オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

雲のじゅうたんのご婦人

北村元

25/06/13




 
















南風、低温…すでに冬の顔をみせる三月二十四日の朝、カウラ飛行場には、次々と小型機が飛来してきた。私もかつて操縦していたセスナ機は優秀な飛行機だが、カメラの対象はやはり複葉機だ。


 


複葉機は、揚力を得るために主翼としての固定翼が二枚以上あるのだ。揚力は速度の二乗、密度、翼面積に比例するが、初期の飛行機はエンジン・パワーがなく速度が遅いので、機体を飛ばすのに必要な揚力を得るには翼面積を大きくする必要があった。


 


しかし、複葉翼は上下の翼の間を流れる空気に干渉が起こるため単純に翼二枚分の揚力は発生しないうえ、上下の翼をつなぐワイヤーの抵抗が想像以上に大きく、効率が悪かった。ライト兄弟だって複葉機以上の設計はできなかった。


 


それはともかく、着陸したばかりの複葉機のうちの一機の操縦席にご婦人が座っているのを、家内が教えてくれた。この日女性が操縦して来たのは、この一機だけだったようだ。爽やかな笑顔の鴛鴦(おしどり)パイロット。完全防備のジャンパーが、上空の温度を示していた。


 


一九〇三年のライト兄弟による世界初飛行以来、多くの女性が空へ重要な貢献を果たしてきた。


女性として初めて飛行機を設計・建造した(一九〇六年)のは、リリアン・トッドさん(米)だったし、一九〇八年には、フランスのテレーズ・ペルティエさん(仏)が女性として初めて乗客となり、同年に操縦した記録があるという。一九一〇年に女性として初の単独飛行したのは、ブランシェ・スチュアート・スコットさん(米)だ。


 


日本も負けてはいない。日本で最初に航空操縦士免許を取得した女性は、兵頭 精(ひょうどう ただし)さんだ。字からすると男性っぽい名前だが、彼女は一八九九年四月六日生まれで、今年で生誕百十三年になる。


愛媛県北宇和郡の出身で、松山市の高等女学校を卒業後、姉の援助で千葉県津田沼の伊藤音次郎飛行学校で操縦を学んだ。一九二二年(大正十一年)三月二十一日、三等飛行機操縦士免状を取得した。


命がけで挑戦した彼女は、女性飛行家第一号になった。免許取得直後の同年六月、帝国飛行協会主催の飛行競技に参加したが、女性パイロット一号ということでスキャンダル記事の対象になり、その名はある日、忽然と航空界から消え、歴史の中に埋もれた―。 地上で、彼女の足をひっぱった醜い奴がいたのだ。


 




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