オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

第二回 西郷隆盛

先人たちの後姿

16/03/10












1828-1877年(49歳没)。薩摩藩の下級武士の出で、貧しい幼少期を過ごしたが、藩内で徐々に頭角を現し、藩主・島津斉彬の側近となり、若くして 重用される。2度の島流しに遭うなどの逆境も乗り越え、幕末動乱に揺れる日本の中心に立ち、欧米列強に屈せぬ新しい国づくりに生涯を捧げた。藩、明治政 府、地元氏族など、常に周囲から必要とされ、頼りにされた、信望の厚い志士であった。









偉業

戊辰戦争

明治新政府軍と旧幕府軍とで争われた内戦「戊辰戦争」において、新政府軍・参謀として指揮を執った西郷は、"江戸城無血開城"に成功。その後も司令官とし て北陸、東北戦線、さらには箱館戦争にも赴き、新政府軍を勝利へと導いた。戦後、長州藩が敗軍の会津藩などに厳しい処罰を施し、追い討ちをかけたのに対し て、西郷は寛大な対応で処置にあたり、敵軍からの敬慕を受けた。



征韓論

日本との国交締結を拒否する朝鮮に対して、武力での解決を求める声が上がったが、西郷は武力行使に反対し、話し合いによる平和的解決を求めた。自らが使節 となっての朝鮮入りを求めたが叶わず、処置に抗議し辞職した。通説では西郷が武力行使を強く主張(征韓論)し、拒否されたとされていたが、真相はまったく の逆である。



横顔

・その人徳により多くの人に慕われた西郷は、明治天皇にも寵愛されていた。西南戦争での西郷の悲報(政府軍により討たれた)を聞いた明治天皇は、「西郷を殺せとは言わなかった」とその死を嘆いたという。



・外交戦略としては、東アジアの日中韓がそれぞれに独立を達成した後、三国による同盟を築き、欧米列強の侵略に対するという構想を持っていたといわれる。








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