和菓子文化を世界に伝える 三堀純一 | Cheers インタビュー
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     和菓子文化を世界に伝える

     

    菓道家 三堀 純一

     

    日本から和菓子文化を世界に伝える菓道家の三堀純一さんが来豪した。8月2日にオペラ・ハウスで行われたイベント「エクスペリエンス・ジャパン」では、面貌を付けて観衆を引き込むような煉切のお点前を、8月6日にはクローズネストの華・樹林にて会話を交えながら楽しく煉切のお点前を披露した。自ら菓道一菓流を開派した菓道家の三堀純一さんが抱える、和菓子文化に対する一貫した願いに迫る。

     

     

    菓道家として日本の和菓子文化を国外で発信されていますが、普段どのような気持ちでパフォーマンスをされていますか?

     

    ジャパニーズ・カルチャーは不思議と日本にいる日本人のアンテナが一番鈍いものです。日本人で自国のカルチャーの素晴らしさに気づくのは、「カブキ」「春画」にしてもヨーロッパで評価されたとき。ファッションのように和菓子文化もパリで評価を勝ち取り日本へ逆輸入することを目標のひとつに掲げています。最終的には日本の若者たちが和菓子に憧れるようなムーブメントが起こればいいなと考えています。

     

    現在はアジアを拠点に活動をされていますね。

     

    実は有識者のひとりから、お前は〝偏東風〟で行けと助言をいただきました。シルクロードを遡る、つまり偏西風の逆ですね。ヨーロッパにいきなり見てくださいと出向いてもきっと見てくれないので、あえてパリには呼ばれるまで行かず、まずアジアで実勢を積み、自然とヨーロッパ側が気になりだして「取材させてください」と言い出すときまでは焦らそうと。中国は先生文化もあり、ワークショップも大好きなので、現在は中国を拠点に、ベトナム、シンガポール、台湾とアジア圏に活動の場を広げています。

     

    自ら菓道一菓流を開派した菓道家が背負う思い

     

    教育者として武道でも剣道でも柔道でも空手道でも〝道家〟と付くものは、生きる道の大切なことを教えてくれる教育者です。菓道に置いてもお菓子を上手にできるか、美味しく作れるかというよりも、お菓子を通じて詫び寂びや礼に始まり礼に終わるなどのおもてなしの心や所作を菓道家として一番に重んじています。そう理解を深めることによってただ食べるだけの豆と砂糖のお菓子がより魅力的に映ってくる。その延長上でいつか子供たちが菓道家に憧れてくれるかもしれない。「コンビニで売っているアンコとはどこか違うけど、これは誰が作っているんだろう」って疑問に思ってくれることを望んでいます。

     

    着物を着ることで与える印象とは

     

    製菓学校の教壇に立つことがあるのですが、着物を着ていなかった頃は、「いづみやの三堀さんだ!」「先生ありがとうございました!」と、どこかフレンドリーな学生ばかりでした。着物を着だしてからまだ2年足らずですけども、授業が終わった後に「写真お願いします」と、憧れのようなまなざしで捉えてくれています。お餅屋さんではなくて、アーティストという感じにその子たちに与えるビジョンが変わるんですね。すごく紙一重なことですが、憧れの対象になっているベクトルが全然違うというか。こうなりたいという、夢の片鱗がもう派生しだしているのかなと。そういう意味では手ごたえを感じています。
    もうひとつよかったことは、私がこの格好で歩き回っていることで、乖離したサブカルチャー世代のコスプレイヤーからのツイッターのフォローが増えました。和菓子ではなくてルックスから入ってきてくれる。ネット社会の現代はSNSの力が絶大なので、そのSNSの力を持っているサブカルチャー世代にもそういう角度からでもいいから和菓子を知ってもらう切り口になればいいなと思っています。入口はなんでもいいんですね。

     

    今回のオペラハウスのパフォーマンスはいかがでしたか?

     

    オーストラリア自体も色々なものがうずまいていることを感じました。もともとはイギリスのカラーがありつつ、オージーというオーストラリア独特のワイルドな切符のよさがある。日本人からすると大胆というような文化が飛び交っている中で、この菓道の世界観はどう見えるんだろうと初めは臆病に感じていました。しかし、どの国でも言えることですが、ハイエンドな方々ほどセンシティブな世界に対して価値を理解していますので、そういう人たちの目に触れさえすれば私は国は問わないと思っています。むしろ経済的にもオーストラリアは景気が良く、富裕層が人種を問わずにたくさんいる。ターゲットは狭いですが、その狭いところの目に留まり、そこからのトップダウンで流行を生む。そういった意味でオペラハウスのイベントは敷居が高かった分、私にとっては凄く収穫であり、多国籍の方々が見てくれているといういい手応えは感じられました。

     

    オペラハウスでは面貌(メンボウ)を付けてパフォーマンスされていましたが、面貌でのお点前をすることにどのような意味がありますか?

     

    所作だけでショーを感じてもらえるような、茶道のお点前みたいなレベルまでこのアートワークを昇華させることを目指しています。例えば茶道家の先生の所作にはひとつ一つに意味がありますが、抹茶を知ってもらうために茶道体験を通して所作とその理由を教えますね。そのときの茶人は皆優しくてフレンドリーです。しかし、いざお点前が始まるとき、茶人が茶杓を布巾で拭いて抜くときに、その集中力と拭う所作が、まるで刀を鞘から抜くようにギラついて見えるときがあります。まるで殺気を感じるかのような。あの凛とした茶室の空気の中で茶人の集中力が高まると、真剣の共鳴のたしなみのように感じるのです。私の場合も集中を促すときに面貌を付けています。面貌を付けてないときには人と話して会話を意識しますけども、面貌を付けているときは対峙している人をある意味無視します。無視することが引き込むこと、つまり心の綱引きと考えているからです。お客さんを引っ張るくらいに所作に集中しているので、高まれば高まるほど共鳴も自然と高まるわけです。

     

    イベント後にはエアーズロックにも行かれたようですね。

     

    オペラハウスやエアーズロックなどオーストラリアのアイコンの前で作品を作っている理由は、これから写真集を6ヵ国語で販売するためです。10月にパリで行われるサロン・デュ・ショコラというチョコレートの祭典にお招きいただいているのですが、そこでフランス語の写真集を発表する予定で、現在、英語版と中国語版を並行して制作しています。オーストラリアにも英語版の販売を予定しています。

     

    3代目として和菓子司いづみやを継いでおりますが、63年を迎える伝統文化を引き継いだときの思いをお聞かせください。

     

    初めは絶対に継がないと思っていました。その当時私はミュージシャンになりたかったんですね。20代半ばまでは本気で歌で飯を食っていこうと思っていました。専門学校を卒業してからも和菓子は作っていましたが、それはバンドの活動資金作り程度のものでした。一緒に専門学校を出た同期たちは、皆2~3件、有名な和菓子店を回って修行をするものなのですが、私はそんなときにライブハウスを駆けずり回っていました。20代後半になるとだんだん周りのミュージシャンも諦めていく中で、私はアメリカに行くことになります。アーティストの夢を諦めきれずに、モヤモヤした気持ちのままアメリカで歌ってました。ひょんなことからあるとき和菓子のお点前を見せたとき、アーティストとして評価されました。自分の身に染みついているものがジャパニーズアートだと、初めて感じる出来事でした。子供たちが憧れの眼差しで目をキラキラさせてくれ、アメリカのオーディエンスが評価してくれることで、初めて自分でも和菓子が格好いいものだと思えたんです。海外に行って味噌汁やご飯を美味しくて素晴らしいものと気づくのと一緒で、世界に出て初めて日本の良さに自分自身で感じることができた。せっかくこんな技術がネイティブで染みついているんだからちゃんと向き合わないといけない。そう思いました。父が私の和菓子に対する心境の変化を察したせいか、翌年には会社をやれと代を継がされました。

     

    経営は大変でしたか?

     

    会社を継ぎますと、それまでは給料をもらう側でしたが今度は支払う側になり、より多く商売を発展させなきゃいけないという気持ちに捕らわれてお金に急ぐようになりました。金を追うと金は逃げるものです。失敗の連続でどんどん経営は悪化していきました。一時期はテレビチャンピオンというテレビ番組に出たお蔭で、さまざまなバラエティに呼ばれるようになり、一瞬の売り上げを作ってくれましたが、それは流行り廃りの情報。インターネットやユーチューブが進化していくとテレビ自体も力をなくし、テレビの恩恵もなくなり本当に商売がギリギリになりました。

     

    ピンチを救ったかりんとう饅頭

     

    そんな状況のとき、原点に立ち返り商売を度外視にして、ただただ美味しいものを作ろうと思って作ったものが『かりんとう饅頭』でした。それがヒットしてものすごい勢いで会社が大きくなりました。売れっ子の企業へは、他人の若手社員が稼ぎたくて金を追ってバシバシ入ってくるわけです。夢を追っている連中なんですけども、私が魅せたい夢とはちょっと違うんですね。和菓子職人は技術を追求したい。ビジネスマンはお金がほしい。それは似て非なるもの。私の力不足で取りまとめきれずに、色々な人が出たり入ったり、会社は急激に膨らみ、そして迷走しました。ヒット商品を作って会社の資本も増えましたが、この行く末に何があるんだろうと将来を見たときに、今はかりんとう饅頭が売れているけど、いつまで続くかわからない未来に強く不安を感じました。後継者問題、新入社員という人材確保の観点からおいても、やはりもっと根底から変えていかなければならない。和菓子職人を志していく子供の意識を育成していかなければ、この手作りの文化はなくなるものだと感じました。

     

    具体的にどのように不安を感じたのでしょうか?

     

    七夕のイベントのときに、毎年地元の幼稚園児たちがお願いごとを書いて商店街を飾るのですが、その中には「ケーキ屋さんになりたい」と書いてあっても「和菓子職人になりたい」と書いているのを私は見たことがありません。子供たちがなぜ洋菓子職人に憧れて、和菓子職人に憧れないのか。その理由のひとつを実は茶室で感じることがありました。茶室の中には茶室を創る建築家がいて、お花を生ける華道家がいて、書道家や画家がいて、陶器を作る陶芸家がいます。そのアーティストすべてを茶道家が紹介するのですが、お茶席で花形とも感じられる煉切が出てきたときに、茶道家が紹介するのはアーティストではなく、「今日のお菓子は何々屋さんです」という屋号までしか紹介しないんです。和菓子職人の独自の文化として、決して個を見せず、脈々と暖簾を受け継いでいくことを尊重しています。「作っているもので語れ」という文化で、作り手が表に出ないことを美徳としています。一方でパティシエ業界は、暖簾を掲げようがメーカーを作ろうがパティシエという個の世界。小さな子供がケーキを美味しいと思ったときに、顔や名前を知らなくても、アーティストが表現している作品だということは幼稚園児でもわかるんですね。憧れとして個を感じることができる。暖簾文化は日本の奥ゆかしい美徳で素晴らしい文化と思う一方で、暖簾文化の粋たる美意識を理解できるのはその多くが大人になってから。これから日本は少子化で、どんどん子供が減り、和菓子のニーズも減っていく中で、先代は「和菓子は日本の文化だからやっていける」と言っていたけど、私は、和菓子屋はきっとこのままではなくなる。残るのはメーカーだけだと感じていました。

     

    いまの日本人の子供たちは和菓子を知らない

     

    経済新聞のリサーチで、日本の10代の90パーセント以上が求肥を知らないという統計が出ています。私が製菓学校に在籍してたときにも、すでに洋菓子派が圧倒的に多かった。私はこれからも和菓子の世界で生きて、文化を後世に残したい。ではどうすれば魅力を後世に伝えることができるのかを考えたときに行きついた答えが、企業を縮小することでした。経済的にも負荷がかかりましたが、私は膨らんだ企業を縮小して、暖簾文化とは分けて、アーティストとして、子供にわかりやすく夢を魅せられるような和菓子の魅せ方をしていこうと考えました。いま私のやっている菓道家としてのアート・パフォーマンスは、時間がかかるかもしれないけど、絶対菓道を後世に残せるし拡散力がある。将来的な放物線を見たら細くても長い方がいい。ビジネスライクに考えてもそう確信しました。それは私の会社だけではなく、日本の和菓子協会全体にもいいことだと思っています。ものに依存していれば、いずれすべてテクノロジーに淘汰されていきます。お菓子を通じて詫び寂びを、心の共鳴を探求する作法。所作や佇まいすべてを美学の道と捉え、対峙する人に想いをやるよう己の心を込めてゆく。その菓道の真髄を後世に残していければと考えています。

     

    今後の予定をお聞かせください。

     

    10月にパリで開催されるチョコレートの祭典サロン・デュ・ショコラにお招きいただいてパフォーマンスします。12月まではほぼ海外で、シンガポール、カナダ、ドバイ、バンコクでのワークショップが続きます。また、最近日本の広告代理店さんから、私をパフォーマーとして使ってもらえるようなオファーをいただいています。ありがたいことに、マックス・マーラーやアルファロメオなど、ハイエンドのブランドからCMのオファーが来ています。海外のメディアや企業がサムライアーティストのような感じで扱ってくれればありがたいですね。

     


    取材協力:華・樹林
    300 Pacific Hwy., Crows Nest
    電話:(02) 9966 5833
    ウェブ:jurin.com.au

     

     

     

    菓道家
    三堀 純一


    一菓流菓道家 家元
    和菓子司 いづみや代表
    日本スイーツ協会理事


    今年で創業63年を迎える当社は、「初代 三堀 文男」 により創業。開業当初は「甘太郎」という今川焼き風の製品の専門店として営業。「甘太郎」は大人気を博したが、初代がコレを閉店(1968)。引き続き「二代目 三堀 昇」が「和菓子司 いづみや」として、リニューアルオープン(同年)。開店当初は「磯の鵜本舗」として営業。1984年「二代目 三堀 昇」考案により「よこすか焼き」を発売、大好評となり現在に至る。使用している「餡」は初代より受け継がれている秘伝のもの。2003年9月、「二代目 三堀 昇」より「三代目 三堀 純一」へと代継ぎ。2007年のテレビ出演を期にさまざまなメディアで取り上げられる。その後、煉切の作法を、アート・パフォーマンスとして表現する「菓道一菓流」を2015年に開派。
    ichi-ka.jp

     

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