オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

タンロン-ハノイ城 世界遺産に

北村元

23/05/13









 8月1日の朝、「ハノイ城がユネスコの世界遺産に登録されました。ハノイの皆が喜んでいます」という連絡をベトナムから受けた。ブラジルで開かれたユネスコの世界遺産委員会が登録したのだ。今年は、ハノイ遷都1000年の佳節。ハノイ駐在の記者としてかつてハノイを走ったことがある小生としても、900番目の登録は大慶だ。
たまたま6月の訪越時に、ハノイ国家大学のファム・ティ・トゥ・ザンさんという先生に案内して頂いた。公開の時期は終わっていたのだが、学術関係のつながりで私的公開という栄誉に浴した。

写真は端門(ドアン・モン)で、ハノイ城の一番内側に宮城と呼ばれる皇帝一族の住居があり、壁で囲まれた宮城の唯一の南側の門である。

ハノイ遷都1000年とは'1009年にレー氏(前黎朝)に代わって帝位についた李公蘊(りこううん。ベトナム語リー・コン・ウアン)が翌年、遷都を決定。1010年旧暦7月、川船で現ハノイに着いた李公蘊の前に「黄色の竜」が現れたので、新しい都を昇竜(タンロン)と命名。ハノイ建都1000年はこれが起源だ。

以後18世紀末まで、タンロンがほぼベトナム王朝の都だった。その後、グエン(阮)朝時代(1802-1945) の1831年、第2代ミンマン(明命)帝が、首都をハノイからフエに移して、タンロンはハノイと改名された。

ハノイ一帯は紅河デルタ地帯から干拓された土地で、紀元前の遺跡や遺物も発見されている。ハノイは7世紀にできた中国要塞跡に始まり、その後ほぼ13世紀にわたって続いた政権の浮沈を見つめてきた政治の中心地であった。北の中国と南部の古代チャンパ王国の影響との交差路にあり、数々の城の建物とホアン・ジオ通り18番地の発掘現場の遺物は、紅河下流域特有の独特の東南アジア文化を反映していることが、登録の決め手になった。

奈良時代、遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂は唐の太学に学び、科挙に合格、唐朝の諸官を歴任し、天平勝宝五年(753)、帰国を許されたが、日本へ向かった船は途中大嵐に遭って安南(ベトナム)に漂着し、再び唐へ。のち、玄宗皇帝などに仕えて、760年には、鎮南都護・安南節度使としてベトナム総督。761年から767年まで6年間もハノイの安南都護府に在任し、766年、安南節度使を授けられた日本ゆかりの地である。

この城には、ベトナム戦争当時の地下司令部も保存されているが、この城周辺は長らくベトナム国防省の敷地だった。なかなか明け渡しが進まず、やっとのことで、城の整備が進むことになった。チアーズ9月号が出るころには、私はまたベトナムだ。



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