05/08/2013
北村 はじめの『ちょっと立ち読み』㉑2013年は「国際水協力年」:アウトバック de 廃車復活戦
本日はニギニギしくご来場、厚く御礼を申し上げます。舞台は1回限りのもの。演劇の劇は、劇薬の劇。つまり、演劇というものは激しくなければならない、というのは文芸春秋を起こした菊池寛が残した言葉でございますが、我々もチアーズ座中一同、激しく、一所懸命、舞台を務めますれば、お客様は我々から気を受け取って頂き、それを何層にもして投げ返して頂ければ、その気を感じた役者がよりいっそういい舞台を務めます。 ブルーマウンテンズを越え、バサースト、カウラを突き抜け、ブッシュレインジャーの特集でお馴染みのユーゴウラを後にして、フォーブスまでひたすらドライブ致しましたるところ、そこからさらに、オーサ村にたどり着き、左折して未舗装の道路をユート・イン・ザ・パドックまで、砂塵もうもうのドライブ。舞台は斯くも遠いのでございますが、そこに、オーストラリア人の発明となる廃車のユート20台ほどを使った野外展示場がございます。ブッシュ・ピープルに捧げるユニークな野外ギャラリー。毎年、何千という人が、このラクラン川流域のアウトバック・ギャラリーを訪れますが、ここに展示されている廃車ユートの芸術作品に、チアーズ編集部と、私北村が勝手に順位をつけてみましたる、 題して『廃車復活戦 2012年の年末年始』 ずずずいと、ご覧~~~いただきたく候。 グレート・バリア・リーフの「入り口の町」と呼ばれる、QLD州のバンダバーグ。延々とドライブしてきた者には、ここがオアシスになる。 この町の名物はたった2つ。砂糖にバンディ・ラム酒。バンダバーグのラム酒はバンディの愛称で知られる。このラムを有名にしたのは一頭のシロクマ。バンダバーグ・ラムはビールとワインばかり飲むオーストラリア人に何とかラムのおいしさを伝えようと宣伝方法を考えた。この踊って話せる人間くさいシロクマのテレビCMは大ヒットし、人気のラム酒に仕立てた。 アウトバックで黄金の液体といえば、ラム酒のバンダバーグ。こぼしちゃなるもんかと必死にボトルを立てようとする、まさに命の水を一滴も無駄にしない英雄的?行為を象徴する作品だ。このオーストラリアの古典話を、ピーター・モーティマーがユーモラスに、VS型ユートに表現した。バンディなしの奥地のパーティは考えられない。牧畜業者間の固い友情よりももっと聖なる物があるとすれば、それはバンディだ。 製作者のピーター・モーティマーは、馬を飼育しながらダボで創作活動をする。彼が馬を主題にするには十分な理由がある。曾祖父はイングランド・ブリストルの馬車鉄道の御者主任で、現代風にいえば、市バスの運転部長。気難しい馬に蹄鉄をはめるときに命を落とした。祖父は、1911年にオーストラリア移住前にイングランドで八頭立ての鋤を操る農夫だった。両親は、ともに馬乗りで、母親は乗馬のチャンピオンになっている。 製作者はブラッド・ブラウンとスコット・エドワーズ。“Utes in the Paddock”の草創のメンバーだ。題名は「ユートの手」。まるで、豪州のナショナル・エンブレムを見ているみたい。それもそのはず、1951年1月生まれで、初代のホールデンのクーペ・ユーティリティはFXとして知られ、完全にオーストラリア文化を担ってきた。ユートとオーストラリアのアウトバック文化を象徴した作品だ。カンガルーもエミューも前にしか進めない、後戻りができない動物だ。この国の開拓者精神を象徴している。 車の後方に倒れている風向計をやめて、むしろユートの後ろに「ヒルズ・ホイスト」を配したら、いかがなものか。第二次世界大戦後、アデレードの発明家、ランス・ヒルさんが、庭の木に張った洗濯ヒモに洗濯物を干すのに難儀をしていた奥さんの姿をヒントに、開発をし始めて、発売とともに大ヒット。 その状態で、アメリカの作曲家E・E・バグリーの元気のいい「国民の象徴」という行進曲がぴったりだ。フォルテッシモの部分で二頭の動物が前に進み、メゾ・フォルテとメゾ・ピアノの部分では、カンガルーもエミューも踊りだし、ホイストはくるくる回り始めるに違いない…。 「ドライザクブラ」と題するこの作品、ドライザボーンとアクブラを一緒にした合成語。これは、アウトバックで見ると、いい作品だと思う。 創業100年を越える伝統のアウトドアメーカー「ドライザボーン」。そのはじまりは、海上で生活を送る水夫のためのコート作りだった。水夫が帆船のオイルを含侵させた帆布を再利用してコートを作ったことから誕生した、独自の防水加工素材“ オイルスキン”。 雨模様の日、タスマニアでコンヴィクトの話をしてくれたガイドが着ていたが、その高い撥水性、防風性から“骨のように乾いた”という意味を持つブランド名の意味がよくわかった。 そして、頭には、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパで大変有名な130年の歴史のあるアクブラハット。オーストラリア帽子のブランドだ。 作品の説明には、シャーウッドの森風の男と書かれていたように思うが、シャーウッドの森は、イギリス、イングランド・ノッティンガムシャーにある王室林。ロビン・フッドが隠れ住んだ森として知られる。彼は弓の名手で、アウトロー集団の首領とされる。この男性にも、そういう意味を込めているのか? ユートをうまく使い、後ろ姿のふくらみがすばらしい。もっと、上位を占めてもいい作品だ。製作者は、モリー生まれの女性水彩画家、ベリンダ・ウィリアムズ。1997年から専業画家として活躍。 ゴジラをもじって、ユートジラ。使用車は、FE型ユート。ジム・モジニーとスティーブン・コバーン、彫刻家と音楽家の共同制作。「レッドネック・ワンダーランド」という歌と、日本初の特撮東宝映画『ゴジラ』シリーズの影響を受けているそうだ。 強くて大きなものをイメージさせようと、ゴジラの名前はゴリラと、くじらを合わせて作られたことは、ご存知の通り。その流れを組んだこのユートジラも、やはり哺乳動物系らしい。 ジムはオーストラリアの伝説的バンド、シドニー出身のロックバンド、ミッドナイト・オイルの創立メンバーだ。2003年に環境と音楽産業への貢献で、オーストラリア勲章を受賞。現役時代は11個のARIA賞を受賞。リード・ボーカルだった世界的な反捕鯨主義者、ピーター・ギャレットは政界に進出。グループは25年後の2002年に解散した。ジムは、新バンド「ファミリー・ドッグ」で歌い続けている。
ネッド・ケリーの登場! でござる。有名なアウトバックの無法者が、製作者ポール・ブラフタにプレッシャーをかけたのかもしれない。使用車は、FJ型ユート。ポールは、カネをケチるアウトバックの生活、歴史と風景に欠かせないものとして、ネッド流の話が最適と考え、迷わずに決めた。面白い作品。だが、今は、馬の餌代とガソリンは、どちらが安いんだろう? 日本では、馬が一般公道を歩くことは禁じられていないが、道路交通法では軽車両扱いとなる。人が酔っ払って馬に乗ったら飲酒運転になるのか。公道に馬を止めておくと駐馬違反になるのか? その場合レッカー移動されるのか?? 子供向けの一連の歴史本の共同イラストレーターとして、ポールの明るい色使いは、最も若年のオーストラリアの子供にも大人気。彼の創造の大規模さは、彼の作品の多くに共通した要素だ。 ブリスベン生まれ。ポールは8才で、絵画と、母と姉と自分とで作った電動の窯とドラフト灯油の窯でガラスをミックスさせる実験もして、陶芸を始めた。 高校の美術科目ではトップで卒業したポールは、1981年にブリズベンの「アート/セブンヒルズ大学」で学位を得た。 使用車は1960年型、ユートFB。製作者は、ロブ・キーン。寄贈者は、カーク・ファミリー。「ベジマイト」は、スーパーではジャムやハチミツ、ピーナッツバターなどと同じセクションに置かれているが、そもそもは健康食品。このオーストラリアのアイコン的食べ物はいつも賛否両論を呼ぶ。見てくれがチョコレートペーストに見えるため、知らない人は、勇んで買って口に入れて「ゲボ」となる。怖いもの見たさでお土産に買う人はいるが、食べ方をよく知らないので、日本でもらった人は大概は食いきらずにゴミ箱行きだ。 人から聞いておそるおそる買ってみた人、一口食べて諦めた友達から無理やりもらい受けた人、そんな外国人からの数々の仕打ちにもベジマイトはひたすら耐え、国民からの強い支持を頼りに、今日もジャムセクションで王者ヅラしている。 ベジマイトにはビタミンB群などが豊富に含まれているため、第一次、第二次世界大戦のさいは戦士たちに重宝がられた。半ば冗談でオーストラリアの国民食と言われるが、他の国ではめったに見られない。1923年にオーストラリアのフレッド・ウォーカー社がビール酵母からスプレッドを開発したさいに、食品技術者のクリル・キャリスターがベジマイトを発明した。 オーストラリアに来たら、騙されてでもいいから一度は試してみたい「ベジマイト」。私もすでに騙された。 ライラック色の髪、キャットアイの眼鏡…そう、メガネスター…ではなく、メガスター、デイム・エドナ・エヴァレッジである。NSW州ワガワガ郊外でお生まれになった。 この作品のすごいのは、オーストラリアのアイコンの中に人間のアイコンを入れこんでしまったことだ。私が隣で撮影しているとき、女性3人が、しきりとこの作品の前で笑っていた。それもそのはずで、ホールデンのユートをうまく使って奥地のトイレ(私は、最初バス停にばあちゃんが座っていると思っていた)に仕立て上げ、そこにエドナ夫人を配したのだから。上の排気管が生きている。おばちゃんのは臭いのかな。 エドナおばちゃん、トイレで雑誌を読んでいるのだ。他の人の写真では、トイレットペーパーの先が足元まで垂れ下がっていた。紙を補給するハウスキーパーがいるんだね。 1955年に「一介の主婦であるエドナ・エヴァレッジ」が芸能活動を開始、その後活動の場をロンドンに移して「メガスターとしての地位を不動のもの」にした。ウィリアム王子の結婚式にも、しっかりとライラック色の髪をして、例のメガネをかけてご臨席。 製作者のカレン・トゥースは、心理学と美術でディグリー、教育でディプロマをとっているが、絵画は自学だという。ビジュアル・アートで25年間教壇に立った。アウトバックをこよなく愛す芸術家。
ここオーストラリアでは、「ユート」という言葉は聞き慣れた言葉だ。ユーティリティの短縮形。農場用の軽車両だ。後ろの荷台はバケツと呼ばれ、家畜、犬、干し草、ビールなど運びたいものを入れる。ユートは運転手+1人か2人の同乗者に日陰と快適さを与える馬なしの馬車だ。サスペンションが強いので、メンテをする限り、相当のものを運べる。 串刺しに見えるのは、実は車を下から突き抜けて育った3本のグラース・ツリーを表す。「野生動物保護のための人工岩礁を作る船として、私のユートEJ62をアウトバックに沈めてその使命を終えた。野生生物のための住処となり聖域となった」と、製作者のシドニー生まれのスティーブン・コバーンはいう。マグパイ、エリマキトカゲ、ドラゴン。グラス・ツリーの根もとには、ワラビー、エミュー、ディンゴとウォンバットがいる。 ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアが1516年にラテン語で出版した著作『ユートピア』に登場する架空国家の名前。「理想郷」とも。トマスモアにより「ユートピア」という言葉が初めて使われてから約500年になる。反対語はディストピア。 スティーブン・コバーンは、1971年にセント・アイヴス高校卒業後、3つの学校を卒業し、1980年からキャンベラ・カレッジでさらに絵と美術の保存を専攻した。 白は、地域を貫流する川が大地に生命をもたらすことを表す。川と水溜まりの点は、生命力だけでなく水の流れを表し、より大きい点は水の流れの速さを示している。ボンネットと荷台にあるUの形は、キャンプファイアを取り囲んで座った人々の後に残されたマークなのだ。ウィラジュリの人々の強い絆と伝統を示している。絵の背景にある手は、我々の祖先の精神だそうだ。 ユート野外展示場に出品にあたって、地元住民が、コンドボリン(近くの町の名前)青年部のメンバーの中から推薦した。地元のアーティスト、レベッカ・シェパードが監督となり、若手アーティストが協力、ウィラジュリのストーリーを描いた。ユートとユース(若者)をかけて、ユース・ストーリーにした。 作者は、シェーン・ゲラート。鮮明な色使いと強いイメージで、「化石燃料への墓碑銘」は、ユート・パドック野外美術館に価値ある一景を加えた。漢字も親しみやすい。枯渇を恐れる天然資源の象徴として「油」と「水」をあげているが、2013年は、「国際水協力年」であるので、取り上げた。「水」と「油」の醜い争奪戦は、国益、地域益に如実に現れる。 石油は元来、生物やプランクトンの死骸が降り積もってできた有機起源説が大勢を占めてきたが、近年、旧ソ連邦を中心に、石油は地球のマグマが炭化水素に圧力をかけて生成したものだという無機起源説が有力となってきた、という話である。だとすると、可採埋蔵量の減少によってパニックになっている現在の石油価格は何なのかということになる。 ジャッカロープ(ジャックウサギとレイヨウとの交配種とされる架空の動物)が描かれているのも面白い。オーストラリアの超現実的アーティスト、シェーン・ゲラートの変幻自在に動く野生の目を象徴する。シェーンは、アデレードで生まれ育ち、学校の休みは、広大な羊牧場の訪問に費やされた。やがて、鮮明な色と煌々とした光とのコントラストは、彼の心眼に永遠に刻まれた。 ブロークン・ヒル在住のアーティスト。 |
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