日本人ソロギタリスト JT West | Cheers インタビュー

Cheers インタビュー

シドニーで活躍する日本人ソロギタリストであり、サムライギタースクールの主催者、また弊紙『風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!』のコラムを連載中のJT Westが、ファーストアルバムから10年間の沈黙を経て、2月14日に待望のセカンドアルバム『Industrial Complex / Rising Sun Ⅱ』をリリースする。今回はそのリリースに先駆け、JT Westにインタビューを敢行した。JT Westの幼少時代から、現代社会を切り裂くようなメッセージ、アルバムにそして音楽に懸ける想いを、JT Westが熱く語る。

ギターと出会ったきっかけを教えてください

小・中学校と成績がとても悪く、運動もダメ、不良ではないけど学級問題児で、父母に厳しく怒られることが多い環境で育ちました。やらされたピアノですら1年も長続きせず、自分に自信が持てずにいた幼少の日々でした。ただ不思議と、読書と音楽を聴くのは欠かしませんでした。高校に入り放送部に所属したのですが、そこで出会った友人の影響でギターと巡り合いました。ギターを始めて直ぐに作曲もするようになり、友人の家でレコーディングをするうちに、音楽を作ることがだんだん面白くなって行ったんです。でも、今から考えると、たまたま目の前にあったモノがギターだっただけで、本当は何でもよかったんじゃないかと思います。自分に自信が持てるもの、完結できるもの。私にとって、それが偶然ギターだったんだと思います。。

当時はどのようなジャンルの音楽が好きだったのですか?

高校生だった80年代前半は、ニューミュージックやAORが流行していました。でも、当時の私は土臭いアメリカンロックが好きだったんですね。いろいろ調べるうちに、アメリカンロックのルーツがカントリーウェスタンだという結論にたどり着きました。神戸はジャズやカントリーのライブハウスが数多くあり、その内のひとつ「Lost City」という店でブルーグラスミュージックを初めて耳にし、影響を受けたんです。その店の看板バンドでアメリカ帰りの『MAD DOGS』の日本人ギタリストに出会い、音楽の楽しさ、はたまた音楽で食べていくことの厳しさを教えられたんです。ですから当時は、私なんかがプロになれるわけがないと本気でそう信じていました。でも、80年代前半という素晴らしい時期に音楽に出会い、また彼らと出会い、そして神戸という街で育ったからこそ、未だに音楽をやっていると理解しています。

大学在籍中に渡米を果たしていますが、どういった動機からだったのですか?

リアルなアメリカの音楽を肌で感じ学びたくて、バイトでお金を貯め、憧れていたアメリカに渡りました。アメリカでは音楽のある場所を駆け回り、色々な人々や様々な音に触れました。現地でギターを買ったところでお金がなくなり、再びこの地を踏むことを誓い、大学三回生の途中で日本に帰ったんです。でも、帰国したら急に何もかも無気力になったんです。ちょうどバブル景気に入った頃だったので、周りの仲間は大手企業に内定がほぼ決まっている状態でした。それに対して私はまったくの白紙でしたね。

その後は音楽の道へ入ったのですか?

当時は大学を出れば就職するのは当たり前でしたから、とりあえず私も学生のバイト時代からの古巣だった土木測量の会社に、正社員就職しました。入社後しばらくして、夜はバンドを3つ掛け持ち、少し寝てまた仕事という生活が始まりました。そうしてバンド三昧の日々が3年ほど続き、ギターに触れてからちょうど8年が経過した時、ふと「俺は何をやっているんだろう。プロになる気もない音楽に、なぜここまで時間を費やしているのか」と疑問を持ち始めたんです。責任が重くなりつつある立場の、肝心の仕事の方はだんだんおろそかになり、自分自身に仕切り直しをする決断にとうとう迫られたんです。辞表を出す前に相談した会社の先輩が私に、「お前、次はケツを割るなよ」と釘を刺した、あの言葉が今でも心に響いています。覚悟を決めるときでしたね。今から考えると、弱い自分を追い込む大きな決断だったんだと思います。両親は音楽に傾倒していく僕を見兼ねて、『私立の大学まで行かせたのに、裏切られた』と言っていましたが。

ミュージシャンとしての第一歩はどうでしたか?

当たり前な話ですが現実は非常に厳しく、お金になる音楽の仕事はほぼありませんでした。結局は音楽活動をしながら肉体労働のバイトで繋ぐという毎日で、通算で30種類くらいのバイトをこなしたでしょうか。睡眠は1日4時間以下という過酷な日々が続きましたが、「自分がミュージシャンとして1人前じゃないのだから」と思えば何の不満を抱くわけもなく、きつい状況をむしろ甘んじて受けねばと思うことにしました。演奏でギャラを貰えるようになったのは、確か数年ぐらいしてからだったと思います。お金よりもむしろ、ステージの場数を踏む修行の場として当時はライブをこなしていました。

その後、どういう経緯でオーストラリアに来たのですか?

いずれアメリカで勝負しようと準備をしていて、当時、結婚した彼女と渡米する予定でしたが、ちょうど同時期に、申請していた彼女の母国オーストラリアの永住権が下りたとの連絡を受けました。訪れたこともないその土地に魅力を感じず、せっかく取れたビザでしたがキャンセルしようと領事館に話しました。でも、そのビザ担当の女性が不思議な人で、「行ったこともないのにどうしてつまらない国だって分かるの?一回行ってみたら?」と諭されたんです。それもそうかと思い直し、一度下見としてオーストラリアに行くことを決めました。その途中、クアラルンプールで飛行機を乗り換えたんですが、タラップを降りると昔アメリカで馴染みだった油臭かった街と同じ匂いがして、なぜか涙が自然と溢れたんですね。きっと「やっと自分が自由になれた。何か新しいことを始めるスタートラインに立てた」と体が反応したのでしょう。シドニーで2日間ほど滞在したんですが、日本に帰る飛行機の中で直ぐに神戸を出ることに決めました。今からちょうど12年前の話です。

その後、渡豪を果たし、サムライギター教室を始められたのですか?

渡豪から半年程が過ぎたあたりでサムライギター教室を本格的に始めました。海外に出たら音楽の仕事一本でやっていくと自分に決め事をしていたので、どこまで音楽の分野のみで収入を得ることができるか、また、稼がないといけないという現実から「昔取った杵柄」で、先ずはできることから始めたんです。ギターは日本に居るときからサブで教えていましたが、実際にフルタイムで始めてみると、意外にも「人にモノを教える仕事が好きな自分」という発見がありました。通算で500人ほどの生徒を数えることとなりました。

その後、2001年7月にファーストアルバム『Rising Sun』をリリースされています。

今までずっと弾き続けてきた私の作曲した手元にある曲を形にしたい、それを脱ぎ捨て、さらなるステップを踏むという決意でアルバム作成を思い立ちました。オーストラリア人は、アジア人だからといって差別などせず、良い物は良い、悪いものは悪いとシビアに判断をしてくれて、思いのほか自分の音楽を理解してくれたオーストラリア人が多かったことに感謝しています。結局ファーストアルバムはすべて完売することができました。

JT Westさんのジャンル、“ロック・フュージョン”とは具体的にどのような音楽なのでしょうか。

私の目指すギター・インストゥルメンタルのロック・フュージョンとは、クラシック音楽の形式に似ています。ロックやジャズなど、20世紀の現代音楽を使用し、トップセンスのある音楽を目指しました。私の音楽には歌が入りません。歌の部分はギターが歌うと考えているからです。

インストゥルメンタルですので海外で言葉が障害になるということはないかと思います。そこはジャンルの強みだと考えていますか?

その割には受けが悪いというのが実際です。クラシックやジャズが良い例ですね。万人受けするものはメロディーに歌が載りますので、ストレートにメッセージを理解できる。その点インストゥルメンタルは歌がない。しかし歌がない代わりに、楽器が奏でるメロディーの奥にメッセージが隠されているんです。だからリスナーには想像力を働かせて何度でも聞いてほしい、聴く側の余裕が要求されるそういう音楽です。TVと視聴者は一方通行な関係ですよね。本当の芸術とは、受ける側にも考えさせる余裕を与えるものじゃないかな?と思うんです。でも、どんな音楽をやっても万人受けさせる努力はプロである以上、絶対に必要だと思います。それこそが商業芸術でありポップセンスだと思いますね。

2010年2月14日のバレンタインデーに合わせて、ファーストアルバムから約10年目となる、セカンドアルバム『Industrial Complex -Rising Sun Ⅱ-』のリリースを控えていますね。 今回の作品の感触はどうですか?

収録に5年の歳月をかけただけあって完成度は高いと言えます。時間をかけた分、荒削り感が取り除かれて、それが良い方に転ぶか、悪い方に転ぶかはリスナー次第ですが、ただのストレートな作品ではないということは言えると思います。

DTMの到来など、ここ最近ではレコーディングにも電子技術が多様されている時代です。このセカンドアルバムでも当然使用していると思いますが。

昔はオープンリールでのレコーディングで、収録トラック数に限界があったのですが、DTMの収納先はハードディスクですから、トラック数を無限に増やせる利点があります。しかし、音を多く重ねすぎることで和音が濁ってしまい、本来表現したかった音をイメージ通りに出せない側面もあります。またDTMはデジタルなので、アナログの温かみと同じものを求めるのは物理的に無理があります。そういったマイナス面はカバーし難く、バンドが持つようなライブな感覚を演出するには一苦労でした。今は3Dの時代なので、音に立体感をつける工夫も一つの挑戦でした。結局、1曲中に220個のトラックという前代未聞の話になってしまったのですが、か弱い打楽器の音やギターがリズムミュートする細部に至るまで、テイクした音のひとつ一つが無駄になることの無いよう、徹底的に整理しコントロールしたつもりです。収めたすべての音には必ず意味がありますので、どの音も定位置にちゃんと居てほしいんです。

他の音楽との違いを教えてください。

作られる音楽には2種類あると思います。ライブのような一発テイクの音楽と、画家が描く絵のように、長い時間を掛けて作る音楽。映画音楽や70年代のイージーリスニングが結構好きで、ポール・モーリアやピエール・ポルトが私の好みです。彼らの音楽は一発テイクで演奏収録したポップなものですが、フランスの音楽家らしく、形式主義の持つ美しさが彼らの音楽の中に見えます。私もその形式なるがゆえの美しさを追及してみたかったんです。そうして作りこんだ作品を、それぞれのお宅でひっそりと楽しんでいただく。まさしくホームエンターテイメントですね。家でワインを飲みながら本を読む、映画を観るといった感覚です。インダストリアルな時代のエンターテイメントの楽しみ方、このアルバムはそういった性格を持っていると思います。

何かが目覚めるように始まるこのアルバムは、ただの曲の羅列ではなく、ロマンティックなものからエレクトリックギターで現代社会を切り裂くようなメッセージ性の強いものまで幅広く、全体を通し一貫したストーリー性を感じることができました。セカンドアルバムを作成するにあたっての思い、そのコンセプトをお聞かせください。

私が育った西宮市の南部や神戸は、もともと海と山が調和した美しい街だったのですが、夏になると光化学スモッグ注意報が頻繁で、教室から出られないこともありました。また、山をつぶしては海にいつのまにか人工島ができていたり、ヘドロで死んだ魚がたくさん浮かぶ環境汚染を目の当たりにし、機械化社会への疑問や脅威を抱くようになりました。無秩序に開発され「未来都市」と謳われた80年代当時の神戸の風景が多分、『Industrial Complex』の基礎になったんだと思います。いずれにせよ、ハイテクな消費社会に組み込まれていく私たち歯車。その歯車同士が時々繰り広げるロマンティックな都会の恋。そういった人間の悲しさや時事現象をロサンゼルスという街に例え、音楽というツールを使いつつジャーナリズムな観点でどこまで表現できるか?というのが大きなコンセプトの一つでした。

前回のRising Sunでは、「Amazing Grace」と「赤とんぼ」のカバー曲が入っていましたが、今回もカバー曲を入れましたか?

今回は、私が子供の頃に衝撃を受けたテレビドラマで、その主題歌「俺たちの勲章」を1曲のみカバーしました。やり場のない、どうにもならない不条理な現実、それが今回のアルバムで出したかった色と重なりました。このドラマ自体がまさにそうです。必ずハッピーエンドで終わらない、「情け容赦ない現実」といったところでしょうか。

『俺たちの勲章』をどのようにアレンジしたのですか?

舞台は夏の夜の水田がある田舎で、ひぐらしの音の向こうから盆踊りの祭囃子が心地よく聞こえてくる。そんな懐かしい空気を突如引き裂き、無機質な踏切警告音が鳴り始める。そして貨車の轟音がそのすべてを壊して去って行く。でも、通り過ぎた機関車もなぜか哀しく泣いていた。そんな寂しさ、空しさ、やるせなさをイントロで表現しました。英語名で「The Level Crossing=踏切」と表記したのも、そういう理由からです。みんなが小さな喜びを分かち合い、共存で納まっていた時代とはもう違う。そんな時代の変化、現代社会を表現しました。

セカンドアルバムの制作にあたって、印象に残る出来事をお聞かせください。

普段お世話になっている人たちと、わずかな時間だけど一緒に仕事ができたことが何より嬉しいかったですね。

苦労をどのように乗り越えていらっしゃったのですか?

話せる友だち、馬鹿ができる仲間は大切です。あと私の場合は『本』。実生活をしてよっぽど人と接する仕事をしている人でもなければ、新しい出会いは限られます。親密にならないとその人の考え方は伝わり難いですし、それには時間がかかります。本はそういった時間的プロセスを排除し、ストレートにその人の考え方に触れることができます。同じことが音楽でも言えます。それと、私が教える生徒たちからも心が救われたことが多々ありました。ダメな先生ですね。

最後にコラム読者にコメントをよろしくお願いたします。

『風雲サムライギターリスト シドニー音楽街道を行く!』をご愛読していただきありがとうございます。いつも色々と偉そうに書いていますが、「教えてやる!」という観点でコラムを書いたことは一度としてなく、こういうことがあったという事実を第3者の観点で書くよう、心掛けています。歴史や史実から学び、そこから得た「ぶれない座標軸」を自分自身の中に持つと、問題の解決方法が意外なところで発見できたりします。何を信じたらいいのか分からないこの時代だからこそ、自分独自のパラダイムを持つ。弊紙とは何かの縁でコラムを書き続けておりますが、書き始めてから早いものでもう10年になります。文章を書くことによって、私という人間も大きく変化したと思います。シドニーに来て多くを学びましたが、ひとえに毎月の執筆作業が今日の自分へと育んだ、と言っても過言ではありません。そういった経験を、将来を担う若い読者の皆さんと共有したいという思いもあります。最後になりますが、今回のセカンドアルバム『Industrial Complex / Rising Sun Ⅱ』を是非お聴きください。制作費の都合上お値段が少々しますが、『風雲サムライ』の執筆に負けない座標軸な内容となっております。宜しくお願いいたします。

JT.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ソロギタリスト。過去15年に渡り、延べ500人以上の生徒を指導。1999年より、シドニーにて「サムライギター教室」を開講。日本での経歴は、神戸を中心にロックバンドのリードギタリストとしてセッションワーク等をこなし、現在、ソングライター、創作家として活動中。2001年、初のソロギターアルバム『Rising Sun/ライジングサン』をリリースし、同年、ギター教室を中心とした総合音楽業務を内容とする、サムライ・ミュージック・エンターテイメント社を発足。2月14日には待望のセカンドアルバム『Industrial Complex/Rising Sun Ⅱ』をリリースする。同社代表取締役。


 

CHEERS 2011年2月号掲載


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