オーストラリアで自分の世界観をシャープにしたい Renji Stylist / Fashion Director | Cheers インタビュー

Cheers インタビュー

 

 

 

オーストラリアのファッション誌「1am」の連載をはじめ、NZの「REMIX MAGAZINE」ではレギュラーのコントリビューティング・エディターとして活躍、日本のカルチャーマガジン「FIERCIVE(フィアシブ)」にもレギュラーのページを抱えている在豪スタイリストのRenji。2011年に自身の世界観をより明確にするためにシドニーに渡ると、その肩書きから解放された当初は苦労の連続だったと振り返る。ローカルのショールームやプレスルームは簡単には彼を信頼せず、一切洋服を貸し出さなかったという苦い経験を経て、現在は「オーストラリアでも自由にページが作れる雑誌とめぐり合えて、今ではいろんなカメラマンとフックしやすくなるのでやりやすくなってきました」と笑顔で語る。その成功への軌跡に本誌が迫る。

 

 

ショールームやプレスルームで洋服を借りないと僕の仕事は始まらないので、まずそういうところの門を叩くわけなんですが、日本ではそこそこ、事務所の名前や自分の名前が通じたので洋服などもすぐに見せてくれたのですが、ここでは誰も僕のことを知らないので苦労しました。今考えれば、一見のわけの分からないやつに見せるわけもないんですがね。メールを出しても返事がなく、だれも相手にしてくれず、まったくゼロからのスタートでした。連載のページや、何か媒体で自分の作品の露出がないと難しいと判断し、もともと日本にいた頃からカバーなどを担当させてもらっていた、カルチャーマガジン「FIERCIVE」に相談しました。メジャー誌ではないですが、クリエイティブに特化したビジュアル誌で、そこでページを割いてくれることになりました。ようやく自分の作品を見せれるようになり、徐々に信頼を得て服も引っ張れるようになりました。そして日本のモデルエージェンシーであるボン・イマージュ※から、オーストラリアで売れているエージェンシー所属のモデルのスカウンティングを頼まれて手配をしていたことなどを皮切りに、徐々に顔が利くようになってきて、カメラマンやエージェンシーとのコネクションも生まれました。 現在も「FIERCIVE」はレギュラーでページを持たせてもらっています。現地での仕事も増え、ローカル雑誌からのインタビューを受けたことで、徐々にローカルに名前が浸透してきたところですね。

 

※ボン・イマージュとは:ファッション誌を中心とする雑誌、ポスター・カタログ・CMF・ウェブなどの広告媒体、また海外デザイナーや東京コレクションなどのファッションショーなどに関わるさまざまなコーディネート業務に携わる。モデルエージェンシー。ダイレクト・ブッキングを始め、世界各国から招聘するモデルは、年間100人以上を数える。富永愛など日本人モデルをはじめハーフモデルも豊富。

 

 

雑誌のエディトリアルや広告を中心に仕事を展開するRenji。日本でいうスタイリストとは、コーディネートを作ってタレントさんに着せるといったイメージがあるが、海外ではスタイリストが=ファッションディレクターという傾向が強い。スタイリストの枠を超えて、ファッション・ディレクターとしての技量が現場で求められるなかで、Renjiさんの持ち合わせた世界観とシンクロする。

日本での雑誌のエディトリアルは、単純に綺麗なモデルを用意して、売るための服を着せて、いいロケーションで撮って、カタログっぽい撮影が多いんですが、それにはあまりピンとこなくて。意味のあるモノ作りがしたいという気持ちが強くありました。逆にブランド・カタログだと、ある程度自由にストーリーを作れますが、扱うブランド色や縛りが強かったりもするので自分らしさを出すことができない。その一方で、海外の雑誌でのエディトリアルは、与えられたページ数の中で一連のストーリーを作ることが求められます。今のトレンドの洋服を使いながら、どういうストーリーを展開できるのか、バックグランドまでも含めてディレクションできるのです。日本にいたときから、ブランドに掛け合って、自分が企画したストーリーでビジュアルを作ってみませんかという提案をしてきたり、そういったストーリーを意識して常に仕事をしていたので、ここでの仕事はしっくり来ました。


 

そもそもファッションに興味が出たのは中学生時代。90年代のソフトパンクが流行った時期にファッションについて深く知ることとなる。以来、なんとなく服飾の仕事に就きたいという思いが芽生えた。

 

ソフトパンクからファッションの洗礼を受けたというか、パンクについてルーツを知りたくて、ザ・クラッシュやセックスピストルズなどのパンクバンドを徹底的に調べた時期がありました。ファッションとは決して表面的にオシャレをすることだけじゃなくて、その背景にはしっかり裏付けされたカルチャーがあるってことに気が付きました。

  

 

高校に入ると、専門学校のスタイリストコースの体験セミナーなどに積極的に参加。その頃から周りの受講生とはどこか違う才能を評価され始める。そして、専門学校に通いながら憧れていたスタイリストのアシスタントという生活を送った。

 

その頃、スタイリストという職業をあまり知らなくて、映画のスタイリストになれればいいなと思っていました。永瀬正敏主演の映画『私立探偵 濱マイク』に影響を受けていたので、なんとなくそういった映画に携わりたいなと。そして実際に映画のスタイリストと知り合い、現場に連れて行ってもらう機会を得ました。しかしそこで見た光景は、自分が思い描いていたクリエイティブなファッション性をあまり感じることができませんでした。タレントさんに気を使って、どこかサービス業のように捉えてしまって。

 


専門学校を卒業すると、当時歌手として日本で頂点の存在だったアーティストの某事務所でアシスタントを募集しているのを聞きつけ、やってみようと飛び込むことに。もともとパンクからファッションの世界に入ったので、入社当初こそギャップを感じて大変だったが、充実した日々を過ごす。

 

この事務所でアシスタントをやらせてもらえたことで、その後フリーランスになってからも、ちらほら仕事が舞い込んでくるようになって。だんだん業界に名が浸透していき、あれよあれよというまになんとか食べられるくらいにはなりました。23歳で博報堂の広告を作らせてもらったり、仮面ライダー系出身の俳優からのオファーも来るようになったり。俳優や芸能人のスタイリストや、広告を中心に活動が始まりました。

 

一見順調に見えたライフスタイルだが、またも自分の中での仕事の理想像と目の前の現実に対してのギャップに徐々に葛藤を感じ始める。しかし忙しすぎて考える時間もなく、流れるように月日が過ぎた。そして28歳で過労から体調を崩し、1ヵ月ほど仕事を離れることで、彼にとって転機が訪れることとなる。

 

競争率の高い業界なので、休むとすぐに新しい子にリプレイスされるのですが、代役が一度信頼を得ると、なかなか仕事を取り戻すことができないんです。いままで自分でやってきたことって簡単に代えのきく仕事なのかって、この頃はすごく落ち込み、悩みました。そして「自分でしかできないことを徹底的に探すしかない、自分の世界観を徹底的に追及していきたい」という答えにたどり着きました。自分の作品を本格的に作るようになったのもこの頃で、行き着いた先がファッション・ディレクションでした。

 

 

日本でのファッション・ディレクターとは、どういうものを撮りたいのかを企画してストーリーを考案し、シーズンの服を選び、カメラマンを選ぶ、という全体を監督する役割。ディレクションにチャレンジしたいがまだ実績がなかったRenjiさんに、「やりたいならやってみろよ。失敗してもいいし、そのときは俺が責任取るから」と知り合いからのチャレンジングなオファーが届く。

 

UNDER ARMOURというスポーツウェアブランドのカタログを作るオファーだったのですが、日本でランニングブームなどがあった頃、UNDER ARMOURはどこかストイックなイメージが強く、若い層にあまり指示を得ていませんでした。その層にアピールをするために、吉川ひなのさんを使ってやりましょうということになって。ただ単に作っても面白くないので、なるべくひなの色を消して、一冊の写真集くらいのクオリティを心がけて、美意識の高いモデルの一日を追っていくというストーリーで進めました。

 

 

 

そして、nico and...(ニコアンド)という、現在、広末涼子が広告塔のファッションブランドのカタログが、Renjiがファッション・ディレクターとして思い描いていたものが凝縮された作品となっている。彼がディレクションを手がける以前のnico and...は、日本で20店舗くらいの規模だったが、それから徐々に80店舗以上にまで伸びたという。

 

このカタログのコンセプトは姉妹という設定で、家族のウェアハウスに行って、昔のものをひっくり返し、古いカメラとアルバムが出てきて、カメラでお互いを撮り始める。そしてアルバムをめくれば、おばあちゃんの若い頃の写真やネガが出てくる、というストーリーに仕上げました。

 

 

 

大手ブランドののカタログやエディトリアルをこなし、はたから見れば、成功を収めたように思えるほど、多忙な生活を送っていたRenji。しかし、次第に日本国内でできることに限界を感じていったという。自分の世界観を明確にするために、外に出るしかないという答えに行き着くまで時間はそうかからなかった。

 

日本以外でじゃあどこなんだ?と自問自答して、自分のテイスト的にロンドンも候補に挙がりましたが、すでに確立されてしまっているロンドンやNYに行くよりも、パートナーの故郷であり、ヴォーグやGQなどクオリティの高い雑誌も豊富にある、僕にとってまったく新しいシドニーという場所で勝負したくて来豪しました。

 

 

ウェスタンカルチャーの女性観、男性観が日本とはまったく違うこの場所で、自分の世界観を追求したい。

 

日本は可愛いカルチャーじゃないですか。オーストラリアではそれはあまりなくて、女性は強くてセクシーという女性観が強いですね。男性もフレッシュな可愛い男性がもてはやされるというよりも、マッチョでセクシーな要素が必ず必要で。海外に来た理由のひとつでもあるのですが、自分も可愛いとかにカテゴライズされるスタイリストではなかったので。僕はそこまで可愛い子が好きではないんですが、仕事となれば可愛い子を可愛く作り上げるわけじゃないですか。これ自分の世界観じゃないのになって思いながらやっていると、自分を偽っているような気がして。この地で自分の世界観をもっと追求してシャープにしたいと思っています。

 

 

 

 

最近では日本にモデルとして渡るオージーの名も聞くようになってきたが、いまの日本ではどういったモデルが好まれているのだろうか。

 

日本はユースカルチャーが中心にあって、スキニーで若くてフレッシュで、可愛い子が好まれますよね。洋服のサイズも日本人のサイズにあったものに合わせるので、180センチ以上の女の子のモデルは正直厳しいですね。男の子も体が筋肉質で大きすぎても難しいです。男であっても顔が甘い子じゃないとダメですね。


 

海外で日本に似た可愛いカルチャーはほぼないといっていい。島国という言葉がはまる、日本の東京ストリートファッションのカルチャーがいま、世界中で注目を集めている。

 

韓国の事務所にも所属しているのですが、そこではすごく強さを求められたり、K-POPとかのアーティストも最近やるんですが、エッジイなものを求められたり。〝可愛いカルチャー〟ってすごく日本独特の特殊なマーケットですね。だからいま世界でフューチャーされているんじゃないでしょうか。あと東京のストリートがいまとにかくすごく面白くて。だって変な人いっぱいいるじゃないですか。ストリートレベルのファッションで考えると今はロンドンよりも東京の方がぜんぜん面白いなって思います。その反面ハイファッションは全然ないですが。リアリティショーという雑誌が日本で3、4年前くらいにできました。東京のストリートシーンのカッコイイ子たちを集めてハイブランドとミックスさせてみようという趣旨の雑誌なのですが、これは面白いですね。海外から見るとさらに面白い。

 

 

オーストラリアでの撮影は壮大なロケーションもいいが、カメラマンの質もすごく高く、ハイブランドもイージーゴーイング。

 

スティーブン・クライン※のもとでずっとやっていたカメラマンと出会うチャンスがあったりするのはとても貴重ですね。日本だと出会うことのない人たちとフックできるのは楽しいです。根本的な写真に対する取り組み方が違うのかもしれません。日本と比べると服が少ないというデメリットがあるんですけど、ブランドの数が少ない分、ハイブランドが協力的です。日本だとプラダ、グッチを使うとなるとミックスできないのが常識ですが、こっちだと自分の好きにやれて、ドメスティックなブランドを混ぜつつできるのがとても寛大ですね。

※スティーヴン・クラインは、NYを拠点とするアメリカ人の写真家で、カルバン・クライン、ドルチェ & ガッバーナ、ルイ・ヴィトン、バレンシアガ、アレキサンダー・マックイーン、ナイキなどの大手クライアントの広告撮影を行う。、また、アメリカやパリ版の『ヴォーグ』をはじめ、マドンナやブラッド・ピットなどを取り上げた『W』などの雑誌に、写真を発表している。


 

最近日本でも流行しているオーストラリアのドメスティックブランド。ファッション・ディレクター目線で気になるブランドとは。

 

アリスマッコールとかステートオブジョージア、カミラ&マーク、カレン、ハンドサム、ミンティミーツマント、ジェニーキーあたりですかね。NZのカレンウォーカーも好きです。オーストラリアのブランドは一昨年くらい前から日本に入り始めて、グラフィカルなものが多くてウケています。ワンピースとかそれ一枚で完結する服が多いのが特徴ですが、僕はレイヤーが好きなので、そこまででき上がっている服よりも隙がほしいなとも感じますが。メンズだとバニシングエレファントとかツービーとかですかね。

 

 

海外で外国人相手のプレゼンテーションでは、言葉の壁を補うためストーリーボードを駆使し、ビジュアルを用いて意思の疎通を図る。日本で培った経験がこの国では評価される。

 

ストーリーボードを使って企画から作りこみ、なるべくビジュアライズしたものをカメラマンとかに見せると、ずれの少ない意識の共有ができます。言葉の壁があったり、まだまだ信頼されてない部分があったりというときに、どういうものを作りたいのかをビジュアルで説明できるのは便利ですね。

 


 

オーストラリアでのファッションの傾向は「ナチュラル」。オーストラリアというよりも世界的な流れはいまリアルクローズ。「パリコレと聞けば、コンセプチュアルな洋服を着こなし、すごいことやっていると言ったイメージがある。確かに10年前までは凄かったけど、今はそういうところにはお金が使えなくなってきた時代」とRenjiは言う。

 

いまファッション業界は、世界中でデイリーで着れるナチュラルなリアルクローズの需要が高まっています。どこか経済的にパワーダウンしていると感じてしまう部分もありますが、コムデギャルソンのデザイナー川久保玲さんも言っているように、時代的にみんなが強いものを求めなくなってきているようですね。逆に、心地いいとかそういう方向に流れている。自分もそう感じますが、ファッションの新しい表現を色々切磋琢磨して作っていた時代が終わり、いろんな意味でナチュラルな心地よさを求められる時代に入ったんじゃないでしょうかね。


 

 

では、ニコアンドのカタログはある意味その先を行っていたという訳ですね。

 

制作したその当初は全然何も考えなかったんですが、オーストラリアであのカタログを関係者に見せると、すごく今っぽいと褒められたり、信頼を得やすいですね。ナチュラルというコンセプトであの頃やっていたことが、いま評価されています。


 

徐々に感触を掴んできたオーストラリアで、これからはもう少し高いレベルの雑誌でのエディトリアルやショーにチャレンジしていき、自分の世界観を研ぎ澄ませていきたい。

 

日本でのこの業界は、いろんな人と会わなきゃいけなかったり、付き合いがあったりで自分と向き合う時間が少なかったのですが、いまはクリエーションと向き合える時間が多いので、自分とちゃんと向き合えます。自分の世界観をシャープにしたい、というのがここに来た理由のひとつでもあるので、自問自答を繰り返し、もっとわかりやすく研ぎ澄ませていきたいですね。ある程度それでやれるようになったら、次のステップに行けるのかもしれません。

 

 

プロフィール:Renji


 

雑誌や広告、アーティストのスタイリスト。2005年にフリーランスとして独立。niko and...やUnder Armourなどで、ファッション・ディレクターとしてクリエイティブなブランドビジュアルを制作。2011年から自身の世界観をより明確にするためにシドニーに渡り、フリーランスのスタイリストとしてリスタート。韓国エージェンシーBless World.と契約。2012年には日本国内で特に評価の高いエージェンシーA.K.A.に所属し、東京、シドニー、韓国とワールドワイドに展開。同年にCREATORS FACEのベスト30に選ばれる。イギリスのロックや伝統、レイヤーに影響を受け、ビジュアルをクリエイトするには、なによりもコンセプトを持つことを重要視している。


エディトリアル:RemixMagazine(AU)、Kismet magazine(UK)、E-marge magazine(Italy)、And men(UK)、FIERCIVE(JP)、Script(JP)など
 

広告:TOYOTA、SONY、Wacoal、FUJIFILM、DIAMOND SHIRAISHI、NTT docomo、BURBERRY BLUE LABELS Satouseiyaku、Unicharm、Pioneer、AEON、BABYLONE、SHARP、SoftBank、Robert Half International、DAM、Planet Remix、Levi‘s Kids、Reasterisk、niko and..、TAKASHIMAYA、Maw、Spicy Color(Korea) など
 

ディレクション:UNDER ARMOUR WOMAN HINANO YOSHIKAWA Book、niko and... 2010A/W ~2011S/S、Johannesburg 2011 S/S
 


 


 

 


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