北村元
25/06/13
静岡県伊豆の河津桜は、一月下旬から二月にかけて開花する早咲き桜だが、今年は、寒さのゆえにほぼ一ヵ月遅れて咲き始めたと聞いた。色は蕾の時は濃紅色だが、満開時は淡紅色になる。花弁は五枚の円形で無毛である。樹皮は紫褐色で光沢があって好きだ。ソメイヨシノよりも桃色が濃いし、花期が一ヵ月と長いのも良い。
河津桜の原木は、河津町田中の飯田勝美氏(故人)さんという方が一九五五年の二月に河津川沿いの冬枯れの雑草の中で芽吹いている桜の苗を見つけて以来、すでに六十年近くなる。
私たちには、八百本植わっているという河津川土手で忘れ得ぬ思い出がある。ある年、ライトアップされた河津川土手の桜を見ながら歩いていた。寒い夜で人通りはほとんどなかった。向こうから毛糸の帽子をかぶった自転車のご婦人が来た。声をかけて、地理を聞いた。その時、オーストラリアから来たことを話した。そのご婦人は、「ちょっと待って」と言って、自転車で走り去り、四~五分もしたろうか、戻っていらした。
「寒いでしょうから、これどうぞ!」と包みを私たちの手に押し込んだ。温かい感触が伝わってきた。包みの中に、たい焼きが入っていた。そのご婦人の心の温もりそのままのたい焼きを食べながら、桜の夜景を見て歩いた。以来、今も、このご婦人と文通は続いている。
実は、この河津桜は、台湾に運ばれていることを、つい最近知った。花蓮市、新竹市などで合計千本ほどの河津桜が植わっているという。コツコツと日本から運び、コツコツと接木で増やしている人々がいたのだ。
蓬莱の地に 根を張りし大和櫻
台日友好 絆はかた志
蔡 焜燦さんという方が詠んだ見事な歌の碑が花蓮市にあるという。東日本大震災の時には、台湾からケタ違いの寄付金が寄せられた。その暖かいお気持ちを忘れてはならないが、せめてものお礼に河津桜が台湾各地で最大に咲き誇ってほしいと願うばかりだ。在原業平は、
世の中に たえてさくらのなかりせば
春の心は のどけからまし
と、散り急ぐ桜などないほうが…と謳ったが、いつのころからか、桜は人の死の無常観と結びつけられた。染井吉野の花期の短さゆえなのか。それはやがて、軍国の花となり、靖国の花となってしまった。
桜は本来、死の花ではない。梶井基次郎が『桜の樹の下には』で、「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いたが、それは桜花に、死からの転生の生の輝きとみたのである。桜は生の花であり、友好の花、人を浮かれさせる花なのだ。
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