲間入りする光栄(?)に浴したのもこの事件のお陰のようだ(同著百二十二頁)と本人は書き遺している。

 

読者の皆様、舌下事件に巻き込まれぬように、年末年始は平穏無事にお過ごしください。今年もありがとうございました。

 

【表示した物以外の参考文献】
バカヤロー解散 https://ja.wikipedia.org
『朝日新聞』 1953年3月16日 東京/朝刊
『朝日新聞』 1953年3月1日付け朝刊
『戦後政治家暴言録』保阪正康 中央公論新社〈中公新書ラクレ〉(原著2005年)
『衆議院予算委員会議事録』1953(昭和28)年2月28日:アクセス2017年11月19日


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