SydneyFC : Long Interview Vol.1 Hiro Moriyasu | Cheers インタビュー
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    Hiro Moriyasu / SydneyFC : Long Interview
    <Vol.001 渡航から・・・2010/11シーズン突入編>

    2010年3月7日 一人の若武者が成田空港からオーストラリアのシドニーへと旅立った。ワールドカップイヤーであったこの年、大会終了後に複数の若い日本人選手達が海を越えた。しかし、その大半が西を目指したのに対し、彼は季節が反対である南半球を目指していた。フットボールプレイヤーとしてではなく、一人のワーキング・ホリデー・メーカー(WH)としての渡航だった。その彼をその後大きな波が包み込んでしまうとはこの時、誰が想像できただろう。
    そして2011年6月アジア最強のクラブチームを決める戦いである、アジア・チャンピオンリーグ(ACL)の予選ラウンドを名門シドニーFCの選手として戦い終え、シーズンの疲れを癒すべく故郷静岡に戻った彼をチアーズが直撃した。
    彼の名前は森安洋文、シドニーFC(http://www.sydneyfc.com/)のミッドフィルダーである。

    どこのチーム加入するとか全くあてがありませんでした。

    シドニーに来たのは1年前ですか?

    「去年の3月7日に成田を出発したのは覚えています。あてもほとんどなく、ネットで探した人と話をしてどこかのチームを紹介してくれると言うだけで、具体的にチーム名とかはありませんでした。行ってから決め様かな的な感じでしたね」


    渡航前にオーストラリアのサッカー事情についての知識はありましたか?

    「「オーストラリアのチームはシドニーFCしか知りませんでした。それもカズさんがいたので知っている位で、ACLに出ているチームすら知りませんでしたし、どんなサッカーをする国なのかもわからなかったですね」

    森安選手の日本での球歴は清水エスパルスユースから日本サッカーカレッジ(新潟)を経てJFL(J2の下に位置する)三菱水島FC(現在中国地方サッカーリーグ1部)。幼少期を父親の海外転勤の為米国で過ごした彼だが、米国でもサッカーに触れていた。現地では南米人のコーチからサッカーの基礎を叩き込まれている。


    逆にオーストラリア・サッカーに対する予備知識とか、偏見がなかったことがよかったのでしょうか?

    「そうですね、本当に何も知らなかったから。まあ、いい意味で何も考えずに来たのがよかったかなと思いますね」


    シドニーフットボールフェスティバル最終戦
    シドニーFCvsブラックバーン・ローバーズ
    2010年7月31日 
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    オーストラリアのAリーグは2004年に創設され2005年に開幕した、まだ歴史の浅いプロリーグである。その開幕一年目にシドニーFCは日本でのプレイ経験もあるリトバルスキー監督(JEF市原→ブランメル仙台。現在、日本代表:長谷部誠選手が所属するドイツヴォルフスブルクでアシスタントコーチ)を迎え同時に欧州からドワイトヨーク(Dwight Eversley Yorkeトリニダード・トバコ出身、マンチェスターUのキャプテンを務めた名プレイヤー)を獲得、日本からはキングカズ、三浦和良選手(横浜FC)をローンで獲得した。その2005年、オセアニア王者として、欧州対南米から新たに大陸王者のチャンピオンを決める大会となったFIFAクラブワールドカップに出場してしている。


    米国育ちだから英語は問題なかったとは思いますが…

    「とりあえず英語は話せるので問題ないと思ったんですが、実際には最初OGの訛りには 手こずりましたね。理解はできるけど“えっ”てなることが多かったですね」


    シドニーFCvsグラスゴー・レンジャーズ
    現在の背番号6ではなく28番を背負っている
    2010年7月28日
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    米国では最初体格の大きな子たちが所属するチームがその体格を活かして試合を有利に運び勝利することが多かったという。そこで森安選手が所属するチームのコーチはパスの精度をあげる練習に多くの時間を割き、数年後には体格で劣る彼らのチームがゲームを支配し、試合に勝利するようになったという。


    ふつうWHだと、着いてからまず語学学校と言うのが定番ですが、そこはパスしてすぐにチーム探しをしたのですか?

    「最初は誰も自分のレベルを知らなかったので、入りやすいデヴィジョン2(以下DV2)のチームで、しかもセカンドチームで練習させてもらっていました。と言っても向こうのDV2はトップリーグのAリーグから数えて5番目、日本的に言うとJ5ですね。ま あ、とりあえず体が動かせればいいかなと思って練習に参加し、練習試合も出させてもらって評価してももらったんですが…『うまいじゃないか、その調子ならファーストにあがれるぞ』って言われたりして」


    ギリシャの名門クラブAKEアテネのサポーター
    シドニーにも多くのギリシャからの移民が生活している。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    オーストアリアに対して何の予備知識を持たずに行ったことで自分の立ち位置を確認できたのだろう。特に自分のレベルやプレイを知らない人間の中で練習や試合に参加することで自分の一とオーストラリアのサッカーレベルを文字通り肌で感じていったことが 彼が急な階段を順調に上っていった要因だろう。
    後日談として話してくれたことがある。このDV2でのエピソードから数ヵ月経ったあ る日、この時のチームで一緒に練習参加していた人たちがシドニーFCの試合をテレビで観戦していた。その中の誰もがそこに映し出されているシドニーFCのMF森安選手があの時の森安選手だと気がつかなかった。そこに森安選手とネットで知り合いチームをアレンジしてくれた人が合流、同じ森安選手だと知らされると誰もが言葉を失ったらしい。つい最近まで一緒にプレイしていた選手がテレビで注目を浴びていたのだから…


    DV2のレベルが想像できませんが…?

    「DV2はサッカーになっていません。(笑)まるで格闘技ですね、まさしく肉弾戦。怪我 しそうになりましたしね体ごとボールを取りに来るとか(笑)」


    日本ではJ2の下のJFLでプレーしていたわけですが、オーストラリアのAリーグのレベルはどう感じました?

    「基本JFLよりは全然上だと個人的には思いますよ。まあJFLも上の方のチームはレ ベルが高いからAリーグのチームとやっても勝てるかなとは思いますけど」


    AKEアテネvsブラックバーン・ローバーズ、強豪同士の対戦にピッチから本気度が伝わってくる。
    2010年7月28日
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    肉弾戦と言えばまさしくオーストラリアのお家芸ラグビーだが、実はラグビーとサッカーはルーツを同じくするスポーツだ。19世紀前半フットボールの試合中にある選手が手でボールを持って走り出してしまった。当時手を使う事は認められていたらしいが、走ってゴールに向かう事は反則だった。この選手が所属していたのが英国の有名なパブリックスクールでその名もラグビー校と言う名前であった。その後、現在のサッカーとラグビーに分かれて行くが、スタジアムの大きさがほぼ同じ事はルーツが同じ競技だからだ。


    となるとDV2のレベルはとんでもないと

    「そうですね、自分ではシドニーFCでやることを真剣に考えていたので、DV2参加は時間の無駄だと考えてAリーグのすぐ下のプレミアリーグのチームに紹介してもらい加 入しました。最終的にはアッピアと言うチームに入ることになるんですが、ここで10 試合以上出たことになります。後半はシドニーFCの試合とも掛け持ちでしたし」


    フェスティバルの開幕戦はレンジャーズvsブラックバーンのスコットランドvsイングランドのビッグマッチ。
    2010年7月25日
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    ラグビーの場合、選手の体重差がそのチームの力量を決めるところがあるが、サッカーの場合弱いチームが強いチームと対戦しても100%負けるとは言えない。守備を固めて一回のカウンターを決めれば勝てるのだ。これは現在ガンバ大阪を率いる西野監督が1996年のアトランタ・オリンピックで起こしたマイアミの奇跡、そうブラジルを破った試合でも経験している。ちなみにこのブラジルを破った「マイアミの奇跡」で日本代表のNo.10は当時、横浜マリノス(現横浜Fマリノス)に所属していた遠藤 彰弘選手。現在の日本代表で活躍する遠藤保仁選手(ガンバ大阪)の実兄だ


    そのプレミアのチーム加入時期はいつぐらいになるんでしょう。

    「4月中旬ですかね、訪豪して一ヶ月でもう試合に出ていましたね」


    スコットランド グラスゴーレンジャーズのサポーター
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    ここで登場するアッピアとはA.P.I.A. Leichhardt Tigers FC (1954年創設のNSWプレミアリーグの名門クラブだ)。この段階で森安選手がすでにシドニーFCにターゲットを絞っていたことには驚かされる。シドニーFCは前シーズンのダブルチャンピオンだが、優勝後に主力選手を引退や移籍で欠き戦力が大幅にダウンしていた。特に中盤で存在感を示してたナンバー10スティーブ コリカ選手(Stephen Christopher Corica:2000-2001Jリーグ サンフレッチェ広島でプレイ)の引退によって全く別のチームになってしまう危険性をはらんでいた。そのコリカ選手は現在シドニーFCのトップチームでアシスタントコーチ、ユースチームの監督を兼務している。


    まさに急な階段を一気に駆け上がっている感じですが、その後シドニーFCへはどうやってつながったのですか?

    「その参加してたプレミアのチーム、アッピアの代表がシドニーFCにコネがあって、最初シドニーFCの関係者が見学に来て、その後シドニーFCの練習に参加することになりました」


    まだ、その時点でシドニーFCは名前しか知らなかったわけですね?

    「そうですね。前のシーズンは終わっていましたし、翌年のACLに出ることすら知りませんでした。ましてやどんなチームかなんてわかっていなかったですね」


    フェスティバルはAKEアテネが優勝を飾りこのトロフィーを掲げる事となる
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    日本では例年11月後半にJ1の順位が決定する。その中から上位3チームが翌年3月に開幕するACLに参加することになる。この3チームに加え翌年1月に行われる天皇杯決勝で勝利したチームの計4チームがアジアクラブ王者のタイトル争いに参戦する。今年 行われたACL2011 には2010年Jリーグ優勝の名古屋グランパス、2位のガンバ大阪、3位のセレッソ大阪に加え天皇杯で優勝した鹿嶋アントラーズ(シーズン順位は4位)が参戦した。これに対してオーストラリアからはシーズンチャンピオン1チームに加え2月と3月にシーズンの上位チームだけで行われる変則トーナメントであるファイナルシリーズの勝者の2チームが参戦する。この2009・10年シーズンはシドニーFCが2つのタイトルを獲得し、ともに2位 がメルボルンビクトリーだったのでこの2」チームが参戦することとなった。出場決定から数か月後にACLが開幕するJのチームと比べてA」リーグのチームは出場決定から1年経ってからの参戦となりチーム状況は大きく変化してしまうのである。


    練習試合後のロッカーでシドニーFCとの契約を言い渡されて

    契約はどんなタイミングで言われたのですか?

    「イングランド・プレミアリーグのエバートンとの試合の後、セントラルコーストとの練 習試合があったんですけど、その試合の後ロッカールームで契約するからと突然言われてびっくりしましたね。”えっここでっ”て思いましたよ、だって他の選手は着替えているんですよ周りで…」


    レンジャーズに対して臆することなく、対等に渡り合った森安選手
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    ワールドカップイヤーであった2010年、各国のサッカーリーグのスケジュールは例年とは違ったものになった。結果、選手たちの体調管理やゲーム勘を養うためと、有名チームが海外遠征を行う習わしがある。興業的な意味を考えれば観客動員が期待できるカード、例えば中村俊輔が所属したセルティックが日本で彼の古巣である横浜Fマリノスと親善試合を組むように、オーストラリア代表の中心選手であるティム・ケイヒル擁するイングランド・プレミアリーグの名門エバートンと シドニーFCが7月10日に親善試合を行った。(ABCニュースサイト)


    背番号6は自分から望んだ番号なのですか?

    「自分からではなく、チームから“6”だけどいいかなという感じで決まりました。なんでも良かったんですけど、6番を歴代つけてる選手は偉大な選手だよって言われたので、いいパフォーマンスをしきゃって思いましたね」


    森安選手の前に背番号6を着けていた助っ人キーセル選手。2011・12 シーズンではシドニーFCに復帰。背番号は11となる予定だ。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    シドニーFCで過去に背番号6を背負った選手を調べてみると、アビスパ福岡に移籍したタライ、そしてトニー・ポポビッチ、森安選手の前にはチェコから来ていたキーセルだ。この中で偉大な選手と言うと…トニーポポビッチだろうか。ただ、トニーは森安選手が加入した時にはアシスタントコーチだったので、もしかすると自分を知らない森安に対してジョークも含めて偉大な選手と伝えた可能性がある。ちなみにキーセルは来シーズン、シドニーFCに再加入することが決まっている。新旧ナンバー6の競演が楽しみだ。

    シドニーFCで背番号6を背負った選手たち
    2005-08 Ufuk Talay 2008年にJリーグアビスパ福岡に移籍、その後2009年にAリーグNorth Queensland Furyに移籍。07は背番号23。
    2007-08 Tony Popovic 1997-2001年 Jリーグサンフレッチェ広島に所属 引退後 昨年までシドニーFCのアシスタントコーチを務めるが、現在は2001-06に所属した英国Crystal PalaceFCのアシスタントコーチ。
    2009-10 Karol Kisel チェコスロバキア生まれ、1年のブランクを得て今シーズンからシドニーFCに復帰。今シーズンは背番号11をつける。


    その後、欧州の強豪3チームをシドニーに迎えて行われたシドニー・フットボール・フェスティバルに参戦したわけですが…

    「この時期(シーズン開幕前)にやるんだと思ってびっくりしましたね。タイミング悪すぎですよね」


    シーズン開幕から1カ月半10月のアデレード戦。 徐々にリズムが出てきたシドニーFCだったが、負傷者が 相次ぎなかなか勝ち点が奪えない。森安選手も守備に割く 時間が多くなってきた。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    2022年ワールドカップ開催会場誘致に名乗りを上げていたオーストラリア・サッカー協会が観客動員をアピールするために開催した大イベント、イングランドプレミアリーグのブラックバーン,Blackburn Rovers FC, スコットランドプレミアリーグからレンジャーズ,Rangers FCギリシャのスーパーリーグからAKEア テネAEKAthens FCの3チームが来豪しシドニーFCを加えた4チームがSFSを舞台に総当たり戦を行った。7月25日の初戦から31日の最終戦まで7日間で3試合を行った。森安選手は当時まだ背番号28を着けており、初戦のAKE戦に先発出場(後半交代)2戦目のレンジャーズ戦では後半から出場、最終ブラックバーン戦も後半からの出場となった)
    オーストラリア版Four FourTwo


    オーストラリアが2022年のワールドカップ誘致運動をしていた関係で、観客動員を示すために企画されたイベントだったわけですが、シーズン前に格上のチーム相手に3試合行うのは確かに怪我の危険性を考えても確かにタイミング悪いですね。その中で印象に残っているチームはありますか?

    「アテネですね。いいチームでしたね、うまかったし。ブラックバーンは身体能力の高さを感じましたね。レンジャースはモチベーションがそんなに高くなかった様な気もしたけど、とにかく何もわかってなかったので…」

    大会開催中は雨が降り続くと同時に気温が下がり選手のコンディション管理は想像を絶する。特にシドニーFCはチーム自体が未完成で戦略の確認もないままにホームとは言え格上の3チームと対戦することでシーズン開幕前にすでに疲労が蓄積してしまったと言える。このイベントがなかったら昨シーズンの連覇も夢ではなかったのだが…


    欧州のトップチームをいきなり肌で感じたわけですが、もしアテネに入ってもやれると思った?

    「いやー難しいでしょうね アテネうまかったですよ。まあシドニーFCとは全然違うサッカーしてたんで何とも言えませんけど、でも楽しいサッカーしてたと思いますよ」


    フィジカルで勝るオーストラリア選手からの手厚い洗礼を 経験するも、シーズン後半には多くのフリーキックを獲得する。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    スタイルが違うので各国のクラブチームにランキングをつけるのは難しいが、チャンピオンリーグでの成績や親善試合や移籍選手の活躍度合いなどからランキングをつけている団体がある。その結果によるとこのイベントに参加したクラブのランキングは今年2011年5月末現在では次の様になる。ランキングは世界中のサッカークラブの中からベスト400発表しているが、シドニーFCがこのイベントで戦った3チームのランクはそれぞれ、70位にレンジャーズAKEアテネが79位、ブラックバーンは圏外だ。オーストラリアから400位以内に名を連ねるのは261位のセントラルコースト・マリナーズ 292位にブリスベン・ロアーの昨シーズンのAリーグ優勝、準優勝クラブそして301位にメルボルン・ビクトリーだ。ちなみに日本勢の最高位は112位鹿島アントラーズ続いて120位ガンバ大阪、139位セレッソ大阪、昨シーズンのJリーグ王者名古屋グランパスは189位となっている。


    逆にシドニーFCのサッカーがどんなサッカーだと感じましたか?

    「そうですね。つなごうとするんだけど、そのつなごうと言う意識が逆に高すぎて、テンパってしまって前にロングボールを蹴りだしてしまうみたいな感じですかね」


    決定的なチャンスを演出する森安選手にサポーターからの声援も 大きくなってきた。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    世界のサッカーの潮流はコンパクトなパッシングサッカーとなってきている。一時代前までは各国にそれぞれの特徴的な戦術や自国の優秀なプレイヤーを中心としたスタイルが存在したが、ここ数年4年に一度のワールドカップがお祭り的な要素になると同時に、日頃目にすることのないマイナーリーグ(Jリーグもそのひとつ)の選手獲得の情報源となってしまった。それに対して毎年行われるUEFAチャンピオンリーグでの活躍が選手の移籍に大きな影響を与える大会となってしまったのである。結果、自国リーグの特徴は消滅し、勝つために外国人選手を集め(欧州内はEUができたことによって移籍が容易になったことも大きな理由ではあるが)監督までも外国人と言った昔では考えられない状況が起きている。そしてその事が世界的にサッカーのトレンドを画一化してしまっている。シドニーFCにおいても監督のラビチカ氏は欧州の出身だし、ある程度欧州志向のプレイヤーが多いのだが、オーストラリアで育った彼らには幼少期に叩き込まれなければならない基礎的な部分が不足している気がする。そのため戦術にこだわるとミスを犯し、その打開策がロングボールにつながるのではないだろうか。


    Aリーグ全般には特徴nなどはありますか? よくオーストラリアのサッカーを日本では盛んにフィジカルに強いと言いますが実際どうでしょう?

    「ファールでもいいから止めてやろうという感じで来ますよね。最初はわからなかったですけど、だんだん来るタイミングとかがわかるようになってきて、そのうちファールを逆にもらってやろうっていう余裕が出てきましたね」


    シーズン後半結構ファールもらってフリーキックの場面をつくる事も多かったですね。

    「そうですね。オーストラリアの選手は我慢して倒れないようにする場面が多いですよね。そのまま倒れてファールもらえばいいのにって思いますけど、倒れるのが嫌なんですよね。ラグビーの影響もあるんですかね」

    実際、森安選手が倒されてフリーキックを獲得し、10ニッキーカールか21スコット・ジャミューソンがそのフリーキックを蹴る場面が多く見られた。ただし、セットプレーのチャンスを得点への近道としてとらえる感覚はチームにもスタジアムの観客にも 感じられない。コーナーキック同様にある程度の角度からのフリーキックは大きな武器になると思うのだが…


    今回ACLで日本のチームを含めてアジアのチームと対戦したわけですが、相手がアジアのチームだとこのへんの事情は違ってくるのでしょうか?

    「そうですね、アジアのチームとオーストラリアのチームは戦い方が違いますね。アジアのチームはハーフライン位まで引いてからプレスをかけてくるんで、ボールを持たせてくれますよね。逆にオーストラリアのチームはガンガン出てくるんで全く違いますよね」


    2011年2月のホーム最終戦を終えてサポーターの歓声に答える 森安選手。シーズンを戦え終えた満足感、そしてACLへの期待が 膨らむ。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    地理的なオセアニアからは昨年のワールドカップには2国が出場した。(オーストラリアはアジアサッカー連盟に所属するが地理的はオセアニアだ)オーストラリアとお隣ニュージーランドである。そのニュージーランドはラグビーでは世界1,2位を争う強豪国だが、サッカーではオーストラリアに分がある。そしてワールドカップではお互いに予選リーグ敗退となった。しかし戦績を見比べてみると、ニュージーランドは無敗だったのである。ニュージーランドからは現在ウェリントンフェニックスが唯一Aリーグに参戦しているが、その監督でもありニュージーランドの監督を兼任するリッキー・ハーバート氏は「サッカ―はゴールだけを守ればよく、ラインのすべてを守る必要のあるラグビーより守りやすい」と言っている。ちなみにこのリッキー監督は1982年のスペイン・ワールドカップにニュージランド代表選手として出場しており、予選リーグで当時世界最強と言われたブラジル代表の黄金のカルテット(トニーニョ・セレーゾ、ファルカン、ソクラテス、ジーコ)の四人の総称である。と対戦した経験を持つ。


    それは中国でも韓国でも同じ?

    「ある程度引いて守ってボール奪ってから早いという感じですね」


    すべての試合を終え、表彰式を待つ森安選手。この大会シドニーFC は0勝2敗1分で最下位に終わった。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    韓国のKリーグの情報は日本のメディアにも登場するし、たくさんの韓国人がJリーグでもプレイしているので想像はできるが、中国のスーパーリーグに関しては日本人プレイヤーがいないこともあってその多くはベールに包まれている。ただ、ここ数年サッカーのレベルは急激に上がってきていることは確かだ。ただし、そのプレイスタイルは監督と外国人プレイヤーによって決まることが多い。今回シドニーFCとACLで顔を合わせた上海申花は突破型の選手も多く、比較的パターン化したフォーメーションで戦って くるのだが、Aリーグの他のチームと比較すると引いているように感じるのだろう。


    そうなると相手はオーストラリアのチームとはやりにくく感じますか?

    「(ボールを)回せるチームは(ガンガン出てきた方が)好都合と思っているかもしれませんね」


    2010年3月20日 延長戦の後PK戦でファイナルシリーズを制した 瞬間。シドニーFCのダブルタイトル奪取が決定した瞬間だ。
    Photo Masaya Yamamoto @ Mega Expression

    アジアのチームとオーストラリアのチームの一番大きな違いは、選手同士およびボールとの距離感の違いだろう。つまり身体的に勝っているオーストラリア人プレイヤーはそのリーチの長さからインターセプトできるタイミングを日本やアジアの選手たちよりボール半分位広く感じている気がする。つまり彼らがボールを取りに来る距離はアジア人選手の感覚からすると遠くから狙われる気がするはずだ。それをガンガンくると感じているのが森安選手の肌感覚なのだろう。


    次回はそのACLについて話を聞きたいと思っているますが、6試合の中で一番印象に残っている試合はどれですか?

    「シドニーのホームで戦った鹿島アントラーズ戦ですね。日本のチームだったというこ ともありますけど、まだあの辺りは自分も体が動いていましたからね」

    東日本震災後再開したACLのスケジュール変更で4月に行われたシドニーホームでの鹿島戦だが、前日の記者会見で鹿島のプレイヤーとして参加した野沢拓也選手は「必ず勝ち点を持って帰ります。」と悲壮感を漂わせていた。それに対して怪我で主力選手を欠き、初戦でレッドカード受けて出場停止になったキャプテンテリーに代わって記者会見に臨んだムシャラクは鹿島が強豪チームであることを認めながらも秘めた闘志を燃やしていた。


    シーズン後半、彼、HiroMoriyasu、の献身的でクレバーなプレイはチームからはもちろん、コアなシドニーサポーターからも大きな信頼を得ることになった。そして彼が次に挑んだのはアジア・チャンピオンリーグだった。アジアのクラブ王者を決めるこの戦いには、中東を含むアジア各国の強豪チームが32チーム参戦する。予選ラウンドは東西各16チームを4チーム毎のグループに分け行われる。そして東アジア地区の4グループの中には日中韓のチームが必ず含まれることになるのである。

    昨年12月初旬ACLの組み合わせが行われた。オーストラリアから参戦する2チームのうちメルボルン・ヴィクトリーの対戦相手は2008年のアジア王者ガンバ大阪に決まった。そしてシドニーFCの対戦するJリーグのチームは天皇杯優勝チームと決まった。
    天皇杯決勝は毎年1月、12月の時点ではどこのチームが対戦相手となるか決まっていなかったのである。例年日本にいた時も天皇杯の試合はあまり見た記憶がないという森安選手だが、「今年の天皇杯は気になりましたよね、ユース時代を過ごした清水(エスパルス)も勝ち残っていましたし、ACLで対戦できたらおもしろいかななんて考えましたね」と語った。

    次回のインタビューはそのACL6戦の戦いにスポットを当てて行う予定だ。

    Text&Photo : Mash Yamashita @ Mega Expression Pty Ltd

    取材協力:ホテル アソシア静岡 ・ レストラン アルポルト静岡

    清水エスパルスには今年の1月までシドニーFCに所属していたアレックス・ブロスキ選手が移籍し活躍している。また、韓国Kリーグ水原からJリーグに復帰した元日本代表高原選手も清水に移籍した事から、もし天皇杯の勝者が清水エスパルスだったら。森安選手がユース時代を過ごしたチームと対戦し、アレックス、高原両選手は古巣との対戦となるなど(Kリーグ水原も予選リーグはシドニーFCと同じ組だった)話題の多いグループになっていた可能性がある。


     

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