オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

その169 「かな」はよしとくれ

北山時雨

20/07/11


3月11日以来、たまにしか見ていなかったNHKのニュースをしばしば観るようになってしまった(あまり良い習慣ではないな)。例の朝5時40分かそれでなければ10時45分にSBSでやっている、前日の夜7時のニュースである。それまで気にならなかったことが、ある時点で急に気になってきたことが何点かある。

最初にイライラすることは、同じことを何度も繰り返すことである。例えばテロップに「原発の循環注水冷却を停止」と書かれているにもかかわらず、アナウンサーは「水漏れが発見されたため循環注水冷却を中止…」と言い、次に画面に原発の全体像が映り、冷却装置らしきものも映され、またもや「注水用配管の継ぎ目に水漏れが見つかり循環注水冷却を中止…」と言うのである。なおかつ別の担当者が出てきて再び同じことを事細かに解説するのである。これはいったい何なのだろう。NHKはよっぽど日本人の頭が悪いと思っているのだろうか。一度か二度言えば了解できるとは考えてはいないのだろうか。それとも、視聴者から何度も言えと脅迫まがいの電話がたくさんかかってきたからなのだろうか。実際これは何のニュースでも同じことで、モタモタしている国会や国会議員連中のことも、6月の猛暑についても、大雨注意報・警報についても何度も何度も繰り返すのである。なんだかぐったりとするほどである。それとも何度も繰り返すクセを日本人につけ、そうしないと頭に入ってこないように訓練しているのだろうか。これがクセになると日本は将来恐ろしいことになりそうな気がする。



もっとイライラするのはアナウンサーの発音である。なぜなのか口をなるべく動かさず、大きく開けず、そのうえ無表情なのである。日本に行って一番目に付くのが人々のあの無表情である。街を歩いているとき、電車やバスのなか、どこでもそうなのだがみんながみんな無表情を装っているように見える。作られた無表情なのであろう。放心しているとか、無我の境地とか、何かに集中しているときの表情ではない(なんとまあ電車の中の10人のうち7人くらいが携帯電話やスマートフォンの小さなモニター相手に何かをしている)。強いて無表情を装っているのである。それが証拠に例えば今にも発車しそうな電車にもう少しで乗れたのに、目の前でドアがバタッと閉まったようなとき、苦笑いをしたり、回りの眼を気にしたりの表情になるではないか。そして作られた無表情がばれたかという顔になる。それはわざと作られた表情が、本音が出てほんの少し崩れでた証なのである。それと同じ無表情がアナウンサーの表情にも伺えるのである。表情を殺しているとしか思えない。それは多分、公共放送であるからには個人的な感情・表情を出してはならないという決まりがあるか、あるいは「笑いながら話すとは何事か」という電話がじゃんじゃん鳴るのだろうと思う。オヤジはなんとなくそこに日本特有の自己規制を感じるのだが…。



その次に気になるのが「かな」である。アナウンサーこそ言わないが、政治家であれ、官僚であれ、原子力安全・保安院や東京電力の担当者であれ、公の場で、書かれた文章を棒読みしているときは出てこないのであるが、ひょいと質問されたその答えに出てくるのである。例えば「…には協力したいかな…」「…は出てこない中身かなと…」「…を受け止める必要があるかなと…」「なんらかの原因ではないかな…」などなどである。小学生が質問されて、その答えに「…できたら良いかなー」と言っている分には可愛げ気があって許せるが、大の大人が、それも公の場で、報道されているその目の前で発言しているのに出会うとなにやら疑ってみたくなる。この人は本当に大人でそれも責任者なのかね?と。「かな」にはどうしても不確定要素と自身の希望的願望の色合いが含まれている。おまけに語尾を濁して、はっきりと言いきりたくないというみっともなさも着いて廻る。そして幼稚さも感じられる。何も良いことはない。すぐやめたほうが良い。言葉は意思の表現形式のひとつである。それも一番大事な手段である。これができずにどうして政治も行政も会社経営もできると言うのだろうか。



最後にもうひとつ。言葉の乱れを今さらとやかく言っても始まらないことなのかもしれない。特に有名な「…させていただきます」と「ラレレラ語」(=「やられてください」「見られてください」「食べられてください」等々)は決して敬語ではないのだよと教えておくべきだろう。因みにきちんと言わせたかったらそれぞれ「なさって」「ご覧になって」「召し上がって」と教えるべきである。それよりも何よりもあの鼻にかかった、力の抜けた、ふにゃふにゃした、はっきり言ってだらしのない発音は何だというのだ。先に言葉は意思の表現形式のひとつといった。あのような骨抜きの言語表現は全くのところ日本人の恥である。昔々、音声学の先生に言われたことを思い出す。「人間の声は体の割りに大きな声が出るようになっている。それは頭蓋を共鳴箱として発声するからである。であるからもし声の出し方が悪いと頭蓋に悪い振動を与えることになる。なるべく綺麗な音を出すようにしなさい。そうでないと頭が悪くなりますよ」というのである。もしも日本人がみんな悪声になったらもうおしまいである。であるからもうNHKニュースは観ない、と言えればよいのだが…。



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