トップヘアスタイリスト・相羽克利氏 相羽克利氏 | Cheers インタビュー

Cheers インタビュー

美容師を志したのはいつごろですか?

18歳の頃、当時は美容師にはまったく興味がなく、心理学や施設のボランティア活動にすごく興味を持っていました。そして進路指導の先生の紹介で、福祉施設のボランティアをさせてもらえることになって。しかしボランティアを始めて数日が経っても、なかなか僕の言葉では子供たちの心を開いたり、気持ちを変えてあげることができない。どうしてなんだろうと考えていたところ、たまたまそこに現れたおばちゃんが、子供の髪の毛を綺麗に切り上げたとたん…パッとその子の気持ちをハッピーに変えてしまったのです。言葉ではなく髪を切るというその行動で、子供の心をハッピーにした情景を目の当たりしてから、徐々に美容師という職業に興味を持ち始めました。あの時のおばちゃん美容師との出会いが結果、この道を志すきっかけになったんです。

美容師の専門学校を経て大阪の美容院へ

学校での成績は決して良いほうではありませんでした。先生にも「もうやめたほうがいい」、「考え直したほうがいいよ」とまで言われましたが、負けず嫌いの性格で、悔しくて地道に練習しました。そして自分たちでヘアショーをやったり、何かにトライしてみたいという気持ちは人一倍強く、好奇心旺盛な学生だったと思います。努力が実り、無事に専門を好成績で卒業し、『K-TWO』という大阪の美容室のドアを叩きました。そこで敬語、接客、技術などすべてにおいて、学生レベルとプロとの違いを目の当たりにしました。

自分の中の葛藤の後、新たな場所へ

僕のいたサロンは、僕が25歳の時にはすでに国内でトップクラスのサロンになり、ブランド化を強く打ち出していた時期でした。ようやく自分にもお客が付くようになったのですが、当時の僕はまだまだ技術を学びたい時期。しかし講習などに会社の看板を背負って参加することは許されず、やりきれない思いがありました。やりきれない思いはそれだけに留まらず、果たして本当に自分にお客が付いているのか? 会社の名前が大きいから、それだけで自分にもお客が付いているのではないか? そんな疑問すら感じるようになり始めたのです。そして意を決し、別のサロンの面接を受けることにしました。しかしそこでも評価の対象は「元K-TWOの君なら」といった具合。自分を評価しているのか、お店を評価しているのか分からなくなったんですね。どこか自分のことを全く知らない場所でゼロから学びたいという決意のもと、今考えれば東京でも良かったんですが(笑)、どうせならという気持ちでカットの発祥の地である本場ロンドンで技術を学び直すことを決め、有名ヘアサロンが運営するスクールに入校したのです。

カット発祥の地、ロンドンの印象はどうでしたか?

見るものすべてが新鮮で、技術のレベルさえも正直よくわからないくらい、根本的なカットに対して考え方が違いました。日本は形式に則った上で技術を学び、スタイルブックなど決められた正解に近づくための、失敗をしないための勉強でしたが、ロンドンでの教えは、「チャレンジする上で失敗はした方がいい、なぜ失敗をしたのかという視点から学ぶことができるし、むしろその失敗から何か新しいアイデアが生まれ、正解に変わるかもしれない」と、可能性を無限に感じさせるような、ある種美容師を育てるというよりもアーティストを育てるというくらいに違う教え方でした。 そこでも「オマエは日本で何をやっていたんだ」と厳しく判断され、日本から持ってきた僕なりのプライドは脆くも崩れ去りました。まっすぐ切ることすら否定されたのはさすがにショックでしたよ。そんな愛の鞭を受けながら無事に卒業した後に、その学校で働く幸運にも恵まれ、先生のアシスタントとして、今度は人に教えることの難しさを学ぶことができました。 その後、ロンドンの現地サロンで働き、そこで出会ったオーストラリア人がメルボルンで店を出すからこないかと誘ってくれて。その方と出会うまでは間違いなくオーストラリアでお店を経営するとか、オーストラリアに来ることすら考えたこともありませんでした。その出会いがきっかけとなりオーストラリアに渡ることを決めたのです。

ワーキングホリデーでオーストラリアへ、当時の印象は?

シドニーが一番大きな都市と聞いていたので、ここに降り立った時は、ロンドンや日本とのスケールの違いに衝撃を受けました。住んでいる人を見て、美容に対してどれくらい関心があるのかは、何となく分かるじゃないですか。そしていつの間にか、今までの経験だけで判断して、この国の良さを見ようとせず、逆に粗を探すような斜に構えた捕らえ方をしていました。この国をちゃんと知らないのに、ああだこうだと言っているワーキングホリデーでしたね。

知り合いに言われた言葉がオーストラリアの見方を変えた

そんな僕に知り合いが活を入れてくれたのです。「今までせっかく良い経験積み、たくさん良いものを見てきたにも関わらず、この国の現状を目の当たりにし、ここで頑張ろうという気持ちになれない。自分からこの国を受け入れようとせずに否定ばかりしてかっこ悪いよ」と本気のダメだしを頂きました。そこでようやく目が覚めて自分がこの国で何ができ、何が求められているのかということを考え始めました。

オーストラリアの魅力とはなんですか?

この国の最大の良さは他民族が交じり合い生活していること。日本は日本人だけ、イギリスも確かに人種は多いけど偏りがある。しかしこのオーストラリアにはウェスタンの数に匹敵するほどのアジア人がいる。つまり、何かを表現することに、アジアやウェスタンの垣根なく広げていける、グローバルなマーケットが存在し、今まで自分が得た経験を存分に発揮できる場所だということに気付きました。そして僕のような移民にも理解力があり、チャンスを与えるこの国は、これからもっと成長していく、急激に変わっていく国なんだと感じるものはありました。

2007年7月にREVO STUDIOを立ち上げました。そのコンセプトとは?

オーストラリアで生活をするにつれて、自分を表現する場所をこのシドニーで開拓したいと強く思うようになったからです。REVO STUDIOをオープンするにあたり、大きな障害となる問題もありましたが、夢の実現をあえて周りに公言することで、もう引き返せないという状況を作り、自らを追い込んで実現させました。オーストラリアでレボリューション(革命)を起こしたいという思いをベースに、オーストラリアで認められるサロン作りを目指しました。

最近ではボーグ紙への露出やロレヤル、ケラスターゼなどとの絡みなど、ローカルに進出しているイメージが強いですね。

最初の頃は日本人、中国人などアジア人のお客様に目を向けていたのですが、突き詰めていくと、この国の人たちにも認められるサロン作りをしていこうと意識が変わりました。目まぐるしく変わるビザの状況なども背景にあり、そういうビジネス展開が必要だという考えが側面にあったのかもしれません。ローカルへの露出も増えていて、今ではボーグには毎月露出しているんじゃないですかね。ローカルのお客様は35パーセントに伸びています。

経営されるに当たって苦労されたことはありましたか?

苦労は常にしているのですが…オーストラリアで自分と同じような気持ちになり仕事に取り組んでくれる人間がどれだけいるか、その人材の確保が一番苦労します。やっぱりテンポラリーで来ている方が多いので、仕事に対しての比重が違うのは理解できますし。そんな中でもしっかり僕の考えている方向性、将来性を理解して付いてきてくれるスタッフが今こうして揃っていることはとても幸運に思います。

美容師という仕事は相羽さんにとってどのような存在でしょうか。 どういう時にやりがいを感じますか?

『髪を切る、髪を染める』とても単純なことに聞こえるかもしれないけど、ある意味その人の気持ちを大きく変えることができる、人の気持ちを左右する重要な仕事だと思っています。福祉の仕事で感じたあの思いが、今でも自分の核としてぶれることのないコンセプトになっています。何か自分がその人に対して行動することにより、例えば雰囲気を変えてあげることができたり、コンプレックスを取り除いてあげることができる、人を幸せにすることができる、貴重で大切な仕事だと感じています。自分が提案したカットに対して喜んでもらえたら、それはもう純粋に嬉しいですよね。 また最近は経営者の側面として、自分のサロンで頑張るスタッフが成長していく姿を見ることも楽しめるようになってきました。そんなことを言いながらも日々の営業の中からスタッフに教わる部分も多いのですが(笑)。

ロンドン、シドニーを経て、次なる挑戦、上海への展開

5月始めに上海にREVO HAIR SPAをオープンさせる予定です。そもそも以前から将来的にはREVO STUDIOを海外に持って行きたいというコンセプトがあったのですが、それを上海で一緒に実現することができる方と巡り合うことができました。それに向けて中国を視察した際、美容を通じて僕が上海でできることってまだまだたくさんあると再確認しました。現地の美容師と交流を持ち、積極的に教育に携っていきたい。せっかく様々な国で貴重な経験を得たので、そういうものを自分の中だけで持ち続けずに吐き出して、伝えていかないといけないというところまで来ているのではないかと感じました。技術、経験を伝えることで、自分の会社の中で人が成長したり、そういう人たちがマーケットの中で新たなブームを作ったり。上海ではそういった人材の教育の基盤になるような動きにも力を入れていきたいと考えています。

ちなみに上海のサロンの規模はどのくらい?

上海のBUNDっていう地域に出す予定ですが、上海中心地の川沿いで、1200平方メートルのワンフロアです。REVO STUDIOの3.5倍の規模と言えば想像しやすいでしょうか。鏡がVIPルームを含めて28面ほどの規模になります。店内にはサロン、ネイル、スパ、エステ、カフェが入ったトータルビューティを目指しています。

今後は2店舗を経営されますが、どのようなシフトで運営していくのでしょうか。今までシドニーで相羽さんに髪を切って頂いていた方に対し、自分がシドニーを離れてしまうことで不安はありませんでしたか?

上海のサロン次第ですが、始めは相当辛く過酷な日々が続くと覚悟はしています。もちろんシドニーには頻繁に戻りますし、ご来店頂いているお客様にはすでに説明はしているのですが、僕のワガママでやることですので、やはり迷惑を掛ける部分があり申し訳ないと感じています。初めの3ヵ月くらいは上海に付きっ切りになるかもしれないですね。

次々に夢を実現されている相羽さんから、これからシドニーで頑張っていく方にアドバイスをください。

このインタビューを読んでも分かるとおり、僕の転機には常に人との出会いがありました。出会った方から学ぶことがあり、その方からのチャンスにも巡り合えたことに感謝しています。僕がすごいとか、僕がひとりでやっているわけではなく、周りの人間に生かされている。この人々との幸運な出会いが、僕の唯一の自慢どころじゃないでしょうか。ここシドニーでは日本では会うことのできないような方との出会いがたくさんあると思いますので、そういう巡り合いを大切にされたらいいのではないでしょうか。

ご自身がイメージされている今後の展開をお聞かせください。

上海の後に、日本でのREVO STUDIOの展開も今から準備を進めています。今いるスタッフのように、シドニーで良い仲間と巡り合えても、徐々にオーストラリアに長期で働くことがなかなか難しくなってきました。でもそういう仲間とはずっと繋がっていたいし、できることであれば自分の会社の中で繋がっていたいという思いがあります。オーストラリア、中国、日本と3箇所での展開を実現できれば、大切な仲間に日本や中国でまた違ったチャンスを与えることもできるかもしれません。そうすることでもっと長く繋がっていられるし、何よりせっかく出会えた仲間と共に成功していきたいと考えています。

相羽克利
1978年1月、大阪生まれ。大阪、ロンドンで美容師として腕を磨いた後、2005年に来豪。2007年にREVO STUDIOを設立し、様々な客層から人気を誇る。今年5月に上海にRevo Studioの姉妹店『REVO HAIR SPA』をオープンさせる。


 

CHEERS 2011年3月号掲載


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