日本ヒップホップ界のパイオニア再びシドニー上陸 DJ KRUSH | Cheers インタビュー
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    先日までヨーロッパツアーに行かれていたと伺いましたがどうでしたか?

    ヨーロッパは広いんで、ドイツ、フランス、イタリア、ギリシャなど、8カ国くらいを半月時間かけて音を吐き出してきたよ。今回はギリシャを4ヵ所回ったんだけど、かなり強烈だったね。オーディエンスのノリもいいし。食べ物も日本人に合っていておいしかった。おもてなしが日本の古きよきという感じでリラックスできたよ。その後はNYではバンドのギグに参加して帰ってきた感じかな。 

    ツアーでアジアはあまり回られないんですか?

    台湾こそ最近は行かないけど、韓国も行くし中国は北京、上海、広東と回った。中国は行く度にオーディエンスの進化に驚くよ。貪欲って言ったらいいのかな。前はメジャー路線が受けていたんだけど、最近ではリアルなアンダーグラウンドにも気が付いてきた。中国はこれからサブカルチャーが伸びる国だから、大きなマーケットのひとつになるんじゃないかな。政治的には今いろいろややこしいけど、音楽ってパスポートがいらないからね。どこへでも飛んでいけるから国境がない。それに言葉も要らないし。音楽でパイプラインをしっかり繋げていきたいと思っているよ。

    今回は何度目の来豪になりますか?

    えーと、UFOと一緒に来てから以来単発の公演やフェスを入れたらオーストラリアはもう何度目だろ…とにかく数え切れないほど来ているからもうカウントするのはやめたんだよ(笑)。

    久々のシドニーだと思いますが、来豪に対して意気込みをお伝えください。

    確かにシドニーには何度も行っているけど、ライブは常に初心に帰ってやっているよ。毎回新鮮な気持ちを大切にしている。今回はオーディエンスからも刺激をもらいたいな。このツアーが終わるとソロのDJとして20年を迎えるんだ。実はそれに向けて今、新しくアルバムを計画中なんだ。今回はメルボルン、シドニー、パース、ホバート、キャンベラあとニュージーランドを回るよ。今回のオーストラリアツアーが20年を締めくくる最後のツアーになるね。

    シドニーオーストラリアのクラウドのノリは、他国と比べてどうでしょうか?

    多民族国家だからいろんな人種が混ざり、いろんな音楽が存在している。オープンマインドな人たちだからやりやすい。受け入れ態勢が温かくて、とても安心させてくれる。素直な自分にさせてくれるよ。

    今回はどのような選曲でクラウドを盛り上げていく予定ですか?

    ジャパニーズヒップホップシーンを黎明期から支えてこられたDJKRUSHさんが、20年を経て、今のヒップホップ、ミュージックシーンを見てどのように感じますか? ヒップホップそのものが大きくなっているよね。でっかくメジャーとアンダーグラウンドのふたつに分かれて来た。メジャーの存在も確かに大切だと思うんだけど、オリジナリティの音を追求しているアンダーグラウンドをやっぱり俺は指示しているよ。

    ターンテーブルなどローテクからハイテクが浸透したサウンド機材の発展は目覚ましいですが、この流れに抵抗はありますか。その良い点と悪い点があれば教えてください。

    今思えばやっぱりアナログの音質でスピーカーから出てくる音が好きだけど、9・11のテロがあってからは、空港がかなり持ち物にうるさくなって。荷物が無くなったりするトラブルも増えて。海外でのパフォーマンスが多いから俺の場合は必然的にラップトップにせざるを得なかった。もちろん音質的にはアナログに近い音で取り込んでいるけどね。仮にそういうことを抜きにすればレコードがいいね。俺がDJ始めた頃はアナログレコードとカセットテープが主流だったよ。

    どのような時に、作曲のインスピレーションを受けるのでしょうか?

    普段の生活の中で受ける刺激をまず自分の中に溜め込んで、今度はそれを自分なりに噛み砕いてから一気に吐き出すみたいな…

    不況も相成って将来について悩んでいる若者が多いと思います。DJKRUSHさんがこの業界でやっていこうと心に決めたタイミングはどんなときだったのでしょうか?

    きっかけは93年頃に公開された映画『ワイルド・スタイル』だったんだけど、始めた頃はもちろんすぐにDJで飯は喰えなくてね。夜中までDJして、寝ずに朝からトンカチ持ってドロドロになるまで働いて。夕方家に帰ってビールを飲んでちょっと休んだらまた夜にDJしてみたいなルーティンの生活を3年はしたかな。自分にはDJしかなかったし、それを証明するために自分なりに相当努力はしたと思うよ。でもその時期になんとか合間を使って作った音源が、まあ当時だからカセットなんだけど、それがイギリスの大手レーベルの目に止まって。そこを通して注目され、まずはイギリス、そしてアメリカとうまく展開していったんだ。今同じことをやっても成功するとも思えないけど、その時は時代の流れとか、人との出会いとか、色んなことの組み合わせがいいタイミングでうまく回りだしたんだ。

    音楽をクリエイトしていくこととは、DJKRUSHさんにとってどのような意味を持っていますか? DJを続けることに対しての原動力、活力となるものを教えてください。

    売れてない頃からここが自分を一番吐き出せる場所だという確信はあったんだ。だからしがみついていた時期もあった。これはもう昔の話なんだけど、家内の父親に結婚の挨拶に行ったときに、「職業は」と聞かれて「DJです」と答えたら「DJ? 何だそれ! そんなもんで稼げるわけないだろ!」って怒られてさ。昔の人だからDJのことなんて何にも知らないからさ。その時は悔しくって、絶対DJで喰ってやるって思った。いつか見てろよってね。

    また、挫折をしたことや、もうやめてしまおうと思ったことはありますか? その時の状況を詳しく教えてください。

    Muroたちと結成したグループ『KRUSH POSSE』が解散し、ひとりになったとき。その1回だけは辛くてやめようかと思ったかな。でも俺にはここしか居場所がなかったから。弱音は決して吐けなかったね。

    以前の弊紙インタビューでは、『日本発の音を1人でも多くの人に聴いてもらいたい。日本国内だけじゃなくて、地球規模で自分が思い描いた音を聴いてもらいたい』とおっしゃっておりました。ここ数年の活動をみていると、この目標は達成に近づいていると思います。DJKRUSHさんにとって次のステップは具体的にありますか?

    今度は俺が吐き出した音を受け取った側と色々なことをやっていきたい。ジャンルの垣根を越えて、人種も問わずいろんな才能をもった奴らと共鳴して面白い音楽を創っていきたいな。

    日頃オフの日はどのようにお過ごしですか?

    おっさんの生活だよ(笑)。天気が良かったら冷えたビール持って海沿いでのんびり釣りをしたりね。普段仕事で海外に出ているから長い休暇がとれても海外旅行はあまり興味がなくて。それよりも国内の方が今は面白い。写真も好きなんだよね。空間を切り取る作業と言うか、音のサンプリングに通じるところもあって重ね合わせたりなんかして。凝り性ではまっちゃうから最近はあえて敬遠しているんだけどね。

    最後に、ここオーストラリアで頑張っている日本人に熱いメッセージをお願いいたします。

    人生には大切なことがふたつあって、ひとつは自分を支えてくれている周りの人たち。俺ももうこの年になるけど自分ひとりじゃ何もできないことを最近やっと分かったよ。あともうひとつは自分自身とどれだけ向き合える気持ちを持てるか、ってこと。いい意味で自分自身を鍛えていきましょう。

    DJ Krush
    1962年東京生まれ。1980年代初頭に公開された映画『ワイルド・スタイル』に衝撃を受け、ヒップホップに足を踏み入れる。1987年にKRUSHPOSSEを結成。日本を代表する実力派ヒップホップ・チームとして、様々なメディアで活躍。1992年の解散後はソロ活動を精力的に行い、日本で初めてターンテーブルを楽器として操るDJとして注目を浴びる。1994年に1stアルバム『KRUSH』をリリース。ソロ作品はいずれも国内外の様々なチャートの上位にランクインし、6thアルバム『漸-ZEN-』は、“インディーズのグラミー賞”といわれるアメリカのAFIMアワードにおいて特に芸術性の高い作品に贈られる“ベスト エレクトロニカ アルバム 2001”最優秀賞を獲得。2006年、自身による初のセルフリミックスベストアルバム「STEPPINGSTONES」をリリース。2007年、これまでの12年間の足跡を記録したドキュメンタリーDVDBOX「吹毛常磨」をリリース。


     

    CHEERS 2010年12月号掲載

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