オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」

秋に物想う

北村元

25/06/13




 














「秋風やむしりたがりし赤い花」  一茶


「啄木鳥(きつつき)や落葉をいそぐ牧の木々」  秋桜子


「桐一葉日当りながら落ちにけり」  虚子


 


ニュージーランド南島のマウントクックの麓に近いところの湖畔で撮った風景である。この写真を見て、右のどの句が一番近いだろうか。あえて言うなら、桐の木はなかったが、最後の句かもしれない。ニュージーランドの秋は明るかった。


日本の秋も、色づいたモミジやイチョウやサクラの葉に代表され、いろどり豊かで明るい。たなびくたき火の煙。伸びた稲の二番穂の薄緑の輝き。たわわに実った柿。静かな秋の日差しの中に、生活色のポイントがある。


 


ヨーロッパの秋は、ミレーの落ち穂拾いのような、地平線まで起伏して続く麦畑のイメージと、深い森に蕭々と降る雨のイメージが重なり少々暗い。


 


秋は、最終段階に向かう人生によく例えられる。定年を迎え、もはや新しい開墾はできないかもしれないけれど、長い人生をかけて耕してきた畑の収穫を、のんびり味わい、楽しむ。日本の秋のイメージに重ねると、今まではそうなっていたはずなのだ。


 


しかし、今や、日本では一年中、秋風が、いや経済的な野分が吹き荒れている。ヨーロッパ的秋の暗いイメージが、日本に重なり始めた。迫り来る老いを自覚し、未来に閉塞感を感じるようになり、日々が惰性で流れていき始める。つまり、人生にアクセルが効かなくなってくる。隠居して余生を楽しむなどという言葉はとっくに死語になり、若いころから働きつづけた、その余力で残る人生を乗り切るなんてことも困難な時代に入った。


 


今から見れば格段に豊かだった団塊の世代の親の年金を、団塊の世代の掛け金がまかなってきたのだ。団塊の世代は、戦争という悲劇にこそ遭わなかったが、泣き面に蜂なのだ。支えるだけ支えて、いざ支えられる身になってみると、支えてくれるはずの世代の絶対量が不足し、頼みの若い世代にも閉塞感が強く覆っている。


 


老いの身をなおも削って生きねばならない、そんな時代が来てしまった。日本では、老いの身でなくとも、毎日どこかで飛び込み自殺があり、電車が遅延している。


 


その意味で、人生の秋は、青春のやり直しでもある。希望さえ失なわなければなんとかなる。力まず、リラックスして、ひとつの目標を気長に楽しく追いかけていく。自分のためのみならず、他人のために。天来の師たちは、「秋は本物をつかむ季節だ」と言ってくれた。


団塊の世代の直前に生まれた私もまた、そんな希望を胸に強く抱いた夢追い人のひとりになっていくことを心に誓っている。ニュージーランドのような明るい秋を見ると、心のエンジンが起動するのである。




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