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うるせいオヤジの独り言


「世界の中の日本」 という意識

18/05/2018

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Oyaji2

 その250  「世界の中の日本」という意識

 

前回までニッポン滞在記を書いたが、旅行中からずっと気になっていたことがあった。それは前にも書いたように、わが祖国の本質は変わってはいず、いやそれ以上に未だに「鎖国」を続けているようで仕方がないのである。

 

実際には、町を歩いていると多くの外国人を目にする。もちろん観光客も多いのだが、入ってみたコンビニではどこもかしこも中国人の従業員であったし、有名商店街にどうしてこんなにというほど薬局、ケミスト、化粧品店が並んでいるが、そこもほとんどが中国人の従業員であった(胸に名札を付けているのでそれと分かる)。その訳は、中国から観光客が大挙押し寄せ、化粧品やら化粧道具やら小物を大量に買ったり、時には万引きしたりということがあるので、どうしても中国人の従業員を置いておかないとやっていけないということらしい。もちろん「研修制度」を使った低賃金労働者という面も大いにあるだろう。しかしおかげで「いらっしゃいませ」と「ありがとうございます」は絶対に聞かれなくなり、不貞腐れた仏頂面の店員ばかりである。もしそれがそのままスタンダードになっていったら、何が「おもてなしの国・日本」だということになるだろう。

 

NHKのニュースで、地方の中小都市では若年労働者が少なくなる一方で、そこへ外国人労働者を採用することが多くなったと報じていた。南西諸島の小さな島で、寿司職人のなりてがなく、ベトナム人の若者が、主人に教えられ一生懸命寿司を握っていた。本人にインタビューすると、大都市と比べて物価が安く、生活が楽で住みやすく、そのうえ人が親切であるという。もちろん日本語を研修する学校もあるのだが、それ以上に治安の良さ、温暖な気候、汚染が少ないことなどをあげ、ここにずっと住みたいと言っていた。なるほど、日本はべトナムと比べれば別天地だろうと思う。しかし我が国は基本的に外国人を排除する習慣が長く続いた。1615年、江戸幕府ができたての頃、もう既に鎖国政策に転じていたのである。例外は長崎の出島で、そこへは清国(当時の中国)と和蘭陀(オランダ)だけが寄港を許されていた。しかも清国人やオランダ人は町歩きすら自由にできず、特別の許可がなければ出歩けない有様であった。それほど外国人排斥の考えが深くなおかつ長く続いたのである。だから日本人は外国人を受けつけない体質になっていったのもやむを得ないことではある。

 

中国では最近、法律が変わって、国家主席の任期の制限がなくなった。これまで、文化大革命の悲惨な経験から、主席の任期は5年と定められていたのだが、これで習近平主席は好きなだけやれることになった。また一方ロシアでも、既に数年前にプーチンが法律を変えてこれも期限をなくしている。であるから我が国の隣には、北朝鮮をふくめて独裁国家が軒並み、という状態になっている。そしてこれらの国々は、ここのところ良きにつけ悪しきにつけ、とみにその存在を主張している感がある。よくよく観察すれば、彼らの主張の基本は、①自分たちは絶対に正しい、②(だから)既にある国際的な取り決めがどうであろうと自分たちのやり方を貫くのだ、③(なぜならば)自分たちは常に被害者あるいは先行者の下敷きにされてきた、④(だから)自分たちも同じように勝手にやるのだ、⑤それで何か文句あるか、ということになりそうである。現在、世界で共通認識されている、欧米を中心にしたスタンダードに反抗しようとしているように見える。それで思い出すのがISISである。彼らも欧米中心の世界規範を変えようと試みた。しかしその方法は「宗教」と「暴力」であった。だから誰からも支持されず、認められず(狂信的な、実行力のある、決心のできた極めて少数の者たちと、拉致され強制された少年たちは例外であるが)、テロを受けたすべての人々や国から寄ってたかって消滅させられた(実際は現在もまだ掃討中)。15世紀以来、連綿として築き上げてきたひとつの文明を破壊しようと試みるならば、それ相応の、代替となる「文明」を提示しなければならないだろう。さもなければ誰も納得はしないし、誰もそのあとに続こうともしないだろう。

 

「文明」という言葉を使ったが、それはあるひとつの技術を、あるいは普遍的な方法論を身につけて使えば、誰でも参加できる便利な生活スタイルのシステムと言って良いだろう。たとえて言えば「遊牧」である。700万年の人類の歴史で、常に喫緊な問題は「食べ物」であった。この700万年という長い期間、人間は常に飢えに悩まされてきた。もし今、食物が目の前にあっても、今度またいつ手に入るか分からない、というのは生存的な危機感そのものなのである。それが遊牧という、誰でも参加可能な手段を使えば、言ってみれば食物と共に暮らすことになり、飢えからは開放され、乳や皮革や羊毛も使え、生活が格段にレベルアップされるのである。これが「文明」である。あるいは「農耕」も同様であり「乗馬」もそうである。「西洋文明」というとき、我々は明治の日本で起こったことを想起せざるを得ない。江戸近郊の浦賀に、風の力によらない「自走する船」がやってきた。これを見た我々の先祖たちは驚いたであろうが、それを作りたい、自分でそれを動かしたい、という欲求を持ち、数年後にはそれを完成させているのである。鹿児島の島津、佐賀の鍋島、松山の伊達の殿様たちがそれだ。鎖国政策を採っていた江戸時代でも、長崎の出島経由で細い、まるで針で突いたような小さい穴から西洋文明が流れ込んでいたからできたのである。そして明治維新はほとんど「革命」であった。もちろんそれ以前に「血」がたくさん流れたが、維新後も別の意味での「血」がたくさん流れた。「西洋に追いつき追い越せ」がスローガンの革命であった。さもなければ当時の世界スタンダードである「帝国主義」あるいは「植民地主義」の犠牲にならざるを得ないからである。「弱肉強食」の世界であるから「食われないようにするには、食う側になる」しか選択肢がなかった。だから「文明受容」を行い、その技術、思想、システムそのものを身につける必要があったのである。そして日本人はそれを成し遂げた。このことは世界に誇っても良い事柄のひとつである。

 

しかし今の日本の現状を見てみよ。「平和ボケ」と言われて久しいが、こうもボケてしまうとまったくお話にならないではないか。「ボケ」の程度がかなり進んで、このオヤジに言わせると「鈍感」なのである。これはもう病気で、その病状はひどく進行しているのではないか。社会構造そのものが「寄り添う」「もたれあう」であり、聖徳太子以来の「和をもって尊し」なのだ。だから「自立・自律・自己責任」が育たなかったのだろう。「駆け込み乗車は危険ですから云々…」、「エスカレーターは黄色い線の内側に立って云々…」、1分でも遅れたら「誠に申し訳ありません云々…」である。それもこれも実際に事故が起きたとき「管理責任」云々で訴えることがあるからだと聞く。勝手に駆け込み乗車をし、不正なエスカレーターの乗り方をし、電車が遅れて、「どうしてくれる、金返せ、保証しろ」と怒鳴り込む輩がいるからなのである。そして、他のことには目もくれず「便利」「効率」「快適」「順調さ」を追い求めてきた。そしてそれをも成し遂げた。しかしそれは本当に日本国内だけでしか通用しない事柄なのである。決して世界のスタンダードではない。

 

アメリカの大学の留学生数は、一時は日本人がトップであったらしが、今では中国人、韓国人についで3番目らしい。世界の特許申請件数も、アメリカ、中国の次らしい。世界中の携帯電話シェアはアップルとサムスンに牛耳られ、PCの販売台数でも日本は遅れをとっている。「基礎研究の分野でトップを走っているから大丈夫」というかもしれないけれど、それもつかの間であろう。日本の中だけでしか通用しないスタンダードにどっぷりと漬かっているように見える。我が国の若人はもっと世界を見るべきである。世界のスタンダードがどんなものなのかを探求すべきである。そして日本のそれと摺り合わせて、日本独自のまったく新しい方法論を生み出すべきである。さもないと「少子高齢化」「財政」「教育」「政治と金」「官僚主義」などすべての問題が解決できず、日本は立ち枯れてしまうだろう。この先、のらりくらり、なんとなく生き残れるという状態ではなくなってくるだろう。明確なポリシー、はっきりとした戦略、不退転の実行力(と、こう書くとどこやらの政党のスローガンのように見える)が不可欠になる。言い換えれば「スマート」になれということである。世界の中の日本を意識せよ、これに尽きる。

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