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北村はじめの『ちょっと立ち読み』


北村はじめのちょっと立ち読み第二部⑭

昭和一代脱獄王 白鳥由栄(よしえ)

13/02/2019

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稀有の脱獄囚
白鳥 由栄(しらとり よしえ、一九〇七年七月 – 一九七九年二月)、収容先の刑務所で次々と脱走事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた。二十六年間もの服役中に四回の脱獄を決行、累計逃亡年数は三年にも及んだ。
青森県出身。白鳥は母の顔を知らない。二歳のとき父が死に、親類の豆腐屋へ養子に出された。生まれつき頑健な体だったので朝早い仕事も苦にせず、父の借金を返して田畑を買い戻し、自作農になるという目標を持っていたという。
二十一歳で所帯を持った。子供にも恵まれ、一男二女を得る。しかし出稼ぎで二回蟹工船に乗ってから、博打を覚えて人生の転落がはじまる。
遂に一九三三年に仲間と強盗殺人を犯し(白鳥は「殺したのは仲間で、本当に殺していない」と無実を主張)、その二年後に警察官の拷問尋問により自白を余儀なくされ投獄される。その際に収容先の青森刑務所の劣悪な待遇に抗議したところ、過酷な懲罰を受けたことから、その後、脱獄と収監を繰り返す人生を歩むこととなった。遠くなった昭和の時代。この人の人生を追ってみたい。

脱獄歴

●一九三六年 青森刑務所 - 針金で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄。
●一九四二年 秋田刑務所 - ブリキ板に釘で加工した手製の金工鋸で鉄格子を切断し、脱獄。
●一九四四年 網走刑務所 - 味噌汁で手錠と視察孔を錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監視口をくぐり抜けて脱獄。
●一九四七年 札幌刑務所 - 床下からトンネルを掘り脱獄。隠し持った金属片でノコギリを作り、床板を切断。食器で穴を掘って逃走。
●一九四八年 府中刑務所に収監 - 以後模範囚として過ごし、一九六一年に仮釈放。

身体的能力

●身体の関節を簡単に外すことができる特異体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出したという。
●健速であり、一日に百二十キロも距離を走ることができた。
●網走刑務所では手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せ、その結果、再収監後は重さ二十キロもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった。また、四十歳を過ぎてなお、米俵を両手に持って水平にすることができると言われている。

白鳥語録

彼の人柄を知るうえで、白鳥語録も欠かせない。
●『人間のつくった房ですから、人間がやぶれぬはずがありませんよ』。
●『ヤモリを考えてもらえばいい』(高さ三メートル上の天窓からどうやって脱出したか聞かれて)
●『毛布をもう一枚ください。さもないと脱獄します』(看守に対して)
●『実は自分は白鳥由栄です。貴方が逮捕して手柄にしてください』(脱走中に職質した警官がタバコをくれたことに感謝して)

出典:白鳥由栄(昭和の脱獄王):犯罪者の名言(迷言)集 〜歴史に刻まれた負の言葉〜

青森刑務所:一九三六年六月十八日午前零時すぎ脱獄

豆腐屋の稼ぎではたかが知れている。彼は、土蔵荒らしに手を染めた。一九三三年四月、とある雑貨商に仲間と二人で忍び込んだ際、家人に見とがめられて逃走。追いかけられて組み伏せられ、もみあううちに牛刀で家人を刺してしまう。

この共犯の自白により白鳥は主犯にされてしまった、と言われている。

拷問に近い取り調べ、未決のまま独房で四ヵ月留置場生活。看守に「人殺し野郎」などと嘲笑される毎日。白鳥は鬱屈していった。

白鳥は、公判中の一九三六年六月十八日に青森柳町支所を脱獄した。白鳥の脱獄がわかったのは午前五時半頃のことだが、刑務所では落ち度を隠蔽するために「早朝に脱獄した」と警察に虚偽報告。白鳥は、三日目、五所川原の共同墓地であえなく逮捕。

白鳥の初めての脱獄について取り調べが行われた。彼は入浴時に手桶にはめられていた金属製のタガをひそかにはずし、房内に持ち帰った。

さらに、房の錠前の下に食器を出し入れする小窓があり、それだけは中からあいたので、汚物を捨てるため房外に出た時に、錠前の位置と小窓の位置を目測で計り、後日、小窓から手を出して入浴でふやけた掌を鍵穴に押し付け、鍵穴の型をとった。彼が作った針金の合鍵1本で、房、舎房、裏門の三つの扉を開けて脱獄。「囚人・ロックスミス」である。刑務所の一日は、鍵に始まって、鍵に終わるといわれているのだが。

十一月五日、白鳥の無期懲役が確定し、彼は宮城刑務所へ。宮城刑務所で三年、小菅刑務所で一年二ヵ月を過ごした。

だが第二次世界大戦の開戦で、囚人たちは秋田刑務所へ「疎開」。白鳥に対する看守たちの処遇は小菅刑務所とは一変した。

秋田刑務所:一九四二年六月十五日未明脱走

刑務所側では、札つきの脱獄囚に備えて特別誂えの独房「鎮静房」を用意していた。鎮静房とは昼でも暗い部屋で、扉には食器出し入れ用の小窓もなかった。

白鳥はこの房で手錠をはめられたまま、一冬を過ごした。房外での作業もなく、日がな一日中薄暗い房内で正座させられて、少しでも足を崩すと、すぐに看守の叱責が飛ぶ。しかも、コンクリートの床には薄べりが一枚。白鳥の怒りは次第に内向していった。

正座の規則は破り、房内を走りまわっては体を暖め、布団は頭までかぶって眠る。
「白鳥、布団から顔を出せ!」
「子供のころからの癖なんで、なおりませんよ。そんなに厳しくしないで、夜くらい寝かせてください」
「規則を守らんなら、罰則だぞ」
「わたしゃいつでも逃げられるんですよ。そんな厳しいことを言うと、あんたが当直のときに逃げますよ」

毎晩がこの繰り返しだった。看守たちの間に、次第に彼の監視の担当を厭う心理が働き始めた。

六月十五日五時三十分に全舎房の点検が終了。解散しようとしたまさにその時、夜勤の看守が駆けこんできた。
「鎮静房の白鳥が逃走しましたっ!」

後の取り調べでわかったことだが、彼は常人をはるかに超えた特異な体質を持っていた。関節腔と靭帯の可動域が異様に広く、あたかも猫と同じように首さえ入るところがあれば、肩、手足、腰など、ほとんど全身すべての関節を自由に脱臼できるだけでなく、手足の裏の皮膚を収縮させ、吸盤のようにして貼りつくすべも心得ていた。

逃走決行の夜は暴風雨で、音も足跡も消してくれる絶好の脱獄日和。彼は少し体を傾けて、両足の裏を一方の壁に密着させると、両掌を他方の壁に押しつけた。そして足裏と掌を交互にずりあげていく。ヤモリさながら、彼の体は上方へ登りはじめた。

体が傾いたまま天井に達すると、あらかじめ緩ませていた天窓を頭突きで破り、瓦屋根に飛びのった。地上に飛びおり、丸太を使って四・五メートルのレンガ塀を越えるまでの所要時間は四十分足らずだった。

吉村昭の長編小説ではないが、「破獄」から五日後、東条英機総理の秋田視察があり、白鳥の行方捜索は事実上中止となってしまった。そして、脱獄から、早や三ヵ月が経過した。

一九四七年九月十八日 コンコンコン…。東京、小菅刑務所看守長、小林良三宅の戸を深夜叩く者があった。

コンコンコン…「白鳥です。白鳥由栄です」

小林は仰天し、まさか、と思った。鍵をあけて戸の外を見ると、髭も髪も伸びていたが、たしかに白鳥であった。昼はなるべく動かず、夜行性に徹し、慎重の上にも慎重に、かつ細心にふるまって、三ヵ月もかけて東京に着いた。

「主任さんに会いにきました」
「自首だな」
小林は彼を中に入れた。妻に茶を持ってこさせると、白鳥は両手で有り難そうに茶を飲んだ。さらに、小林の妻は白鳥にふかした薩摩芋を出した。芋にむしゃぶりつきながら、白鳥は話しだした。

「小林主任さんはよくしてくれたから、話を聞いてくれると思いました―刑務所内の処遇改善を内務省に直訴したかったのですが、自分が言っても無理だと思いました。あそこでもう一冬越すのは、耐えられません。あそこのことはなんとか訴えたいと思い、主任さんならちゃんと聞いてくれると、それだけを信じて脱獄しました」と言った。

その日の明け方、小林に付き添われて白鳥は小菅警察署に自首。
自首後のいつか、秋田刑務所の鎮静房が廃止されたのである。

判決下り、網走へ移送!

この脱獄で彼は「逃走罪」で懲役三年を受け、無期刑にプラスして有期刑も背負うことになった。

そして判決後、五度目の移送先は、極寒の地、網走刑務所だった。「真冬には零下三十度になることも珍しくない」(徳田球一著『獄中十八年』)。その厳寒の中、白鳥は夏物の単衣一枚で独房に放り込まれた。手錠、足錠をかけられたままの拘禁だ。白鳥は憤りを隠さなかった。

四舎二十四房という頑丈な独房が、彼の住まいになった。ある朝、看守が巡回中に彼の房を覗くと、白鳥はいつものとおり正座していたが、彼の膝の前に手錠の二つの環が正しく並べられていた。早速ここで白鳥は手錠を壊すという技を見せた。罰として白鳥の食事は半分に減らされた。

その後、また手錠をはずしたため、新しい手錠がはめられた。白鳥は上目で看守を睨むと、上膊部を両脇に押し付け、胸の前で手錠をねじるように交差させると、看守の前で、彼は手錠の鎖をち切ってみせた。

翌日、二十キロほどもある分厚い鋼製の手錠と足錠が届いた。鎖は大人の指ほどの太さがあった。看守がそれを白鳥の手足にはめてから、二人がかりでナットを締めた。その上、ハンマーでナットの頭を叩きつぶした。完全な「鍵穴のない手錠」になった。

しかも手錠は後ろ手にかけられた。手錠と足錠はさらに太い鎖でつながれ、横に寝転がることしかできなくなった。

「後ろ手錠で、どうやって飯を食うんだ。貴様ら覚えてろ。逃げてやる、絶対逃げてやるからな。そのときになって後悔するな」

その日から白鳥はアルマイトの食器をくわえて、犬のように顔をつっこんで食うしかなかった。入浴なし、立ち上がり不可能となり、排泄は垂れ流しだった。

白鳥にとって網走からの脱獄を考えることが唯一の希望となった。一年四ヵ月の網走生活では、ただの一度も外にでることはなかった。

網走刑務所:一九四四年八月二十六日、午後九時過ぎ脱走

看守が、看守長室に向かって走り出した。
「逃走、逃走です!」

大正十一年に網走刑務所と改名されて以来、はじめて獄舎内で非常ベルが鳴った。

きちんとたたんだ布団、枕と白鳥の獄衣。その横には特製手錠が並べて置かれていた。二人がかりで締め付けたナットがはずされ、環が開かれている。

おとなしくしている白鳥に対し、刑務所側は後ろ手の手錠を前にさせるという温情が仇になったか。それでも依然として脱獄は実現不可能にも思えた。

房の扉にある視察口。この視察口には鉄枠(二十センチ×四十センチ)に鉄棒五本が縦にはめこまれていた。鉄枠自体は扉にボルトでとめられていた。白鳥が目をつけたのはこの鉄枠だった。

「味噌汁」を使った有名な脱獄だ。白鳥は口に含んだ味噌汁を鉄枠に吐きかけた。何十日と同じことを続けているうちに、鉄枠に変化が見え始めた。鉄枠と扉のあいだに隙間ができてきた。やがて少し引っ張れば鉄枠を外せるような状態にまでなった。

脱走決行の予定日は八月二十五日であったが、その日は白鳥にも優しく声をかける看守が夜勤巡回の日であった。仕方なく白鳥は決行を一日延ばし、八月二十六日午後九時過ぎ、手錠と足錠をはずした白鳥は、囚人服を脱いで、ふんどし一枚で視察口をはずして通路へ飛び出た。視察口は小さすぎたため、肩の骨を外して脱出。採光窓を破って屋上に出た後、地上に降り、ストーブの煙突の支柱を梯子代わりにして塀を越えた。 捜索は連日続けられたが、九月になり下旬になっても、白鳥の行方は知れなかった。

敗戦を知らずに!

白鳥の行方が知れたのは、終戦の日を一年過ぎた一九四六年八月十四日。その日数、実に六百六十五日間。強健な体で終戦を知らず山中生活を送り続けていた。夜中、人里の国民学校に忍び込み、そこで新聞を読んだ白鳥は初めて日本の敗戦を知った。

自分のような重罪犯はどうせ死刑になるだろうから、それなら町で死のうと、山をおり、札幌に向かった。白鳥は、そこで重罪を起こした。二度目の殺人だ。

民家の野菜畑に踏み入ってしまった彼は野荒らしと間違われた。弁明したが聞き入れられず木刀で袋叩きにされた。逃げようとふるった短刀が畑の地主の背部に刺さり、のちに出血多量死した。

一審は死刑。量刑不当としてすぐに控訴。正月が明けてすぐ、白鳥は札幌刑務所に送られた。
死刑判決を恐れた白鳥はここで、初めて自己保身のための脱獄をはたらく。

札幌刑務所:一九四七年四月一日脱走

午前五時、看守長宅の電話のベルが鳴った。当直の看守からであった。
「逃走です。白鳥、逃走です」

今度は、床からの脱獄だった。床の一角の厚さ六センチの堅い楢の板が切りはずされている。白鳥はこの隙間に体を入れ、もぐらのように土を掘り進んで脱獄した。

床板は布団を敷く位置にあたる一枚が中央部分で横に切られ、壁の端にはめこまれている板が引き上げられていた。一箇所を切っただけで脱出口を作ったのは、さすがだ。切り口は鋭利な刃物を使ったようになめらかであった。

どうやら白鳥は便器の鉄タガをはずし、古釘を使ってタガに鋸状の歯を作って使ったようだった。どこで手に入れたのか、その古釘も発見された。

脱出穴からアルマイトの食器も発見。白鳥は、手と食器で穴を掘削したのだ。

今回もまた、白鳥は捜査網にはひっかからず、彼の足取りは消えた。

脱獄から二百九十五日後、昭和二十三年一月十九日。札幌に近い琴似町(現在の札幌市西区の大部分)で、警邏中の巡査が大きな風呂敷包みを背負った男を、職務質問で呼びとめ荷物を検査した。

闇物資らしきものはなかったが、日本刀が一振り出てきた。一人でこれだけの荷物をよく担げるものと感心しながらも、巡査は泥棒ではないか、との疑いを持った

するとその男が、「旦那、煙草一本くれませんか」と言った。

巡査は貴重品の「光」から一本抜いて男に分け与えた。男はうまそうにしばらく吸っていたが、やがて重大告白をした。

「旦那、実は、私は昨年札幌刑務所から逃げた白鳥という男です」

大物中の大物の捕り物である。巡査は膝がふるえながらも、白鳥を派出所へ連行し、やがて札幌警察署へ護送した。

取り調べで、白鳥は、「尋問の時煙草をくれましたので、煙草一本で気持ちがくじけました」と言った。

脱走はもう止めた!

約四ヵ月後に出た判決は、懲役二十年。野荒しと間違えられた殺人事件では、正当防衛こそ認められなかったが、殺意なしとされ、傷害致死となった。これと逃走罪と合わせての二十年である。
これで白鳥が背負った刑は無期に懲役三年と、懲役二十年。

この時、白鳥は四十歳。死刑判決が出なかったことで、白鳥の心境は変化した。

――もう逃げない。

府中刑務所に移送されてからは脱獄をやめ、模範囚となり、のちに仮釈放となった。

二十六年の獄中生活、四回の脱獄、合計三年余の逃避行という驚異の記録は、資料として歴然と残っている。殺人事件には二回かかわったが、脱獄ではただの一回も看守に怪我を負わせる「強行突破」はしなかった。これが、白鳥の「脱獄哲学」だったのだろうか。

 

主たる参考・引用文献:
網走監獄公式サイト:2018年12月1日アクセス https://www.kangoku.jp
脱獄王 白鳥由栄の証言 斎藤充功著 幻冬舎アウトロー文庫

白鳥由栄Wilipedia2018:年12月7日アクセス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%94%B1%E6%A0%84
網走番外地 (東映):2018年12月1日アクセス https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E7%95%AA%E5%A4%96%E5%9C%B0_(%E6%9D%B1%E6%98%A0)
脱獄者たち 佐藤 清彦著 (小学館文庫) http://yabusaka.moo.jp/siratori-yoshie.htm

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