オーストラリアにはディジュリデュを吹きに来ました ARATA MAEDA | Cheers インタビュー

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オーストラリアにはディジュリデュを吹きに来ました。
ここは夢が叶う場所です。

yoji

Crown St沿いにある一軒家、通称ドラえもんハウスでチアーズ編集者と出遭った自由人「アラタ」。アボリジニの伝統楽器、ディジュリデュに魅せられ来豪した彼の目に映るオーストラリアとは。掘れば掘るほど溢れ出てくる、数奇な体験4次元ポケットを持つ彼に、リアルでハードな経験を赤裸々に語ってもらった。

「僕のディジュリデュのルーツは沖縄に旅に出た時に立ち寄ったクラブ。名前くらいは知っていたけどで音源を聞いたら体に衝撃が走った。」

昨年3月に来豪し、現在ではPitt Mallやサーキュラーキーで常連のプロフェッショナルパフォーマーまでのし上がったアラタ。沖縄でディジュリデュとの衝撃的な出会いを果たしたが、当初は金銭的な余裕がなく、やむなく掃除機の筒で循環呼吸を練習を重ねた。
もともと暖かいところの楽器なゆえに温度変化に弱く、冬に吹くと割れてしまうなどといった常識的知識もないまま、その後、地元の民族雑貨店で初のディジュリデュを購入。ここからアラタのディジュリデュライフが幕を開ける。

「ディジュリデュとの出会いから1年。ルーツを自分の目で見てみたくなり、オーストラリアに来ることを決意、所持金$1000で来豪。「自由の国」「自分のやりたいこと、夢が実現できる国」と言うのがはじめの印象でした。」

日本で1年間、ドラム担当の友人とライブに明け暮れていたが、目先は徐々にオーストラリアに向いていったアラタ。本場の環境を見てみたい、ルーツを探りたいと彼の探求心は高まり、ついに来豪を決意。2007年3月、自由の地オーストラリアに到着する。所持金$1000でのスタートにも関わらず、大胆にも$500のディジュリデュを購入。兼ねてからの友人で自由の森学園の同期であり同じパフォーマーでもある「ネイ」の家に泊まりながら、足を使いアボリジニとディジュリデュをセッションできる場所を探し求め、ひたすら歩く日々が続く。

「はじめは生活の中にディジュリデュが20、30パーセントくらいのバランスで考えていたのですが、気がついたらアボリジニと一緒にセッションをしていて100パーセントディジュリデュ中心のライフスタイルに。サーキュラキーでの恩師スコットとの出会いが僕のオーストラリアンライフをかけがえの無いものに変えるきっかけを与えてくれたのです。」

友人のネイとサーキュラキーを探索していた時に日本で聴いたことのある音を偶然耳で拾い、話しかけたことがサーキュラキーのバスキングを仕切るスコットとの出会いだった。ネイのヘルプのもと、オーストラリアへ来た思いやディジュリデュに対する気持ちを熱く伝え、ディジュリデュパフォーマー団体「THE WEB」に参加することに成功する。仕事から家、人の紹介までの温かいサポートを受け、念願のアボリジニとのセッションもこの時点で体験。オーストラリアに来て10日目で、自分が想像していた以上のライフスタイルを確立させることになる。仕事は順調で4ヶ月の時間を彼らと満喫、その後新たな刺激を求めケアンズへと旅立つ。

「野宿? しましたよ。旅だったら普通なんじゃないのかな。公園で寝たり森の中に住んだり。フリーミールでつないだ頃もありましたね(笑)。」

笑い事ではない。笑って話している彼からはイメージが沸きにくいが、実際はとても激しい生活を強いられた。もともとの懐具合とバスキングという不安定な職業から、バックパッカーでの滞在が厳しくなってきたため、やむをえずケアンズで野宿を決行する。海はワニが出るからと言う理由で、ラグーンという仮想ビーチのプール前で2週間ほどバスキングをしながら野宿をして過ごすアラタ。空腹は国営のフリーミールでやり過ごした。

「森に住めばタダだし風も来ないから暖かいよ」

バイロンベイまで下り、キャラバンパークに泊まろうかと悩んでいたアラタ。やはりお金をセーブしようとベンチで寝る決意をしていた彼は「森に住めばタダだし、風も来ないから暖かいよ」とアボリジニのおじいさんに誘われ、しばらく森での生活を体験する。実際、予想以上に森の中にテントを張って生活している人が多く、衝撃的な光景を目の当たりにする。

「一度バイロンベイで腐りました。何もかもうまくいかなくて。でも結局ディジュリデュを信じて再び立ち上がれたのです。自分の姿勢が変わりました。英語も「喋れる」「喋れない」ではなく、「喋る」か「喋らない」かだということに気がつきました。」

森でのテント生活、不安定な収入からか、一時期ノイローゼのように悩みだしたアラタ。何とかしなければと焦る気持ちとは裏腹に、悪天候などが重なりバスキングでの収入は見込めず、次第に意欲は消えうせ、過酷な生活状況に陥る。何度かレストランや工場での仕事にもチャレンジしたが、やはりうまくはいかなかった。
このままでは終わってしまう。待っていては何も始まらないと思い出いしたのがこの頃からだろう。英語のスキルは気にせずにとにかく積極的に人に話しかけ、ディジュリデュを吹いて見せ、何とか仕事にこぎつけることができた。人生の突破口を自ら開いたのだ。この状況であったからこそ、つたない英語でも必死に喋ることができた。そこからはまた安定したスローライフを満喫する。

「ファームでの生活が忘れられない。フランス人とボーエンで開催したサイケデリックトランス、ビーチレイブは幻想的だった。自然との調和を肌で感じました」

Owenでフルーツピッキングを体験しながらファームで過ごす。早朝起きて働き、暗くなったら酒を飲んで寝るシンプルな生活を送る。満月の日には友人のフランス人と小さなサイケのビーチレイブを朝まで開催し、コンテンポラリーなディジュリデュを確立していきながら自然との調和を肌身で感じた。

「コンテンポラリーからトラディショナルへ。アロハでサングラス、気取ることの無いアボリジニの長老に逢うために聖地ダーウィンへ必ず行きたい。彼にディジュリデュを削ってもらい、そこで彼らと共にセッションしたい。」

天国から地獄まで味わい、それでもバスキングで稼ぎながら再びシドニーに戻ってきたアラタ。スコットとの契約が再度決まり、今ではオウンルームにも住み、時々は好きなものを外食する、いわゆるワーキングホリデーの生活に戻る。そして気がつけば一年があっという間に過ぎていた。
原点に戻りトラディショナルなディジュリデュにも興味を持ちはじめ、以前よりも深くディジュリデュを理解するようになる。自分に納得ができたらいつか、アロハでサングラス、気取ることの無いアボリジニの長老に逢うために聖地ダーウィンへ必ず行きたいと願うアラタ。
そのセッションをレンズ越しに覗く日が来ることを心から願っています。(編集スタッフ)最後に自由人アラタから読者様へ。

「ここ1年を通して、お金やいわゆる常識に対する価値観ががらりと変わりましたし、激しい生活を乗り越えてきたので、自分に自信もつきました。楽しんでやりたいことが実現できるここオーストラリアで、何を掴んで帰国するかは自分の行動次第ですが、待っていても何も生まれないとは思います。当初来た気持ちを再確認して大いに攻めてください。」


CHEERS 2008年4月号掲載


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