ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会 ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会 愛のベトナム支援隊に 密着レポート2017 | feature
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    ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会

     

    愛のベトナム支援隊に

     

    密着レポート2017

     

     

    8月10日は、枯れ葉剤の撒布が自然環境と人間の健康に与えた壊滅的な影響を忘れないために定められた「枯れ葉剤被害の日」。今なお苦しんでいる枯れ葉剤の被害者の痛みを和らげるため、共同の努力を呼びかける日として、世界的に広く認知されるべき1日だ。

     

    れ葉剤被害の日から1週間後の8月17日から10日間。弊紙は今年もベトナムのハノイへと渡り、枯れ葉剤被害者を支援するボランティア活動団体「愛のベトナム支援隊」に同行した。1995年から始まった同支援活動は、弊紙コラムニストでテレビ朝日入社後、バンコクやハノイ、シドニーで支局長を務めた北村元氏が指揮を執ってスタート。紆余曲折を経て今年で22年目を迎える。弊紙は今回で5回目の同行取材を数える。毎年、日本やオーストラリアから参加者を募ると、大学生から社会人まで層の広い志願者が参加する。今年の参加人数は過去最多の18人。北村氏のもとには馴染みのある学生や新しい学生、引率の大学教授のほか、看護師が2名、そして北村氏を支える北村婦人が参加した。主な活動内容としては、日本国内外で集めた支援金を、現地で直接枯れ葉剤の被害者の子供たちに奨学金として手渡していくこと。そして在宅訪問では被害者の健康診断や足湯なども行う。年に1回の訪問で出会う枯れ葉剤被害者の数は15名から20名前後で、4~5つの省にまたがって活動を行うのが通例だ。非効率に聞こえるかもしれないが、預かった支援金を間違いなく奨学金の対象者に届けるという任務を確実に遂行させる大切さと同等に、彼らと同じ目線に立ち、今なお続く被害の現状や被害者の存在を世界の人々が忘れていないことを伝えることにも重きを置いているように感じた。

    インドシナ戦争後にベトナムが南北に別れた後、1955年頃に開戦したと言われているベトナム戦争時において、枯れ葉剤が具体的にどのように散布されたのか知っているだろうか。アメリカ軍は南ベトナム政府への軍事支援のために、1961年から10年に渡って、3万平方マイル、旧南ベトナム領土の約25パーセントに、およそ8000万リットルの枯葉剤を撒布した。そのうちの61パーセントは、史上最強の毒物であるダイオキシンを含んだエージェント・オレンジだ。ドラム缶に付けられたオレンジ色の帯からそう仇名がついた。狙いはジャングルの木々を枯らせ、ゲリラ戦を得意とする北ベトナムの兵士(通称ベトコン)をいぶり出し、食物供給を減少させて、弱体化させることだった。当初は森林に撒いていた枯れ葉剤だったが、ほどなくしてそれは対人化学兵器と化した。枯れ葉剤の散布はその後14年続いた。ダイオキシンは、土壌や食物、そして旧アメリカ軍基地の近くで生活する人々の血中や母乳に、高い残留濃度を示しているという。

    アメリカの調査団体の公式データによれば、枯れ葉剤を浴びた人数は約480万人。そのうち約300万人は枯れ葉剤の影響でガンや奇形などさまざまな病気を患っている。枯れ葉剤被害者は戦争に参加した軍隊が多いが、データがとりにくい民間人のなかにももちろんいる。現在、枯れ葉剤被害者として認定を受けて政府から支援を受けている数は約40万人程度。政府が彼らに用意している年間20億ドルの手当を第一世代、第二世代と優先的に振り分けていくのだが、枯れ葉剤被害の証明ができないため、支援を受けることができない問題も起こっている。被害を証明するための検査費用2000米ドルが払えない人が多いことがその理由だ。ただし、枯れ葉剤被害者として認定されない場合でも生活に支障があれば、国から別の名目で手当がもらえるケースもある。

    50年以上経過した現在において、枯れ葉剤の影響は第3世代、第4世代にまで続いている。20万人いると言われている第3世代の被害者には現在、枯れ葉剤被害という名目での援助はなされていない。末端まで行き届かない支援を補うかように存在する「愛のベトナム支援隊」の意義がそこにも感じられる。

    8月21日、毎年恒例の支援先のひとつであるヴィンフック省のVAVAを訪問した。漢字では永福省と書く。VAVAとはVietnam Association of Victims of Agent Orangeの略称で、NGOの枯れ葉剤被害者協会の意。貧しい農家で育ったのちに大臣まで上り詰め、現在は枯れ葉剤被害者のために人肌脱いでくれているVAVA会長のグエン・ヴァン・リン氏のもと、同協会の支部はベトナム各省に置かれ、枯れ葉剤被害者の支援を行っている。社会主義のベトナムである程度の範囲において、「愛のベトナム支援隊」が自由にボランティア活動や枯れ葉剤の研究を行なうためには、VAVAの後押しなくしては成り立たない。今年、ヴィンフック省のVAVAが紹介してくれた奨学金対象者は7名。その中で先天性魚鱗癬を兄弟で患っているタイン君とミン君に出会った。第3世代の子供たちだ。

    先天性魚鱗癬とは、X染色体の遺伝子異常で10万人にひとりという難病。劣勢遺伝なのでほとんどのケースで男性にしか発症しない。症状は皮膚の表面が硬くなり、鱗のようにひび割れて剥がれ落ち、夏は特に温度調整が難しくなるという。また、完治する病気ではなく、日本でも約200人が確認されている。

    兄のタイン君は現在中学1年生で数学が好き。入学当初は〝鬼〟と呼ばれていじめられた時期もあったという。「最初は誰も遊んでくれなかったけど、いまはみんな優しくしてくれる。早く学校に行って先生と友達に会いたい」と夏休みが終わるのが待ち遠しいようだ。弟のミン君は9月からいよいよ小学校1年生。右足の甲に大きなあかぎれのような亀裂ができていて体重が乗ると痛そうだ。この状態になるとほとんど歩けないので、学校にはおじいさんがバイクで送っていく。近所の人たちは心の優しいふたりのことが大好きで、特に成績が優秀なタイン君の将来に皆期待している様子だった。もし病気が治ったら、将来は医者になりたいとタイン君。

    ふたりの頭皮は硬く瞼が上へと引っ張られてしまい、瞼をうまく閉じることができないため常に涙を流している。すぐ目にほこりが入ってしまう状態なのでメガネやタオルなどで守らないと菌に侵されてしまう。また、足の土踏まずの部分が腫れ上がっていて歩くのがとても難しそうだ。乾いた皮膚の下から新しい皮膚が出てくる時期は痒みを生じるため、夏の間は一日にシャワーを5、6回ほど浴びる。冬は1日1回程度で済むが、逆に湿気が少ないからヒリヒリと痛みを伴う。外国人からすればベトナムの夏の纏わりつくような湿気は耐え難いものがあるが、彼らには味方になってくれているようだ。ふたりとも皮膚に問題があるが、内臓や頭脳に問題は発見されていない。 姉のヒエンちゃんは小学校4年生で、今のところ彼女には何の症状も出ておらず、いつも母親のトゥーさんを助けている。「次に支援隊が来るときに何か必要なものはある?」の質問に対して、「ここまで来ていただいたことだけで感謝の気持ちでいっぱいです。お土産なんていらないです。…でも子供が喜んでくれるものだったらやっぱり受け取りたい」とはにかむ母親の、強さのなかに見える子供に対する優しさが印象的だった。

     



    トゥーさんの夫ヴァンソンさんは1981年生まれ。枯れ葉剤の症状に関しては検査したことがないので、あるかどうかわからないが、若干知能の発達が遅れていると言う。当然枯れ葉剤の被害者には認定されていない。建設業の職につき、体調がいいときには仕事へと向かう。月の収入は300万ドン(日本円で1万5千円)。この収入では3人分の学費を支払っていくことだけで精いっぱいだという。

    ヴァンソンさんの父は直接枯れ葉剤を浴びた可能性が高い元軍人。枯れ葉剤の被害者認定を受けたのが2008年。現在は月180万ドンと、戦争に参加したさいにケガをしたため保障される傷病兵手当て280万ドンの2種類を受けており、そこから子供たちに支援をしている。戦場はサイゴンより南西のロンアン省。1967年から1976年までの10年間、歩兵として戦い、生き抜いた。1967年にアメリカはロンアン省に侵攻していたので激しい戦火だったことが想像できる。まだ頭と両足には銃弾が残っているが、摘出すれば脳に影響を及ぼすために手術ができない。戦争に参加したときには枯れ葉剤を受けたことはわからなかったが、孫の姿を見て初めて理解したという。

    愛のベトナム支援隊が唯一、奨学金対象者にお願いしていることがある。それは年に2回、奨学金の支援者に手紙を書いてもらうということ。枯れ葉剤被害者の子供が何を考え、何を見ているのかを理解するためだ。手紙には自分のおじいちゃん、お父さん、お母さんのことを考えて、やり場のない悲しみを書いてくる生徒がいる。実は手紙を書くことにはもうひとつ意味があるという。それは枯れ葉剤被害者の風化を防止することだ。滞在の最終日に訪れたVAVA本部で行われた会合のなか、北村氏がチェルノブイリ処理に対してのロシア当局の姿勢を背景に、枯れ葉剤被害の風化防止に対する思いを説明した言葉を引用して、本稿を〆たいと思う。

    「ロシアの教育者たちは5歳から10歳の子供たちに、事故前の生活を奪われた気持ちや、親族や友人を奪っていたチェルノブイリに対する怒り、やるせなさをあえて自分の言葉で描かせています。ネガティブな感情を含めてチェルノブイリの体験を言い表す表現教育の取り組みは被災地の各地で行われ、作文や絵画のコンクールまで行っているようです。自分たちの町の汚染や隣の森のリスク。いまも続くチェルノブイリの姿を言い表す機会を持ったコミュニティがあれば、チェルノブイリが風化してくことは容易ではないでしょう。チェルノブイリの例と同じように、枯れ葉剤被害者の子供たちの手紙ひとつ一つが、未来まで続く日記の1ページになると考えれば、枯れ葉剤被害を語り残す作業が全国的にもっと広がっていってもいい。私はそう考えています」。 「愛のベトナム支援隊」の活動は今後も続いていく。支援金や支援物資は随時受け付けているので、もし興味を持った方がいたら、左記ウェブサイトから連絡してみてほしい。

     

     

     

    同行取材を終えて

    在学中に「愛のベトナム支援隊」から支援を受けていた枯れ葉剤被害者の卒業生が、ハノイやホーチミンなどの都市に出て活躍している話を聞くと同行取材という立場でありながら、気持ちが高鳴った。その一方で、学校卒業後も身体的な理由などから、素晴らしい頭脳を持っていても社会に出て働くことができないまま過ごす被害者もいる。オーストラリアではオフィス勤務から場所を問わないワークスタイルへとシフトしている企業も多いなかで、アジアの比較的安価で広がるネット環境を利用して、こうした枯葉剤被害者が経済的にも精神的にも自立できるような仕組みが構築できればと考える。例えば簡単な入力作業やウェブサイトの動作確認作業、リサーチ業務など、ある程度の基礎知識を教育できれば、外部発注の受け皿として起用できる業務があるかもしれない。来年の同行取材までに一件だけでもお土産として用意してみたい。  大庭祐介

     

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