オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

もっと旅を(5)

北山時雨

25/08/10




マイアミに行ったら是非訪れてみたいと思っていたのがキー・ウェストであった。しかし日程を考えたとき、できれば一泊してのんびりしたいと思っていたのだが、クルーズの前後は、夜遅い到着と朝早い出発にはさまれて、その余裕が作れなかった。「仕方がない、次回にしよう」と思っていたところ、船を上がった日、ホテルを出て歩き始めたら、通りに面して、ビルの隙間にA字型看板を立て、傍らに小さなデスクをおいてツアー案内所をしているオジサンを見つけた。看板をよくよく見れば、キー・ウェストの日帰りツアーもあるではないか。聞けば朝7時にホテルピックアップに来てくれ、そしてドロップオフは空港のホテルでOKだという。それじゃあ、と早速申し込んだのであった(後でよく考えてみれば、日帰りでローマからナポリ・ポンペイのツアーや、ニューヨークからナイアガラの滝や、シドニーからポート・スティーブンスだってあるのに…と思ったものである)。



キー・ウェストといえばヘミングウェイである。アメリカが生んだ偉大な作家群のひとりである。彼の作品を読むといつもある種の感慨を持たざるを得ない。彼の作品世界には感情に左右されないある冷徹な視線があり、その上に心躍る明るい情念が燃えているような気がしてならないのだ。そしてもうひとつ、ある種の華やかさも感じられるのだ。いわゆる世評では「ハードボイルド」の生みの親と言われているのだが、それにはいささか違和感を覚える。それよりも「移動祝祭日」巻頭のエピグラフに「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」(新潮文庫「移動祝祭日」より)という彼の言葉の方が本質をついているような気がする(ちなみにイギリスの作家、ウィリアム・サマーセット・モームも同じようなことを言っている。「若い時代をパリで過ごしたものは死ぬまでExtravaganzaが続く」というのである)。



18歳、第一次世界大戦のおり、赤十字の輸送部隊に志願してイタリアに赴き、負傷してミラノで療養生活を送る。帰国後シカゴで結婚。その後カナダの新聞社トロント・スターの特派員としてパリに渡る。1921年、その時ヘミングウェイは22歳であった。そこから作家としての習作時代が始まる。ときあたかもパリはベル・エポックと呼ばれる一番華やかな時代であり、才能ある多くの作家や詩人、その上優秀な編集者や出版社もみなパリに集まっていた(この時期、アメリカ国内は禁酒法時代であり、上記「移動祝祭日」や新婚時代を描いた「エデンの園」の中にはよく美味しそうに酒を酌み交わす場面が出てくるのだが、ことによったら気の利いたアメリカ人は皆そのためにヨーロッパに渡ったのではないかと、つい勘ぐりたくなるほどである)。優秀な周囲の仲間から刺激と影響を受けるということは、才能を伸ばす上でいかに大きな力となるか、初期の彼の作品(多くは短編)を読むとよく分かる。その上、編集者や出版社にも恵まれればこの上ない。



さてキー・ウェストのヘミングウェイの家である。オールド・タウンの観光客で賑わう地域から10分ほど歩くと閑静な住宅街である。どこか海明かりが映える通りに面して石垣で囲まれたその家があった。入場料を払って玄関に向かう。3段の石のステップを上がるといきなり玄関で廊下と階段がある。木造の当時としては標準の家だったのだろう。ボランティアのガイドのおじさんが家の中を案内してくれる。2階には朝食の食堂、主寝室、子供部屋がある。食堂の壁には写真が飾られ、ミラノの病院のベッドで寝ているヘミングウェイの若い姿や4人の妻たち、釣ったカジキとのスナップなどが並んでいる。寝室にはピカソが作ってくれた猫のコラージュが飾られている。階下は廊下を挟んで大食堂と居間である。庭の奥には昔の馬車のガレージを改築して2階建てとし、その階上が書斎になっていた。彼が使っていたタイプライターや記念のものが当時のままに残されている。この場所で「持つと持たぬと」「誰がため鐘はなる」「キリマンジャロの雪」が書かれた。その現場である。



世界中には「だれそれの家」とか「だれそれ縁(ゆかり)の=地」とかがゴマンとある。そして我々はそこに行って呆然とし茫然とするのである。何も歴史上の有名人・知名人がそこにいたから、住んでいたからといって珍しいことはなく、ただの家であったり、記念館であるに過ぎない。その場所が何か特別な意味を持つものでもない。ただその場をある種の思い入れを持って眺めると、一種不思議な空気があるような錯覚を覚えるのである。その有名人・知名人と同じ空気を吸い込んだという錯覚を持ちたいのである。そうしたからといって何も意味はない。無意味といえばこんな無意味なことはない。しかしそれにしてもなぜ「家」というものは人が住まないとこうも荒れ果てるのだろうか。ほこりくさい、薄汚れた、抜け殻のような「家」。血の通わない、カビくさい、枯れ果てた「家」。こういうところに来るといつも失望させられる。



ヘミングウェイの家を出てオールド・タウンの繁華街に戻った。そこはお土産屋やレストラン、パブなどが立ち並んでいて、どうということもないありきたりの観光地であった。あまり旨くもない食事をほどほどのワインで済ますと後は何もすることがない。ちょっと前まではキー・ウェストはゲイのメッカであったらしいが、今ではハーレー・ダヴィッドソンの群れが狭い通りを我が物顔で騒音とくさい排気ガスを撒き散らして行く。ヘミングウェイの時代ははるかかなたに過ぎ去ってしまったようだ。帰りのバスの中ではワインが利いてよく寝てしまった。それでもふと目覚め、顔をあげたとき夕日が豪華に輝き、メキシコ湾の海に落ちてゆくのが見えた。頭の中ではあのグリーグの美しいメロディーが鳴り響いていた。(この項続く)





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