北村元
26/06/13
「秋」という字には、火がついている。昔昔の大昔、秋という字は、左上は、禾(のぎへん)。右側に「亀」という字。左下に「火」と、3つの部分から成り立っていたという。
秋になり穀物が実ってくると、それを食べようとする虫が発生する。その被害を少しでも抑えるためにいなご等の虫を火で焼き殺し豊作を祈る儀式をしたので、この文字になったのではないかと、日本の漢文学者・古代漢字学で著名な文学博士の白川静先生は考察する。後に「亀」の部分が省略され、禾(のぎへん)と火だけで「秋」と表現するようになった。
ある日曜日の朝、ニュージーランド南島のクインズタウンを出て、大好きなアロータウンに車を向けた。秋の真っただ中のアロータウン。高みから観ようと、つづら折れを上りきろうとしたときに、きれいな秋いろが眼下に広がった。しばし、目は見事なパッチワークに吸いつけられた。なんと美しい裾模様であり、錦織で あろうか。自然は、どうしてこんな見事な色合いをつけることができるのか。
紅葉や黄葉が進む条件は、一日の最低気温八度以下の日が続くと色づき始め、さらに五度以下になると一気に進むという。寒暖の差が大きいだけでは、美しい紅葉は生まれない。「昼夜の寒暖の差が大きい」「日照時間が長い」などが必要で、なかんずく、太陽の存在は欠かせない。
真っ先に思いついたのは、こんなところに、震災で苦労されている東北の方をご案内してあげたい…。すべてを失った心の痛手が、癒えることはないかもしれない。し かし、一番苦労した人が一番幸せになるばかりでなく、誰よりも一番希望の光を送り届ける使命があるのではないか。「宮城 の景色はこすたなものではなかった。負げねーぞ。」という負けじ魂を声を聴きたい。
『振り返れば つらく悲しいことばかり 前を向けば はるか遠くに かすかに 希望がみえる 歩き続ければ 希望が はっきり見えるべや』(岩手県在住の中村博興さんの詩集 いのちの詩(うた)より)
ある東北人が言った。「人間が持つ底ぢからに震えるほどの感動を覚える」と。この明るい秋いろの中に…明日に向かって力強く歩める希望の種子、希望の火種が隠されているように思う。秋という字をそう解釈したい。「立ち尽くさず、太陽をうけて、赫々と燃えて歩き続ませんか」。秋から冬へ。そして冬は必ず春となる。
「ダイヤモンドの夜の光輝は、それをてらす炎のおかげ」と、英国の科学者ファラデーは『ロウソクの科学』に記した。燃える景色という炎に触れれば、苦しむ人の心をも光り輝かせることができる。
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