08/12/2011
NHKの就職面接で何をやりたいか聞かれて、つい「ドラマのようなもの」と言ったことを記憶しています。たぶん前夜にテレビで見たドラマがそのとき頭にあったからだと思います。映画青年でもないし、固い将来展望があったわけでもありません。なんとなく情報ジャーナリストより、自分のちまちました想像を描けるフィクションの世界の方が馴染みやすいと思ったからでしょうか。しかしその考えは実際のドラマ現場に放り込まれてこっぱ微塵に砕かれました。つまり、想像することは誰にでもできますが、想像を具現化する、ゼロから1を産み出すには自分の能力が圧倒的に足りないと思い知らされたわけです。しかしそこから初めて、演出家とは何かを自分の頭でコツコツですが考えるようになり、少しずつ実践できるようにもなりました。
プロデューサー、脚本家とも神戸出身のふたりと最初から悩みながら話し合っていたことは、震災を経験した神戸の人々が見たくない、目を背けたくなるようなものは、やりたくないということでした。実際1月17日近辺でメディアは「震災を風化させてはならない」と特番を組みます。しかし実は、そのような趣旨のものを神戸の人たちは見たくない、と聞きました。どういうものなら人々の心に寄り添えるのか。同じように震災を経験したのに、人の数だけある気持ちの違い、そうした人と人との間にある心の距離を描くとき、どういうスタンスで臨むのか。言葉にするといささか危険で難しいけれど、「ドラマチックに震災を扱うより、ロマンチックに震災を表現したい」というコンセプトが我々の中に芽生えて、初めてスタートできたように思います。つまり、この映画のカタチ、"ボーイミーツガール"の着想を得てやっと「震災を表現する」という覚悟を決めることができました。
やはり神戸とそれ以外の人々との反応は違いました。しかしどちらも濃密な声がたくさん届きました。ブログやHPに届くメッセージ・手紙に、自分たちの心を一生懸命に伝えようとする声がたくさんありました。こんなに丁寧な言葉を僕は知りません。それは純粋に嬉しい気持ちでしたし、作り手として、心底、「ほっ」としました。
まず、テレビ版では、放送日が1月17日だったこともあり、なるべく震災を経験した人々の目にしたくないものを描かないということで、直接的な震災の映像などを入れていません。しかし映画版はイントロダクションに、震災の記録映像が数カット、ほかに当時を思い起こさせる描写を入れています。16年が経ち、震災そのものを知らない世代が観ても普遍性を感じてもらえる作品を目指したので。ほかにもテレビでは入れなかったシーンを復活したりして、より深みを増したような表現ができたと思います。
ふたりのキャスティングは唯一無二です。ふたりのスケジュール調整などのために一年待ったほど恋焦がれたキャスティングです。あのとき震災を潜り抜けたふたりが、今は俳優として立派に活躍しているという事実。これは紛れもなく奇跡なのではないでしょうか? そんな思いで接していたので、自然とパーソナルな部分にも深く踏み込んだ撮影となり、より濃密な時間となりました。
通常のドラマでいうところの「演じる」という形を、できるだけ遠ざけたい。そういう僕の思いをキャストふたりは敏感に感じ取っていました。実際に震災を経験し、16年たった彼らの「心」を引き出し、描くことに僕の仕事のすべてがあります。演出としてもスタッフ含めた環境にも神経を注ぎました。具体的には、スタッフにはなるべく「現場で気配を消してくれ」、という無茶な注文を出してみたり。キャストには用意スタートも、カットの合図も出しませんでした。
全篇、実際に神戸の土地のうえで撮影を行っています。今はかたちを変えてしまった場所でも、そこにあったはずの物語があるはず。そっとしておいて欲しいという人々の思いがわかりながら、そこでカメラを回すことには悩みました。一旦始まってからも、このスタンスで大丈夫なのか、ちゃんと気持ちが映し出されているのかと不安でした。というのも、僕は、神戸の人間ではありません。キャストスタッフに神戸の人間が多い中、そこで生まれる溝のようなものも、容易に埋めることのできないものでした。そんなことから、果たして自分に撮る資格があるのか、と自問せざるを得ない状況はずっと続き、ぬぐいきれませんでした。
「人と人との間にあるもの」に希望を見出したい。生き残った人々と、亡くなった方々との間にあるもの。被災者と、そしてそうでない人々の間にも。違う状況や立場でも、わかる感情や祈りや願いというものがあると思います。そこに光を当てたいと思い、作りました。たとえばラストシーン…。普段は互いに震災について口を閉ざす人々が、あんなに多く同じ場所に集い、誰かが誰かのことを思い祈る様に、「人間の尊さ」を感じずにはいられません。その純粋な姿を映し伝えたいというのが作品に込めた思いです。
支援活動ではありませんが、現在、先々のテレビドラマの制作のため東北を訪れています。恥ずかしながら僕は、このたびの震災で初めて東北の人々を少し知りました。同じ日本にいて、こんなに知らなかったとは驚きです。そこにある地域性や人柄などです。今年の夏、仙台短編映画祭で40人の監督たちがそれぞれ3分11秒の短篇を持ちよる『明日』という企画があり、僕も福島で実際に住む人々を追ったドキュメントのショートフィルムを作りました。そうした人々との交流はかけがえないもので、今はこのような活動・経験が大事だと思っています。
広くこの作品が多くの人々に見ていただけることを嬉しく思います。と同時に、何が伝わり、何が伝わらないか考えだすと、今から不安ではあります。 ?
少しでも日本のこと、日本の中にいてもなかなか知りえないことなどを、お互いの作品を通して、お話できれば幸いに思います。
ドキュメンタリー的な手法を用いる作品と、骨太なドラマ性に依った作品。またエンターテイメント性の高い作品など、…つまり、なんでもやりたいということでしょうか。あと、個人的には日本語以外の言語を扱う作品にもチャレンジしたい。
このたびの震災で、東北に故郷をお持ちの方々はさぞや、お心を痛めていらっしゃるかと思います。そうでなくとも遠くにある日本を思い、気が気でない方々が大勢いらっしゃると思います。メッセージなど僕が言うにはおこがましいのですが、自分自身としては、今は心を強く持ち、日々のあれこれ、小さなことも大事に生活したいと思っています。
井上 剛 (いのうえ つよし)
1968年、熊本県生まれ。テレビドラマの演出家として、「クライマーズ・ハイ」(05)、「ハゲタカ」(07)、連続テレビ小説「ちりとてちん」(07)、同「てっぱん」(2010)、など数々のNHK作品でその手腕を発揮。2009年に放映され、脚本と演出を手がけた阪神・淡路大震災の特集番組「未来は今」(09)は、ドラマとドキュメンタリーが幾重にも交差するこれまでにない手法が大きな話題を呼んだ。翌年の震災特集「その街の子ども」(10)がさらなる反響を呼んで劇場公開、初の監督映画作品となる。2011年夏、仙台短篇映画祭主催オムニバス映画『明日』に、国内40人の監督たちとともに参加。福島に住む人々を追った『あたらしい日常』という作品を監督した。
CHEERS 2011年12月号掲載
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