オーストラリア遊学生活 2002年 #1
「進路選択」
中学、高校時代と芸能界に憧れて、児童劇団とボイス・トレーニングに通っていました。高校2年の終わりに、音大進学を考えましたが、「本当に才能のある人は、音大で勉強しなくても、センスで音楽界を生き残っていける!」と思い、私はニューヨーク行きを考えました。語学学校に通いつつ、黒人トレーナーのもとでボイス・トレーニングを受けたいと思い情報誌を調べていました。当時のアメリカは1年の語学研修と宿泊代で550万円。長期的滞在を考え、カナダのトロントを選びました。アメリカのデトロイトに近いという理由で・・・。
ところが双子の相方に「カナダの冬は厳しいよ~ オーストラリアにすれば?」の二言でコロッとオーストラリア行きを決定してしまいました。海外で生活するなら、その国で一番大きな都市で生活したい、という理由でシドニーを選びました。高校卒業を3月初旬に控えた、1月中旬の決断でした。
「2002年3月23日 成田空港」
3月23日。18年間一緒に暮らした家族と別れる日、両親が成田空港まで見送りに来てくれました。私は双子で上に兄がいます。母が37歳の時に私達双子が産まれました。兄姉の中で私が一番母に溺愛されていて、空港では母の目は濡れていました。私も既にホームシック気味でしたが、空港で最後の親との晩餐時、母の「まさこちゃん、何か大変なことがあったら、すぐに連絡してね!お母さんすぐに飛んで行くから」にはあらためて母の愛情を感じました。
「ホーム・ステイ」
空港にはホーム・ステイ先のホスト・マザーのレイウィンと、彼女の友人が迎えに来て待っていてくれました。ママの第一印象はサッチー。怖そうな印象を受けました。レイウィンはニュージーランド人。ホストファーザーのネストーはイタリア人で、ふたりの息子さんがいます。彼らはもう家を出ていました。
初日の夕食時、緊張の糸がプツンと切れて、ホームシックで泣き出してしまいました。そのときレイウィンは「あなたは今日から私の息子よ!ここがあなたの家よ!辛いことがあったら何でも言いなさい!」と優しく抱きしめてくれました。
翌日、語学学校の入学式でしたが、朝、レイウィンとネストーはわざわざ語学学校まで連れて行ってくれました。また、毎日ランチを作ってくれ、部屋の掃除もやってくれ、週に3度新しいシーツに変えてくれていました、週末はいろいろな所に連れていってくれました。ママとパパはとても陽気でよく一緒に踊っていました。
いいことばかりではなく、私の我がままな性格が災いし、レイウィンを怒らせたり、たくさんケンカしました。途中から私の前にホーム・ステイをしていたケンジさんも加わり、更に賑やかな暮らしになりました。
レイウィンとネストーは料理が本当に上手で、毎日いろいろ料理してくれました。そのおかげで、私の舌はかなり肥え、グルメになり、わずか2ヶ月で10キロも太ってしまったのです・・・。
レイウィンとネストーの家では1年3ヶ月お世話になりました。今でもこんな私に愛想を尽かさず、暖かい目で見守ってくれ、家族ぐるみで連絡を取り合っています。