オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
娯楽記事

北村はじめの『ちょっと立ち読み』


北村はじめのちょっと立ち読み第二部⑬

一九七四年のノーベル賞受賞から漏れた悲劇のヒロイン

15/01/2019

このエントリーをはてなブックマークに追加

%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%89 8

今回は、革新的な業績を残したにも関わらず、不当な扱いを受けた一人の女性天文学者を紹介したい。ジョスリン・ベル・バーネル(以下、いくつかの例外を除いて、ジョスリン・ベルと表記)という名前をご存知だろうか。
一九四三年、北アイルランドに生まれた彼女は、イギリスのケンブリッジ大学大学院で、電波天文学を学んでいた。その一九六七年にパルサーを発見した。初めて、「電波信号源が遠い宇宙空間にあるパルサー」を四個も発見したイギリスの天文学者だ。
パルサーとは、超新星爆発を起こした大質量星の残骸である。パルサーの存在により、超新星爆発で恒星がすべて吹き飛ぶのではなく、高速回転する高密度の小さな中性子星が残ることが明らかとなった。 この業績に対して、一九七四年にノーベル物理学賞が与えられた。しかし、受賞者はジョスリン・ベルの指導教官アントニー・ヒューイッシュと、ケンブリッジ大学の電波天文学者マーティン・ライルだけだった。

宇宙の灯台・パルサー発見

一時は科学史から消された女性研究者たちの一人となったジョスリン・ベル。彼女は、「三メートル弱の木の杭を千本ほど大地に打ち込み、アンテナとする支柱間に銅線を張りめぐらし、それらを導線ケーブルでつなぎました。銅線が長いほど電波を捕獲する感度が上がるので、銅線は全部で百九十メートルは使いました」と述べている。実際、彼女は、ヒューイッシュ教授と電波望遠鏡を組み立てたものの、同教授はパルサーの発見者ではなかった。出来上がった電波望遠鏡から毎日吐き出されてくる、長い記録用紙を根気よく解析し、ついに新しい電波パルス=パルサーに出会ったのは、ジョスリン・ベルであった。

当時は、パルサーの存在がまったく予想されていなかったので、観測された電波信号が地球上の人間活動に起源をもつものと広く思われていた。指導教官のヒューイッシュ教授ですら、その電波源が人間活動に由来すると考えていた。

当時ケンブリッジ大学で博士号を取得した大学院学生だったジョスリン・ベルは、新設のマラード電波天文台で、幾重にも連なるデータの中から取捨選択を迫られながらかすかに繰り返す反復信号に目を付けた。

パルサーは、規則正しく繰り返す電波パルスを放出する天体である。そこからパルサーと名付けられた。一九六七年、彼女の発見以来、現在までに二〇〇〇個ほどが観測されている。パルス周期から読み取れる回転はあまりにも速く、普通の星なら遠心力で飛び散ってしまうほどと考えられる。この遠心力破壊を免れ得るほどの重力の強い星が、中性子星だけである。

ノーベル賞は、発見者以外の手に

アントニー・ヒューイッシュ教授は、最初は人工電波の干渉だとして彼女の理論を退けたが、最終的に、ジョスリン・ベルは、意外なパルスが星から出ていることを指導教官や科学界に納得させた。この一大発見は天体物理学の世界に激震を送った。太陽系外の惑星を探索するための「銀河測位システム」の基礎構築も大いに進んだ。

この時に、五人の研究者の共著で論文が提出され、同教授の名前の次にジョスリン・ベルの名前が記されたが、一九七四年にノーベル賞物理学賞受賞決定では「パルサーの発見で決定的役割」を認められながら、ジョスリン・ベル・バーネルは受賞者から外され、受賞したのは指導教官である同教授だった。

パルサーを発見したジョスリン・ベルが共同受賞者とならなかったことで、当時も大きな議論を巻き起こした。特に、同教授の同僚であった天文物理学者フレッド・ホイル教授(2001年逝去。ケンブリッジ大学教授。「ビッグバン宇宙論」の名付け親。元素合成の理論の発展に大きな貢献をした)は、大きな非難の声をあげた。「ジョスリン・ベルは、電波信号源が遠い宇宙空間にある、という認識に到達していたのは間違いない。彼女をもっと評価すべきだ」とロンドンタイムスに投稿した。しかし、当のジョスリン・ベルは当時、不満の声を挙げなかったという。

ジョスリン・ベルが受けたこうした女性差別や不遇に対して、彼女の考え方は、「(差別や不遇への)批判は正しいかもしれないが、女性が身を持ってそれを乗り越えない限り、現状を甘んじて受け入れるしかない」というものだった。だから、ヒューイッシュ教授のノーベル賞受賞も、彼女自身は順当と思っていたようだ。

拾う神あり

一九六七年にパルサーの発見で天体物理学の常識を大きく変えたにもかかわらず、一九七四年にノーベル物理学賞授与では、蓋を開けてみれば、彼女の功績は男性のものとされた。こういうジョスリン・ベルの物語は、学術界では珍しい事件ではない。

しかし、発見から半世紀、一大悲劇を経験したジョスリン・ベル・バーネル氏に大きな女神が微笑み、今年二〇一八年十一月に、約三億三千万円という世界最大の科学賞を受賞した。当時のノーベル賞の三倍に相当する。彼女の苦い経験は、これまで見落とされてきた多くの女性科学者が得られなかったハッピー・エンドに結実した。

彼女の栄誉を称えた『ブレークスルー賞』は優れた科学の功績に対して贈られるもので、現在、世界最新の最も賞金の高い科学賞だ。創設者には、グーグルの創設者・セルゲイ・ブリンと妻のアン・ウォジツキ(Anne Wojcicki)、マーク・ザッカーバーグらが名を連ね、二〇一二年に創設した。

ブレークスルー賞選考委員会エドワード・ウィッテン委員長は、声明で、発見の意義をこう強調している。
「ジョスリン・ベル・バーネルによるパルサーの発見は、天文学の歴史の偉大な驚異の一つとしていつまでも輝き続けるだろう。たとえ中性子星が存在していても、発見の瞬間まで、どうすれば中性子星を観察できるか、誰もわかっていなかった。これらの物体を観察するため、信じられないほど精密な方法を駆使したことが判明した。それが後に多くの進歩をもたらした」

インタビューに滲む人柄

(出典:サイエンス・ニュース)

サイエンス・ニュースのインタビューから、彼女の人柄が出ているところを抜粋してみよう。

SN:最初のシグナルを、リトル・グリーン・マンを意味するLGM-1と名付けた。エイリアンからのものであるかもしれないと本当に思ったのか?

J・B・B:それはちょっと冗談がすぎました。今はむしろ、後悔しています。私たちは電波を綿密に調べました。指導教官のヒューイッシュ教授はこう主張しました。「それが宇宙人であるならば、たぶん太陽を周回している惑星であろう。ならば惑星の動きにつれて、ドップラー効果が見られるはずだ。(註:波(音波や電磁波など)の発生源(音源・光源など)と観測者との相対的な速度の存在によって、波の周波数が異なって観測される現象)。その惑星の動きにつれて、パルスの間隔は変化するはずだ」と。私たちはそれを探しましたが、そのような動きは見つかりませんでした。

SN:それ以来、パルサーから学んだものは何か?

J・B・B:パルサーは、激しい爆発が起きてその星の生命を終えた後に残った星の残骸です。それらの大きさは幅約十マイルくらいしかありませんが、太陽と同じ重量があります。非常に小さいですが、非常に重い特別な構成になっています。 私たちは、パルサーを使って、アインシュタイン理論の一部をテストしました。アインシュタイン理論は、あらゆる批評・批判などに耐えて今でも価値を維持しています。それは興味深いことです。(SN:2/3/18、ページ7)。

SN:女性天文学を目指したことで、若い時に何を知っておけばよかったと思うか?

J・B・B:私が人々から聞いた話とは違っていました。もっと周りに多くの女性がいると思っていました。ケンブリッジ大にはほとんど女性がいなく、私が他の女性とめったに一緒になる機会はありませんでした。私はそういう機会を持ちたかったのです。

SN:少数派にいたことがパルサー発見に寄与したのか?

J・B・B:はい、そう思います。私は、ケンブリッジでインポスター症候群(参照:資料1)に苦しんでいました。当時は、まだそういう名前の病名はありませんでしたが。ケンブリッジはイギリスの南東部にあり、非常に信頼のある、洗練された社会です。アクセントからお分かりのように、私はイングランド南東部の出身ではありません。イギリスの北西部の出身です。
私は地理的にとても場違いな出身であり、場違いな女性でした。南東部の人はすべてがものすごく頭のいい人達でした。私はそんなに利口ではありません。大学は私を選択するという間違いを犯しましたので、いずれ私は放り出されるだろうと、思いました。
でも、私はこの機会を無駄にしたくないと、自分に言い聞かせました。大学が私を放り出すまで、私は猛勉強しようと。そうすれば、私が放りだされても、悔いを残さないですみます。たくさんの人が、私が追跡していた小さな変則を見落としていたと思います。
インポスター症候群だからこそ注意深く、徹底した作業を行ったのです。パルサーの発見は、私がマイノリティの博士号学生だったからできたことです。(最後の発言は、BBCのインタビューより)

【資料1】インポスター症候群
何かを達成しても、成功は自分の力によるものだとは考えられず、ただ運がよかっただけだと思い込む、自己評価が異常に低い心理状態のこと。インポスターは、「詐欺師症候群」とも呼ばれる。自分の達成を内面的に肯定できず、自分は詐欺師であると感じる傾向であり、一般的には、社会的に成功した人たちの中に多く見られる。

SN:一九七四年のノーベル賞受賞から外れたことをどのように感じていますか?

J・B・B:当時、科学に対する人々のイメージは、「年長の男性のもの」でした。それはいつも男性であり、より若い人々の集団が年長の男性のために働くというものです。そして、プロジェクトが成功すれば、その男性は賞賛を受ける。失敗すれば、その男性が非難を受ける。年長者の下で働いている若い人々は、プロジェクトから切り離されて考えられます。それが、研究を進めている時のパターンの一つのように、私には思われました。
私は、ノーベル賞というのは、依然としてかなり男性志向だと思っています。世界はいま、より包括的な方向に進んでいます。ノーベル賞のようなものは、ほとんど年長者の人々に贈られる傾向にあります。ですから、年長者が若くて活動的であった時代が、どのような社会であったかを反映するものでしょう。年長者が受賞することから大きく変っていくまで、ある程度の時間がかかります。

【資料2】
ノーベル賞受賞からはずされるという冷たい扱いを受けても、ベル・バーネルのキャリアは終わらなかった。彼女は、エディンバラの物理学研究所初代所長を拝命し、王立学院大英帝国二等勲爵士として叙勲された。そして、彼女は、アテネのSWAN計画の創設を手伝った。この計画は、学術分野か研究員のポジションのいずれかの科学・技術などの分野で働いている女性のキャリアを認めて後押しする機関だ。[出典:ガーディアン紙]

アテネ・スワンの創立に参画

彼女は、多様性な取り組みにも早くから関わり、「アテネSWAN」というイギリスのプロジェクトの創立に参画したシニア女性の一人だ。「大学を女性に友好的な場所にすることを促進する…。もし大学が女性に友好的ならば、大学はたぶん、女性だけではなく、誰にも公正になります」というのが、彼女の主張だ。

(Athena SWAN;Scientific Womenʼs Academic Network)の略で、学術機関における男女共同参画の推進度合いを格付けするイギリスのプロジェクト。

大学がアテネ・スワンによる審査を自主的に行い始めた理由の一つは、このプログラムの格付け取得が政府の研究助成金交付の要件になっていたことにある。リバプール大学では、二〇一三年にアテネ・スワンの銅賞を受けてから二〇一六年に銀賞を受けるまでの期間に、教授のポストに昇進する女性の割合が二十八%から五十%に増えた。

科学における男女共同参画に関して英国の大学を格付けするプログラムが、世界中に広がろうとしている。(出典:カコリ・マジュムダール 二〇一五年三月二十六日)

終わりに

女性科学者は、何世紀にもわたって研究のボランティア的存在にすぎなかった。彼女らの業績は夫や同僚・先輩の男性研究員の手柄となり、科学史から閉め出されてきた。そのような慣習は過去のものとなったと信じている人がいるが、彼女たちに対するあからさまな偏見は影を潜めたが、なくなったわけではない。

ジョスリン・ベル・バーネルの事件がなぜおきたのか。一つには、ケンブリッジ大学の指導教官の人生観が歪んでいた。若手の苦労の上に、自分の幸せを築いたこと。併せて、アカデミアとしてのケンブリッジ大学も指導教官を指導出来なかった。

二つ目に、ノーベル委員会も、事実を知りながら、男性に軍配をあげたこと。女性に対するジェンダー・バイアスという点で、ヨーロッパ社会が成熟していなかった、と言えるのではないか。

受賞歴

●マイケルソンメダル(フランクリン協会:一九七三年)
●オッペンハイマー記念賞(マイアミ大学:一九八七年)
●ベアトリス・ティンズリー賞(アメリカ天文学会:一九八七年)
●ハーシェル・メダル(王立天文学会:一九八九年)
●ジャンスキー賞(アメリカ電波天文学会:一九九五年)
●マイケル・ファラデー賞(王立協会:二〇一〇年)
●ロイヤル・メダル(王立協会:二〇一五年)
●基礎物理学賞特別賞(ブレイクスルー財団:二〇一八年)

主たる参考・引用文献:
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/7978/ 2018年11月号月1日アクセス
https://www.sciencenews.org/article/jocelyn-bell-burnell-physics-prize-pulsar-discovery-interview 2018年11月1日アクセス
https://www.theguardian.com/science/2018/sep/06/jocelyn-bell-burnell-british-astrophysicist-overlooked-by-nobels-3m-award-pulsars2018年11月10日アクセス
https://www.bbc.com/news/science-environment-45425872 2018年11月11日アクセス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AB 2018年11月15日アクセス

このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事

CATEGORY

北村はじめの『ちょっと立ち読み』

北村はじめのちょっと立ち読み第二部⑮ 北村はじめのちょっと立ち読み第二部⑭ 北村はじめのちょっと立ち読み第二部⑬ 世界の十字路 パナマ運河建設に貢献した唯一の日本人 青山士 トランプ・金正恩会談で 針は進むか、戻るか?! フランクリンは、ほんとうに凧を揚げたのか? もう一人の命のビザ発行者 卓袱台(ちゃぶだい)をひっくり返す言葉  ブロークンヒル 日本のウィスキーの父と母 元奴隷・元スパイ 豪州と日本に見るドイツ人捕虜 不毛の大地を潤した日本人水利技師 八田 與一 宇宙の銀河の数 学生三大駅伝三冠 箱根駅伝三連覇へ王手だ! キリシタンの夢を叶え続けた オバマ大統領の広島演説を読む ウズベキスタンの抑留日本兵のこの偉業! ロシア・バルチック艦隊発見 気高き 真白の 新年だ!御神酒あがらぬ神はなし 世界最長の郵便配達~QLDの空飛ぶ飛脚~ 鉄道王雨敬 ベルリンの壁 世界一 質素な大統領 いま、イギリスの ストーンヘンジがすっごく面白い! 台湾人日本軍兵士数百名を救った 「よお、備後屋、相変わらずバカか?」 日本の城物語(4/4回) 日本の城物語(3/4回) 日本の城物語(2/4回) 日本の城物語(1/4回) 2014年は「国際農家年」 2014年は「国際農家年」  おもしろ歴史散歩! 監獄の島 造船の島 故吉川利治教授からの聞き書き 2014年は「国際農家年」 江戸城に激震を起こした 絵島事件! 日米開戦阻止に 奔走した日本人がいた! 野口英世 この母ありて この息子あり 歴史の聞き書き ベトちゃん・ドクちゃん看護秘話 北村 はじめの『ちょっと立ち読み』 バレンタインデー雑学誌 ネッド・ケリーの前座を つとめた盗賊たち シンガポール血の粛清 陰で救った篠崎護 2013年は「国際水協力年」: アウトバック de 廃車復活戦 ルポ:彷徨える ベトナム軍退役兵士 東京大空襲から66年 ナナメ後ろから見た タスマニア物語 倫敦 ゴーストハンティング タイタニック沈没から100年(2012年) 戦争から平和へ ダンシングマン逝く

CATEGORY

娯楽記事

Side girl
Side 2

FOLLOW US

SNSで最新情報をゲット!

NEWSLETTER

メールで最新情報をゲット!

メールを登録する

COUPON

オトクなクーポンをゲット!

全てのクーポンを表示