29/12/2014
サッカー日本代表の親善試合を巨大スクリーンで応援しながら、日本が誇る伝統的文化のひとつ『笑い』をここシドニーでも伝えることを目的としたイベント『国際親善試合開催! 日本VSオーストラリア+よしもと芸人バンビーノが登場!』が11月18日にタウンホールの80 Proofにて行われた。当日は、300人を超える方が来場、オーストラリアに圧勝した日本代表サムライブルーの活躍に歓喜し、芸人日本代表であるバンビーノのネタが爆笑を生むイベントとなった。そんなバンビーノにオーストラリアの印象から今後の目標にいたるまでロングインタビューを行った。
まず今回のオファーが弊紙編集長からのツイッターでのオファーだったわけですが…正直怪しいと思いませんでしたか?
石山:いえ、もしアイコンの写真が睨まれてたら、無理だったかもしれないです(笑)。でもお子さんと映っている写真を見て、「この顔で悪い人はいない」と確信しました。新しいことや、やったことないことでも、まずやってみることの大切さを改めて実感できました。
バンビーノさんおふたりはシドニーに訪れたのは初めてでしたか? どのような印象を受けましたか?
石山:シドニーは15年ぶりでしたが、当時とは街並みもけっこう変わってて、よりハイセンスな街になってるなぁーという印象でした。
シドニーのイベントでのショーはいかがでしたか? 日本のお客さんとシドニーのお客さんとは感触が違いましたか?
石山:予想よりパンパンにお客さんがいて賑わってたので、流れを悪くしないようにという感じでした! オージーのお客さんもニコニコと観てくれていて、言葉が100パーセント分からなくても通ずる部分があるのかなっと思いました。しかし、シドニー在住の日本人のお客さん、僕らのことを知らない人もたくさんいる中で、めっちゃ暖かかったです!
確かにイベントのあと、TV局関係者から「あのコメディアンは何ていう名前?」と聞かれ、「久々に笑いが止まらなかった」と言っていました。イベント当日に訪れた観客へ一言お願いします。
石山:サッカーの試合を観にきてくれた中でも、バンビーノを観にきたよっというお客さんもいて、単純に嬉しいなと思いました! そして、ユーチューブなどで事前にネタをチェックしてくれてから来てくださったりと、日本人のお客さんもお笑いをほしがっている感じがして、ノリもよくて。お客さんに恵まれたと思います! 後で、お酒も奢ってくれたり、話してみると、夢や目標を目指してキラキラと輝いてる方ばかりで、こちらが刺激をもらうことも多かったです。
今回は日本での仕事のスケジュールの都合で、イベントの当日を含めた2日間のみの滞在と、かなりの弾丸ツアーでしたが、プライベートでは面白いことはありましたか?
石山:やっぱり生のカンガルーにダンシングフィッソン族の踊りを試せたということですね(笑)! 3回ダンソンを踊ってしっかりと3回ともこっちを向いて反応してくれたときには、「ちゃんと通用するんや!」って感動しました!
才能といえば、おふたりは幼少の頃から笑いの才能に恵まれていたんでしょうか? それぞれどのような幼少時代を過ごされ、そして芸人を目指すことになったのですか?
石山:クラスが12人くらいの田舎の小学校で育ちました。遊ぶ施設もコンビニもなく、自分たちで遊びを作るしかなかったので、山と川で遊んでることが多かったです。クワガタがいそうな木を蹴ってクワガタが何十匹も落ちてくるみたいな遊びをしていました。芸人になったのは新しい遊びを皆に見せたかったのかもしれません。
なるほど。いい意味での遊びの延長上に笑いがあるという感じですか?
石山:そうです。遊びを生み出す延長でクリエィティブなことを考える練習になったと思います。ずっと架空の遊びを作って遊んでた記憶がありますよ。
その後石山さんは、サッカー留学をされていたということも聞きましたが。
石山:一時期ブラジルにサッカー留学をしていたのですが、最初は、ボールもパスしてくれなかったですけど、面白いとか人間性を分かってもらえたあたりからパスの数も増えました。朝6時からサンバを踊ったりする明るさと自由さに、悩んでるのもバカらしくなって楽しめた時間でした!
藤田さんは、イタリア料理が得意と伺いました。芸人の道以外も考えたことがあったのでしょうか。また、桂きん枝さんの甥と伺いました。
藤田:高校生卒業するときに、芸人か料理人かで迷ってたんですが、当時は芸人っていうのが現実味がなくて、いったんは料理人の道へ進みました。料理してるときもお笑いのことを考えたりしてたので、やらないで後悔するくらいならやってみようと、仕事を辞めてお笑いの道に来ました。きん枝さんは母の弟なので、おじさんにあたります。小さいときはお正月にお年玉をもらったりしました。そのときは稼いではったのか、芸人の粋なところなのか、みんなにもらう額より多くくれましたね! 最近では呑みに行くこともありますよ。
そんなおふたりがコンビを組むきっかけとなったのは?
石山:よしもとの養成所NSCでの初日のことでした。初日は説明会だけでネタ見せもなく、帰りにトイレに行ったら隣でおしっこをしながら話し掛けてきたのが藤田でした。一番初めに話し掛けてきたのが藤田だったというわけです。
相方さんはサッカーやファッション、質問内容といろいろとセンスがよかったんですね。コンビ結成後の珍エピソードはありますか?
石山:僕の結婚式で友人代表のスピーチを藤田がしたのですが、緊張のあまり始まったあたりから普段飲まないウイスキーを飲んでベロベロなってて。スピーチの途中で自分の恋愛話をし始めるということがありましたね。あとは珍エピソードではないですが、一人暮らしで高熱が出たときに家に来て、うどんを作ってもらったのですが、普段、僕が捨てているネギの緑の部分が入っていたのに美味しかったので、こいつ本当に料理うまいんやなと感動しました。
そんな相方思いの藤田さんと迎えた2014年のキングオブコントでは、見事ファイナリストに選ばれましたが、当時はどのような心境でしたでしょうか。
石山:とりあえず、ずっと目標として掲げていたので、嬉しかったというより、ホッとした方が大きいかもしれません。実はダンシングフィッソン族は2年前にできていたのですが、準決勝までに細かく変えていって、音響さんと照明さんと協力して仕上げていったので、関係者全員で勝ち取ったなぁとしみじみ思いました。
その後、ダンシングフィッソン族のネタが特に小中高生の間で流行り、ユーチューブなどにも頻繁にアップされています。優勝したシソンヌよりも面白かったとの声も多いですが、世間の反応に関してどう思いますか?
石山:率直にいうと、『コント=演劇』とは思ってない僕らのネタとシソンヌのネタとは、評価が違うのは必然なんだろうと思います。僕らは、これはこれで自分たちなりにストーリーがあって作ってはいるんですけど(苦笑)。でも、コント師としての技術や演技の面では、まだまだ及ばなかったと思います。また僕らは自分たちの得意な競技に持ち込んで戦ってきたので、比べてはいけないんだろうとも思います。子供が真似してくれたり、街中でダンソンを聞いたりすると、少しでも明るい話題が提供できてよかったと思います。例え、飽きたとか言われたり、消耗品の扱いを受けても、一瞬でも皆が笑ってくれる作品を作ることができたのは誇りに思いますよ。
テンポのいいネタなので子供にも人気と聞く一方で、若者が奈良の鹿を実際にヘッドロックして問題になったりもしていると聞きました。芸人は売れたら売れたで、その影響力というのも考えていかないといけないわけですね。そんなおふたりの周りで、まだ世には出ていないけど面白いオススメの芸人さんはいらっしゃいますか?
石山:リズム系では『8・6秒バズーカー』という結成半年のコンビがオススメです。
それぞれ名前に強い引きがありますね! 最後にバンビーノとしての今後の目標を教えてください。
石山:今後は、とりあえず東京を視野に入れて、たくさんの分野の方とお仕事ができたらと思います。世界での活躍も、もちろん諦めてませんし、声がかかったら絶対に行こうと思っています。あとは、やはり次のキングオブコントで、日本一を狙うということですね。
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2008年3月に結成されたよしもとクリエイティブ・エージェンシー大阪所属のお笑いコンビ。コントを主力に現在ライブ、テレビにて活躍中。主にリズムネタを得意としている。キングオブコント2014では決勝に進出したほどの、これからを担う芸人コンビ。キングオブコント2014で披露した『ダンシング・フィッソン』や『ハグゲッター』は特に評価が高く、ネットなどでは優勝したシソンヌを上回っていたとの声も多い。バンビーノのネタが放送された直後、「バンビーノ」という名前が「Yahoo検索ワード・ランキング」にて1位を獲得している。
2013年 キングオブコント 準決勝進出
2014年 キングオブコント 決勝進出
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