豪州サッカーのプリンス ハリー・キューエル | Cheers インタビュー

豪州サッカーのプリンス ハリー・キューエル | Cheers インタビュー

Cheers インタビュー

勝つことだけを目的に戦う それ以外の結果は考えない

10代でオーストラリアから英国に渡りプレミアリーグのスター選手に上りつめながらも、近年は相次ぐケガに悩まされてきた豪州サッカー界のプリンス、ハリー・キューエル(リバプールFC)。治療のため帰省したシドニーで直撃インタビュー、昨年のサッカー・ワールド・カップ(W杯)での豪代表の活躍ぶりや、プロサッカー選手としての今後のキャリアなどについて心境を聞いた。

「覚えていないくらい幼い時から、
プロサッカー選手になることが夢だったんだ」

シドニー郊外に生まれ育ち、イングランドのプレミアリーグでプレイすることを夢見たサッカー少年が初めてスパイクを履いたのは、5歳の時。 昨年6月のW杯ドイツ大会。オーストラリア代表「サッカルーズ」が32年ぶりのW出場を果たし、決勝リーグ進出という大活躍を見せたため、オーストラリア国内では観戦スポーツとしてはマイナーだったサッカーが大きな関心を集めた。それまで一般の国民の間では無名だったキューエルも、甘いマスクと爽やかな笑顔で一躍有名人となった。

「オーストラリアのサッカー人気は、ボクがプレイし始めたころよりもずっとずっと盛り上がってきている。メディアの関心の高さを見ると、一般の人たちがW杯での我々の活躍に非常に反応してくれていることがよく分かった。それに加えて、我々選手たちにも、より大きなチャンスが巡ってきた。世界でも有数のアジアの強豪チーム相手に今年のアジアカップで活躍できれば、オーストラリアの選手がもっともっと世界に羽ばたく機会が巡ってくると思うんだ。素晴らしいことだよ」

だが、ヨーロッパのサッカーファンの間では、ずっと以前の1990年代から、歴代で最も有名なオーストラリア人サッカー選手であったことに疑いの余地はないだろう。 ニューサウスウェールズ・インスティテュート・オブ・スポーツ在学中の95年、エクアドルで行われたU17世界選手権で1得点を上げ、一気に注目を集めた。この年、イングランドに渡り、リーズ・ユナイテッドに入団。96年3月30日にミドルズブラ戦で、オーストラリア代表としても同年4月のチリ戦で、それぞれデビューを飾っている。初ゴールは97年10月。以来、リーズの若手スターとしてめきめきと頭角を現し、同シーズンのリーグ戦で合計5ゴールを挙げた。21歳で迎えた99~2000年シーズン、10得点を挙げてチームのプレミアリーグ3位入りに大きく貢献、イングランドの最優秀新人賞を受賞。最強のオーストラリア人サッカー選手として世界的な名声を得ることになった。

02~03年シーズンもリーグ戦で14得点を挙げる大活躍を見せたが、経営危機に陥ったリーズを去り、子供のころからファンであったリバプールに移籍した。だが、この前後から度重なるケガに悩まされるようになる。 豪代表としては、2000年シドニー五輪、02年韓国・日本共催W杯出場をかけた予選のウルグアイ戦、05年コンフェデ杯のすべてをケガのため欠場。イングランドでも、リバプール移籍後、本来の実力を発揮できず、05年のリーグカップ決勝戦、チャンピオンズリーグ決勝戦のいずれも途中で退場している。昨年末から、家族を英国に残して、故郷のシドニーに長期間帰省しているのも、親元で治療を受けるのが目的だと報じられている。キューエルはこう打ち明ける。

「今度のケガは順調に回復しているよ。ケガをした時はいつもできる限り早く復帰したいと思っているんだけど、常に時間をかけて直すように医者に言われている。現時点で、トレーニングに完全復帰できるまでには、まだ数週間かかりそう。その後は、回復のスピード次第で、コーチ陣がGOというまで待つだけなんだ」

日本戦は最も過酷な戦いだった それでも、05年のW杯予選では、オーストラリアに勝利の女神を呼び込んだ。シドニー・テルストラ・ドームで行われた宿敵ウルグアイとの最終予選。途中出場ながら、W杯進出をかけた劇的なPK戦で、魔法の左足が最初のPKを決め、32年ぶりのW杯進出への道を開いた。 股の付け根を負傷し、最悪の状態で挑んだ昨年のW杯予選リーグでも、欠場と見られていた初戦の日本戦に出場を果たしたばかりか、3戦目のクロアチア戦で同点ゴールを叩き出し、史上初の決勝トーナメント進出を決めている。

「オーストラリア代表の一員として32年ぶりのW杯に出場できたことは、とても素晴らしいことだった。我々の可能性を最大限に引き出して、オーストラリアのプライドを示すことができたんだ。W杯予選リーグの日本戦、ブラジル戦、クロアチア戦。いずれも厳しい試合になると覚悟していた。なぜなら、サッカーの世界では、その日のチームのコンディションによって、結果が全く違ってくる。どのチームもベストを尽くせば、世界のどのチームでも破ることができる実力があることは分かっていたからね」

日本人にとっては、思い出したくもない悪夢だった日豪戦。だが、百戦錬磨のキューエルにとっても、決して楽な戦いではなかったようだ。

「日本代表の中では、やはり中田(英)を一番警戒していた。彼はイタリアやイングランドの最高の舞台で長くプレイしていたから。しかし、W杯の初戦で良いスタートを切らなければならないことは皆、分かっていたから、我々は勝つことだけを目的に戦ったし、勝つ以外の結果は考えていなかったんだ。3対1で勝利した日本との試合は、尋常ではない暑さの中で行われた。おそらく、それまでの人生でプレイしたサッカーの全試合の中で一番厳しい天候だったと思うよ。でも、僕たちは決して諦めなかった。そして、我々が欲しい結果を得るために全力を尽くした。W杯のどの試合が一番厳しかった、ということはない。すべての試合がタフだったよ。でも、中でも日本戦は今までで最も過酷な試合だった」

選手生活のほとんどをイングランドで過ごしてきたキューエル。リバプールでプレイすることを心から愛し、引退までずっとリバプールでプレイしてもいいとさえ思っている。ケガで療養中の今は、リバプールのためにベストコンディションで活躍できる状態に戻すことに全神経を集中している。ほかのチームでプレイすることは、今のところ考えていない。

「リバプールのチームメイトはみんな素晴らしい仲間なんだ。リバプールは本当に世界屈指の素晴らしいクラブだから、誰もがクラブのために良いサッカーをしようと心がけているし、クラブも選手を皆同等に扱ってくれる。サッカーをしている時も、プライベートも時間もみんな良き友人なんだ」

今年9月で29歳の誕生日を迎える。度重なるケガに見舞われ、かつての輝きを失ったかのように見えるキューエルについて「ピークを過ぎた」と評する声は少なくない。

「引退についてはまだ考えたことはない。今はいつからプレイするかということに集中している。ボクはこれまでも若い選手たちの育成には興味を持ってきたけど、今やることか引退後にやなるかは分からないけれど、さらに追求していこうと思っている。だけど、ちゃんとした施設や優れたコーチを確保するなど、今すぐやるにはやるべきことが多すぎる。ベストな環境が整えば、ぜひ選手の育成に力を入れていきたいと思っている」

7月7日、タイとベトナム、マレーシア、インドネシアの4カ国共催で開幕するアジアカップ2007。グループリーグでは、オーストラリアはグループリーグA組(ほかにタイ、オマーン、イラク)、日本は同B組(ほかにベトナム、カタール、アラブ首長国連邦)に入っており、決勝トーナメントの準々決勝では、同月21日にグループA1位とグループB2位がタイ・バンコクで、グループB1位とグループA2がベトナム・ハノイでそれぞれ対戦することが決まっている。そのため、日本とオーストラリアが勝ち残って対戦する可能性がある。 アジアカップでは、ベストコンディションのキューエルがエースナンバー「10」を背負い、かつての雄姿をピッチで見せてくれることを期待したい。

Harry Kewell

1978年9月22日、シドニー・スミスフィールド生まれ。
身長: 183センチ。体重: 85キロ。
ポジション: FW。 所属クラブ:リバプール(英)。国際試合ゴール数:7

February 2007 RHYTHM創刊号 掲載


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