オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

その167 何かが変わるか?

北山時雨

20/05/11


前々回の続きでベトナムとカンボジアのことを書きかけたのだが、読者から直接メールが届き、大地震と大津波、そして放射能汚染のあと、日本はどうやって変えていったらよいかという質問がきたので、日本の将来像を考察しようと考えていた。そこへ英国王室におめでたがあって、ここのところイギリスではあまり良いことがなかったので、ウィリアムとケイトの結婚はなかなか明るい話題でよかったと思っていたのだが、そうしたら今度はオサマ・ビン・ラディンが始末されたと言うではないか。ベトナム、カンボジアや英国王室よりも、世界と日本の行方を考えることの方が目下の緊喫事である。





10年前の9月11日は我々にとっても忘れがたい日である。この同時多発テロがなかったら多分我々はまだシドニーでうろうろしていて、今のB&Bの生活はなかったに違いない。契機というにはあまりにも衝撃的な事件であった。あのときの大統領、ジョージ・W・ブッシュが攻撃されたショックが新鮮なうちに、宣戦布告のように国民に語り、そしてはじめたテロとの戦いであった。あの時どうしてアルカイダとオサマ・ビン・ラディンの名前がすぐに取り沙汰されたのかが不思議であったが、よくよく考えてみればその10年も前からアメリカはテロのターゲットにされていて、すでにFBIの最重要手配書のトップにリストアップされていたのだと分かる。そしてその後10年をかけてツケをきちんと払わせたところにアメリカの執念が見える。そしてまたかとも思う。それは、やられたら必ずやり返すというあの精神である。昔見た西部劇のあれである。悪役が主人公をいじめ抜き、それを耐えに耐え、最後に爆発して主人公が悪役を滅ぼすというストーリーである。東映ヤクザ映画とも共通のあのストーリーである。あるいは真珠湾攻撃で始まったアメリカの本格的な第二次世界大戦への参戦というのも頭の中を掠める。





オバマ大統領のメッセージを読んでみると9・11の犠牲者家族宛の心遣いらしい箇所が2箇所ほど出てくるが、それ以上にアメリカはきちんとやる素晴らしい国なのである、というニュアンスが嗅ぎ取れる。確かに「テロとの戦い」という点から言えば大変な成果であり、その努力と実行力は賞賛に値する。また来年の大統領選というのも当然視野の中に入っていることだろう。しかしながら、オサマ・ビン・ラディンを消してそのあと何が変わるのだろう。なぜ殺してしまったのか? なぜ捕らえて裁判をしなかったのか?と言う意見が当然出てくるだろう(サダム・フセインの場合はイラク人によるイラクでの裁判を行ない、形だけは整えて強引に処刑した)。今回はオサマ・ビン・ラディンに対し降伏を勧告したが抵抗したから撃ち殺したと新聞には出ているが、死人に口なしである。そして、死体はヘリで運びその後の聖人化の危険性を避けるため海上投棄したという。それでは多分新たな敵を作り出しかねないだろう。現に反アメリカのデモが出始めている。アメリカはまた新たな戦いを強要されることだろう。益々テロ対策と防衛・防諜に力が注ぎこまれることになるであろう。全くの話、終わりなき戦いである。この戦いは、攻める側に随意性があって、いつどこをどのように攻めても構わないと言う自由さがある一方、守る側は100パーセントの防衛は不可能であるからだ。





さて、目を転じて、なぜアメリカはイスラム諸国とぶつかっているのかを考えてみよう。特に問題があるのはイラン、アフガニスタン、スーダンである。アメリカはイスラム教、あるいはイスラム国家に対して戦いを挑んでいるのではなく、テロおよびテロ集団と戦っているのだと言う。それはそうだ。アメリカこそ民主主義あるいは自由主義の総本山を自負しており、信教の自由はその一大スローガンであるからだ。ではなぜイスラム国家に多くテロ集団があるかと言うと、イスラムの側に反アメリカをひとつの大きなスローガンにしなければならないわけがあるように思える。言い換えると、イスラムの教義の中にすでにジハード(聖戦)の思想が盛り込まれていて、常に敵に対して戦わなければならないという強迫観念があるからだ。オサマ・ビン・ラディンが最初にアルカイダを組織した20数年前、すでに「(地球上に残った)最後のひとりまでアッラーこそが最高の神であると言わしめなければならない」と言っているのである。おまけに上記3ヵ国では、いまだにシャリーア法というイスラムの憲法と言うべき法律が生きていて、刑法、民法、商法から始まって家庭内のいざこざ、特に女性の地位を完全に無視した、まるで中世の暗黒時代そのままの裁判が行なわれているのである(同じイスラム国家でもトルコやマレーシアなどは早々とシャリーア法から抜け出て近代化が進んでいるのだが)。であるから、イスラム教という宗教がルネッサンスと宗教改革を経ない限りこの軋轢は消え去らないだろう。





日本では徐々に意識が変わりつつあると聞くが、はっきり言って充分とは思われない。昔アイスランドで聞いた話を記しておく。レイキャビックのラジオ局が省エネの一大キャンペーンを行なった。「今週はテレビや電気をすべて消して、毎晩外へ出て上を向いてください。そして小さなラジオを聴いてください。天文学の先生の話や、星にまつわる話をたくさんお届けします」というのだ。電力はどのようにして作られているのか、誰でも知っている。しかし右肩上がりのバブル期以降、それを無駄に使っている意識はまだ直っていないのではないだろうか。電力のありがたさを身にしみて思えれば、たとえば食料の、たとえば水のありがたさをも思い起こさせる契機になり得るのである。意識まで変わってゆかないと日本は立ち行かなくなるだろう。

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