オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

小江戸de ござる

北村元

23/05/13












 「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われた川越市。世の中に小京都はたくさんあるが、小江戸は川越にしかない…と、この句は謳っています。
先日、目の手術のために日本に帰りました。万が一手術の失敗で片目が見えなくなってはと…両目でしかと見ておこうと思ったのが、埼玉県川越市。

 

17万石の城下町の川越市は、現在人口は34万とか。江戸の風情が一杯残っています。そこに年間650万人の観光客が全国から来ているそうです。この日、「ちょうど国際パレードがありますから、楽しんでください」と、観光案内所で言われて撮ったのがこの写真。現在も残る鬼瓦と真っ黒の蔵造りの一番街通りを練り歩く行列でした。

 

入間川西岸地域は、奈良・平安時代は三芳野の里と呼ばれ、「伊勢物語」では「みよし野の 田の面の雁も ひたぶるに 君がかたにぞ 寄ると鳴くなる」と歌われています。  

 

長禄元年(1457)、上杉持朝の命で、家臣の太田道真・道灌親子が川越城を築きました。天正18年(1590)の徳川家康の関東入りで、ここに川越藩が置かれ、幕末まで続きました。

 

川越は、江戸の北の守りでした。豊富な物資の供給地として重要だったため、幕府は有力な大名を配置しました。そのひとり、松平信綱は、新河岸川を利用した「舟運」(しゅううん)を起こし、夕方に船を出せば、次の日の昼には江戸の日本橋に到着する水路を拓きました。江戸との物流を確立、商人の町としても発達させました。

 

 

 

江戸時代の終わり、寛政年間に焼イモが江戸で大流行すると、新河岸川や入間川の舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ、味の良さで持てはやされ、川越は、「イモの町」だけでなく、「江戸の台所」として繁栄しました。焼き芋は江戸庶民のスナックとして大人気となり、たちまち焼き芋屋のない町はなくなり、焼き芋屋用のさつまいもの産地が必要になりました。川越芋と伊賀のへこきまんじゅう、どちらがおならがでるのでしょうか。失礼しました。

 

舟運の発達で、川越は、江戸との交流が深まり、地の利を活かして、色・形・味を備えた川越のさつまいもはどんどん質が向上していったのです。

 

この日、私は、屋台で揚げて砂糖をつけたサツマ・スティックとレストランでさつま芋の炊き込みご飯をおいしく食べました。目が良くなった今、確かな視力でもう一度よく見ておきたいと、城下町再訪の強い願望がこみ上げてきました。



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