Fujiベーカリー社長 宮本豊 | Cheers インタビュー

Cheers インタビュー

シドニーに日本の味を広めたい。

仕事は立ちっぱなし、パン窯があるので四季を問わず室温が高く、そんな中で、重い粉袋を担いだり、朝早くから仕込みにとりかからねばいけない。突然の雨で大赤字なんてこともある。けれどもパン窯を開けると、ふかふかの焼き立てのパンたちや、湯気と共に漂う香ばしい香りが、苦労した分、お返しのようにたちまち工房いっぱいになる。そしてそれが自分の元を離れ、シドニーで楽しみに待っていてくれる人たちの元に届き、「おいしかった」の笑顔と言葉のためにパンを作り続ける。Fujiベーカリー、宮本 豊さん。

始めにシドニーに来た経緯教えてください。

「こっちに来たのは1982年で、26歳の時かな。日本でも神戸で5年くらいパン屋の仕事をしてたんですけど、当時パン屋になるって人は少なかったんですよ。週1日の休みと、正月3日以外は、毎日朝5時から夜8時くらいまで働かなきゃいけないし、そりゃいませんよね、夜逃げした人とかも少なくないですよ。私が来ることになったのは、当時シドニーの駐在員さんたちが出資してシドニーにパン屋を作ろうってなって、彼らが日本から職人を呼んだことがきっかけです。本当は私の上で働いてた人が呼ばれてたんですけど、その人妻子持ちでお金がかかるからって私に白羽の矢が立ったんです(笑)。始めは2週間視察して、一回帰っての予定だったからボストンバックひとつで来たんですけど、当時航空券が本当に高くて、そのまま駐在員さんの家に住まわせてもらいました」 そんな滑り出しをした後、シドニーでパン屋を始めたという。

始めはどんなだったのだろう。

「当時、シドニーって本当に何にもない所で買い物にも困るくらいだったんだけど、ノースブリッジに小さなショッピングセンターみたいなのがあって、賑わってたんですよ。そのショッピングセンターに一角借りて、店を出したんです。英語なんてYESかNOくらいしか話せなかったけど、そこで1年契約だったけど1年半働いたのかな。その後は日本に一度帰って、会社務めしてたんですけど、16歳の子で、弟子っていうか、そんな感じの子がいて、その関係もあって2ヶ月で戻ってきたんです」。

どんな事情だったのですか?また同じ所に戻ったんですか?

「いえ、その後はDEE WYHに店を出しました。実はシドニーでパン職人になるためには、1週間に1日学校に行って、後の4日をパン屋で働かないといけないんです。そして、その契約をしたパン屋は4年間その子をクビにできないんですね。で、さっき言った16歳の子がその契約をして、ノースブリッジのパン屋で私の下で働いていたんですよ。けど、私が帰国した後に入って来た人と折り合いがつかなかったみたいで。元々その子とは、家族ぐるみで仲良くさせてもらってたこともあって、お父さんにも"パン屋を開くなら場所を探してやるから"という風にも言われまして戻ってきたんですよ。まぁ実は半分は戻ってくるつもりだったんですけどね。その後はその子を連れて新しいお店を出しました。それが今のFujiベーカリーの始まりです。このFujiベーカリーって名前も彼が決めたんですよ。"日本のもので何を知ってる?"って聞いたら"FujiとGeisha"だって言って、"Geishaベーカリーじゃさすがにまずいだろう"って、Fujiベーカリーに決まったんです(笑)」

その後、いつこのKILLARNEY HEIGHTSに来たんですか?

「DEE WHYでは4年やったんで、今から18年前です。今シドニーで、同じ場所で店を構えてる食べ物屋さんの中では、うちが一番古いんじゃないかな。まぁ、家賃も安かったのもありましたが、うちは出ては消えて出来るほど、流行りや時代の波に乗れなかっただけなんですけどね(笑)」

弟子の彼も一緒に?

「いえ、彼はDEE WHYで卒業して、ウールワースのパン屋さんに勤めました。今はもう40過ぎて結婚もしたし、シドニーを出ちゃいました。たまに連絡もとるけど、お互い仕事してると中々ね」

一番つらかった時期はありますか?

「そうですね。細々ながら食べてくだけの収入はあったんですが、そうですね、嫌な思いをしたのは昭和天皇が亡くなった時ですかね。アメリカや他の国の首相は葬儀に行ったのに、オーストラリアの首相は外務次官しか行かなかったんですよ。それが当時オーストラリアで議論を起こしてて。そしたら面白半分か、行かない賛成派か分からないけども、鍵穴を、汚い話、う●ちでふさがれたり、それで壁にスラングを書かれたり。"早く終われー!"って思いましたよ。他にも、当時アジア人を否定派の人が多くて、すれ違いざまに唾をかけられたり。でもやっぱりいい人も多くて助けられてました。あとは日本で務めていた所はドイツ菓子専門店だったから、惣菜パンや菓子パンなんて作ったこともなくて、苦労しました。作っても真空パックで来たものを作ってたんで、シドニーに来た時にはそんなこと頭になかったんです(笑)。だから始めはひどかったですよ(笑)あんこの作り方も知らなくて、和菓子屋の人に聞いて作ってみたけど、アンパンのあんとは違うからまずかったし、カレーパンも普通のカレーで作ったりしたんですけど食べれたものじゃなかったし。周りの皮のほうがおいしかった時期もありました」

当時16歳だった弟子が名付けたFujiベーカリーも18年目。そこまで続けていけた秘訣はありますか?

「そうですね、材料費を落さないことです。パンって材料費を落そうと思えば本当に落せるんです。でもパン屋はパンしか扱わないから、そこで手を抜いたらいけないんですよ。シドニーのパン屋って2日売りとか平気でするけど、それもしない。初めから分かってたらいいんですが、いきなり雨が降ってきてお客さんの足が遠のくと、ゴミ袋ひと袋とかになっちゃたりしますよ。けどパン屋はパンの味でしか勝負できませんから」

日本人の知っている、日本のパンを提供しているFujiベーカリーのこれからは?

「まだ先の話で分からないんですが、息子が継いでくれるかも知れないんです。私は英語も話せないけど、息子の代になったら色々な国の人を雇ってシドニーに日本の味を広めたいですね」

日々たくさんの店が閉店し、たくさんの店が新たに生まれる。しかし、一般に悪い立地で、長く長く愛されている店もある。ただひたすらに、日々大切なことを確実にこなす。誰かが見ている見ていないではなく、自分の信念をひとつひとつに込めて。謙虚に、急がず、あせらず、時間をかけて。「ゆっくり行けばいいじゃない」宮本さんは、そんな言葉を語ってくれた気がした。

Fuji Japanese Bakery

5 Tramore Pl Killarney Heights NSW 2087
ph: (02) 9975 1095


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