16/12/2009
3歳の頃、近所のお姉さんのヴァイオリンに触れたことが、私のヴァイオリン人生の始まりでした。その日からヴァイオリンにとても興味を持ち始め、4歳の時に小さなMYヴァイオリンを買ってもらい、レッスンに通い始めました。今思うと、この人生初の決断が、私のいばらの人生のスタートでした。なんと大きな決断を4歳でしてしまったのか・・・一生の不覚です(笑)。習い始めて1ヵ月後の初舞台で、「きらきら星」を何百人ものお客様の前で淡々と演奏したことを鮮明に覚えております。あの時は、まさか私がヴァイオリン人生を歩むことになるとは家族全員、夢にも思っておりませんでした!
ロンドンで暮らしていた頃は、自分が日本人であるということを常に意識して生活しておりました。イギリスの方々にはとても可愛がって頂いていたのですが、無意識にいつも日本人として恥じない行動をしようと心掛けていました。例えば、学校のクラスでは日本人は私ひとりでしたので、もし自分が悪い行動をしたり、勉強ができなかったりすると、イギリスのみんなから日本人はダメだなと思われてしまうのではと感じていました。ちょっと大げさですが、日本をしょって立っているような気持ちでおりました(笑)。海外で暮らすことで、幼いながらも日本を大切に思う心が生まれたのかも知れません。
海外で暮らすことによって自然な形で日本への愛国心が養われましたが、帰国してからは逆カルチャーショックの毎日で驚くことも多かったです。当時日本語は何不自由ないと自負していた私でしたが、初登校日の朝礼で「前へ倣え!」「休め!」の号令が何のことか全く分からず、「休め!」では本当に座って休んでしまいました(笑)。またビックリしたことは、当時の日本の女の子はみんな男っぽく、男の子は女っぽいということでした(笑)。ロンドンでは、「外国人」の私でさえも個人の意見を求められる国でしたので、日本の右へ倣え的な教育や風習に、最初は戸惑いを覚えました。「郷に入っては郷に従え」という言葉通り、最初は私もみんなと同じような男っぽい振舞いをしようと努力し、帰国子女であることやヴァイオリンを習っていることなどには触れないようにしていました。色々なことを敏感に感じる時期で、思春期真っ只中だったのでしょうね(笑)。世界の中の日本、人権問題、いじめ問題などをテーマに書いた人権作文で、「日本放送協会会長賞」を頂いたのもちょうどこの時期でした。ヴァイオリン以外でも色々なことを吸収した時期であったと思います。
オーストラリアは、英語圏ということもあり、ヨーロッパやアメリカなどの先生や演奏家が大勢いらっしゃいますので、随分海外からの影響を受けていると思います。日本とオーストラリアの音楽教育の違いは、まさに受動教育か能動教育かに尽きると思います。私の場合、日本では先生の指導に対し少しでも近づけるよう努力し、そしていかに譜面に忠実に演奏するかに重点を置いておりました。一方、オーストラリアに来てからは先生に私はこのように弾きたいと訴えるようになり、何度も先生と意見交換をした上で、私自身の曲を作り上げるようになりました。日本ではヴァイオリンのテクニックをはじめ、辛さ・厳しさを学び、オーストラリアではヴァイオリンの表現力、楽しさ・面白さを学んだと思います。どちらかが欠けても演奏は成り立たず、的確な時期に必要な教育を受けることができ、幸せに思っております。
永住権の申請を考え始めたのは、大学卒業の頃です。 このビザは大変難しいビザと、色々な方より伺っておりましたので、99%無理ではないかと思っていました。でもオーストラリアの国に魅力を感じ、これからもこの国とずっと関わっていたいと考えておりましたので、無理とは思いつつ思い切って最初の第一歩を踏み出してみました。それがなんと、全ての書類提出後4日目に、オーストラリア政府より永住権を授与されました!これも応援して下さった周りの方々のお陰です。このことが、オーストラリアと日本の小さな小さな架け橋になれるようなヴァイオリニストを目指すきっかけとなりました!
各国のTVやラジオにもよく出演させて頂いておりますが、多くの方々に演奏を聴いて頂けるという点ではメディアの力はとても魅力的です。しかし、ソロリサイタルでお客様の表情を感じながら生の音を直に聴いて頂けることは、やはり私にとって最高の幸せです。
今回乗船させて頂いた客船飛鳥Ⅱ「南太平洋グランドクルーズ」は、横浜を出航しグアム・オーストラリア・ニュージーランド・ハワイを経由しながら、南太平洋の島々をゆったりと周遊する54日間の大航海というスケジュールでした。演奏のご依頼を頂くのは今回が昨年に続き2度目ですが、客船飛鳥Ⅱでの演奏は、本当に特別なものがあります。普段の演奏会ではお客様とはコンサート中の時間だけを共有できますが、飛鳥Ⅱでは演奏前も演奏後もずっとお客様と一緒に過ごすことができます。一緒にお食事を頂いたり、音楽についてゆっくりお話をしたりと、家族のような和気あいあいとした雰囲気があります。船内ですれ違うお客様ひとり一人が温かいお言葉を掛けて下さり、本当に感動いたしました。
オーディエンスと演奏者との『壁』、音楽のジャンルの『壁』をなくすことをビジョンとし、エンターテイメント性はかなり意識しながら演奏活動をしております。クラシックコンサートというと、敷居が高いと思われがちで、コンサート中は咳や身体を動かすことすら遠慮気味にし、また長い演奏の途中で居眠りをしてしまうお客様もいらっしゃるかと思います。演奏者だけではなく、お客さまに一番満足して頂けるようなコンサートを開くために、演奏はもとよりプログラム構成や照明、MCなどに最大限の力を注いでおります。
華やかなのは、ほんの一部で、その一瞬のためにすごーく地味な時間を日々送っております(笑)。練習量は凄まじいとよく言われるのですが、何時間もひたすら閉じこもって練習をしております。1日で20枚程の譜面を暗譜しなければいけない時もあれば、一音をどうやって奏でればお客様の心に響くかを1日中考えている時もあります。どんなに全身全霊を注ぎ込んでも、本番は一発勝負ですので、何が起こるか分かりません。毎回怖いです(笑)。でもお客様の『感動した』という一言で、幸せ一杯な気持ちになります。そんな中、支えになってくれているのは、やはり家族です。音楽もスポーツも何かひとつのことを続けるには、家族のサポートなしでは難しいと思います。決して平坦ではない音楽の道を進む私を支え続けてくれる家族に、すごく感謝しております。
国際交流基金からのご依頼により、今年7月にアジア・オセアニアへの演奏ツアーに出ますが、途中シドニーでのコンサートも予定されており、今からとても楽しみにしております。楽器を通じて各国の方々と国際交流を図り、日本を少しでも理解して頂けたらと思っております。
クラシックコンサートは苦手という方でも、気軽に足を運んで頂けるようなコンサートをたくさん開くことが目標です。楽しいだけではなく、感動も与えられるような演奏家を目指して、これからも全力で頑張ります! また、シドニーは私にとって第二の故郷でもあり、オーストラリアでの活動も両立させていきたいと思っております。
海外で暮らすというのは楽しいことも多いのですが、逆に言葉では表せない程大変なことも山程あると思います。でもオーストラリアは自然・環境・人間全てにおいて本当に素晴らしい国だと思います。経験の浅い私が申し上げるのはおこがましいですが、まず勇気を出して第一歩を踏み出してみることが大切だと思います。私は夢や目標を常に口に出すようにしております! 最初に抱いた夢を忘れずに、自分を信じて目標に向かって頑張って下さい! 海外ならではの意外なチャンスが待っているかもしれないですから!
CHEERS 2009年5月号掲載
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