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失敗を恐れないで、恥をかいた数だけ成長できる

村松貞治

30/03/2016

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失敗を恐れないで、恥をかいた数だけ成長できる

 

村松貞治

 

 

一見して華やかな職業で憧れる人も多い指揮者。しかし、そこにたどり着くための努力や、維持する難しさ、オーケストラという団体でひとつの曲を完成させるまでの気遣いなど、さまざまなプロセスを踏んで、初めて観衆の拍手に心から笑顔で応えることができるという。オーストラリアで活躍するマエストロ村松貞治さんにインタビュー。

 

 

音楽に興味を持ち始めたのはいつ頃からですか?

楽器をやりたいと興味を持ち始めたのは小学生のときです。動機があんまり格好良くないんですけど、野球を観てて、後ろでトランペットの音聞こえますよね。あれに興味を持って音楽を勉強し始めました。小学校のときは金管バンドを、中学校と高校では、吹奏楽部に入部しました。

 

指揮者を意識し始めたのはいつ頃からでしょう?

中学校や高校のときに吹奏楽部の部長だったのですが、部長というのは先生が出張のときに代わりに色々と任されてるわけで。何も学んでないうちから、とりあえず指揮を振る機会がありました。そのときにはまだ将来、指揮者になろうという気持ちはこれっぽっちもなく、受け身な感じで、自分には滅相もないという思いでした。先生がされていることはすごい難しいことだと思っていたので、自分だと何をやっていいのかよくわからなかったのを覚えています。

 

小学校から中学、高校と音楽に触れて、自分自身、音楽に対して素質がある、これは自分の職業になっていくという認識はありました?

すごく恥ずかしい話ですが、僕の場合は「自分には指揮者としての才能がある」っていう勘違いからスタートしたんです。高校生の頃、何の根拠もない自信に満ち溢れていて、実際に蓋を開けてみたらやっぱり何も才能がなくて。周りの人を見てみたら、「いやいやもっとすごい人がいっぱいいるじゃないか」って。慌てて一から勉強し直しました。

 

なるほど、でも結果的にはいい勘違いになったということですね。

恥ずかしい思いを今までの人生で何回も味わいました。人によって成長するタイミングって違うと思うんですけど、毎回僕の場合は、恥ずかしい思いをして、そこからステップアップすることが多かったですね。

 

そこから単身で渡英されて大学に入学されましたが、イギリスを選ばれた理由は?

どのみち西洋の音楽を勉強するのなら、本場で学ぼうという思いでヨーロッパに渡りました。高校までの間、ドイツ語やフランス語など他言語を何も習っていなかったけど、唯一英語だけは6年間の義務教育の中で学びましたので、消去法で英語圏のイギリスに決めました。

 

実際、イギリスに渡られた当時の心境は?

海外に出るのはそのときが2回目だったんですけども、1回目は高校卒業してすぐに、お世話になってた先輩がアメリカに留学されていて、「ちょっと一度海外っていうものを見に来いよ」と誘ってもらって渡米しました。ロサンゼルスに着いて先輩の車でハイウェイを走って、もうものの5分で車を銃で撃たれて、持っているものを全部取られて一文なしになったんです。多分どこかからつけられてたのかもしれません。その後3日間は脚の震えが止まりませんでした。で、とりあえずさっきの消去法でいくと、イギリスとアメリカが残っていたんですが、瞬殺でアメリカは消えました。もしかしてすごい国かもしれないけど、ちょっと命には替えられない、僕には合わないなと。それがイギリスに決めるきっかけとなりました。

 

映画のような話ですね。その後はアメリカには渡っていないんでしょうか?

15年ぶりの一昨年にアメリカに仕事で行くことになって。ツアーだったのでまあいいだろうと思ってたら、案の定すごく面白かったです。トラウマが消えるっていうか、まだすべて消えてないかもしれないですけど。

 

実際イギリスに着いてみてどのように感じました?

そのトラウマがあってから数ヵ月後だったんで、住みやすいところだなとは思いました。

 

イギリスで行かれた大学では指揮科に入られたのでしょうか?

指揮科は大学院からしかなかったので、中学、高校でやっていたフレンチホルンでまず大学を卒業する必要がありました。その後、指揮科に入るプロセスを踏みました。

 

なるほど。在学中に、ご自身で仲間を集めてオーケストラを作られたと伺いました。これはどういう心境からでしょうか?

先ほどもお話しした通り、学部は楽器で卒業しなきゃいけなかったのですが、僕としてはすぐにでも指揮をやりたい思いでした。でもやっぱりチャンスがないわけで。だったら、自分でアンサンブルというかオーケストラを作るしか方法がないと思い立って、友達をかき集めて始めました。

 

なるほど。すごい行動力ですね。

当時の大学生って結構時間はあったので。だから挨拶回りにいろんなところに行ってお願いする時間はありました。イギリスだとお願いすると、お金を払えなくても場所と人を提供してくれるというか、僕の中では当たり前だと思ったんですけど、友達だとお金を請求してこないで協力してくれる。オーストラリアではそうはいかないと思いますが。もしも僕がその時期にオーストラリアに留学していたら、多分シチュエーションは変わってたかもしれないですね。フレキシブルなイギリスとは結構違いますから。

 

公演もされていましたか?

一般のパフォーマンスは何回かしました。3年、4年かかって、最終的なオーケストラの形にしていったんですけど、最初はそれこそ吹奏楽じゃないですけど、小さなバンドから始まって。その当時、お客さんは、多くて40~50人からスタートしました。その翌年からストリングアンサンブルという、弦楽器だけを集めたグループと別々に運営していきました。弦は弦のコンサート、管は管のコンサートを行い続け、3年目4年目にしてその2つをくっつけて、ようやくオーケストラとしての形になりました。最終的なコンサートでは250人くらいのお客さんが集まりました。

 

運営は大変でしたか?

ボランティアで大勢の人を動かさなきゃいけないことがすごく大変で、彼らのモチベーションの維持に苦労しました。

 

その後、大学院の指揮科を卒業後、ヨーロッパに渡られていますが、具体的にどのような経験を積まれているのですか?

大学院を卒業して一度日本に帰国したんですけど、もちろん食べていけるだけの仕事にはありつけませんでした。これをずっと続けていても何にもならないと思い、とにかく自分の武者修行じゃないですけど、周りの同年代の指揮者と比べるのもいい機会だと思い、国内外のコンクールを受けまくったんですね。コンクールといっても書類審査すらも通らないケースもいっぱいあって。だからできるだけ、1回の渡航で効率よく多数のコンクールが受けられるような、そういうスケジュールを組んでいました。ハンガリーとかルーマニアなどで賞をいただいたんですけど、それはごく一部で、あとの8割9割は箸にも棒にも引っかからないレベルでした。

 

この経験を経て、その後シドニーの音楽院に入学されるわけですけれども、オーストラリアを選んだきっかけは?

マンチェスター時代の大学の同級生にシドニー出身者がいたのですが、当時彼から「いい先生がシドニーに来る」という話を聞いていました。そのときは聞き流していたんですけど、気にはなっていて。日本に帰国したさいにリサーチしていたら、イムレ・パロ先生というすごく有名な方がシドニーにいらっしゃるということでした。丁度僕が「新進芸術家海外研修制度」の研修生として文化庁からシドニーに派遣された2年間が、イムレ先生の滞在時期と被る幸運も重なり、先生から教えてもらうことができました。初めてのオーストラリアでしたね。

 

2008年に渡った初めてのオーストラリアの印象はどうでした?

とにかくアジア人がものすごく多い印象を受けました。オーストラリア人はすごく外人慣れしてるイメージ。奥さんとともに来豪したのですが、当時子供がほしかったので「ここなら子供にとっても最適だね」と。教育もしっかりしてるし環境も抜群にいい。僕の仕事云々じゃなくて、子供のファーストプライオリティーありきで決めた部分があります。

 

なるほど。ちなみにオーストラリアの音楽は、他国と比較してどうなのでしょうか。

昔と比べると質は飛躍的に伸びていると思います。ただ、僕がヨーロッパにいた頃と比べると、ヨーロッパはチケットの値段がめちゃめちゃ安くて、すごくいいものがリーズナブルに聴けたんですが、オーストラリアに来てまずチケットの高さに驚きました。この値段だったらもし興味があっても行ける人は限られてしまうんだろうと。だから豪華ゲストを海外から呼んで、オーストラリアでやっても、一般庶民まで伝わるのかというと、ちょっと疑問で。また、国民性として、文化とスポーツのどちらかと言えばやっぱりスポーツの方に興味がある人が多いんじゃないかなとも思います。そういう意味で日本人は文武両道じゃないですが、バランスがいいと思います。

 

大学院の卒業後、プロとして指揮をされるようになりました。意識の変化というのはありましたか?

どの仕事でもそうですが、商売で飯を食っていくとなると、どんな間違いも許されないということ。これがシリアスになればなるほど、プレッシャーはすごく感じます。中学校から始めた指揮は、当時は間違えても誰も文句は言わない。だけど大学生になると、僕があんまりできがよくなければ人が去っていきます。そして指揮を振ってお金を稼ぐようになると、間違えたら次から誘ってくれなくなる。仕事がなくなるとインカムもなくなる。というようにシリアスさがどんどん大きくなっていくんですね。ましてや今インカムがなくなったら家族が路頭に迷うわけで。そういう意味でもプレッシャーっていうのは常に感じていますね。

 

オーケストラにおいて、指揮者というポジションに就くこと自体、ものすごく大変なのではないでしょうか。学校を卒業されて、指揮者になりたいとオーケストラの門を叩いても、すでに前任の方がいたりして。どのようにチャンスを掴んでいったのでしょうか。

運ですね。本当に運です。例えば、今僕がさせていただいてるストラスフィールド交響楽団も本当にめちゃくちゃ運がよくて、もう5年もさせていただいてますが、まだ一応首は切られていないというか。ポジションに就いても、今度はそのポジションを維持するのが大変なんですよね。ある程度するとみんなは「よくて当たり前」っていうスタンスになってくるんです。人間は慣れてきますから。だからそういう意味ではハラハラがずっと続いてて、いつまでたってもリラックスできない。常に学ぶ気持ちでというか成長し続けるという、厳しい世界ですね。

 

ストラスフィールド交響楽団以外に現在定期的に指揮をされている楽団はありますか?

年に1~2回、名古屋フィルハーモニー交響楽団で指揮を振っています。それと子供の音楽教育のものを、愛知県岡崎市でさせていただいてます。合唱団の方ではシドニーさくら合唱団で指揮をやらせていただいています。

 

出身地で活躍されるというのはどのような気持ちですか?

18歳から海外に出て顔もろくに見せてない状況で、親に金銭的な意味でもお世話になって。今までずっと親不孝だったんですけど、そういう意味では、まずまったくプライベートな気持ちとして、親孝行が少しはできてるかなあと思います。それが唯一僕ができる親孝行かなと。

 

オフの日は、どのように過ごされてるんですか?

オフはほとんど家族と一緒です。シドニーに来て、カヤックや釣りなど海のスポーツがすごく好きになって。いつも車の上にはカヤックが積んであるんですけど、ほんとにちょっとでも暇があるとカヤックで海に漕ぎ出しています。湾内だったら波がそんなに立たないので、子供を前に乗せて、アジやヒラメ、タイ、カワハギなどを釣ってます。バランスよく、仕事とプライベートと楽しめるオーストラリアの素晴らしいところですね。

 

現在大学でも教えられてるんですか?

エクセルシア・カレッジでは指揮の振り方が必須科目なのでそこで6年ほど教えています。別にみんながみんな指揮者になろうと思ってる訳じゃなく、日本の音楽大学でも指揮は必須科目なんですけども、だから基本しか教えてません。あとはその大学の合唱団と、たまにアンサンブルも受け持ったりしています。

 

海外で働かれていて、日本での社会経験と両方の社会経験を持つ村松さんにとって、働くということにおいて両国の違いを感じたりしますか?

まず、指揮者に対して、日本ではものすごく別格に扱われます。いい意味でも、悪い意味でも。だけど、オーストラリアは普通にファーストネームで「サダ」って呼んでくれるんです。距離がすごく近いというか。一方で日本でプロフェッショナルなどであれば、いきなりマエストロと呼ばれたりして。そうじゃなくても大抵は先生と言われるんですね。「いやいや先生じゃなくて、指揮者です。ただの指揮者です」と距離を感じてしまう。だから、それこそシドニーさくら合唱団でも先生って呼ばれるんですけど、「できたら先生はちょっとね、あの村松さんくらいで、いいですよ」って。僕の場合、期間で言えば、海外の団体を指揮してるほうが長いので、こっちのスタイルの方が慣れてますね。

 

では日本人としてオーストラリアで仕事をされるにあたって、何か感じるメリットだったり、逆にデメリットはありますか?

僕の場合は「日本人だから」という目で見られたりすることはほぼ感じないですね。立っているのが「指揮者のサダである」というだけであって。僕が日本人だということはもちろんみなさん知ってますけど。逆に僕がわかりにくい英語を喋るから、みんなよく聞いてくれる。「ちょっとサダなんか言ってるぞ、ちょっと聞いてやろうよ」みたいな。流暢な英語じゃないがゆえにみんなが一生懸命聞いてくれるという変なメリットがあるんですね。

イギリス時代の大学の先生で、もう亡くなられた僕の恩師がいるんですけれども。いつも僕のリハーサルを見てて後ろで大笑いしてるんですよ。「なんでそんな笑ってんの」って聞いたら、「お前は英語を上手になっちゃだめだ。お前はこのままこの英語を維持しろ。お前の汚い英語と熱意だけで、お前はみんなを動かすことができるんだ。とにかく、上手く喋ろうなんてこれっぽっちも思うな」ってアドバイスとしていただいたことを思い出します。

 

確かに熱意が伝わりやすいかもしれないですね。さて、3月11日に行われる復興支援イベントで、さくら合唱団の指揮をされるそうですが、今回2回目の参加に対しての気持ちをお伺いできますか?

3.11が起きたとき、丁度僕はオーストラリアで仕事をしていました。毎日どれだけの方が亡くなったという数がどんどんアップデートされていく中で、僕はどうすることもできない、自分の無力さを感じていました。その思いがこういう機会で、何かできるのであればお手伝いしたい気持ちです。日本人グループのシドニーさくら合唱団と普段から一緒に歌わせていただいているんですけど、日本人のグループだからやっぱり皆さん統一の思いなんですよ。間違いなく、ひとつになれるというか、そういう一体感が生まれています。海外でそういう機会を与えてくださって感謝しています。

 

職業としての指揮者の魅力とはどのようなものなのでしょうか。

魅力といってもお勧めできる職業ではないかもしれませんが。やっぱり準備も大変だし、プレッシャーも大きく、コミュニケーション能力も問われる。本当に「ああ、やっててよかった」って心から思えるのは、最後お辞儀をして、拍手をいただいたその瞬間くらいでしょうか。そこにすべてが凝縮されています。お客さんからの拍手って僕にではなくて、パフォーマーに対してなのですが、パフォーマーが褒められることが僕にとって嬉しいことだと感じています。みんなで一生懸命頑張ったものに対しての賞賛ですので。あとは、オーケストラなり合唱団なり、「ここってもう少しこういうふうにしてくれるとありがたいな」と言う僕の思いを伝えて、それが音楽で返ってきたときはやっぱり嬉しいですね。もしかしたらそっちの方が、お客さんから拍手をもらうよりも嬉しいかもしれません。

この仕事の魅力ですが、僕が伝えたことに対してどういうレスポンスが返ってくるのか、そこがやりがいのある部分だと言えます。例えば今日、子供たちのオーケストラの指揮をやってて、彼らに説明するときに、やっぱり大人と同じ説明の仕方だったらだめなんですよね。伝えたことができないと「何でこんな簡単なことがわからないんだ」って心の中で思ってしまうんですが、逆に「なんでこんな簡単なことも説明できないんだ」とも言えます。常に鏡なんです。オーケストラも合唱団も自分に対しての鏡であるから、自分がよければ絶対いいモノが返ってくる。だけど、説明が上手くできなかった、もしくは人の心を動かすような魅力的なことを言えなかったから、みんなが、返してくれないんだなと。だから、いかにして自分の気持ちを人に伝えればいいのか、毎日すごく勉強になっています。

 

どうしてもうまく伝わらないときもありますか?

英語でどうしてもうまく伝わらないときは、逃げとして常に歌っています。歌ってこういう風にやってって。だから下手くそな英語で説明しようとするよりも、もっとこの口で擬声語を使って説明すれば、下手に説明するよりも理解してもらいやすいですね。

 

オーケストラ全員の方のモチベーションを維持することはとても大変ではないでしょうか。

相手の気持ちをできるだけ理解しようと心がけています。現在ストラスフィールド交響楽団のフルメンバーは70名くらいいますが、指示をするときに「そこのホルンパートの人」って言うよりも、できるだけ名前で、「そこの○○(名前)、ちょっと、ここもう少しこうやって」って呼んであげるようにしています。

あと例えば僕が指揮を振って「こうやれ、ああやれ」と言っても、「せっかく綺麗なメロディなんだからサダにフォローしなくてもここくらい私の好きにやらせてよ」って思っていることが、楽器をやっていると理解できたりもします。オーケストラの中でトロンボーンパートは休みがちなのですが、久しぶりに彼らが吹くときには、気持ちよく吹かせてあげる環境を先に作っておく。休むっていうのも仕事なんですよね。だから、休んでいるパートに対してもリスペクトを怠らない。そういう気遣いをしてあげれるよう心掛けています。

 

学ぶことが多いんですね。

自分が父親としてどうするべきなのかも学べますね。自分の子供に、「なんでそんなことがわからないの?」っていうのも、「何でこんな小さな子供に伝えられる能力がないのか」って、自問自答していますよ。大きい声を出せば通じるモノじゃないんだっていう。

 

今後の展望や目標をお聞かせください。

今後も日本での仕事は定期的にしていきたいと思いますし、オーストラリアでもいい仕事をしていきたいと思っています。ただ、今ある仕事を蹴って、新しい合唱団やオーケストラに行くことでキャリアアップと考える人もいますが、僕の場合はそうではなくて、シドニーさくら合唱団もそうですし、ストラスフィールド交響楽団もそうですけど、今携わっている思い入れの強い楽団とともにもっとレベルアップしていって、質を高めていきたいと思います。個人としても日本でいい機会を与えてくださっているので、そこで違う技術と経験を学んで、自分の音楽としてのスキルをアップしていきたいです。

4月に僕が指揮をするストラスフィールド交響楽団の演奏会があります。今回の演奏会は、「H - is for Hollywood」と題し、スター・ウォーズやハリー・ポッターなどお馴染みの映画音楽を演奏します。また、シニアウィークの一環として日曜公演に限り、シニアの方は無料となりますので、興味のある方はお気軽にお越しください。

 

同じように、今海外に来て、なりたい自分になろうと一生懸命頑張ってる若者たちが多いと思います。実際に成功された立場から、彼らに対して活きるアドバイスをいただければ幸いです。

僕の中では、まず自分が成功者とは思っていないのですが、若いジェネレーションが日本に閉じこもらず海外に来たっていうだけですでに素晴らしいことだと思います。僕もその当時の思いが蘇ってくるわけですけど。アドバイスになるかどうかわかりませんが、僕の場合には恥をかいて色々な経験して成長したっていうのがあるし、失敗して学んだことの方が多かったので、失敗を恐れず、恥をかいてでもたくさんのことを経験し続けてほしいと思います。

 

 

ストラスフィールド交響楽団 演奏会  

日時: 4月2日(土) 19:00開演
4月3日(日) 14:30開演
会場: Strathfield Town Hall
住所: Cnr Redmyre & Homebush Rds, Strathfield NSW 2135
曲目: ―映画音楽特集―
スター・ウォーズ
ハリー・ポッター
パイレーツ・オブ・カリビアン
プライベート・ライアン
フォレスト・ガンプ
ミッション・インポッシブル 他
チケット: 大人:$30
コンセッション:$20(5歳以下無料)
ファミリー:$80
※日曜公演に限り、シニアの方は無料
ブッキング:www.strathfieldsymphony.org.au

 

 

 

 

村松 貞治 (むらまつ さだはる)

愛知県岡崎市出身。オーストラリア、シドニー在住。

1997年 単身渡英。その後、ヨーロッパ各地、オーストラリア等で研鑽を積む。英国王立北音楽院(Royal Northern College of Music)指揮科、シドニー音楽院(Sydney Conservatorium of Music)指揮科卒業。
2001年 アイシス指揮者コンクール(英国ケンブリッジ)優勝。
2005年 才能ある若手指揮者に贈られるモーティマー・ファーバー指揮者賞を英国マンチェスターにて受賞。
2007年 第2回バルトークオペラ国際指揮者コンクール(ルーマニア)セミファイナリスト。同年、エメリッヒ・カールマン国際指揮者コンクール(ハンガリー・ブダペストオペレッタ劇場)ファイナリストおよび審査員特別賞受賞。
2008~2010年 文化庁の新進芸術家海外研修制度の研修生としてシドニー音楽院にて研修。
2010~2011年 イースタン・シドニー合唱団指揮者。
2011年 英国アングリア・ラスキン大学より名誉音楽博士号を授与される。
2013~2015年 ウィロビー・シンフォニー合唱団指揮者。
現在 シドニーにてストラスフィールド交響楽団音楽監督。エクセルシア・カレッジ(前ウェズリー・インスティテュート)講師。スズキ・チェロ・アンサンブル指揮者。シドニーさくら合唱団指揮者。

指揮をイムレ・パロ、クルト・マズア、サー(Sir)マーク・エルダーCBE、三澤洋史、澤和樹の各氏に師事。

村松貞治ウェブサイト:www.sadaharu.net

 

 

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