オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

その171 5年で6人目

北山時雨

04/10/11


日本では8月も押し詰まってから、慣例の政治的痙攣があって首相が交代した。菅直人から野田佳彦だという。いまさら驚くには当たらないが、ここ何代かはみな短命内閣であったという。オーストラリアのラジオやテレビでは「この5年で6人目」だとそればかりを強調して報じていた。それではどのくらいの頻度で首相が変わっているのか、ここ何十年かの歴代内閣の日数を調べてみた。新しい方から順に、菅内閣(以下略)=448日、鳩山=266日、麻生=358日、福田=365日、安倍=366日、小泉(三期)=1980日、森=387日、小渕=616日、橋本(二期)932日、村山=561日、羽田=64日…となっている。たしかに小泉以前はそれなりの期間はやっている。だから安倍首相以降、毎年のように交代しているのが特に目につくのだろう。そしてよくよく眺めてみれば鳩山、麻生、福田、安倍と4人続けて2代目、3代目の、政治を職業としてきた家系からの出である(これは国民にとって良いことなのか悪いことなのか? こちらの方が問題かもしれない)。また平成になってから17人目だとも言う。23年間で17人は多いのか少ないのか、判断に苦しむが、小泉以前だって短期政権はあった。森=387日、村山=561日、羽田にいたっては64日間のあっという間の政権であった。だからここ5年で6人は、日本の得意芸であった大量生産・大量販売のその片鱗であるともいえる(首相も大量に生産できる?)。まあ言ってみれば持ち回り制というか、輪番制というか、順番が来たら自動的に首相になってしまうという制度に似ている。





ところで前々から気になっていたことがある。「民主主義」という言葉である。この言葉がどうも日本の政治情勢と、国民の政治に対する考え方の間に大きな断絶というか、乖離というか、肌合いの違いがあって、どうしても馴染んでいかない原因になっているのではないかという気がしてならないのである。もちろん「Democracy」という外来語の日本語訳ではあるのだが、これを「民主主義」と訳したところに齟齬が生じているのではないだろうか。「主義」といえばどうしても「主義主張」という言葉通り、思想・信条というか哲学に通じる響きがある。また「主義」と言えば、ほとんど同時に共産主義(Communism)、社会主義(Socialism)、そして資本主義(Capitalism)を思い浮かべざるを得ない。そしてよくよく見ればこれらは皆-ismなのである。ところがDemocracyは-ismではない。政治を運営するにあたってどのようなシステムで行うかは大昔から人間のテーマであった。簡単に考えれば、人間の集団をまとめ、生きて(=食って)いく上でのもろもろの問題を解決しながら日を送る。これを行う最低の決まりが政治である。初めは強力なリーダーが出て、その意見に皆が従うところから始まったのだろう。長い人間の歴史の中で、色々な政治の形態が出てきて、それぞれ試行錯誤をしながらやってきた。だからマキャベッリを持ち出すまでもなく帝政、君主制、封建制、貴族制、共和制、民主制などを我々は知っている。中には一党独裁制というのもあって近来の政治形態ではなかなか強力な政治形態ではある。ところがここに厄介な問題が入り込んでくるのである。イデオロギーというヤツだ。最近の有名なものでは、19世紀、ロンドンで亡命生活をしていたユダヤ系ドイツ人(年少期プロテスタントに改宗)が「資本論」という書物を書き、人間の意識が先にあるのではなく、その社会の物質的生活の生産様式(=いわばモノ)によって規定されるのだと言い出した。それ以降、政治形態と経済システムの形態が複雑に入り組んでしまった。もちろん、19世紀にはすでにイギリス、フランス、ドイツなどでは資本主義経済が進んでいたから、それらの国々で資本主義経済が発展・成熟し階級闘争が起こり最後に共産革命が起こり共産主義国家が成立するという幻想があったのである(しかしながら実際に起こったのはロシア、中国、キューバのような国々で、それぞれ資本主義経済が未成熟のままであったため上手くゆかなかったか、大幅に路線変更を余儀なくされている)。そして幻想は東西ベルリンを隔てる壁が崩壊したときにもろくも崩れ去り、やはりイデオロギーのみでは国家は運営できないことを証明したのである。





もうひとつ厄介なものは宗教である。今年初めからエジプトに始まり、チュニジア、リビアそしてシリアというイスラム国家で政変が起きている。宗教に縛られていた民衆の側に、より有利にインターネットや携帯での情報交換の力が働き、それまで疑う余地のなかったイスラム絶対主義や長期独裁政権からの脱却が容易にできるということを、一瞬のうちに呼びかけられることができたからだ。しかし宗教と独裁という二重の鎖から自由になりDemocracyに移行するためには、イスラム国家は「ルネッサンス」の時期を経なければできないのではないかと思われる。さてDemocracyであるが、これを民主制とか民主政治制と呼ぶようにすればどうだろうか。何も今の政治内容が大きく変わるわけではなく、民衆の意識が変わってゆくのである。何と言っても40何パーセントだの、30パーセント台だのという、目を覆いたくなるほどの投票率の低さが少しでも向上するのではないか。政治を日常の生活レベルまでおろす必要があるのである。何しろ10円20円安いという折込広告を見て、100円200円かけてバス電車に乗って出かけるのであるから、-ismではない制度であれば、安くない税金を納めているのだからそれだけのことはやってもらわないじゃあすまないぜ、と言わしめなければいけないのでる。そうすれば「5年で6人の首相」などと言われないで済むのではないだろうか。(文中敬称略)



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