先人たちの後姿
18/11/10
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身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 これは吉田松陰が処刑される前に、門弟たちに宛てた遺書『留魂録』の冒頭に記された詩である。この「大和魂」の中に、身を捨てても日本国に尽くそうとする日本人としての誇りを感じることができる。たとえ自分が倒れたとしても、弟子たちは必ず革命を起こし、新たな日本を創ってくれるという期待と願いが伝わってくる。 松陰は1857年に叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、松下村塾を開塾した。この松下村塾での主な教え子として、久坂玄瑞や高杉晋作、後の初代内閣総理大臣・伊藤博文ら80人の門下生を輩出。その幕末の志士たちは松陰の遺志を引き継ぎ、幕末の激動の時代を自分の身を投げ打ってでも大義に生き抜くことを決意し明治維新を実現した。 現代の国際社会に身をおく我々もまた、この日本人の誇りを忘れずに、松蔭が「志を立ててもって万事の源となす」と解いたように、揺らぐことのない強い志を持って人生に、目標に向かってチャレンジしていくべきである。 |
下田に停泊中のアメリカの軍艦に密航しようとするが拒絶され、失敗に終わり自首。伝馬町の牢屋敷に送られその後野山獄に幽囚。獄中で密航の動機とその思想的背景を『幽囚録』に著す。 叔父が主宰していた松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾。 日米修好通商条約の締結に反対し建言を行う。倒幕論を唱え老中の間部詮勝暗殺を計画したが失敗に終わる。州藩は警戒して再び松陰を投獄。 安政の大獄により死刑判決を受ける。10月25日の死刑執行を前に、門弟にむけた遺書「留魂録」が完成。10月27日に江戸伝馬町の獄で斬刑。満29歳で生涯を終える。処刑後、小塚原回向院の墓地に葬られたが、1863年に高杉晋作ら攘夷派の志士により現在の東京都世田谷区若林に改葬される。明治維新後、靖国神社にて維新殉難者として合祀される。 |
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