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Cheers インタビュー


異色の1MC1DJユニット

Creepy Nuts R-指定 & DJ松永

07/03/2016

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ファースト・ミニ・アルバム『たりないふたり』をリリース

 

R-指定 & DJ松永

リリース記念特別ロングインタビュー

 

 

高校生ラップ選手権、UMB、戦極MCBATTLE、フリースタイル・ダンジョン(テレビ朝日)など、いま日本国内でヒップホップ・ラップバトルがにわかに注目を集めている。その舞台で活躍するラップバトルの絶対王者R-指定と、唯一無二のトラックメイカーDJ松永のヒップ・ホップ・グループ『Creepy Nuts』が、1月20日にファースト・ミニ・アルバム『たりないふたり』をドロップした。今回弊紙では、業界内外から称賛の声が届く『たりないふたり』の内容に迫りつつ、ふたりの生い立ちやラップバトルの行く末などについてインタビューを敢行した。

 

1月20日にCreepy Nutsがリリースしたファースト・ミニ・アルバム『たりないふたり』の全体のコンセプトをお聞かせください。

 

R-指定:基本的に自己紹介的な、名刺代わりのアルバムにしたくて。個人としてのソロアルバムはあったけど、Creepy Nutsがどういうグループで、そのラッパーとDJはどういう人間性なのか。これ一枚聞いてもらったら、入口の部分はサラっとわかるような作品にしようと思いました。

 

DJ松永:トラック面で言えばライブ意識というのがありました。フェスとかロックバンドのイベントにも出る機会が増えてきて、その方面にも打って出ようという意識が強かったです。ヒップホップの現場で沸くらいのトラックだと、ヒップホップになじみのない人や初見のお客さんにはやや渋めというか。ノリずらいので、そこを意識して作りました。最近ヒップホップだとBPMが60~80で遅いテンポを倍でとるのが主流なんですけど、このご時世に一番遅いものでも110と、ストレートにめっちゃ早い曲ばかり収録しています。

 

HilcrhymeのTOCさん、SHINGO★西成さん、SKY-HIさんなどMC陣をはじめ、芸人やタブラ奏者、漫画家に至るまで、幅広い層から絶賛の声が届いていますが、リリースを終えたいまの心境をお聞かせください。

 

R-指定:思っていたよりいい手応えがあったのと、アルバムで歌われているパブリックエネミーに対する気持ちに共感するような人間性を持った人が増えているんだなと感じました。以前は明らかに少数派だったはずなんですよね。

 

DJ松永:潜在的にずっといたんだろうけど、曲を聞いた人が共感できることを声に出して言えるようになったんだなって。それをヒップホップというジャンルでやるというのが、珍しかったんだと思います。最近のヒップホップは不良だけの音楽じゃなくなってきているので、そういった人たちの心にも刺さったのではないでしょうか。『自分のことを歌っているように感じます』って共感の声が多かったのが印象的です。

 

R-指定:その構図自体は本来ヒップホップの基本の形なんですけどね。俺たちの表現していることって外から見たらヒップホップとはかけ離れているように思えるけど、表現している根っこの部分である、劣等感や世間からの拒絶など、パブリックエネミーを音楽にぶつけて訴える。それを同じような思いを持つ奴に向けて発信したら共感してくれる。そういう意味では、ヒップホップの根本的な発想に等しいんです。等身大の日本人のリアル人間関係の悩みというか、誰にでも当てはまるような内容になっています。

 

まず、『合法的トビ方のススメ』ですが、これは音楽で得る快楽は何より気持ちよく飛べるというメッセージがキャッチーなメロディに乗って伝わってきました。

 

R-指定:聴いていてノリがいい曲の中に、ちょっと皮肉のメッセージや毒のエッセンスが入っています。音楽やクラブカルチャーとは切っては切れない、ヒップホップとは縁の深いドラッグやお酒。そういう手段で快楽を得なくても純粋に音楽が好きなだけで気持ちよくなれる奴らもいる、お前もそうできるはず、というメッセージを込めています。近年のUSラップには年代に分けて流行のドラッグが出てきたり、ドラッグ自体の曲がある一方で、ある種カウンターというか。

 

『みんなちがって、みんないい。』は、お2人がヒップホップ業界に入ってから得た経験からでき上がったリリックなのかなと感じました。

 

R-指定:それも確実に入っていますね。ヒップホップの業界内で感じた人間模様の縮図をイメージしています。リリックは、1人目から2人目に、2人目から3人目に順々に話しかける感じで進んでいて、自分の主張を持っている者同士が主張をぶつけ合ってるという、ヒップホップの面白い部分を曲の中に入れました。

 

『爆ぜろ』だけ、モップオブヘッドとのフューチャリングになっています。これはどういったいきさつですか?

 

DJ松永:基本ワン・トラック・メーカーでやっているんですが、いろんな方向を打って出るために、いろんな方向のトラックを使ってみようということの一環で、同じ事務所のモップオブヘッドに、すでに発売している曲のインストロメンタルをもらい、それを編曲しました。生音がシンセサイザーという毛色の違う仕上がりになっているんです。

 

『中学12年生』のタイトルの由来は?

 

R-指定:単に俺自身が24歳で、10年前の中2の頃から何か変わったことや大人になった部分てあるのかなと考えたら、あんましなくて(笑)。そのまま延長線上でここまで来てしまって、精神的に中学校卒業できてないなと。世間では音楽やっていたりとか、社会人とかけ離れた生活や思想を持っていると中二病とか呼ばれたりするじゃないですか。ラップなんて、モロそういう対象にされがちなんですけど。中二病?ふざけるなと。俺なんてもう中十二病や!!と。その当時のノリをええ大人になってもやり合っている。これって楽しいことやろ?という思いが込められています。

 

DJ松永:Rが1991年生まれで俺が1990年生まれなんですが、同世代のやつが聴いていたら『懐かしい、やってたやってた!』って思えるアルアルがたくさん詰まっています。ガヤが基本の曲で、後ろで聞こえる音やトラックの変化も歌詞に関係している面白い仕掛けになっているんです。

 

『たりないふたり』は「女の子が怖い、目見れない。」「バーベキューも行きたい」「その写真をフェイスブックにアップしてめちゃめちゃ『いいね』押されたい!」「頭のよさそうことつぶやいてツイートされたい」など、5曲の中でリスナーが共感する部分がもっとも多い音源だと感じました。

 

R-指定:俺が山里亮太さんの『不毛な議論』のリスナーで、松永さんがオードリーのオールナイトニッポンのヘビーリスナーで。山里さんと若林正恭さんがやっていたテレビ番組『たりないふたり』からのインスパイアです。彼らに欠落した社交性などの足りない部分や不満に思っていることなどを面白おかしく笑いに変えてネタにしていた番組なんですが、自分たちも同様の気持ちを怒りの曲に変えたり、情けない曲に変えたり、笑える曲に変えたりしているのですごくシンパシーを感じました。『たりないふたり』という曲を作って、それをアルバムのタイトルにしようという思いは、実はアルバムを作る前から話していたことなんです。

 

DJ松永:下手したら音楽より聴いているんじゃないか?というくらい毎日ラジオを聞いていて。芸人の素だったり、テレビに出るひとつ前の段階の卸ネタが聴けるので面白くて。ラジオを聴いているとテレビの彼らをより応援したくなるんですよね。

 

先週のフリースタイルダンジョンでは、Creepy Nutsのパフォーマンスもあり、最近テレビでの露出が増えていると思いますが、『たりないふたり』に反して最近はモテてませんか?

 

R-指定:どうなんですかね。でも重要なのはそこではなくて、もちろん本家のふたりも当然めちゃめちゃモテてるんですけど、寄ってきたところで何も進展しないというか。もともと女性の扱いに慣れている人だったら、円滑に進めることができると思うんですけど。俺の周りは女性が苦手でうまく付き合えない奴が多くて、童貞仲間も多かったんですが、仲間がある程度卒業していってから思うのが、『実際初体験をしたからって、精神的に童貞を卒業できてないな…俺ら』みたいな部分があるんです。童貞とは熟成させた期間とか、その期間に自分がため込んだものや、世間から受けた被害妄想が多ければ多い人ほど、それがものすごい足かせとなってまとわりつくというか。本質は変わらず全然根っこに残っているというか。だからいざ『ファンです、テレビ見てました♡』と来られても、『あ…あ、ありがとうございます…』ってなってしまう。いつまでも本質は変わらないんですよね。 ちょっとめんどくさい話になっちゃうんですが、モテてこなかったり、世間に相手にされてこなかった意識が強い分、逆に自分の音楽という武器で世間を認めさせて振り向かせたらすごく気持ちいいんですが、そこで振り向いた女性に対して『ちょっと待て!』と思ってしまうんです。『今お前が来てるのはラップをしている俺やろ。じゃあなんで中学高校で相手してくれへんかってん! 』という怒りの方が大きいという(笑)。本質を見てくれていないというか、自分の中で一番いい状態である音楽やっている部分だけを見て好きと来られても、普段の俺ら心の闇とかめっちゃひどいから(笑)

 

DJ松永:素を見せたら捨てられるリスクとか考えると怖いですね。本当の根っこの部分の人間性を受け入れてくれないと、たぶん俺ら無理なんですよね。

 

R-指定:ちなみにアルバムの発売日が同じSKY-HIさんには黄色い歓声が100パーセントなんですが、我々は90パーセントが男性という…。

 

DJ松永:最近やっとTwitterのフォロワーの割合が88パーセント男性、12パーセントが女性になりました!

 

R-指定:内容を共感してくれる女の子はいわゆる変わった子とかオモロイ子が多くて、わかりやすいザ・女の子っていう感じの子は少ないですね。男性女性問わずファンがいるだけでありがたいという感謝は大前提なんですが。男はイカつい奴も暗い奴も楽しそうな奴も幅広くいっぱい来てくれます。インストアイベントでも、『僕も根暗で』とか『僕も童貞で』と言って来てくれるんですよ。

 

R-指定さんは19歳のときに童貞喪失したときのトラウマで、一時期に風俗に通っていたと伺いましたが…。

 

R-指定:はい…。ライブとかバトルで東京に行き出した頃、いつも見に来てくれる年上の綺麗なお姉さんがいて、UMB決勝にも来てくれてて。一回戦負けしたこともあって勇気を振り絞ってご飯に誘いました。童貞友達には『旅立ってくる』と宣言して。ご飯を終えてから、『今夜はネカフェ泊まろうかな』と振ってみたら、渋谷のめっちゃロビーの広い高級ホテルに連れてってくれて。ひょこひょこ部屋までついてったら、東京タワーとか東京の夜景が一望できるスイートルームで。お風呂が大理石でAVとかエロ小説に出てくるような部屋でした。で、終わった後に『ごめんね』と告げられて…『私、結婚しているんだよね』と。28歳くらいと思っていたら、オカンでもおかしくないくらいの年齢のキャリアウーマン、しかも人妻で童貞を捨ててしまって…。『人妻のアバンチュール的な火遊びの火種になってしまった! そんなこと全然匂わさんと…女の人怖い…信用できん!』てトラウマになって、そっからもう風俗に行きまくるっていう(笑)。

 

壮絶な体験談ですね…『非モテ系』を自負されているお2人ですが、松永さんはまだ、済まされていないということをうかがいました。「みちのり」という意味も含む『童貞』について、熱い思いをお聞かせください。

 

DJ松永:積極的に守りに入っているわけではなくて、そもそも童貞卒業に重きを置いていないというか。俺は、つまりは独身なんですよ。結婚願望が強くあって、結婚とそれはセット販売というか。周りはどうでもよくて、己の本能に従って生きていますね。

 

R-指定:自分のなかのルールには絶対逆らわない人で、潔癖で完璧主義で頑固。割りと自意識や自信も高い。ただ、頑なに片足でずっと突っ立って来た人やから、その考えの根幹を揺るがされるような出来事があったら、すぐ逆足をポンてつくような極端な人ですね。だから俺は童貞捨ててもあまり変わらなかったけど、松永さんは童貞捨てた瞬間にめっちゃ遊び人になるかもしれないですね。

 

アルバム・ジャケットのイメージは?

 

R-指定:仲間にTAKE Mっていうラッパーがいて、着ている洋服とかのデザイン系は全部彼にやってもらってます。ジャケットの構図は本家『たりないふたり』を参考にしています。

 

DJ松永:イラストでちょっと情けないキャラクターにしたかったので、グロテスクでキャッチ―な自分らの特徴を生かした生き物のキャラクターにしてとお願いしました。

 

R-指定:当初、松永さんの口もとが鯉っぽいというイメージからの採用だったんですが、結果俺がめっちゃ似ていたという。よくこういう顔してボーっとしてます。昔からTAKE Mとはふたりでラップの練習したり、童貞仲間でもあり、なんならたりない3人目という存在です。

 

DJ松永:人間性をよく知っているので俺らを表現するのに適した奴ですね。

 

2014年、R-指定さんがUMB 3連覇達成後に、Creepy Nuts本格始動のコメントを残していますが、そもそもお2人の出会いは?

 

R-指定:大阪の梅田サイファーで出会ったKOPERUって奴が高校生の頃に、平成生まれの同世代ラッパー&DJで、日本全国で頑張っている奴を大阪に集めたイベントに、新潟から松永さんが来たのがきっかけです。その当時やっぱり若くして名を挙げている奴って、圧倒的に東京や沖縄、福岡の出身者が多くて、どこどこ高校で頭張ってて、先輩たちと渡り歩いて来たような、ヤンチャでカッコイイ奴が多かったんです。だからモテない感じでボンクラなのにラップを楽しんでるような奴って大阪組の俺らだけなんちゃう?と心配していていました。そうしたら新潟からヘラヘラした奴が来て、『あ、こいつもや』と思って。『はいはいはいはい、こっちおいでこっちおいで』と仲良くなりました。

 

DJ松永:大阪に行く前から『松永さんはきっと大阪組とは合うと思いますよ』って言われてて。俺から見ても、『ああ、こいつらダサいダサい。』ってホッとさせてくれたんです。ミュージシャンとしての才能を認めあったうえで、『めっちゃ人間としてダサいよな』『お前もな』みたいな。音楽とっぱらって地元の仲間の男子校ノリというか。

 

R-指定:怖い人が来るんだろうなってそうとう身構えてたんですけどね。『同い年だけど絶対あいつら童貞ちゃうで。俺らだけちゃう童貞って?』って言ってて。『ちなみに松永さん…あの…セック『あ、童貞です』みたいな(笑)。ソウルブラザーってお互い呼び合ってました。

 

それからライブとかでDJをやって頂いたり、松永さんのソロアルバム『サーカスメロディー』で一緒にやったりしてたんですけど、Creepy Nuts名義では行っていませんでした。本格的に開始したのは2015年からですね。

 

松永さんがDJを始めたきっかけは?

 

DJ松永:ライムスターのラジオを中2頃から聞いていて、それをきっかけにヒップホップが好きになって。高2でそれまで続けていたサッカーを辞めたタイミングで、バイトで貯めていたお金で何となくターンテーブルを買ったらハマりました。それがやりたいことと思えるようになったら、ほとんど学校も行かなくなって。親も諦めてたんで、その後すぐ学校も辞めて、その流れでここまで来た感じです。

 

小学生低学年の頃はどのような感じだったんですか?

 

DJ松永:両親が美大で出会っているんですが、親が俺に絵画を描かせたくて絵画教室にずっと通わされてました。俺はゲームのキャラクターとか書くのが好きだったんですが、親は、『リンゴとか猫とか書きなさい』ってキレてて。それであるとき描いた絵を学校に持っていったら、ワーワー言われたので調子に乗って。小4くらいまで、毎朝に誰よりも早く登校して、学校の教室のドアのみんなが必ず見るところに渾身の一枚を貼り続けました。たぶん俺、陰口超叩かれてたと思います(笑)。先生もだれも止めてくれない痛すぎる小学生でした(笑)。途中で我に返ってやめましたが。

 

そんな松永さんのファーストアルバム「DA FOOLISH」では実に豪華なキャスティングでしたが、どのようにして選出されたのですか?

 

DJ松永:完全に好みですね。トラックメイキングを始めたのが19歳くらいで、アルバムを出したのが20歳。上野さんと一緒にやった曲はトラック作り始めてまだ2曲目だったんですよ。トラックメイキングを始めて、どれくらい最短でアルバムを出すことって可能なんだろうかというチャレンジでした。伝手を辿ったり、自分でコンタクトを取ったりして、貯めていた上京資金を叩いて各アーティストさんにお願いしました。今だったらアルバムコンセプト先行で考えながら作るんですけど、当時はノウハウがまったくなくて。ただいい曲を作りたいと漠然に思って計算もせずに制作しました。雑と言えば雑でしたが、今同じものを作れって言われたら作れないものができたと思います。あのときの自分にしては頑張ったなって。超無名だった自分にとって全員格上の方ばかりだったので、交渉という感じではなく、死ぬほどぼられた経験もあり、いろんな意味で思い入れの深い作品ですね。

 

Creepy Nutsのほかにも、TOC(ヒルクライム)のライブDJやトラックメーカーとしてさまざまなアーティストに音源を提供したりと活動中されてましたが、いまでもクラブなどの現場で回したりするんでしょうか。

 

DJ松永:もともとライムスターに憧れていて、俺の思うDJ像がラッパーと一緒にやっているDJで、それになりたくて始めたので。一時期はクラブDJにも向き合った時期があったんですが、自分のやりたい活動じゃないと感じました。いまは100パーセントCreepy Nutsの活動だけに集中しています。

 

トラックメイキングのインスピレーションは、日頃どういったときに感じるのでしょうか。

 

DJ松永:サンプリングなので元ネタを聞いているときが一番多いんですが、最近は自分の好きな曲というよりも、Rがどういう曲を作りたいのかを頭の片隅に残しといて、ネタを探している感じですね。

 

海外の音源に影響を受けることはあります?

 

DJ松永:そこまでがっつりは聴いていないですね。トラック制作は完全に自分の感性に任せていて、音先行ではなく内容先行で行っています。なのでヒップホップのトラックに限らず、歌詞がいい日本語の曲も参考にしています。最近は竹原ピストルさんしか聴いていないですね。朝から晩までずっと聴いてます。その前はザ・ブルーハーツさんとか、フラワーカンパニーさんとか。こういうのCreepy Nutsで作りたいなって、インスピレーションを得たりしていますよ。

 

R-指定さんは、2012年のUMBのウィ二ングラップで、勉強でもスポーツでも人に勝ったことなかったけど、頑張ればこうしてみんなの頂点に立てる、と歌っていましたが、実際はどのような幼少を過ごされましたか?

 

R-指定:とりあえず、一人っ子でいとこも年が離れてたし、近所にも遊ぶような子もいなかったので、小さい頃は家族でいる時間が多かったです。外でみんなで遊ぶというのを小3くらいまでしてりなかったんですよ。ずっと絵を描いたりとか、映画とかも好きで。小4でミニバスケを始めて、そこで初めて友達と遊び始めました。でも基本やっぱりスポーツが苦手だと小学校では全然人気者にはなれなくて。中学でイケてるグループに入ろうと頑張るんだけど、球技とか苦手なうえに勉強もできる方じゃなかったので、すぐに諦めてしまいました。高校に入ってからも自分に自信がなかったから、頑張って流行に合わせようとしたり、賑やかにやっているところに溶け込まないといけないとか、周りに合わせないといけないと考えていました。スポーツが苦手な自分はカッコ悪くて、みんなと同じようにできない自分はダメなやつなんやと塞ぎ込んでいました。
でもあるとき、ライムスターの「グレイゾーン」を聴いてからヒップホップを聴くようになって、『あ、全然いまの自分のままでいいんや。なんで合わせなきゃあかんの?』と思わせてくれたんです。それまでヒップホップって不良の音楽だと思っていたんだけど、ライムスターを聴いて、そうじゃないんやと。むしろそうじゃない奴がやる方がヒップホップの本質的には当てはまってるんじゃないか?と思ってラップを始めました。

 

その後、梅田サイファーへ参加するきっかけは? 不良というわけでもなく、目立つわけでもなかったR-指定さんが、サイファーに参加することって、すごく勇気が必要だったのではないでしょうか。

 

R-指定:Wu-Tang Clanの「C.R.E.A.M.」など、アメリカのヒップホップの映像を見ると、サイファーってプロジェクトの端っこで、寒いなか焚火を囲んで黒人たちがやっているみたいなイメージを連想しがちなんですが、当時はそんなことは知らなくって。よく一緒にラップしていたLARDって奴と、『クラブでは同年代くらいの奴がラップしてるけど、クラブは怖いから行くの嫌やな』って話してて。ネットで梅田サイファーを見つけたら、普通のお兄ちゃんたちがゲラゲラ笑いながらやっている動画を見て、俺らの楽しんでる感じと近いなと思って、勇気を振り絞って行ったのが始まりだったんですよ。 最初こそ緊張しましたが、FUNKさんやKOPERUなど、すごく波長の合う人ばかりで。特にKGさんはすごい喋りかけてくれて、いやすくしてくれました。TAKE Mもここで会いました。いままでの人生では会ったことのないような、中卒やったり、引きこもりやったり、いろんな変な奴ばっかで、世間の視野が広がりました。『もう学校の同調圧力に従わなくっていいんや、俺は自分の世界で生きていけばいいんや』と思わせてくれた場所でした。コぺルは同い年って聞いてて、めっちゃうまくて衝撃で、みんな全く止まらずできてるやんて、めちゃめちゃレベル高かったんですが、その中でひときわ衝撃だったのがFUNKさんでした。

 

DJ松永:異常に上手い。上手すぎて伝わらないというか。何度も試合を動画で見直さないとわからない緻密さで機械みたいなんです。

 

R-指定:ライムの質や、絶妙な気持ちいい韻を踏んでくるというか。上手くて面白いFUNKさんには衝撃を受けましたね。明らかに思ったのは、この人らやっぱ俺と一緒で心に闇のある人たちなんやなって。その中でひと際闇を抱えていたのが、FUNKさんやったりKGさんやったり。触れたことのない闇を持った先輩やって。でもすごくみんな優しくて『パー券売ってこいや』みたいな体育会系のノリは一切なかったので、上下関係がなくって居心地がよかったです。いい意味でいつも割り勘やし、まるで同い年の友達のように遊んでくれて。だんだん闇持った同士がお互いに理解しあって角が取れていった感じで、いまでも居心地がよくて、付き合いやすいんです。

 

2010年、2011年と1回戦敗退という結果だったのですが、どういった心境でしたか?

 

R-指定:初めて行った2010年は、まず大阪代表になれたこと自体が自分の中で大金星やって。それまではHIDADDYさんが4年連続優勝したり、その次にERONEさんが勝ったりと、韻踏合組合のレジェンド級の人たちしか大阪代表を背負えなかったのに、いきなり年もひと回り下の19歳で大阪代表になれて。すごく重たい看板を背負うことができてなにより嬉しかったです。決勝はみんな知ってる面子ばっかりで、特に晋平太さんは俺の存在に注目してくれてて、東京で晋平太さんと会ったコぺルに「あいつによろしく言っといて」と伝言したり、大阪までわざわざ俺のパフォーマンスを見に来てくれるほど、本気で狙いに来ている感じでした。実際、決勝のくじ引きを引いたら一回戦目に晋平太さんと当たって。自分の中でも絶対爪跡を残そうと一生懸命バトルしました。結果は一回戦負けでしたがインパクトを残すことはできたと思います。
2011年はきつかったですね。全国である程度の知名度も出てきて、バトルに呼ばれたり、若手の中でUMB優勝候補と言われたり。今年はRを誰が倒すのか?みたいに、すごく祭り上げられた状態で出場して、一回戦目でDOTAMAさんに負けたので恥ずかしすぎて。その晩は初めてヤケ酒しました。そこから1年塞ぎ込みましたね。ちょうどタイミング悪く大学もお金が払えず辞めてしまって。自己啓発本を読んだり、徘徊したりと、危ない時期を乗り越えて2012年の優勝を迎えるわけなんですが。

 

その後、2012年、2013年、2014年と3連続優勝しています。初回優勝を果たした2012年はどのような心境で臨んだのでしょうか。2010年、2011年とは何が違ったのでしょうか。

 

R-指定:全然違いましたね。高校生のときからバトルに出ているんですが、その当時から気合入れたら空回りするタイプだったんですよ。大阪予選など、これは勝ちたいと意気込んだ大会で勝てなかったり。逆に何の気なしに友達の付き添いでふらっとエントリーしたバトルで優勝したりして。だから力を抜いて普段通りにバトルに臨もうと思って大阪予選に挑んだら、初めて大阪予選代表になれたんです。決勝でも普段通りやろうと思って挑んだら晋平太さんに一回戦でやられて。2011年も大阪予選を普段通りで臨んだら代表になれたんですけど、普段通り挑んだ決勝でやっぱりDOTAMAさんに負けて。あれ?みたいな。2012年も大阪予選を普段通り臨んだら、なんだかんだ3連覇達成できて。当時から仲良くしてくれているERONEさんが3度目の決勝を気にかけて『R、今年のUMB決勝はどう?』って聞いてくれたとき、『2回連続一回戦負けしているんで、あんま意識してもあかんので普段通り行きます』って答えたんです。『お前、それ毎年言ってるけどな。力抜いて普段通り行くっスって言って、いつも一回戦で負けてんねん』て言ってくれて。『年末はやっぱ特別な場所やし、大阪予選は、お前のキレキレな感じが普段通りに出てるけど、決勝は地元背負って来た奴らの一年の総仕上げみたいな特別な場所でお客も上がりたいから、気合入れて地元背負って行ってきます! 任せてください!くらいの気持ちでいったほうがええんちゃうかなと俺は思うで』と助言してくれて。その夜のイベントで『あと一週間で決勝やけど大阪任せてください。俺がとってくるんで』と後戻りできないように宣言しました。それまでは気合入った奴をスキルでなぎ倒すのが気持ちよかったんですけど、今回は一戦一戦絶対勝とうと思って気合いを入れて臨んだんです。

 

そこで手にした初優勝はどんな気持ちでした?

 

R-指定:最初は全然実感なくって。ちょっとふわふわする、どうしようみたいな。それよりも一年間塞ぎ込んでいた状況からやっと抜け出せた感じがして、ホッとしたという気持ちが大きかったですね。『俺にもまだラッパ―としての道があるかもしれん』て思うことができて嬉しかったです。

 

その後連勝していくわけですが、フリースタイルでのバトルで勝てば勝つほどに、それがプレッシャーに感じることはなかったでしょうか?

 

R-指定:プレッシャーはありますね。あと客の心理的にあまりタイトルを取りすぎると勝って当たり前みたいな感じになって、強い奴が負ける姿を見たがるようになってくるので、どんどん勝つのが難しくなりましたね。

 

2012年の優勝賞金で作ったアルバム『セカンドオピニオン』ですが、バトルでのR-指定さんとは打って変わって、弱い部分をさらけ出したような、等身大の内容になっていると感じました。ファーストアルバムはどういったコンセプトで作られたのでしょうか。

 

R-指定:バトルでは好戦的で本来の自分とはかけ離れたイメージを植え付けてしまっていたので、勘違いしている人たちに俺の内向的な部分を知ってもらいたくて。バトルで見せてない面をピックアップしてアルバムに出したという感じですね。

 

バトルと音源作り、それぞれどのように捉えていますか?

 

R-指定:バトルは毎年毎年挑む気持ちが変わってきていますね。最初は人前でラップする場所がほしかったからバトルに出て。そしたら勝ちたくなっきて。勝つようになったら、今度はデカい大会に出たくなって。3連覇に挑んだときは人生で一番プレッシャーがかかったんじゃないかという年末を過ごしました。現在、フリースタイル・ダンジョンに挑むときの心境は、『ラップはすごいもんなんや』ということを視聴者に理解してほしい気持ちでやってますね。『みんなが思っているようなヨーヨーチェケラッチョな感じだけじゃない。イカつい人だけのものでもない。いや、ラップはイカつい人でさえも頭を使って戦う知的な遊びで、命を削って表現している熱いもんや』ということを伝える気持ちでダンジョンには挑んでいます。
音源を作るさいの意識は、いままで理解されてこなかった、拒絶されてきた、という思いが人一倍強い分『わからせたい、認めさせたい』という気持ちが俺は特に強いかもしれないです。『これが俺なんじゃ!』という。最終的に等身大のままのダサい俺を認めてほしい、カッコイイと思ってほしいというか。誰しも自分はこのままやったらダメなんやと思いつつも、なんでダメって言われんねやろ?という気持ちってあると思うんですよね。

 

語彙力やライミングなど、普段どのようにフリースタイルを鍛えているのでしょうか。

 

R-指定:高校生くらいのときは、サイファーに通って朝方まで練習していたんですけど、最近はライブやってたりとか、人と喋ったり曲作ったりと、普段普通に生活していることがそもそもラップを上手くしているなと思っています。あと、遡ってみると、幼少の頃から大阪の実家とか親戚がすげえ喋る人ばっかしで、常に四方八方から会話が飛びかってて、聞いて返してという中で生きてきたので、昔からそういう地盤は鍛えられてたんやと思います。

 

DJ松永:Rは記憶力が異常に高いですね。前に一度聞いた曲とか、後からどんな歌詞だったか聞くと全部歌えるみたいなことがあるから、わかり易くそこは長けているなと思います。

 

バトルで生まれる言葉は、その場で一瞬にして全小説が生まれるのでしょうか。

 

R-指定:俺の場合は全然そうじゃなくて、俺がバトルのときに意識しているのは、相手の一番言いたいポイントは何か?を聞くことだけに集中しています。で、相手が言った言葉に対して関連した単語は一瞬で頭の中に出てきているんだとと思いますが、まず韻を踏んだ単語で返せるかどうかのフィルターを通って、接続詞とかは“出まかせ”というか。単語にくっついて出てきたもので。普通の会話のように言葉が出てくる感じと似ているのかな。最近のバトルでは標準語が多いですが、理屈で考えていないホンマの本音というか条件反射で出る言葉はやっぱり関西弁になりますね。

 

先月のフリースタイルダンジョンでD.D.Sさんをクリティカルヒットで倒しました。ADRENALINE 2014でのD.D.Sとのバトルを思い出したのですが、そのバトルで「ブラック企業Libra Records 馬車馬働き雀の涙」というパンチラインがあるのですが、Libra Recordsと9sari Recordsとの問題とは、一体どんなものなのでしょうか。

 

R-指定:アーティストと事務所の金銭的な問題という感じですね。そのパンチラインをバトルで言った経緯は、実はライブラの社長から『ネタにしていいからね』と言ってもらっていたからなんです。ブラックジョークというか。実際、俺自身はライブラから不遇な扱いはまったく受けていないに等しいというか、むしろ丁寧に扱ってくれた印象を受けています。ああいうことを言っても、『ネタにしてくれてありがとね』と言ってくれるくらいで。ライブラと9sari間の問題というよりも、ライブラの社長とアーティスト間のいざこざで、俺らはほぼノータッチなんですよ。

 

DJ松永:俺らは9sariにもライブラにもよくしてもらっています。むしろライブラには義理がありますね。

 

ではUMBに参戦しなくなった理由とその問題とは関係がなかったんでしょうか。

 

R-指定:全然関係ないです。3年もやったらしんどくなった、というのが本当のところですね。実際UMB 2015には、ライブという形で参加させて頂いていて、ものすごくライブラからのリスペクトを感じています。そもそもラップバトルをやりたくてラップを始めた訳ではなくて、バトルはラップの中のひとつと捉えていて。UMBにおいて、晋平太さんの2連覇を乗り越えて誰も果たせなかった3連覇で辞めて、バトルシーン出身者がアーティストとしても成功する道を作っていけた方が、これからラップを始めるやつにとっても夢があるやろうなって。あいつはバトルだけって思われていた奴がもっと評価されるようにもなると思うし。本当はバトルって凄いことなんやぞって。

 

ではUMBに戻る可能性はもうないでしょうか?

 

R-指定:俺より凄いなって思う奴が出てきたら戻りたいと思います。こいつはちょっと鳥肌立つな、次元が違うなと思ってしまう奴が出てきたら戦いに戻りたいですね。今はもうほとんどの人たちとやり合って、お互いの戦い方も殴り方もある程度分かち合って。『もう辞めましょうよ、さんざんやったでしょ?』みたいな感じなんで。

 

ちなみにR-指定さんが注目している若いMCはいますか?

 

R-指定:高校生ラップ選手権の審査員をやらせてもらっているんですが、Lick-Gくんは上手やなと思います。粗削りな部分はあるんですが韻のレベルが高い。梅田で俺らが何年か前にやっていたような質の高いライムをすでに高校生でやっているんで、このままいったらすごいことになるんじゃないかなと思います。でも若い子は皆上手いし、いまノーマークでも全然化けるので。迂闊なコメントは控えておきます(笑)。

 

ジャパニーズ・ヒップホップという枠組みを超えて、Creepy Nutsとして世界展開などは考えていらっしゃいますか?

 

R-指定:いまのところ考えてないですね。よく英語でやってみたらとか言われるんですが、海外に飛び出るために英語を覚えて英語の曲を作るということはしたくないんです。海外で認められてから、日本で後追いで認められるというのは、あんまりカッコイイと思えなくて。『なんでその海外の価値観に日本人が左右されてるの? お前らがカッコイイと思ったものがカッコイイでええやんけ』って思うんです。

 

DJ松永:日本でやっていることを日本人が聴いてカッコイイと思っているものが海外で評価される。それが海外で認められるってことだと思うので。まず目の前の人を魅了させたいですね。

 

海外にいると、日本語に強く誇りを持つもので、歌を聞くときは、特に日本語を大切にしているジャパニーズヒップホップが、聞いていて心地がいいです。オーストラリア・シドニーからリリースツアーのオファーがあったら、来てもらえますか?

 

R-指定:気持ち的には凄く行きたいです。

 

DJ松永:もしそういうオファーがあったらすごく嬉しいですね。

 

今後ジャパニーズヒップホップはどのような方向へ進んでいくと思いますか?

 

R-指定:自分たちがそこまで中心にいないのでなんとも言えないですが、とりあえずバトルブームがもう少し続く中で、流されないで、どうみんながいい音源を残していったり、ライブしていくのが重要なのかなって思います。

 

DJ松永:ヒップホップは普通の音楽シーンより移り変わりが早くて。2、3年経てば、全然知らない人が一番売れてて、最前線にいた人がレジェンド入りせずに消えていくということが全然ありえる厳しい世界なんです。ロックバンドとかだったら、宗教的、レジェンド的なバンドってあるじゃないですか。かたやヒップホップ好きのお客さんは、基本的にヒップホップそものもが好きで、特にラップゲームを好むんですよ。だから特定のファンがアーティストにつかず、その時のスターがもてはやされるというという特徴があります。現在している活動がそれを変えていくことに繋がればいいと思います。

 

今後の活動や展望を教えてください。

 

R-指定:俺らの思う面白いことや楽しいことを入れたミニアルバムをいくつか作っていければいいなと。ラジオやライブ、音源などいろんな形で俺たちの人間性、価値観を世に広めていって、同じような価値観をもった人が共感してくれたり、刺激を与えれたらいうことないですね。欲を言えば中学時代の自分みたいなやつが聴いて勇気を持ってくれたら最高です。

 

DJ松永:いろんなアーティストと一期一会のセッションで楽曲制作をするパターンもいままでありましたが、グループでああでもないこうでもないと曲を作っていくこの体制が、いま俺の中でベストに思っています。DJを始めた当初からずっと固定したヒップホップグループを作りたいと思っていました。Rとこの体制でずっとやっていきたいなと思っています。

 

最後にシドニーにいるファンにコメントをお願いします!

 

Creepy Nuts:ファンがいてくれていること自体がビックリですけど、我々は海外でのライブはおろか、海外旅行もほぼないので行ってみたいというのもあるし、そっちで日本の音楽に触れてくれたり、日本の音楽や言葉を忘れず大事に扱って楽しんでくれていること自体が嬉しいです。もしいつかオーストラリアに出向く機会があれば、ぜひ遊びに来てください。皆さんとゆっくりお話ししたいです。

 

 

たりないふたり

01.合法的トビ方ノススメ
02.みんなちがって、みんないい。
03.爆ぜろ!! feat. MOP of HEAD
04.中学12年生
05.たりないふたり

発売日 : 2016/1/20
発売元 : Trigger Records

 

 

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