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娯楽記事

北村はじめの『ちょっと立ち読み』


倫敦 ゴーストハンティング

02/09/2011

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はじめに

ロンドンに幽霊は出るのか?
その答えは、まず、あなたが幽霊を信じる気持ちがあるかどうかにかかっている。私自身は自然発生的な幽霊というものは一度も見たことがないが、ロンドン滞在中から幽霊話には興味を持ち続けてきた。ロンドンは特殊な都市だ。ロンドンのすべての通りが、一度は何かが起きる場所となってきたと言っても過言ではない。かつて、ロンドンのある書店の店主が「ロンドンで行き交う人の半分は幽霊だと思う」と言った。真剣な表情だった。「ある朝、窓からマーブル・アーチを見下ろしていると、ある処刑場の場面が再現され、2世紀も前の服装をしている人々が動いているのを見た」という女性に出会ったとしても不思議ではないし、5万もの人たちが死んで行ったタイバーン処刑場(註)の現場を、心の中の目で多くの人が感じ取ったりすることは、ありそうもないことだろうか? BBC(英国放送協会)在勤中に集めた資料をもとに、ロンドン市内の数カ所をご案内したい。
(註)タイバーン(Tyburn)は、現在のハイドパークのあたりにあった昔の処刑場。かつてミドルセックス州にあった村で、現在のマーブル・アーチのある場所に近い。タイバーンは、テムズ川に注いでいた小川の名前に由来し、現在は地下を流れている。タイバーンの名は、悪名高い異色の絞首台が設置されていた場所として知られ、数世紀に渡って刑場として使用されていた。

 

 

1 ウィンザー城

バークシャー州のテムズ川のほとりに立つウィンザー城。イギリスで最も著名な王室の居城である。そして、人の住む城としては世界最大級のものだ。このウィンザー城には、かつてここに住んだ王家の人の、少なくとも4人の幽霊が出ると言われている。それはヘンリー八世、エリザベス一世、チャールズ一世、ジョージ三世だ。晩年健康を害したヘンリー八世の幽霊は、弱々しい足取りの音を響かせ、ゼイゼイした息遣いと共に特定の廊下で出るというのだ。エリザベス一世は、黒い服装、黒いレースのスカーフを頭と肩にかけ、城の図書室に数回現れたと言う。打ち首にされたチャールズ一世は、ウィンザー城の敷地内に立つキャノンズ・ハウスを訪れる。不思議なことだが、彼の頭はちゃんと斬られる前のままらしい。ジョージ三世は、精神障害に悩まされ認知症で長き治世を終えた。王は、最終的に城の中の小さな部屋に閉じ込められ、そこでハープを引きながら過ごした。今、彼の幽霊は幽閉されていた場所に戻ってくるという話だ。エリザベス女王は彼らをご覧になっているのだろうか?

 

 

2 エンバンクメント

テムズ川のほとりを歩いてみよう。ウォータールー・ブリッジがかかるヴィクトリア・エンバンクメント。そこには、ヴィクトリア女王の繁栄を讃えて1878年にエジプト・アレキサンドリアから運ばれてきた「クレオパトラの針」と呼ばれるオベリスク(註)がある。この尖塔の下にブロンズで鋳造されたスフィンクスが置かれている。その顔のモチーフはこの尖塔を建設したトトメス3世と言われている。このエンバンクメントは自殺志願者の名所だ。テムズのどこの川岸よりも、紀元前1500年頃にエジプトで建てられたこの御影石のオベリスクの近くで、自殺または自殺未遂が多いということは、リバー警察の古参署員には周知の事実だということを私は教えられた。背が高く、裸で、影とも思えるような人物が、土手から川に姿を消した報告がいくつも寄せられてきた。しかし、「ドボン」という音を聞いた人はいない。うめき声と嘲り笑いのような声がここで聞かれたが、説明のつくようなものはこれまでに発見されていない。
エリオット・オドンネル氏(Elliott O'Donnell…1872-1965、幽霊専門のアイルランドの作家)は、ゴーストクラブである警官から聞いた直接の体験談を話した。その警官がある夜、ウォータールー・ブリッジを渡っていると、自分をつけてくる足音に気づき、振り返ると、すぐ後ろに身なりの良い若い女性がいた。彼女はひどく動揺しているように見えた。彼女は困っている人をそのままにしてきたので、一緒に来てほしいと言って警官を案内した。橋の袂まで戻って、エンバンクメントを歩いた。2人が「クレオパトラの針」まで来ると、一人の若い女性がまさに川に身投げしようとしていた。警官は走りよって引き止めた。とりあえず安全な歩道まで連れ戻した後の、警官の驚愕ぶりをご想像願いたい。その彼女の顔を見ると、自分を呼びにきたあの若い女性と瓜二つだったのだ。事情を聞こうと、例の女性の方を振り向くと彼女はすでに姿を消していた。その後の取調べで、警官が助けた若い女性は、双子でもなく、親戚も友人もいないことがわかった。そして引き止められた彼女は、その夜、エンバンクメントでどんな女性にも会っていないことがわかった。
(註)古代エジプトで神殿の門前の両脇に立てられた石造の記念碑。

 

 

3 アデルフィ劇場

ストランドにあるアデルフィ劇場のゴーストの話は、楽屋入り口のそばの壁の銘板に記録されている通り、1897年12月16日にアデルフィ劇場入口で刺殺されたウィリアム・テリス氏の娘から聞いたという人の話だ。犯人は劇場出演者の1人だったとある。犯人の名は、リチャード・アーチャー・プリンスだ。この劇場にはテリスの幽霊が出没すると言われてきた。テリスの娘、エラライン・テリスもエドワード朝のミュージカルで一斉を風靡した有名な女優で、殺されたウィリアム・テリスは、劇場に常時出演していた有名俳優だった。ウィリアム・テリスが主役を演じていたスリラー物の〝シークレット・サービス〟が大当たりした。その芝居にリチャード・プリンスという嫉妬深い俳優がチョイ役で出演していた。プリンスは自分をテリスよりもうまい役者だと思い込み、テリスさえいなければ自分に主役が回ってくるとふんでいた。
凍えるほど寒い12月の夕刻、ウィリアム・テリスが出演者入り口のドアを開けると、リチャード・プリンスが物陰から飛びかかり、その日に買った短刀でテリスを刺した。49歳のテリスは20分後に息を引き取った。テリスの最期を看取った人たちは、彼が息を引き取る直前に「俺は戻ってくる」と呟いたと言っている。その後の裁判でプリンスは有罪となり、ブロードムア収容所で1937年に〝獄死〟した。事件後、アデルフィ劇場では、俳優や女優たちが、トントンと叩く音や、コツコツという不思議な音に悩まされたという。その音は、ウィリアム・テリスが使っていた楽屋から発されているようだった。その音は、以前には出なかったものであり、その後ずっと続いた。明らかに説明のつけられないできごとに、皆がウィリアム・テリスの仕業と思った。
1957年のある夏の夕方、ウィリアム・テリスのことをまったく知らない旅行者が、流行遅れの衣装を身につけた背の高いハンサムな人物に出くわした。ガッシリとした体格のその男性は、すれ違った後にテリスが崩れ落ちた楽屋の入り口で完全に姿を消した。1928年3月、有名なミュージカル喜劇女優ジューンは、テリスが死んだ当時別の俳優が使っていた広い楽屋にいた。テリスは、通り過ぎる時に主演女優の楽屋のドアを2~3回叩く癖があった。自分が劇場にいるよというささやかな知らせだった。夜の公演との間に彼女がマチネーと長椅子で休んでいると、長椅子が揺れ始めた。よく調べたが何も見つからず、彼女が横になるとまた振動が始まった。今度は彼女の腕が軽くトントンと叩かれるのを感じた。やがて見えない手で、自分の腕がぎゅっと握られるのを感じた。と、突然、彼女の化粧台の鏡に、緑色の光が揺れているのに気づいた。

 

 

4 ロンドン塔

ゴーストの出るロンドンで最もうす気味の悪い建物のひとつは、ロンドン塔だ。1078年の征服王ウィリアムによる建設以来、背筋に悪寒が走る灰色のタワーは、ロンドンの風景の中に数々の歴史のページを残してきた。おそらく、イングランドで最も呪われた建物である。

【ウェークフィールドタワー】

ここは英国の歴代の中で最も悲劇的な国王、ヘンリー6世のゴーストが出る所だ。1471年5月21日まさに夜中の12時前、彼が跪いて祈りを捧げている時に殺害され、ヘンリーの脆弱で実効のない治世は凄惨な終わりを告げた。エドワード4世が暗殺を命じたのではないかと言われている。致命的な多数の刺し傷は、グロスター公(後の悪名高いリチャード3世)が凶器のナイフで犯行に及んだとされている。1世紀以上経て、シェイクスピアの史劇「リチャード三世」は、エドワードの弟グロスター公リチャードを下手人として描いている。彼の命日には、悲しみに沈んだ痩せたヘンリーが真夜中の最後の鐘の音にあわせて現れ、断続的にウェークフィールドタワーの内部をうろうろし、時計が12時の鐘の音を終えると、彼はゆっくり石の中へと消え、次の命日まで静かにしているという。

【ホワイトタワー①】

巨大なホワイトタワーはロンドン塔の建物の中でも最古で、最も人を寄せ付けない。その曲がりくねった石の回廊は、「ホワイト・レイディ」がよく出る場所だ。かつて彼女は窓際に立って、向かい側の建物にいる子どもたちに手を振っている姿が見られた。聖ジョン・チャペルの入口に漂う香りは、彼女の「安い香水」と言われている。多くの警備兵は、刺激的な香りを吸うとすぐ吐き気を催したという。ヘンリー8世のちょっとオーバーな武具の服装が展示されているギャラリーでは、何人かの警備兵は自分たちがギャラリーに入っていくと突然何かに襲われ、彼らがよろめく瞬間、部屋で震えながら体が持ち上がる、ものすごい力を感じると話している。ある嵐の夜、警備中にここを通った警備員は、誰かに重い外套を投げつけられた。彼は逃れようと必死になったが、外套を後ろから抑えられ、幽霊が彼の首の周りに巻きつけて強く締め付けた。なんとかその不吉な手から逃れて、大急ぎで警備詰所に戻ると、彼は見えない襲撃者とのもみあいにより首に付いた、鮮明な痕を改めて確認した。

【ホワイトタワー②】

恐れ知らずの警備兵、アーサー・クリック氏は、巡回警備をし終え、就寝しようと決めた時に不気味な出来事があった。彼が腰をおろし、右の靴をさっと脱いで、足をマッサージしようとしたその時だった。「ここにいるのはあなたと私だけだ」と囁く声が後から聞こえた。そしてその声は、「ちょっとこの血まみれの靴をはかせてくれませんか。ここにいるのはあなただけですよ」と続いた。 

 


▲アン・ブーリン

【タワーグリーン】

タワーグリーンの記念碑は、世紀に渡ってここで処刑されたすべての不運な人たちの魂を思い起こさせる。アン・ブーリンとレイディ・ジェーン・グレーの2人とも、この周辺に戻ってくると言われている。一方、ソールズベリー伯爵夫人、マーガレット・ポールの幽霊は劇的な姿で戻ってくる。72才のマーガレットはヘンリー8世の些細で、受ける価値のない復讐の標的になった。彼女の息子であるポール枢機卿は、英国国教会の長になるという国王の主張を中傷した。しかし、彼は無事にフランスへと逃れた。これを受け、ヘンリーは1541年5月27日、母であるマーガレット・ポールをタワー・グリーンに連れてこさせた。死刑執行人が跪くようにと言うと、勇ましき老婦人はそれを拒否した。「私は裏切り者ではありません」と言って、彼女は薄笑いを浮かべた。死刑執行人が斧を振り上げ、一撃を加えると、断頭台のまわりを叫んで逃げ回る伯爵夫人を追いかけ、文字通りメッタ切りにして処刑した。彼女の鋭く叫びたてる幻が、幽霊の執行人によって追われる恥ずべき光景が、彼女の命日に数回繰り返された。


▲ブラディ・タワーの二人のプリンス
John Everett Millais画(1878)、
Royal Holloway picture collection1より

【ブラディ・タワー】

身の毛のよだつイメージを彷彿とさせるブラディ・タワーは、この恐ろしき要塞を漂う亡霊の中心地だ。エドワード4世が1483年4月に突然死ぬと、12才の息子がエドワード5世として継承する運命にあった。しかし、彼の即位式の前に、彼と彼の弟リチャードは、議会から非嫡出であると宣言された。そして、叔父のグロスター公爵がリチャード3世として即位した。男の子たちは、エドワードの即位式の準備と見せかけてロンドン塔に送られた。敷地のあちこちで元気よく遊んでいる姿がしばしば見られたが、1483年6月頃、彼らは不思議にも姿を消し、2度と生きている姿は見られなかった。彼らはリチャード3世の指示で殺され、タワーの敷地のどこかに埋められたと見られている。1674年にホワイトタワーの階段の下から2つの骸骨が見つかった時、2人の幼き王子のものとみて、ウエストミンスター寺院で王室埋葬式をして葬られた。白いナイトガウンを着て、恐怖に怯えて互いにしがみついてすすり泣いている2人の子供たちの亡霊が、投獄されていた薄暗い部屋でしばしば見られた。目撃者は哀れんで、手を伸ばして、気の毒な亡霊を慰めようとした。しかし、震える子供の幽霊は壁に向かって後ずさりし、壁にかかった織物に消えて行った。

 

 

 

5 BBCランガム・プレース

私が勤務していたBBCは、ストランドにあるブッシュ・ハウスだが、この話は、ランガム・プレースにある放送会館でのことだ。
ランガム・プレース放送会館の3階と4階に、空のお盆を持って廊下を歩く足の不自由な執事の幽霊が出るというのだ。それは通常、早朝に見られるという。ある技術者は、その人物が姿を消すまで、本物のウェイトレスと思い込んでいた。また、別の職員は、まるで本当の人間と思い込んでいたので、体つきや容貌を描写した。だが、その〝人〟の動きは、スローモーション映画のように、異常にゆっくりだったと証言していると聞いた。40年以上も前、キャスターのブライアン・マシュー(註1)は、BBCラジオ局のある一室の壁から、夜になると、時々黒いコウモリのようなものが飛び出してくるようだ、という話をある作家に残している。また、ストランド通りから横に入ったサヴォイヒルにある旧館には、1918年にそこのフラットで死んだ女優のビリ・カールトンの幽霊が出たという。そのフラットのドアが大勢の人のいる前で、何百回となく自然に開いたという。その幽霊は、恐らく今でも出ているであろうと、言われる。
(註)ブライアン・マシュー…1928年9月17日生まれ。1960年代に大活躍したイギリスのラジオ・パーソナリティ。彼のラジオ経歴は1948年のドイツに始まる。1954年にBBCに入る前に俳優として訓練を受けた。

 

 

 


大英博物館のミイラ

大英博物館

1860年にミイラの棺をイギリス人が所有するに至った頃から、一連の不慮の死がミイラの棺についてまわったし、大英博物館のミイラ室に安置された時ですら、3500年も前のルクソールの遺物を扱った人たちに、突然死がつきまとった。手相や星占いで運勢を鑑定するルイ・ハモン伯爵(註)は、ダグラス・マレー(イギリス考古学者)という若い人の手相を見た。伯爵は「彼の右手を取ると、考古学者は『悪夢と恐怖を体験した』とよく言っていたものだ」と話していたという。伯爵は、「考古学者の腕はいつまでも体についてはいない。この手はある種の遺物を探し当てたその瞬間から不幸の連続が始まり、その後、マレーは片手を失う…と鑑定したという。マレーはある日、カイロでひとりのアラブ人から保存状態の良いミイラの箱を見せられた。箱に書かれた象形文字は、古代の所有者がエイメン・ラ寺院の高尼僧と伝えていた。その日の夕方、彼はミイラの箱を梱包してロンドンへの発送を整えた。数日後、マレーがナイル川でアヒル撃ちに興じている時に猟銃が暴発し、右腕に大怪我をした。強烈な向かい風で船が遅れ、カイロの医者に見せるまでに10日もかかった。壊疽になり、右手切断の手術を受けた。ミイラの箱がマレーの家に着いたが、ミイラには不吉なものを感じた。マレーが美しいと思ったミイラの顔が、今では老人の敵意に満ちた表情へと変わっていたからだ。女性記者がそのミイラの箱を借してほしいと願い出て、箱が自宅から出ていくと彼は安堵の気持ちに変わった。
ミイラの箱が女性記者の家に運び込まれるとまたも災難が続いた。まずは母親が階段から落ちて、それが元で死亡した。彼女の婚約者が婚約を解消した。賞を得るほど優秀だった愛犬が発狂した。そして彼女自身も病に倒れた。彼女の弁護士は、元凶はミイラにあると判断し、ミイラの箱をマレー氏に返却した。マレー氏はそれを大英博物館に寄贈することにした。今度はミイラの箱を大英博物館に運んだ運送業者が1週間後に死んだ。ほどなくして、そのミイラの箱の写真を撮ろうとしたり、スケッチしようとした人の身に絶えず不幸が起こったという話が広まり始めた。ジャーナリストのスチュアート・マーティンは、カメラマンが箱の写真をスタジオで撮影している時に、ミイラの表情がどうして変わるのか不思議がっていたと話した。そのカメラマンはその後まもなく亡くなったとマーティンは言った。ルイ・ハモン伯爵は、大英博物館はその箱の一般展示を止め、ニューヨークの博物館に送ることにし、不沈と言われたタイタニック号の沈没で姿を消した、と主張した。
1934年、著名なエジプト学者ウォリス・バッジ卿は、大英博物館がこのような特性を持つミイラと箱を金輪際所有しないと宣言することが必要だと言った。それでも大英博物館管財委員会は、展示番号22542番の棺を地下に収納せよという命令は一度も出していない。もっとも、1914年‐18年までの世界大戦で、空襲を受けている間は安全な場所に移動させた。ウォリス卿はこう言った。「箱がタイタニック号で運ばれたことはない。もちろんカナダ人に売却したこともない。今でもその箱は第2エジプト室で展示されている」。バッジ卿は人前での発言とは裏腹に、個人的には古代エジプト人の魔力と死者の力を強く信じていた。彼はバッジの話として、「エイメン・ラ王女のミイラの箱が戦争を引き起こしたということ以外に、自分の存命中の話を活字にしてはならない」と語ったと言われる。彼が詳しい話を暴露することを拒否した謎の発言である。
(註)Cheiro キーロ(1866-1936)。別名Count Louis Hamon、またはCount de Hamong ルイ・ハモン伯爵。本名William John Warner。19世紀末から1930年代まで活躍した手相占術家。手相術はもとより、占術全般、予言や心霊現象に関しても多数の著作を残す。後年、アメリカに移住。ハリウッドに居住して映画スターたちの占い師となる一方、脚本執筆も手がけた模様。1936年、死去。

 

 

 


▲Bank of England

イングランド中央銀行

ティのゴーストの中でほとんど知られていない話がある。それは洋館風の巨大な建物であるイングランド中央銀行での話だ。イングランド中央銀行は広さほぼ4エーカー。その中に素敵な中庭がある。イングランド中央銀行は、別名をスレッドニードル街の老婦人と呼ぶ。『スレッドニードル街の老婦人』という表現は、ロンドン市の中心に立つイングランド銀行のあだ名だ。イングランド中央銀行は、1694年に創立され、1734年に現在地に建物ができるまで、昔のグローサーズ・ホールで銀行業務をしていた。そこは1649年にザ・シティがクロムウェルを歓待した場所である。 ではこの老婦人とは一体誰なのか? スレッドニードル街の老婦人は実在したのか? そして彼女は銀行とどういう関係があったのか?
老女は本当の名前をセラー・ホワイトヘッドという。セラーにはフィリップという兄がいた。彼は不良の元銀行職員であった。彼は1811年11月2日にオールド・ベイリー(中央刑事裁判所)にて小切手偽造で有罪判決を受け、やがて処刑された。
貧しいセラーはショックから精神錯乱状態になった。そしてどんな天気の日にも、彼女は40年間毎日、銀行の営業日に訪れては兄に会いたいと願い出るのだった。「今日はいません」と銀行の人が言うと、彼女は「私が来た、と兄に伝えてください」と伝言するのだった。そして彼女は銀行を出ると、銀行が閉まるまで外をうろついていた。けばけばしい化粧をし、頭からつま先まで黒の衣装を纏っていたので、彼女には黒い尼僧というあだ名がついた。それでも彼女は文無しになったことはなかった。そばを通る人がしばしばお金を恵んでいたからだ。一部屋ももらい、わずかながらも生活補助をもらって飢えをしのげた。
彼女が死んだ後、遺体は聖クリストファー・ル・ストックスという古い教会の墓地に埋葬された。そこはその後、イングランド中央銀行の中庭になった。そして墓の小道をあてもなくさまよう彼女の姿が見られるようになった。
ある人が銀行の中庭を見下ろすギャラリーにいると、友人が「庭の小道をさまよっている黒いドレスの女性を見ろ」と言った。そして「あれが黒い尼僧だ」と教えられた。彼は風変わりで、手探りするように歩いている人物を見た。古い墓石板でできた小道をあてもなく、動いているように見えた。白粉(おしろい)と口紅でぶっきらぼうに化粧した彼女のうつろな顔が見えた。突然、ひざまずいたかと思うと、墓石板をこぶしで叩いている様子だった。すすり泣きながら、悲しみに悶えるように、頭を激しく振って…。次の瞬間、彼女は姿を消していた。金融街の中心地のオアシスとも言えるイングランド中央銀行の中庭は、黒い尼僧のゴーストをかくまい続けている。

 

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