先人たちの後姿
21/10/10
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伊藤博文は九州、現在の山口県光市で生まれる。吉田松陰の松下塾に学んだ後、幕末期に高杉晋作、桂小五郎らに従い、尊皇攘夷、討幕運動に参加。その後、ひそかに渡英し、ロンドンで英語を学ぶとともに海軍施設、工場などを見学し見聞を広める。留学中にイギリスと日本との圧倒的な国力の差を目の当たりにし、帰国後は開国・富国強兵論へ転向。明治に入り新政府に仕え、英語に堪能なことを買われ、外国事務局判事、大阪府判事を経て、初代兵庫県を務める。その後岩倉遺外使節団の副使として欧米諸国を巡歴した。 帰国し、大久保利通の暗殺後は、内務卿を継ぎ、参議兼内務卿(内務大臣)など、政府の中心的位置を確保。憲法調査のためドイツ、オーストリア、イギリスへ渡り、帰国後内閣制度を創設、初代内閣総理大臣に就任、大日本帝国憲法の起草の中心となる。その後貴族院議長、枢密院議長、首相(4度)、初代韓国統監等を歴任した。満州視察と日露関係調整のために訪れた際に、ハルピン駅に迎えに出たロシアの大蔵大臣に頼まれて、ロシア兵を閲兵した直後、韓国の独立運動家安重根により暗殺される。 |
功績 ・ 初代内閣総理大臣 ・ 大日本帝国憲法発布 ・ 日英通商航海条約締結 ・ 日本最初の政党内閣成立 日の丸演説 後岩倉遺外使節団の副使に就任した後に、サンフランシスコ市長歓迎のパーティで伊藤博文は、日本側を代表し英語で「日本の国旗にある日の丸は、もはや帝国を閉ざす封印という意味合いを持たない。現在の日本が地平線から出たばかりの太陽だということを示している。暁の雲から出たばかりの太陽は光も弱く色も薄い。だがその太陽はやがて中天までくると全天に輝きわたる。これと同じように、政府と国民との一致協力により、成就された日本の精神的進歩が、物質的進歩を凌駕し、日本もまもなく世界に雄飛し、日の丸の旗は尊敬の念を持って世界の人々から見られるようになるだろう」と日の丸を指しながら演説した。 |
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