15/02/2019
ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会 愛のベトナム支援隊に密着レポート2018 後編
8月10日は、枯れ葉剤の撒布が自然環境と人間の健康に与えた壊滅的な影響を忘れないために定められた「枯れ葉剤被害の日」。今なお苦しんでいる枯れ葉剤の被害者の痛みを和らげるため、共同の努力を呼びかける日として、世界的に広く認知されるべき1日だ。その日から1週間後の8月17日から10日間、私は、枯れ葉剤被害者を支援するボランティア活動団体「愛のベトナム支援隊」に同行するべく、ハノイへと渡った。今回は支援隊密着レポートの後編を紹介したい。 写真・文/大庭祐介
支援隊の朝の日常
支援活動が折り返しを迎えた6日目の朝。蒸し暑くなる前のハノイの朝は何とも過ごしやすく、うらぶれた路地にあるカフェ(カフェと言ってもお酒もたばこも売っている何でも屋)で、コンデンスミルクたっぷりのベトナムコーヒーを楽しみながら、愛のベトナム支援隊をベトナム北部各地へと運ぶバスと通訳さんを待つ。待ち合わせの時刻7時50分を30分ほど過ぎたところで、ヘルメットの下から寝ぐせをのぞかせた通訳さんが到着した。
第一声が「集合を8時半と聞いていた」ということだったので、日本のスタンダードを持ち合わせた日本からの参加者はいささか納得がいかない様子だった。日本では10分前に集合場所に到着するのは常識で、頭に寝ぐせが付いているということは、つまり7時50分の時点で支援隊からかけた催促の電話で飛び起きて急いで来たのではないのか?と、さも言いたげな表情を浮かべていた。この日も頭に安定の寝ぐせをつけ、あわよくば移動の時間でもうひと眠りをたくらんでいたオーストラリア育ちの私にとっては、彼の遅刻のおかげで朝からゆっくりベトナムコーヒーを楽しめた恩恵への感謝が圧勝している。当たり前のことだがベトナム人はベトナム人。日本人ではないという根本から考え直すと、日本の常識にはめ込むべきではないのかもしれない。何しろ毎年この活動の準備に半年以上の時間をかけてベトナム人との交渉を続け、訪問先でもハプニングが続出する支援活動をまとめ上げる北村代表の苦労と、懐の深さは計り知れない。年に一度、お膳立てされたツアーに来ただけの第三者は、バスに揺られながら呑気にそんなことを思いつつ、落ち込む通訳さんに笑顔で親指を立ててから二度目の眠りについた。
山岳地域のホアビン省へ
2時間程度の山岳ドライブを経て、支援隊一行は、山岳地域のホアビン省のVAVA(NGOベトナム枯葉剤被害者協会)本部へ到着した。北村氏が制作した〝旅のしおり〟によれば、ホアビン省はムオン族の都で、〝和平〟という意味を持つ。山岳地帯なのに83万人もの人口を擁し、ベトナム北西部の平均人口密度の2倍以上を誇る人口集中地域というから不思議だ。ベトナムの主要民族であるキン族が中国文化の影響を強く受けたのに対し、ムオン族は山岳地帯で固有の文化を発展させたという。毎年ホアビン省VAVAのカオ会長のから支援隊へと手渡されるお土産の織物もまた、古くから受け継がれてきた慣習のひとつだそう。嘘か本当か、ムオン族の家庭で織機のない家はないと言われていて、綿栽培から養蚕、機織り、染色、衣服の製作まで、すべての工程を手作業で行うことができるという。カリスマ性に富み、勇ましい風貌のカオ会長から、今年も繊細なお花の刺繍を施したネクタイが支援隊に送られた。
その後、支援対象者であるリン君と昨年から支援対象となったハーさんと再会を果たし、奨学金を贈呈。カオ会長をはじめとしたVAVAスタッフとともに、近くのレストランでジューシーに焼き上げた鶏などを食べてから、午後はハーさん宅へ在宅訪問へと向かった。
ハーさんの父親はベトナム戦争の激戦地、クアンチ省のベトナムとラオスを分けるチュオンソン山脈などで、武器弾薬物資などをトラックで運んでいた。枯れ葉剤被害の症状としては糖尿病と高血圧があり、被害者として認定されている。母親も軍隊に所属していたそうだ。ハーさんのお兄さんも首や背骨が変形しており、被害者に認定されている。彼女の夢は日本に行くことで、いま日本語を一生懸命勉強している。
家にはこの訪問から1ヵ月前に建てたばかりの綺麗なカフェを併設していた。オープンテラスはバラやサクラ、ツツジ、フジなど、色とりどりの造花で美しく飾り付けられ、ラタンで編み上げた西洋風のアウトドアファニチャーが居心地のよい空間を演出している(写真①)。ハーさんの家庭のように、困難に耐え抜き、逆境のなかから成功を掴むケースもある。支援隊はハーさんを囲んで、持参したコシヒカリで一緒におにぎりを作り、お父さんには足湯マッサージを施した。
ベトナム文化の発祥地、ニンビン省での再会
8月22日、陸のハロン湾とも称される世界遺産の観光スポット『チャンアン』や『タムコック』があることで知られるニンビン省に訪れるべく、早朝にハノイを出発した。朝の通勤ラッシュを避けるために抜け道に入ったバスが袋小路に迷い込み、バイクの集団に囲まれた路地をバックで数百メートル戻るというハプニングがあったが、無事に回避して、今年もやや遅れてニンビン省のVAVA本部へ到着した。
タムコックとは3つの洞窟という意味で、手漕ぎの小舟で洞窟内の鍾乳石を見て回ったり、石炭岩でできた奇岩の景観を楽しむといった川下りが有名だ。支援隊はこの地で長期的に3名の支援を行っている。現在は3名とも大学まで進学していて、活力に満ちた素敵な表情をみせてくれた。毎年その立派に成長している姿を確認できることだけで、支援を続けてきて本当によかったと心から感じる。
ニンビン省きってのイケメン(支援隊の女子大生たちがそう呼んでいる)であるロン君(写真②)は、大学に通いながらハノイのカフェで働く。先日、企業インターンで家の建築を体験したばかりだ。レストランなどいくつかインターンシップをかけもちして社会勉強を積んでいるフエンさんは、大学卒業を来年に控え、現在は論文に取り掛かっているため、週末も忙しいそう。大学院に進む予定で、病院で働きながら、小児科もしくは皮膚科の先生を目指す。枯葉剤被害者は皮膚や奇形など表面的な被害だけではなく、目に見えないメンタルの被害もある。その点、枯葉剤被害を受けた家族を持つフエンさんだからこそできる医療のかたちがきっとあるはずだ。ぜひ成し遂げてほしいものだ。
そして3人目の支援対象者であるリンさん宅へ、昼食後に在宅訪問に伺った。リンさんのお父さんは枯葉剤被害者の第2世代にあたる。常に肺に痛みを持っており、気管がときおり痙攣するため、冬になると呼吸困難に陥る。比較的に被害の症状が軽度という判断で、国から枯葉剤被害の認定は受けていない。言い換えれば国からの支援を受けることができない。リンさんは頬や背中が痛いという症状はあるが、いまのところ生活に支障が出ないレベル。庭先に置いてある車いすの持ち主は、リンさんの叔父にあたるルックさん(写真③)のもので、下半身は動かないため、一級の被害対象者に認定されている。VAVAは被害者支援の一環で家を建てることもサポートしているのだが、リンさん宅はルックさんのために家の中にトイレを作った(ベトナムでは通常トイレは外)。リンさんのお父さんは、不定期でしか舞い込んでこない仕事の不安定な収入のなかで、リンさんの学費を稼ぐこと、そしてルックさんのサポートを継続的に行っていけるかどうかを、今一番心配しているそうだ。一方で現在、観光の学校に通うリンさんは、将来ニンビン省に残って環境業を目指している。多くは語ることはないリンさんだが、両親やルックさんがいるニンビン省で安定した収入を産み、家族を養っていきたいという思いが込められているのかもしれない。読者の皆さんがハノイに訪れるさい、もし時間が許せば、ぜひタムコックに観光で訪れてみてほしい。
ベトナム友好村にて恒例のスイカ割り
前日の遠出の疲れを残しつつ、この日はベトナム友好村訪問と、父親が他界したことで気力を失っているバオ君(写真④)宅への弔花、そしてVAVA本部への表敬訪問というスケジュールをこなすべく、バスに乗り込む支援隊一行。聾唖者であるバオ君への支援は継続的に続いていて、会うのがとても楽しみな半面、いつも笑顔で私たちを迎え入れてくれていたバオ君の心中が心配でもあった。友好村とVAVA本部の訪問は、いよいよ支援隊の旅も終焉を迎えているを意味する。今年も例に漏れず、あっという間に最終日を迎えた。充実した10日間だったということなのだろう。シドニーに戻ってからハノイのことを振り返ると、きまって友好村のことを思い出していた。湿度の高い真夏に汗だくになりながら抱き着いてくる子供たちの笑顔を今年も撮れると思うと心がはやる。
ベトナム友好村はハノイ中心からほど近く、30分もあれば十分に到着できる距離だった。しかし気が付けばバスはハイウェイを突き進んでいる。明らかにおかしい。北村氏が運転手に叱咤した頃には、バスははるか遠くまで来ていた。運転手は腑に落ちない面持ちでハイウェイから側道へ降り、そして来た道を戻る。しばらくして今度こそ友好村へ到着かと思いきや、今度は午後に訪問の予定を組んでいたはずのVAVA本部の前にバスが到着してしまった。高温多湿の真夏のハノイのはずなのに、車内の空気がパキパキと凍り付いていくのを肌で感じた。
ベトナム友好村は、もとアメリカ陸軍砲兵隊軍曹の故ジョージ・マイゾー氏によって創始された。自身が〝テト攻勢〟のさいに小隊の唯一の生存者になり、戦争へ対しての疑問を感じたことで、軍病院で治療中に「この戦争に生き残れたら人生の残りは戦争反対を叫び平和に捧げよう」と誓って友好村構想へと突き進んだ。かつての敵が一緒になって働く友好村事業は、癒しと希望、そして国際協力を実現し、障害者の社会復帰を目指す場となっている。今回の訪問では、まずバオ君を含む3名の枯れ葉剤被害対象者への奨学金贈呈を行い、多目的ホールで毎年恒例となるスイカ割りを行った。スイカ割りに参加する子たちの腕は年々あがっていて、今年は一発でスイカを仕留める子が続出した。来年からは策を講じる必要がありそうだ。
午後からはバオ君宅へ行き、胃がんでこの世を去ったバオ君のお父さんへ弔花を行った。母親が入院していた時期に、一時的に休校をして家で父親と過ごしていたバオ君。彼から北村氏へ届いた手紙には「悲しい知らせがあります。朝はいつも頭を叩いて起こしてくれるお父さん、学校から帰ったらいつも『きょうは何かあった?』と聞いてくれたお父さんがいなくなりました」とあった。実はこの手紙を受け取る前から、今回の支援活動でバオ君宅の訪問はすで決まっていたと北村氏は言う。虫の知らせとは本当にあるものなのだ。虚無感に包まれていたバオ君は、環境を変えるべく再びベトナム友好村へ復学し勉学に励んでいる。バオ君に愛情のすべてを捧げ続けたお父さんに心から祈りを捧げて、その場を後にした(写真⑤)。
VAVA本部に再び訪問
VAVAは非政府組織で、ベトナム政府から支援金をもらい枯葉剤被害者支援を行なっているNGO団体。アメリカ政府や企業からも協力を得ており、会員数は37万人。そのうち枯葉剤被害者支援の対象者は32万人にも及んでいる。
再びVAVA本部へと戻り、今年の活動内容を報告する。リン会長の挨拶では、ダナン省、クアンガイ省、ビンフック省、ホアビン省、ハイフォン省、ニンビン省、友好村と広範囲に渡り支援活動をしてきた支援隊に対する感謝の言葉をいただいた。北村氏からは、今回の支援活動の協力と、平行して行われている第3世代の枯れ葉剤被害者調査に対するVAVAの協力に、感謝の気持ちを伝えた。
今回の活動中、北村氏が一番心を痛めた出来事は、ハイフォンに住む75歳の独居老人、ビエンさんに再会したときだという。「枯れ葉剤被害の影響で子孫を残すことができず、また、愛するパートナーを失ったビエンさんには、どうか健康に、そして自分自身を愛して生活してもらいたい。そして彼女のような被害者をだれひとりとして取り残さないようにしたい」と、涙を滲ませながらリン会長へ伝えた。また、「支援隊は今年、総額9838万VNDの寄付を行ったので、来年は1億VNDを目指して活動を行う」ということも付け加えた。懇談会では、支援活動で精力的に動いていた学生数名が、活動中に感じた疑問や提案などを投げかけていたのが印象的だった(写真⑥)。最後に、枯れ葉剤被害者支援の寄付を行い、2018年のすべての活動が終了した。
「愛のベトナム支援隊」の活動のリーダーである北村氏の支援活動は、2019年で30周年を迎える。2019年8月に予定されている次回の支援活動に興味がある方は、ぜひ弊社もしくは、ウェブサイトまで問い合わせてみてほしい。いままでの生き方とは少し違う角度から社会を捉えることができるきっかけになるかもしれない。また、支援金や支援物資は随時受け付けているので、興味を持った方がいたらぜひ連絡してほしい。
愛のベトナム支援隊
URL:ainovietnam.jugem.jp
参加者の声:岩澤奏絵さん
愛のベトナム支援隊ツアーに参加したきっかけは?
参加者の方からツアーについて聞き、現地に赴いてベトナムの現状を知りたいと思ったのがきっかけです。また、私にもなにかできることはないか、今後何かできるのではないかと思い、昨年参加を決めました。今回で2回目の参加になります。
今年参加を決めたさいに掲げた目標はありますか?
1日も無駄にしないという目標を掲げてベトナムへ行きました。私は今大学4年生で、来年から福祉系の企業で働くことが決まっています。私がこの会社に入社を決めた理由は、ベトナムにも事業展開ができるのではないかと思ったからです。ツアーに参加するにあたって、実際に今、どのようなことに困っているのか、どのような福祉器具やサービスがあれば枯れ葉剤被害者の方々がより良い生活を送ることができるかということを知り、入社後に彼らに貢献できるよう、学べることをすべて学ぼうという目標を掲げて参加しました。
どういったことにやりがいを感じますか?
ネットや文献ではなく、実際に現地の方々にお会いして交流ができることです。このツアーだからこそ感じ取れることがそこにはたくさんあります。そして、そこで彼らの笑顔を見られることが何よりもやりがいに繋がっていると感じています。
今回の支援で1番印象に残っている出来事とは?
独居老人の方にお会いしたことです。日本でも独居老人の方の問題は課題となっていますが、国を越えてベトナムでも同じような課題があるのだと知ることができました。国境を越えて同じ課題を抱えているということで、福祉の面でとても高い知識や技術を持っている日本のノウハウをベトナムの方に伝えていけたらと思います。
枯葉剤被害者の方に実際に会われてみてどう感じましたか?
皆それぞれ症状や住んでいる環境が違いましたが、まだまだ支援が足りない状態であることを感じました。その中でも日々の生活を全うしている姿に感銘を受けました。しかし、将来や自身と家族の健康への不安を感じている方が多く見られ、もっと被害者の方に寄り添った支援が必要であると感じました。
VAVAや他団体を含め、枯葉剤被害の支援の現状を目の当たりにして感じることは?
被害者の方への支援はまだまだ足りないと痛感しました。被害者認定を受けた方への補助金の差や金額、また今も認定を受けられず苦しい環境にいる方もいます。支援内容においても、経済的支援のほかに福祉という面でのサポートも必要だと感じました。文化や価値観の違いがあるので難しい点もありますが、日本のような福祉技術や知識がもっと必要だと思いました。しかし、VAVAや地域コミュニティ内での支援によって多くの方が支えられているのも見えたので、さらに支援が広がってほしいと思いました。
アジアの情勢も緊張感をもっている現在で、過去の戦争の被害を目の当たりにして感じることはありますか?
過去の戦争の結果が今もなお人々を苦しめているという事実を重く受け止めるべきだと感じています。ベトナム戦争の激化は米ソによる冷戦によるものです。中でも枯葉剤を使用したアメリカを中心に、先進国が率先して支援を徹底するべきだと思います。経済や社会インフラ面での支援だけでなく、枯れ葉剤の被害者やその影響を受け継いでいるすべての方に対する福祉的支援を行うべきであると思います。彼らが今も苦しい状況にあるということを忘れてはいけないと感じています。過去の戦争の被害を目の当たりにして思うことは、戦争は人々を苦しめるものであって、絶対に起こるべきものではないということです。
今回の支援隊の活動を振り返って感想をお願いします
昨年に引き続き今年の活動に参加させていただき、10日間という短い期間の中でたくさんのことを学ぶことができたと思っています。多くのベトナムの方に出会いお話を聞くことができたり、ベトナムの文化に触れることができたり、本当に毎日が貴重な時間でした。個人的な目標としても、現在のベトナムの生活を在宅訪問などを通して見ることができたので、被害者の方のよりよい生活に向けて私にできることをこの先取り組んでいきたいと改めて強く感じました。今年の活動を通して多くのことを学び得ることができたのは、北村様をはじめとする活動のメンバー、現地の方々など活動に関するすべての方のおかげであると感じています。活動に参加できたことにこの場を借りて心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。ベトナムの枯れ葉剤の被害について、もっと多くの人に知ってもらえるよう、日本で発信していきたいです。
支援活動以外の時間はどのように過ごしましたか?
期間のうちで観光の時間を設けていただいたので、ベトナムの文化財や自然を満喫しました。今年はハロン湾に行き、大自然を堪能することができました。日本とは違う自然観を体験できたことも、このツアーに参加できたからこそのもとだと思います。
これから参加する方へ
愛のベトナム支援隊の活動を通して、たくさんの出会いと学びを得ることができることがこの活動の魅力であると感じています。言語の壁や価値観の違いを越えてベトナムの人々の温かさを感じることができます。また、ベトナム戦争がもたらした被害が今もなお続いているということを、実際に自分の身をもって知ることができるのは支援隊の活動を通してだからこそのものだと思います。10日間という短い期間ではありますが、たくさんの出会いや経験ができることが本当にこの支援隊の活動の魅力であると感じています。また、ベトナムの魅力のひとつに人々の温かさがあります。とても親切で親しみやすく、情熱的な方が多いと感じました。勤勉な方も多いとさまざまな場面で感じました。街を移動していても、経済成長が伸び続けている国だからこその活気を感じることができたり、しかしその中でもベトナムの文化は欠けていないところが素敵だなと感じました。
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