オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
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Cheers インタビュー


エンターテイナーTKの超絶人生をオブラートに包まずお届け!

中村鷹人

27/04/2017

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タウンホール・ジョージストリートの交差点で黄色いダックの恰好をしてバケツを叩くパフォーマーを見たことはないだろうか。みんなに笑顔を振りまくダックマン演じるエンターテイナーTKがシドニー生活を終えてカナダに旅立つことを聞きつけて、ダックマンの誕生秘話に触れるつもりで近づいたら、なんとエンターテイナーTKの超絶人生に迫ることになった。TKがみんなに笑ってもらいたいその理由とは?

 

 

TKさんの生まれはどちらでしょうか。

 

望まれて生まれてこなかったですが青森です。

 

おっと。自虐的ですね…新生児のときのエピソードがまず強烈だと伺いました。

 

できちゃった婚で、母が21歳のときに私を身ごもりました。父の祖母が畑と家を持っていて、父はおばあちゃんにしがみついて仕事をせずに生きていたので、子供ができたと聞いた父は子供を持つ覚悟が決まらず焦ったようで、蒸発してしまいました。お腹の中では、もう子供をおろせないサイズになっていた私を、当時レディースの総長をやっていた母は、気合で生むことを決意。自分の人生がここで変わるかもしれない。育児だけはやり遂げようと言う願いも込めて出産したそうです。

 

いまのところ美談の雰囲気がありますね。

 

母は僕が生まれてから、ずっと泣き続けていました。最初は子を持つことが嬉しくて泣いていたと、看護婦さんは思っていたようでした。しかし3週間経っても夜に泣き続ける母に、「お母さん、もう泣かなくても大丈夫ですよ。お子さんが生まれて嬉しいのはわかりますけど、そろそろ子供のことを考え出しましょうね。さあ泣き止んで」となだめたら、「こいつがうるさくて眠れねーんだよ!」と叫びだして、僕の首の骨が変形してしまうくらいに首を絞めたらしいんです。すぐに隔離されて、結局僕は3歳まで施設で育ちました。

 

その後、どうなりましたか?

 

父と母が復縁して僕を取りに来ました。そして青森だと稼ぎが悪いから、東京に家を借りて上京することになりました。母はいままで何もしてこず手に職がなかったので、料理の専門学校へ。父も東京で稼ぐことを決意して、新天地で再スタートすることになりました。

 

東京の生活はどうでしたか?

 

まず、僕の下には2人の妹が生まれて、そして亡くなりました。ひとり目は僕が3歳半の頃。ドライブ中に玉突き事故に巻き込まれてしまい、お腹の中の赤ちゃんが圧迫されてしまって、緊急で未熟児を取り出すことになったんです。生命維持装置のなかで生きていたのですが、徐々に衰弱して亡くなってしまいました。もうひとりの子は無事に生まれましたが病気を持っていました。実は父が東京に来てから仕事のストレスで、風俗にハマってしまい、性病を持ち帰ってきたのが母に感染したようでした。感染した母からは体の弱い子が生まれ、その子も半年くらいで亡くなってしまいました。

 

それは気の毒でしたね…。

 

それをきっかけに母が僕や父に対するDVが増えました。家の物を壊したり、壁に穴をあけたり。父と母が口論すると母が包丁を出すようになり、ついに父が耐えきれなくなり、父と母は離婚することになりました。「タカヒトはちょっと出てなさい」って言われて、螺旋階段でアンパンマンの人形を持ちながら中の様子に聞き耳を立てていると「タカヒトはどうするのよ?」「俺だって大変なんだから」っていう口論が聞こえました。その後、父が僕の顔を見ることなく出て行きました。その後ろ姿が僕の知っている父の最後の姿でした。その後に母が部屋から出てきて僕に一言「どうしたい?」って聞いてきて。答えられずにいると、その日に麻布十番の施設に連れていかれました。

 

施設ではどうでしたか?

 

正直に言うと、僕は生まれてから母の顔を見ることなく病院と施設で育って、3歳で父と母がいきなり現れて引き取られて。そしてやっぱりいらないって言われて施設に戻された感じなので、寂しいとかホッとしたという感情よりも、一体何だったんだろう。自分は何のために誰のために存在しているんだろうっていう気持ちでした。確かにDVからは解放されましたが、当時の僕には他の子供と比較することができなかったので、椅子に縛り付けられて殴られたり、根性焼きされたりしても、それが疑うことのない母親像でした。小さい頃からちゃんとご飯を食べていなかったので、体も小さく、施設ではいじめられていました。

 

その後また母親のもとへ戻った?

 

施設には1年ほどいて、そこからまた母が対外的な理由で僕を引き取りました。でも母は家にほとんどいなくて、2、3週間に一度来ては、ご飯を置いていく生活が続きました。保育園にはひとりで行ってました。その頃、母は夜の世界で働いていたようです。ちなみに料理の専門学校は中退していました。包丁を握るとどうしても殺意が芽生えるという理由からだったようです。母はよくお客さんからケーキをもらってきました。家にはいろんな色のろうそくがたくさんあって。夜にお腹が空くとよくろうそくを食べていました。赤がイチゴ味、黄色がレモン味。食べ物と思い込んでいました。最初は粘々して嫌だったんですが、飲み込んだらお腹いっぱいになるから満足するんです。しばらく食べ続けていました。

 

他にご飯はどんなのもを食べていたの?

 

ポテトチップスとカップラーメンを母が買ってくるので、カップラーメンは4等分して、4回に分けて食べていましたね。ポテトチップスも60グラムを10グラムずつに小分けにして食べていました。

 

ギャルみたいなご飯でしたね。

 

母は、東京ではギャルだったので実際に同じような食生活だったと思います。あと、ツツジは甘くてよく食べていました。一般的には吸うまでですが、色の良いツツジは食べも美味しいです。甘いレタスというか。それと近所で採れるクランベリーのような木の実も拾って食べていました。サバイバル技術は身に付きましたね。小学校の給食は翌日まで持たす勢いで異常に食べていました。給食費だけは母が出してくれていましたので。

 

よく道を外さなかったですね。

 

その頃、隣の家には同級生が住んでいて、いつも夜の7時になると2階の窓越しに話すのがすごく楽しみでした。しかし3ヵ月ほど過ぎた頃、その子が窓から顔を見せなくなってしまったんです。学校で会ったときに「どうして最近話ししてくれないの?」と聞いてみたら、急に引っ越したことを告げられました。どうやら僕が母から受けるDVの叫び声に耐えられなくなったことが引っ越しの理由のようでした。そのことをきっかけにもう2度と泣かないように、悲しい部分は誰にも見せないように。そして自分に関わる人には楽しく笑っていてほしいと願うようになりました。

 

祖父母のところにも住んでいたと伺いましたが、そこではどのような生活でしたか。

 

小学校5年から2年間、祖父母が東京に出てきてくれて一緒に住むことになりました。母がまた育児放棄をしたためです。その頃に吉本興業とも出会いました。吉本NSCジュニアという学校が東京の西大井にできて、第一期生で入りました。おばあちゃんがチラシを持ってきたのがきっかけです。

 

もともと笑いのセンスを持っていたんですか?

 

テストでわざと0点を取って友達から笑ってもらえたときに、初めて生きている実感を得たことをいまでも鮮明に覚えています。人が自分のことで笑っているだけで、初めて息をした感覚というか。生きている意味を理解できたというか。それが嬉しくてもっと人を笑わせたくて、自分で吉本NSCジュニアに行きたいっておばあちゃんに頼みました。吉本NSCジュニアには、当時まだ売れていなかったトレンディエンジェルさんやピースさんがお手伝いできていました。

 

子供として父親母親から得られなかった「人に必要とされる。認められる」という感情が、友だちに笑ってもらうという形で得られたのかもしれませんね。面白い小学生だったら人気があったんじゃないですか?

 

偉人50人の顔写真の下に名前を書く小テストがあったんですが、全部に織田信長って書いたら0点をもらったことがありました。「中村。この中に織田信長はいない」って、先生にみんなの前で突っ込まれたときには、爆笑に包まれて快感でした。しかしそんなことをしていると本当に頭が悪くなってしまい、中学へ上がる頃にはリアル馬鹿になっていました。中一最初のテストでは実力でビリを取ってしまい、今まで通りに「テストどうだった?」って聞かれたときに「俺最下位~」って笑いを取りに行ったら、誰も笑わないわけです。比較的に進学校だったので、「アイツには関わらない方がいい」という冷たい空気がそこにはありました。また孤独に逆戻りする不安に駆られて、それから必死に勉強を頑張りました。僕は暗記力がよかったので教科書を一から覚える手法で、中2くらいでいわゆる頭の良い方のグループに入りました。頭が良いと人に認められるということもよく理解しました。中3では生徒会長に、そしてテストでは学年で1位も取ることができました。

 

時給350円のアルバイトから高校進学

 

吉本NSCジュニアと勉強とを並行して、12歳から時給350円のアルバイトをしていました。郵便局の仕分けの仕事だったのですが、当時は雇ってもらえただけありがたかったです。都立の高校に上がったときには、中学で失敗したバカキャラは封印して、勉学に励みました。中2から高3まで漫才のコンビを組んでいて、僕はネタを書いていたんですが、グランプリで賞も取れるようになり、営業にも出たりして稼いでいました。吉本NSCジュニアは高校までだったので、高校卒業後、吉本でお笑い芸人として生きていくか、大学を出て知識と教養をつけて面白い人間になった後にお笑いの道に戻るのか。そのときの相方は前者、僕は後者を選びコンビは解散しました。自分がやりたいことを大学で探そうという思いと、一度お笑いを離れることで、お笑いが本当に自分に必要なことなのかも知りたかった、という思いもありました。吉本は本当に過酷な競争社会でしたので、実際にその世界から離れてみると肩の荷が下りた感はありました。

 

大学の学費はどうしたんですか?

 

給付金と貸付奨学金も借りて無事に大学へ進学しました。18歳のときに奨学金の保障人が必要で、母から父の住所を聞いて一度だけ訪れたことがありました。その家にはすでに誰もいなくて廃墟のようになっていました。呆然と立ち尽くしていると、その家の家主と名乗る人が現れたので、「ここの家の方にお会いしたいんですけど」と伝えると、家の借主は借金にまみれた経済苦を理由にこの家のクローゼットの中で自殺をしたことを告げられました。結局業者にお金を払って保証人を立ててもらい奨学金を借りて大学へ進学しました。

 

そうでしたか…。大学生活はどうでしたか?

 

アルバイトに明け暮れていました。バーテンダーやヒルズのレセプション、コールセンター、派遣で音楽イベントの管理者などして働いてお金も十分に稼いでいましたね。

 

20歳の誕生日で母親からもらったものが、なかなか珍しいものと伺いました。

 

20歳を迎えると久しぶりに母に再会しました。すると母から1枚の紙をもらいました。家族の縁を切る絶縁届のようなものでした。サインするときには区役所の方も同席して、「いいんだね。君がここにサインするってことは君がもうお母さんには頼れないっていうことだけど。いいんだね」と念を押されて。母の懇願の思いだったようでした。

 

これには2パターンの気持ちがあったと思うんです。本当にもう関わりたくないという①の気持ちと、息子には借金など相続させたくない。息子に迷惑かけたくないという②の気持ちのがあったのかなと思うんですよ。サインした気持ちはどうでした?

 

何しろいろんな意味がこもった1枚でしたね。でも母を恨んではいません。21歳で子供の面倒を看ることになった母を理解できたというか、23歳のいまなら理解できるというか。自分が生まれたことで苦労をかけた母を責められないという思いがありました。母を嫌っていたわけじゃなかったので、母が望んだ通りにサインして、「これからは他人としてよろしくお願いいたします」って感じでしたね。パニックにはならなかったです。

 

その後すぐに来豪していますが、どのようなきっかけでオーストラリアに来たのでしょうか。

 

大学では心理学を勉強していたんですけど、日本人以外の人の心理も見てみたくて多国籍で英語圏の国という意味でオーストラリアを選びました。もちろん英語の勉強という理由もありました。大学の4年間で貯めた貯金がシドニーに来て2ヵ月で、学費や生活費などですぐになくなりました。こちらに支社もないような留学エージェントを利用して、そこにも結構抜かれていたようでした。

 

最終所持金はどのくらいでした?

 

最後は所持金が6ドルになりました。今日も昼ごはんナシかーと思いながら、リッコムに住んでいたんですが、道にキノコが生えていて、美味しそうだなって迷ったり。友達にダルマレストランの6ドルの弁当を一緒に買いに行こうって誘われたけど、全財産ぴったりなくなるので断ったり。

 

それでパフォーマンスを始めたわけですね? ダックマンはどういう風に考えたんですか?

 

たくさんの方に発案方法を聞かれるのですが、日本から持ってきた派手なダックマンの格好で何かを演奏したら面白いのかなーと、ふと頭に浮かんで。ギター? ギターじゃない。ベース? ドラム? 高い高い。ん? じゃあバケツ? バケツ叩こう! どこにあるんだろう?って思ったのがリアルです。そして家を出て夢中に歩いていたらすぐ隣の家のゴミ捨て場に汚いバケツの山を発見してびっくりしました。人目に付かない夜中に戻ってバケツを頂いてから、綺麗に洗って外に干してその日は寝ました。

 

なるほど。バケツを見てから発案した訳ではなかったんですね。練習はどのくらいしたんですか?

 

翌日、バケツを1時間くらい叩いてみて、よし行けそうだと思って、バケツを持ってピット・トリートに向かいました。

 

早いっ!

 

所持金も空腹も限界の状態で、これしかないって思ったときの人間の行動力はスゴイですね。何しろ紅茶の茶葉を食べて、食い凌いでいましたので。

 

初日はどうでしたか?

 

ピット・ストリートに行ったら、そこにいた常連のバスカーに「バスキング何回目? 日本でやってたの? ここは遊びでやる場所じゃないから。やりたいんだったらハイドパークで何時間でも好きなだけやるといい。君が上手くなったときにまたここで出会えることを信じているよ」って洗礼を受けました。ルールを全然知らなかったので。

 

やっぱりピットモールはバスキングの聖地で厳しいんですね。

 

すぐにハイドパークの噴水前に移動して、まずは衣装も着ないで練習のつもりで叩いていたら、子連れのオージー親子が来て、お金を入れるそぶりをしてくれて。全然上手くないし、こんなんでお金を入れてくれるの?っていう感じで。その日の売り上げだけでも、一日おなか一杯になることができました。

 

パフォーマンスをしていて感じることは?

 

人の冷たさも感じますが、もちろん優しさも感じます。端っこの方で当たり障りのないギターをやっていれば、下手でも誰にも迷惑が掛からないのでいいと思うんです。ギターの音色は聞きたくなかったら無視できるので。でもバケツってうるさいんですよ。そして黄色い衣装なんです。聴覚と視覚に訴えてきて無視不可能というか。自分という存在がここで必要じゃないといけない、ある程度聞き心地が良くないといけないという責任がありました。当然迷惑そうにする人もいます。でも笑ってもらえたときに、ここにいる価値を感じることができるというか。小学校で友達に笑ってもらったときにスカッと感じた感覚がいまでも根底にあるように思います。

 

バスキング中に巻き起こる珍事件はありますか?

 

ホームレスの方とはよく揉めましたね。バスカーとホームレスは基本的にスゴイ仲が悪いんですよ。バスキングは道で行うわけですが、道はホームレスの根城。道暦が長いホームレスに「お前は招待もされていない人の家にズカズカ上がり込んで音楽を鳴らし、バケツをバカバカ叩き、HAVE A NICE DAY!とか言うのか?」って聞かれて。そんなことはしないって答えたら「お前はいまそれをしているんだよ。出ていけ!」って怒られたことがあります。コーラやお酒をかけられたり、バケツを蹴られたりしたこともありますね。今では和気あいあいとできています。「いつもありがとうダックマン」って言ってくれています。

 

あと、バスキングのルールをよく知らなくて、バスカー同士は50メートル離れないといけないルールがあるんですが、ハイドパークの噴水でトランペットを吹く黒人の30メートル付近でやっていたら、胸ぐらをつかまれたことがあります。ルールをしっかり読んでから始める時間が僕にはなかったので。道のルールは体で覚えていきました。

 

今後の予定をお聞かせください。

 

5月からカナダのトロントに移動します。スタンダップコメディアンとして活動していけたらと思っています。ダックマンは、エンターテイナーTKの持ちネタのという風に認識してもらえたら嬉しいですね。

 

将来はどうしていく予定でしょうか?

 

まずはエンターテイナーとして世界各地を旅する予定です。将来的にはその経験を生かして、喋りのお仕事に就ければいいなと思っています。まあ、自分が生きているって実感を感じることであれば、何をやっていても楽しいんじゃないかなって思います。何しろ『人に楽しんでもらいたい』その一心で底抜けのハッピーを世界中に振りまきたいです。

 

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