「FIG&VIPER」クリエイティブ・ディレクター、DJ、ネオギャル 世界にトレンドを発信する日本屈指のインフルエンサー ALISA UENO | Cheers インタビュー
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     interview 

    「FIG&VIPER」クリエイティブ・ディレクター、DJ、ネオギャル
    世界にトレンドを発信する日本屈指のインフルエンサー

     

    ALISA UENO

     

    植野 有砂

     

    インスタグラムのフォロワーが27万5000人。FIG&VIPERのクリエイティブ・ディレクターであり、DJとしても世界各地で活動しているインフルエンサーの植野有砂さんは「ネオギャル」のパイオニア的存在だ。そんな有砂さんが8月30日にシドニーのジャパンファンデーションにて開催されたイベント『Tokyo FRUiTS』に招かれトークイベントを行った。今回弊紙では大盛況のうちに幕を閉じたトークイベントを終えたばかりの有砂さんにお話を伺った。

     

     

    「FIG&VIPER」のブランドコンセプトをお聞かせください。

     

    「納得のいく価格帯で飽きの来ないデザインを」というのが全体的なコンセプトですけど、どちらかというとシーズンコンセプトに重きを置いていて、毎シーズン結構ガラッとテーマが変わります。基本的にはストリートスタイルで、日本人の18歳から25歳くらいまでの女の子がターゲットです。H&MとかTOPSHOPなどいまは世界中で可愛い服が手に入るので、他では買えないものを意識して作っています。海外販売はオンラインしかできてないですけど、結構インスタグラムのフォロワーとかも海外の人が多かったりします。

     

    「FIG&VIPER」の立ち上げにはどのような形で関わりましたか? また当初、業界のことや経営面に関して、必要な知識や技術はどのように学びましたか?

     

    経営は社長がいたので、私は数字にはあまり目を通さないようにして、クリエイティブの部分だけをやるようにしていました。まあ嫌でも数字はついてきちゃうんですが。始めてから6年経ちますが、最初の1~2年は自分が可愛いと思ったものが売れなかったり、自分の感覚と世間がズレていたり、出すのが早すぎちゃったりとか。私的にはその早さがいいんだよって思ってたんですけど。やっぱ結局、店の数字に繋がらないといけないので。そういう壁にはぶち当たったりしました。ブランドを始める前の1年間は洋服の知識が何もなかったので、生地のことを布って言ってたくらい(笑)。社長に教えてもらいながら中国の工場を自分で見に行って、どういう流れで洋服ができるのかとか、そういうのも1年間くらいで学んでグランドデビューになったんですけど、もうやりながらずっと学んで学んでっていう感じでしたね。

     

    そもそもどのようなことがきっかけでデザインの方へ進んだんですか?

     

    当時師匠と仰いでいた人から大学在学中に「お前はデザイナーをやった方がいい」っていう風にいきなり言われて、それで2つ返事で「やります」って言って始めたんです。すごい変な話なんですけれど、人との出会いが始まりでした。

     

    「FIG&VIPER」と言うと結構攻めているイメージがありますよね?

     

    実際2012年が一番攻めてました。当時のデザインは〝着ている意味がない服〟というか、ほんとファッションだけのためにあるような服をたくさん作っていて、そのイメージが今でも、FIG&VIPERのお客様に強いと思うんですけど。FIG&VIPERを着ているだけでオシャレに感じてくれたり、今日はイケてるって思ってくれたらという気持ちで作っていました。やっぱり何か着る理由に繋がらないと皆が洋服を買ってくれないと思うので。服に対してお金を払うということ自体が私はファッションの楽しさでもあると思うんです。

     

    リタ・オラなどセレブもFIG&VIPERを着ていますね。

     

    リタ・オラが109に雑誌の取材で来てくれて、私その当時リタ・オラがすっごく好きで、それでもう何でも持って行ってくださいっていっぱい渡したら、彼女がカーラ・デルビーニュに自分の着たやつをあげたりしてくれたみたいです。

     

    「英語が話せるプロデューサー」を強みにしようと思われた理由とは?

     

    6年前に私がブランドを始めるときに、プロデューサーっていうのがすごい流行ったんですよね。オシャPっていう文化なんですが、表に出ている人とか、読者モデルの子とかがブランドをやるのがすごい流行ってて。実際ギャル系のマーケット自体がほぼそのオシャPブランドで固まっていました。そういう枠に私もハマったというか。それまではモデルとして雑誌に出ていたんですけど、それ以降はブランドのプロデューサー、ディレクターとして表に出ることが増えていきました。そのなかで英語をしゃべれたり、海外を視野に入れている人がまったくいなくて。みんなドメスティック思考だったけど、私は最初から海外でもやっていきたいと思ってて。ネットが普及している中で、同じタイムラインで一気に情報を共有できるから、英語で投稿したりだとか、そういうのをいち早くやっていきたいと思って、それを強みにしていました。

     

    そもそも英語を話したいと思ったきっかけは?

     

    周りのみんながアイドルを好きな中学生くらいのときから、私はブリトニー・スピアーズとかヒラリー・ダフなど海外セレブがすごい好きで、プリクラ帳とかも海外セレブの切り抜きを貼ったりしてて。あと小学生のときに初めて行ったコンサートがジャネット・ジャクソンで、それを見たときにカッコイイ!って思って、それで英語喋れるようになりたいって漠然と思いました。中学受験のときに受験が2月に終わって中学入学までの間に、KUMONやNOVAに通ったりして英語の勉強をしていたら意外とできちゃって、そこから英語はずっと得意科目だったんですけど。大学も英語を専攻していたので。もうなんか英語をしゃべりたいみたいなのは小っちゃい頃からありましたね。

     

    「英語をもっと話せるようになりたい」と思っていてもなかなかうまくいかない日本人が多いですが、具体的な勉強方法など何かアドバイスはありますか。

     

    私は電車の中で歌を聞きながらの歌詞をノートに書いてそれを和訳するような独学の方法をやったり、ドリルをやったり、結構会話で覚えたというよりは、勉強で覚えたタイプでした。勉強方法をよく聞かれるんですけど、私は方法よりも量とやる気が一番だと思っています。しゃべりたいっていう気持ちがあれば、自分にあった方法を自然に見つけることができると思う。自分は受験がかかってたのでその危機感もあって、本当に毎日、単語帳2000や熟語帳を読んで全部頭に詰め込んだり、1日8時間とか10時間勉強したり。そのくらいがっつりやっていたので。今もう忘れちゃいましたけど(笑)。だからまずやれることを色々やってみて、自分に合っているものを見つけて、それに時間をかけた方がいいと思う。音読もオススメかな。ワンパラグラフごとに20回音読するんですよ。これは予備校でやらされてたんですけれど20回って結構1時間くらいかかるんですよ。だけど12回目くらいから見ないで言えちゃうくらい、口が覚えて回ってきて。その綺麗な文章を会話中にたまにパッて思いだしたりして、綺麗な英語を話せたりだとか。あと自分の喋っているビデオを撮ったりとか?

     

    オーストラリアのファッションブランドMINKPINKとのコラボをされていますが、最近オーストラリアで気になるファッションブランドはありますか?

     

    もともとMINKPINKすごい好だったので、日本の代理店さんが話を持ってきてくれたときに「やりたーい!」ってなって始まった企画でした。ジュリークが好きで化粧水とかハンドクリームを使っています。ちょっと高いんですけれど、ほんとに良くて冬場は絶対ジュリークのハンドクリームを使いますね。

     

    NERVOのふたりとも交流を持たれていますが、NERVOとの出会いのエピソードをお聞かせください。

     

    オーストラリア人の彼女たちが私のDJのマネージメントをしてくれてるんですけれど、今彼女たちはDJとして世界中を飛び回っていて、基本的にオーストラリアにはいないみたいです。彼女たちがサマーソニックというミュージックフェスティバルで来たときに、FIG&VIPERとキキララちゃんとトリプルコラボしようという風になったのがきっかけで仲良くなりました。

     

    海外で活躍されている植野さんが特に影響を受けた国や人物はいらっしゃいますか?

     

    ニューヨークに初めて行ったとき、絶対ここに帰って来て居場所を作るぞって思っていました。その頃はちょうどブランドを始めたばかりで、エンパイア・ステートに登ったときに、なんて自分はちっぽけなんだみたいに感じて。日本ではある程度の知名度もあって、例えば渋谷に降りたら気づかれてっていう状況の中で、ニューヨークに来たらほんとアウトサイダーだし。誰も知ってる人もいないし、どこにも居場所がない。だから仕事をして居場所を作るっていうのを目標にしてた頃もありました。それが自分のモチベーションになって「もうニューヨークに引っ越します!」って社長に言って、雑誌でも公言していたんですけど、結局行くタイミングがなくなって、気づいたら行く気もなくなってたみたいな(笑)。

     

    物は色んな人からたくさんインスピレーションをもらっていますが、最近すごく旬な話だと、MIYAVIさんていう日本人ギターリストがいて、海外でも活躍されているんですけど。彼の日本でのバックDJをやっていて、初めてそのバックDJをやるってなったときにちゃんとお会いしてお話して、現場やリハーサルで一緒だったんですけど。もうプロフェッショナルさというか、一瞬のスキもないし、私は彼のようには絶対なれないなって思いました。常に今日をどれだけいいショーにするかっていうことを考えて、リハーサルのときから現場作りをして。なんかもう、ほんと尊敬と思ってます。MIYAVIさんに会うと自分が哀れに思うというか、比べたときに「私はこうはなれないなあ」とか、「自分はなんて楽な道を選んでいるんだろう」とかへこむんですけど、でもすごくいい影響を受けています。

     

    日本国内のストリートシーンでの交流はありますか?

     

    渋谷ナイトアンバサダーをやらせていただいてて、渋谷区のガバメントと一緒にやってるんですけど。渋谷ってこんなに安全でこんなに楽しくて、こんな見どころがあるんだよっていうのを発信していくようなことが役割です。クラブ=スゴイ悪いこと=ドラッグやってるみたいな悪いイメージを払拭するために、私はリアルに渋谷で毎日過ごしてきたので、リアルな目線でローカルなことを発信しています。そこで最近ZEEBRAさんとご一緒させていただきました。

     

     

    ところでギャルの定義とはなんでしょうか?

     

    見た目が黒すぎて化粧もつけまつげも2枚とか3枚とかつけたり、とにかくいかに黒くいるかが勝負で、日サロに週に何回行ったかというのを自慢し合うようなカルチャーですね。あとギャルっていうのは見た目だけじゃなくて、マインドのことも言っていて、すごいポジティブで自信のある子たちがギャルっていう印象が私はあります。白派と黒派に分かれていて、黒だと強めっていう風に言われていました。10年以上も続いたカルチャーで、私今27歳なんですけど、日焼けを気にしてSPFとか、色が白ければ可愛いみたいな感じはどの時代もあったと思いますが、私が高校生のときはまだ黒いギャルの時代でした。

     

    有砂さんがギャルに目覚めたきっかけとは?

     

    私が小学生のときに読んでいたギャル雑誌で『egg』がきっかけです。私もこうなりたいと思ってお母さんを連れて109に行ったり、まだ日サロには行けなかったから自分で外で焼いてたりしていました。その頃なぜかどのクラスも中心人物はギャルだったんですよ。マインドもポジティブですごい強くて、絶対に同い年の男の子と付き合わないで、年上の先輩と付き合うみたいな感じがあって。目立ちたい子がギャルになりたい子が多くて、目立ちたければギャルにならなきゃいけないみたいな空気もあって。だからみんな肌を焼いたりしてました。今言われている原宿系の子ってファッションではヒューチャーされるけれど、なんか変な意味ではなくて、どちらかというとクラスではサブキャラじゃないですけれど、ギャルとは違ったグループにいた感じでしたね。

     

    その後、読者モデルになったきっかけは?

     

    17歳のときに渋谷の109の前で声をかけられてスナップを撮られて、そのあとに編集長から連絡がきて、雑誌に出ないかと言われて、「でます!」みたいな。私服7日間とか、秋のオススメのメイクアップだとか、あとはヘアサロンでどういう髪型にオーダーしたらこうなるとか、紹介記事をやっていました。最初は『Ranzuki』っていうギャル雑誌に出ていて、自分が憧れていた『egg』のような雑誌に出れて、小学生の私からしたら夢みたいな体験でした。今の日本はもうギャル雑誌が全部なくなっちゃったのが悲しいですね。

     

    その後、ネオギャルへと変化していくわけですね。

     

    私を含めてネオギャルと言われているような子がたくさんいたんですけど、特徴的にはギャルでもないし、原宿系でもないしっていうので、じゃあネオギャルだって『ViVi』が名付けた感じですね。例えば、髪をハイトーンにしてたり、タイダイヘアだったり、ギャルの顔面でちょっと原宿要素を入れて。例えばお腹を出したりっていうのは原宿の文化にあまりなかったんですけど、原宿っぽい服で露出をしたり、ちょっと絶妙な透け感のスカートやフリルを着たり、そういう男目線も原宿系の服に入れつつ顔はギャルのままというジャンルのことを言ってるんだと私は解釈しています。ネオギャルのパイオニアって周りが言ってくれていますが、自分で始めたことじゃないので、そこはちょっと戸惑いがあります。

     

    最近ではハイブランドもネオギャルに注目しているようですね。

     

    ネオギャルというよりもSNSの発信力が強いのかなと思います。その子自身がどれだけ発信できるかっていうのをブランドさんは気にしているのかなって。私もまさか自分にFENDIとかSKⅡの仕事が来ると思ってなかったし。ハイブランドさんはギャルを嫌う傾向がやっぱりあって、いまだに感じるときもありますが、色々な企業さんがちょっとずつ柔軟になってきているのかなとも思います。

     

    ちなみにネオギャル男って何ですか?

     

    ネオギャル男っていうのは私は言われてパッて思いつくんですけど、誰にでもわかる言葉じゃないし、あんまり浸透はしてないのかな。私が思うのは、ちょっとKポップ寄りな感じでプラットホームのスニーカーとかダメージジーンズを履いて、ビッグTシャツにキャップみたいな感じがまず着ているアイテムのイメージですね。ギャルはギャル男と付き合うっていう鉄則があったんですけど、ネオギャルとネオギャル男にはそういうのはあんまりなくて。逆にネオギャルの子たちはストリート系の男子が好きな傾向がある気がします。

     

    さまざまなことに挑戦していく中で、親と衝突したことはありましたか?

     

    ないですね。親は100パーセント「有砂の幸せはママの幸せ」みたいな考え方をしてくれているので。ただ体の心配とかはすごいされますけど、絶対やりたいことを止められたことはないですね。そういう点ではすごい感謝しています。

     

    「好き」を仕事にするのは難しいというひとがいますが、仕事でつまずいたことや、苦労したことはありますか?

     

    細かいことでいうと、依頼した洋服のサンプルが思い通りにあがらなかったり、やりたいものが明確にでき上がったのに、値段が高すぎて売れないからドロップになるというのは結構ストレスです(笑)。あと、「いけるでしょ!」って思って在庫を積んだものが全然売れなかったりとか、そういうことは全然ありますね…。

     

    失敗したときにどうやって失敗と向き合いますか?

     

    あんまり向き合わないかも。とりあえず人に迷惑が掛かってないか確認する。自分のなかでの失敗だったら一回放置して、でも絶対に向き合わないといけないときが来るんで、そのときにがっつり向き合う。あとやっぱり次に活かす。その失敗に意味がないとただの失敗になっちゃうので、その失敗から何を学べるかを、実際そんな余裕ないんですけど、どうにかどん底のときでさえ引き出せるものは引き出して、次に同じことをしないっていうことを、できてるかはわからないですけど心がけています。

     

    自分自身を動かしている原動力は何でしょうか?

     

    焦り(笑)。常に時間がないという考えを15歳くらいのときから持っていました。歳取りたくない病がそのときから発症していて、すごい16歳になりたくない!みたいのがずっとあって。もう今は気にしてはないんですけど。今年で27歳なんですけど、もう27っていう数字は一生戻ってこないから、この1年間でなにができる?どれだけの経験とどれだけの濃い日々を過ごせる?というのをずっと考えています。だからその焦りが原動力になっているのかな。

     

    仕事をしていく上で大切にしていることは何でしょうか?

     

    要領の良さが仕事のキーだと思います。なるべく全部に時間をかけないこと。即レスしたりとか、時間を詰めてやるとか。あと絶対に理不尽にならないようにしています。結構理不尽なときがあるのでプライベートではちゃんと筋を通すじゃないですけど、相手の立場になって考えてやるようにしてます。自分の立場は自分ですごい理解しているつもりで、ときには天狗って思われるときもあるかもしれないですけど、常に自分っていうブランディングを客観的に捉えています。

     

    今後の目標と理想像をお聞かせください。

     

    あんまり先のことを考えられないタイプで、結局目の前のことをこなしていくと1年過ぎちゃったりという日々ですが、30代は洋服は続けつつ、コンサル系のことをもうちょっとやっていきたいなって。コンサルっていうのは、もちろん企業のコンサルもあるんですけど、人のプロデュースだったり、音楽もそうですし、ファッションもそうですし、海外経験も豊富な方なので、そういう自分が好きで今までやってきたキャリアを活かして仕事にできたらと思っています。30代を考えたとき、いつまでも自分が表に出ているのは違うかなって。裏方に回るのが次の課題です。以前FIG&VIPERの社長に「10年後に自分の自伝を出すとしたら、今なにをすればいいか考えろ」って言われたことがありました。そのメッセージを当時は「おお~」って思っただけで、何も直接的に受け取れなかったんですけど、それがいまでも自分の心の中にあってすごく影響されたっていうか。毎日実りの多い日々を過ごそうって、誰よりも経験値の高い日々を過ごそうと思って今があるので。私も人に伝えたい言葉だなって。誰かに響いたらいいなって思います。あと、将来もう1回やりたいのはコンビニのレジ打ちですかね(笑)。

     

    今後の活動予定をお聞かせください。

     

    いまはファッションとDJ、インフルエンサーという3つの活動が全部別軸に私の中にあって、けどファッションとDJは結局インフルエンサ―活動に繋がっています。音楽もファッションもやっぱ結局SNSに自分のライフスタイルとして載せているので、今後も発信していきたいと思います。いまちょうど動いてるのは9月にイビザでDJが決まって、同月にソフィー・タッカーという南アフリカのプロデューサーの人たちとフューチャリングしてCDを出すのが大きなニュースです。

     

    海外で夢を追いかけるワーキングホリデーや学生にメッセージをお願いします。

     

    やりたいことが見つかっている人はすごいラッキーだと思うから、それに向けてやるべきことをやるべきだし、やりたくないことももちろん受け入れてやっていくべきだし。やりたいことが見つからない人は、なにも焦ることじゃないっていうか、逆にワーキングホリデーや学生でオーストラリアに来ている時点ですごいラッキーと言うか。人より多い経験ができているから。その中できっと「これがやりたい!」じゃなくても「これならできるかも」とか、色んな方法が見えていくと思うので。もしかしたら結婚しちゃうかもしれないし、何があるかわからないじゃないですか。だから現状に感謝して色々動いたらいいんじゃないかと思います。逆にうらやましいですよ! ワーキングホリデーができて。

     

    ちなみに結婚願望はありますか?

     

    結婚願望は超あります! もういつでも大丈夫です。

     

     

     

    植野有砂 プロフィール

    1989年12月21日生まれ。大学を卒業する前から活動していたモデルでの経験を活かし2011年9月からアパレルブランド『FIG&VIPER』のトータルプロデュースを開始。感受性あふれる独特なヘアースタイル、メイク、ファッションは"ネオギャル"としてさまざまな人から支持を得ている。昨今では、音楽のフィールドでも意欲的に活動中。「Electric Zoo」や「ageHa」など国内のフェスやクラブをはじめ、LAの「create」、NYの「TheAttic」など国内外問わずDJとしてプレイしている。「MUSIC CIRCUS'14」に出演したさいには、Steve Aokiがブースに応援に来るなど、海外のDJやセレブたちとも交友関係が深い。「ULTRA JAPAN」ではオフィシャルアフタームービーに出演。「Electrox2015」ではピカチュウと共演し大きな話題を呼んだ。2015年6月にリリースされたNERVO楽曲「Hey Ricky」にフィーチャリングアーティストとして参加。シンガー“ALISA”としても世界デビューを果たす。また、世界中に27万5000人のインスタグラムのフォロワーが存在する。得意の英語を活かし「MTV」のインタビュアーも務めたりと常に世界中を飛び回り、ファッション、音楽やカルチャーを発信するインフルエンサー。


     

     

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