オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

アルカディア

北山時雨

16/12/10


いよいよ今年も押し詰まってきた。1年という時間の長さがあたかも北国の希薄な空気のように感じられる。昔の人はこのことを走馬灯とか、窓の隙間から外を駆け抜ける馬を見ているとかの表現を使っていたことを思い出す。全くのところ大晦日や正月がなければ止め処もない時間の流れにけじめはつかない。



さて、北朝鮮軍が韓国の廷坪島(ヨンピョンド)を砲撃したというニュースを聞いて、ある父子のことを思い出し、そして深い感慨にとらわれた。それは昔も昔、半世紀以上も前のことである。このオヤジが生まれ育ったのは東京のはずれ、それも埃臭い下町であった。町工場があり、タクシー会社のデポがあり、炭屋や米屋やタバコ屋があり、その間に普通の家屋もあるという品もなければ洒落っ気もない、昭和30年代のどこにでもあった当たり前の町であった。我が家からそれほど遠くないところに「モヤシの金さん」が住んでいた。単に金さんなのであるが、父の用事で我が家に来るときはいつも大きなビニール袋に入ったモヤシをお土産に持ってくるのである。母は大喜びでそれを材料に惣菜を作っていた。だから「モヤシの金さん」というのは我が家だけの呼び名であった。当時、東京の場末には在日朝鮮・韓国人がたくさん住んでいた。それも皆、寄り集まるように住んでいたため「…部落」という、今から考えれば差別もはなはだしい呼び名で呼んでいたが、「モヤシの金さん」は独立独歩、立派な一軒家に住んでいた。と言っても玄関を入ると6畳間でその奥が4畳半、その奥にトイレと台所というありきたりの家ではあったが、そこに一人息子と住んでいた。なぜか奥さんはいなかった。子供心に聞いてはいけないような雰囲気があった。「モヤシの金さん」はモヤシを売っていたわけではない。仕事は靴磨きの取りまとめ役である。どこのターミナル駅でもそうであったが、歩道には靴磨きの人たちが座り込んでいた。そのほとんどが中年以上の女性たちであった。雨でも降らない限り毎日20人ほども並んでいただろうか。歩道の端に座布団を敷いて座り込み、木で作った箱状の靴台(靴を載せるところは傾斜がつき、かかとの当たるところは滑り止めがある)を置き、手を真っ黒にしてお客の靴を磨くのである。その何十人もの靴磨きの人たちを取りまとめていたのが「モヤシの金さん」なのである。今にして思えば、多分「縄張り」とか「上納金」とかややこしい事情があったのではないかと思う。そういえば彼の皺深い風貌は子供心にも痛ましく、禍々しく、凶暴な、そして恐ろしげに映った。一言で言えば悪相なのである。50歳くらいのように思っていたが、今思えば40歳そこそこだったのかもしれない。長身で両肩がとがっているような鋭い印象の体つきなのである。ところが笑うとその恐ろしげな顔に赤みが点し、はにかんだような、困ったような笑顔になるのである。

「モヤシの金さん」の一人息子、一成(かずなり)君と付き合い始めたのはこのオヤジが小学校5年生になってからで、自転車に乗ってこのオヤジが一成君の家に行ったり、彼が我が家に来たりして一緒に遊んだ覚えがある。一成君は1歳年上であったが、同じ学校に通ったことはなかった。それはこのオヤジが越境入学をしていたので、その地域の学校ではなかったのである。今でも忘れられないのは彼が中学校に上がったときのことである。新しい科目、英語の授業についていけず、どうしても学業がおろそかになりがちだったのを「モヤシの金さん」が気にし、このオヤジの姉に家庭教師をたのんできたことである。姉は7歳年上であったから、そのときはもう大学生であったはずで、一成君は学校からの帰り道に我が家で英語の授業の予習・復習を見てもらっていた。英語という新しく取り組む科目の一番の要諦は、何しろ単語を覚えてしまうということに尽きる。であるから単語を覚えるコツの様なものを姉は教えていた。「水を英語で何と言うのか?」と言えば今でこそ何を言っているのかと、幼稚園の子供にすら笑われそうであるが、そのころは全くの話、真面目なことであったのだ。一成君は「Water」という単語を覚えるのに、その頃我々の地域の遊園地で人気を呼んでいた乗り物「Water-chute」を持ち出さなければならなかった。姉は随分苦労しながら教えていただろうと思う。





その一成君が学校を変わった。何も英語の授業についてゆけなかったからではない。日本の中学校から朝鮮学校に移ったのだった。それまでは民団系(南)の学校しかなかったものが、総連系(北)の学校ができたというのである。そこへ編入したのだ。新しい学校に移って一成君は変わった。それまではおっとりした、いつも慎ましやかだったのが、意気軒昂、溌剌としだしたのである。そして会えばいつも金日成の話なのである。自慢は、抗日戦の英雄であり、革命のリーダーであり、建国の父でもある金日成と自分は一文字違いの名前を持っているということであった。そして未だ見ぬ父祖の地は建国の意気騰がり、人類史上初めての理想郷であると熱っぽく語るのである。労働者たちは嬉々として働き、農民たちは毎年の豊作を喜び、兵たちは祖国防衛に燃えているというのだ。ところがこのオヤジも中学生となり何やかやと忙しくなったので、一成君とは自然に疎遠となってしまった。そして2年後のあるとき「モヤシの金さん」と一成君は新潟港から船に乗って祖国へ帰っていったと聞いたのである。





今、テレビ・ニュースが伝えるピョンヤンからの画面を見ていると、あの困ったような笑顔の「モヤシの金さん」や熱っぽく語っていた一成君を思い出す。彼らは果たして理想郷=アルカディアに着いたのだろうか。一抹の空しさを覚えざるを得ない。50年も前のことではないかと言われればその通りである。時はとどまることなく、一方向的に進むだけである。誰も止めることができない。それも分かっている。ただ、時というものに比べ、人間とは何と無慙な存在なのだろうと思うだけである。茫々50年である。諸君、是非良い年を迎えたまえ。





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