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北村はじめの『ちょっと立ち読み』


いま、イギリスの ストーンヘンジがすっごく面白い!

いま、イギリスの ストーンヘンジがすっごく面白い!

04/05/2015

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はじめに

二〇一四年九月、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議のため、イギリスを訪問したオバマ米大統領は、会議終了後の9月5日、南部ソールズベリーにある世界遺産の巨石遺跡群「ストーンヘンジ」を訪れました。なんでも、オバマ大統領のストーンヘンジ訪問は、「バケットリスト(棺桶に入るまでにやっておきたいことのリスト)」の項目の一つだったとか。実は、ストーンヘンジは、墓場の役目を果たしていたのです。




(AP Photo/Charles Dharapak)

 

 

 

 ストーンヘンジ①

 

ストーンヘンジは、ロンドンから西に約二百キロメートルのソールズベリー平原に立つ環状列石(ストーンサークル)のこと。現在のイギリス人、アングロ・サクソンがブリテン島に移住したときにはすでに存在していました。


多くの人に知られていながら、その正体が未だに分らない先史時代の遺跡。魔術師マーリンが巨人を使って作らせたとか、マーリンがアイルランドのキララウス山から魔法で運んできたなどという伝説時代、太陽との位置関係から古代人の天文観測所説、太陽崇拝の神殿説など推測だけの時代は、どうやら払拭されつつあります。


「ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト」は、ナショナルジオグラフィック協会の支援により二〇〇三年から二〇〇八年の五年間に渡って段階的に行われた発掘調査のことです。シェフィールド大学のマイク・パーカー・ピアソン教授(現ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ教授)をはじめとする六人の専門家が指揮するイギリス各大学の合同チームが手がけ、発掘範囲はストーンヘンジ一帯の大がかりなプロジェクトでした。


「ヘンジ」とは、内側に溝を掘った円形の土塁のこと。土塁の外側に溝が掘られているストーンヘンジは、厳密な意味での「ヘンジ」ではないそうです。


 
 

  ストーンヘンジ②

 

この巨石建造物は、一体誰が、何のために作ったのか、これまでに多くの考古学者が謎に取り組んできました。近年、この周辺を含めた大規模な発掘プロジェクトが行われ、この遺跡の謎が少しずつ解き明かされてきました。


その発掘で、ストーンヘンジに埋められていた人骨などの科学鑑定と、二〇〇八年四月の発掘調査で行われた、ストーンヘンジの石の周囲に残っている支柱用とみられる穴のひとつを分析した結果、ストーンヘンジの建設は紀元前三〇〇〇年ごろであることが分かりました。これまでの定説よりも、さらに五百年歴史が古くなりました。エジプトやメソポタミアで巨大な文明が築かれたのと同じ頃の建造だったのです。


実は、今私たちが見る数々の巨石は第二期の建造でできたものです。第一期建造時には、今の巨石はなかったことがわかりました。直径一メートルの竪穴がもっと広い円環状に五十六個見つかっています。そこに小型の石が立てられていたというのです(右下平面図の赤い点)。それがストーンヘンジの原形です。小さいと言っても、一個三トンほどあったそうです。


今見る巨石はサーセン・ストーンといい、三十二キロメートル離れた採石場から運んできたものです。合計で二千トンほどの石が使われました。ストーンヘンジは、巨大な門の形の三個の石が組み合わさったトリリトンと呼ばれる組石が五組あり、高さは七メートルで、馬蹄形に配置されています。これらを中心とし、四メートルから五メートルの立石が三十個、直径約百メートルの円形に配置されていますので、わずか三十二キロメートル先から運んだといっても、重さ、量ともに半端ではありません。


石器時代から考えれば、大変高度な技術が用いられ、石の倒壊を防ぐために石と石の間には凹凸ができているのも驚きです。


ストーンヘンジを作るために何が使われたのかは、まだ解明されていません。丸太を複数並べて作った木製のローラーや油を引いて滑りやすくした木製のレールの上に巨大な木製のそりを滑らせたということが考えられていますが、これも推測です。

 

▲ストーンヘンジ平面図

 

 
 

  ストーンヘンジ③


では、今はなくなった五十六本の石柱はどこから運んできたのでしょうか。この石柱はブルーストーンといい、イギリスでは、西ウェールズのプレセリ山地にしかありません。幸い、砕石したまま運ばれなかった当時の石が発見されて、切り出し地が完全に証明されました。このプレセリ山地は、ストーンヘンジから二百六十キロも離れている西ウェールズにあります。当時の人たちにとっては、よっぽど特殊な石だったのでしょう。


ストーンヘンジを建造するために必要な技術仕様には多くの憶測が混じるのは当然です。ブルーストーンが、ウェールズから人の手で運ばれたとしても、丸太と縄だけでそれらを運ぶさまざまな手段が提起されました。二〇〇一年に、大きな石を陸と海を使ってウェールズからストーンヘンジまで運ぶという実験考古学の実証が行われました。陸では志願者が木製のそりを引きましたが、ひとたび先史時代のものを再現した船に載せたとき、石はブリストル海峡の荒れた海に沈んだそうです。輸送方法はまだまだ闇の中です。


ストーンヘンジを建造するのに必要な推定労働力は、延べ数百万人時(人時は一人が一時間に為す仕事量のこと)だそうです。もう見ることのできない第一期のストーンヘンジは、恐らく一時間あたり約一万一千人時、今見る第二期のストーンヘンジは三十六万人時と推定されるそうです。確かに、当時の人々にはこのような建造物を作り上げようという意志は強かったには違いありませんが、建設し維持するためには、相当進んだ社会組織なしでは成し遂げられなかったことも確かでしょう。ピアソン教授が、「石器時代の人は、強い意思さえあれば山をも動かせることを証明した」とテレビで語っていましたが、分かるような気がします。不可能に近い試練を乗り越え、大海原よりも、大空よりも大きい、人間の心の荘厳な力を、先史の人々は示し切ったと思うのです。

 
 

 

  ブルーヘンジ

 

「ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクト」で、新たな事実が数多く発見されています。


最も興味深いのは、ストーンヘンジから一・六キロメートルほど南東のエイヴォン川西岸で二〇〇九年十月に見つかったミニストーンヘンジ。直径十メートルの小さなサークルですが、二十五個と推定される列石はすべてブルーストーンから成っていたそうで、ブルーヘンジと名付けられました。発掘を担当したピアソン教授によれば、ブルーストーンは数千年前には取り除かれ、エイヴォン川からストーンヘンジに至るアヴェニューと呼ばれる道路を示す立石にされたと 推測しています。


一九六四年以来となる大規模な発掘調査が二〇〇八年四月に二週間に渡って行われた結果、発掘に加わった科学者たちは、ストーンヘンジのブルーストーンが癒しの石としてあがめられていた可能性を示しました。

そして同様に、ボーンマス大学の考古学者たちもまた、ストーンヘンジの遺跡が、石に癒し効果があると信じた人々が訪れる巡礼の地であったという説を公表しています。主な根拠として挙げられたのは、ストーンヘンジ周辺に埋葬された遺体の多くに外傷や奇形の兆候が見られたことです。


一つの仮説が浮き上がってきます。

 

太古の昔、人々にとって石は神とスピリットを宿す神聖で神秘的な存在でした。固定観念を捨て、ブルーストーンが癒しに用いられていたと認めることができれば、その土地自体が癒し効果を高める力が秘められたパワースポットだったからこそ、遙か彼方の西ウェールズのプレセリ山地から石を運び、ストーンヘンジを作ったのだと考えるのは容易なことです。

ストーンヘンジ・リヴァーサイド・プロジェクトで、ブルーヘンジが発見されたのは、その裏付けになる仮説です。

 

 

  ウッドヘンジ

 

ウッドヘンジは、ストーンヘンジより北東約三・二キロメートルにある新石器時代の木柱サークル(環状木柱列)の遺跡です。航空考古学調査の後、一九二五年に確認されました。考古学者モード・カニングトンが、一九二六年から一九二九年にかけて発掘したものです。

木造構造物の構築はおそらく、ストーンヘンジにおけるストーンサークルの構築よりわずかに後と思われます。

木の柱だけで構成されていることから名付けられたウッドヘンジ(一九二五年に発見)は北東に隣接していますが、ここでストーンヘンジと同じ石柱に建て替えられていた穴が発見され、さらにその石柱がストーンヘンジに組み込まれた可能性が明らかになっています。

イギリス各大学の共同チームはストーンヘンジとその周辺を発掘調査し、新たな発見をしました。ストーンヘンジの地中にはたくさんの人骨が埋まっていることが分ったのです。考古学者のピアソン教授は、ストーンヘンジは最大の埋葬地であり、死者や祖先を弔う神聖な場だったと推測しました。さきほど説明したウッドヘンジにはストーンヘンジそっくりの形に木の柱が組まれていたというのです。ストーンヘンジとウッドヘンジは対になった重要な施設であり、古代人の生と死に対する考え方が石と木に表されていると、教授は言います。


不気味な話があります。この輪の中央には、カニングトンが奉納の生贄と判断した、身を屈めた子供が埋葬されていたのです。しかし、発掘の後にその遺体は、ザ・ブリッツと言われるロンドン大空襲(註:第二次世界大戦中にナチス・ドイツがイギリスに対して一九四〇年九月七日から一九四一年五月十日まで行った大規模な空襲のこと)の間にロンドンで行方不明となり、再調査はできないままです。考古学上の損失です。カニングトンは同様に、ウッドヘンジの入口の向かいとなる溝の東部分を掘った墓穴から、屈んだ十代の埋葬者も発見しています。

 

 ▲ウッドヘンジ全景

 

 
 

 ダーリントン・ウォールズの発見

 

「ストーンヘンジ・リバーサイド・プロジェクト」で特に力を入れたのが、直径約四百五十メートルもある巨大なヘンジ、ダーリントン・ウォールズの調査です。


ウッドヘンジの発見から四十余年の後、同じ規模の別の木柱サークルが一九六六年に発見されました。ウッドヘンジの北わずか七十メートルに位置するダーリントン・ウォールズです。


最大の収穫はストーンヘンジから約三・二キロメートル北東に位置するダーリトンウォールズ(直径四百五十メートルの巨大ヘンジ)で、二〇〇六年九月に見つかった新石器時代の集落跡です。イギリスでは最大の住居跡の発掘で、約三十棟の住居が識別されました。そこにはストーンヘンジの建造に携わった人たちが住んでいたとみられ、夏至や冬至など〝祝祭〟のときに集まる儀式の場としても使われていた可能性があります。 ダーリントン・ウォールズは、一八一二年には早くもその存在が知られ、一九六〇年代にも発掘が行われていました。巨大なヘンジの内側と周囲には、木造の環状構造物が三つあり、柱穴の跡が残っています。

 

 
 

広大な住居跡の発見

 

ダーリントン・ウォールズでは、ヘンジの土塁の内側から、見上げるように高く、溝と柵で囲われた二つの構造物が発掘されました。ヘンジ全体を監督する高官の住居か、宗教的な儀式の場だったと想像されています。ヘンジの外側にある土手からは、紀元前二六〇〇~紀元前二五〇〇年ごろのものと見られる七軒の小さな住居の跡が見つかりました。家の前からは、燧石(ひうちいし。硬質の堆積岩)を敷きつめた幅三十メートルの道がエイヴォン川まで延びています。


住居跡の一つ、床の中央には、楕円形の炉床が切られており、家の片側には、料理をした痕跡が残っているそうです。木製のベッドの跡など、五軒の家からは家具を使っていた証拠も見つかりました。さらに、地球物理学的な調査や試掘調査によって、炉床とみられる多数の痕跡がこの一帯から見つかりました。「住居の数は、三百軒はあったようだ」というのが、ピアソン教授の見方です。


石で造られたストーンヘンジと木で造られたダーリントン・ウォールズの関係をピアソン教授はこう考えます。
「肉体が死んだ後に残る硬い骨と死者を永遠に忍ぶ思いを石が象徴し、反対に、時間の経過とともに朽ちていく木は、はかない命を表している。硬い石は祖先と男性を、軟らかい木は女性と赤ん坊を象徴している…」と。


二つの遺跡からはそれぞれ、エイヴォン川へと続く「アベニュー」と呼ばれる道が延びていますが、ダーリントン・ウォールズのアベニューの長さはわずか百六十七メートル。これに対し、ストーンヘンジの方は三キロメートル近くもあり、両側に溝と土手を配したアベニューは、祖先をまつる宗教的な儀式の行列にふさわしかったのでしょうか。


ピアソン教授は、ストーンヘンジとダーリントン・ウォールズの対照性にも目を向けました。

「ストーンヘンジの石は、夏至の日の出と冬至の日没の方向に合わせて配列。ダーリントン・ウォールズの南方円は、冬至の日の出の方向と一致。また、ストーンヘンジでは土器類がわずかに見つかっているだけ。一方、ダーリントン・ウォールズでは土器のほか、人々が食べたとみられるブタなどの動物の骨が大量に出土。ストーンヘンジには六十三体の火葬人骨をはじめ、二百四十人の遺骨が埋葬されていた。ダーリントン・ウォールズでは人骨はほとんど出土していない」


ピアソン教授の新説に従えば、ストーンヘンジは亡くなった祖先をまつる場所、ダーリントンは生者のための場所になります。ほとんどの死者は火葬に付され、灰は川に流されたというのですが、身分の高い者だけ、死後ストーンヘンジにまつられたと推測しています。

 

 

 

 

おしまいに

 

ストーンヘンジは独立した建造物と思われていました。ところが、四年に及ぶ調査で、ストーンヘンジの周囲十二平方キロメートルを地下三メートルの深さまで三次元レーザースキャナーなど高解像度でスキャンしたところ、六千年前の建造物群で木や石でできた十七の隣接する神殿と、数十に及ぶ埋葬塚が発見されたのです。(二〇一四年九月十日発表)
 

そして、さらにです。イギリスの北の果て、スコットランドの海に浮かぶオークニー諸島で、イギリス先史時代に関する通説を根底から覆す発見が起きました。肥沃で緑豊かな島々に残された約五千年前の巨大な石の建造物群が新発見され、ストーンヘンジの原点かとも言われる古い巨石文明の謎を追う研究が続けられています。この遺跡は、ギリシャのアクロポリスなど地中海の古代遺跡に迫る規模で、しかもそれより約二五〇〇年も前に造られた遺跡です。
 

イギリスはいま、先史時代の歴史を書き換えるホット・スポットになりましたが、もうひとつ、三月十七日に出てきたのが、有名ギャラリーや美術館の館長を多々歴任したジュリアン・スポルディング氏が英紙「ガーディアン」とのインタビューでぶちあげた「竹馬競技場」説です。ストーンヘンジは木製のプラットホームを支えるための基礎で、そこは竹馬愛好家のメッカであった可能性が高いとの持論を展開しました。

私が、BBC放送に勤務していた時代には、これほどまでの多彩な情報はなかったのです。さらに新説が飛び出してくるんでしょうか。

 

 

 

【主な参考文献】

1)ナショナル ジオグラフィック2014年8月号
2)DVD 新説 ストーンヘンジ DVD-ROM – 2008/7/9 ナショナル ジオグラフィック (編集)
3)R.J.C. アトキンソン 『ストーンヘンジ』 中央公論社 1986年 ISBN 4-12-201322-4
4)ストーンヘンジの謎は解かれた (新潮選書)– 1983/3 G・S・ホーキンズ (著), 竹内 均 (翻訳)
5)ストーンヘンジ―天文学と考古学– 1983/1  フレッド・ホイル (著), 荒井 喬 (翻訳)
6)Jump up to:a b c d e Kennedy, Maev (9 March 2013). "Stonehenge may have been burial site for Stone Age elite, say archaeologists". The Guardian (London: © 2013 Guardian News and Media Limited). Retrieved 11 March 2013.
7)Jump up to:a b c d e f Legge, James (9 March 2012)."Stonehenge: new study suggests landmark started life as a graveyard for the 'prehistoric elite'". The Independent (London). Retrieved 11 March 2013.
8)Jump up to:a b "Stonehenge builders travelled from far, say researchers".BBC News. 9 March 2013. Retrieved 11 March 2013.

 

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