01/05/2014
世界一のDiggerとして「King Of Diggin’」の名も持つDJ MURO。1980年代後半から、KRUSH POSSE、MICROPHONE PAGERでの活動で、日本にHIP HOPを根付かせた先駆者。2007年のミラノで行われたNIKE AIRFORCE 1のイベントや、FENDIのファッションショー、アメリカやヨーロッパへの海外ツアーなど、ワールドワイドに活躍の場を広げている。近年ではMISIAや安室奈美恵など、女性アーティストのプロデュースなども手がけ、DJ、ラッパー、プロデューサー、デザイナーなどさまざまな顔を持つ。そんなMUROが遂に、オーストラリアに上陸。メルボルンでのプレイを終えた彼にインタビュー!
HIPHOPに出会った、またDJになったきっかけは? もともとDJがやりたかったんですが、DJをやっている人は当時いませんでした。専門学校に通っているときに友達に「歩行者天国で、お前がやりたいことをやっている人がいるよ!」って言われて見に行ったら、DJクラッシュとかがそこでやっていて。クラッシュに可愛がってもらい始めたのがきっかけですね。中学の頃には、ディスコにも興味があったんですが、やっぱり厳しくて入れなくて…。でも隣地元にあったローラースケート場みたいなところが、ディスコみたいな選曲をしていて、なおかつ真ん中ではブレイクダンスをしている人もいたので、そこで曲をチェックしていました。当時「貸しレコード屋さん」っていうのがあったんですが、チェックした曲をそこで借りて、カセットテープに落として、そのカセットテープを繋ぎ合わせるという、DJの真似ごとみたいなことをしていました(笑)。
カセットテープって懐かしいですね。
そうですね。でもカセットテープがなかったら今の自分はない!みたいな(笑)。それくらい自分の世代はカセットテープが主流だったんですよ。お気に入りの女の子にラブレター、じゃないですけど、カセットテープを送るときは「ハイポジション」とか「メタルポジション」とか、ちょっと値が張って音質がいいのがありまして、そういうのでわざわざ作ったりとか。そういうことしてましたね、一生懸命に。
HIPHOPに惹かれる理由は?
HIP HOPのルーツを辿っていくと、やっぱり、色んなジャンルの音楽を切り貼りして、ひとつのものを作るっていう作業に一番惹かれますね。そのHIP HOPのおかげで、食わず嫌いしないで色んなジャンルの音楽を聴く「習慣」みたいなのが、若い頃からできていたし、凄く恵まれていたな~と思います。色んな音を吸収し、その吸収した音をどう発信したらよいのかもHIP HOPから学びました。
今回のメルボルンでのイベントはいかがでしたか?
すごく面白かったですね。ヨーロッパとアメリカの文化が混ざっているような感じがしました。「この曲知っているから踊る」とかじゃなく、グルーブさえキープしてれば、本能で楽しんでくれる感じがいいですね。去年ロシアで回したんですけど、そこと似てるかな。
日本と海外との活動で、どのような違いを感じることがありますか?
日本の場合はまだまだ構えちゃうというか、場所によってはブースの前でも立ちん坊になっちゃうところもいまだにあります。せっかくだから、もっと音を聴いて音を楽しんで帰ってもらえたらな、ってDJとしては思うんですけどね。
海外のDJ活動で、今までで一番印象に残っている出来事などありますか?
一昨年の10月に、日本とイスラエル国交樹立60周年記念のイベントがあって、SOIL & "PIMP" SESSIONS、HIFANA、DJ MITSU THE BEATS、DJ OKAWA、KENICHI EBINA AND TAKAHIROたちとイスラエルに行ったんですけど、なんだろう、2回くらい空爆を聞いてちょっと凄かったですね。イベント自体は、700から800人くらいが入って盛り上がりましたが、こういうところにもちゃんとシーンはあるのかと関心しました。税関でも大使館の人がひとりずついて、荷物ももの凄~くチェックされました(笑)。
今後、行ってみたい国や場所などあれば教えてください。
絶対アフリカにもう一度行きたいですね。あとはブラジル。今年は特にサッカーがあるんで(笑)。もともとアフリカに行けたのも、MISIAと前回のワールドカップの応援歌を作らせてもらったからで、観戦しながら行ってきました。今年はまたブラジルであるから、行けたらいいな(笑)。
今までで一番辛かったことはなんですか?
小学校2年生から高校上がるまで、お爺ちゃんと2人暮らしだったんですけど、7~8年前に、俺の誕生日の生まれた時間にお爺ちゃんが亡くなってしまったんです。爺ちゃんに精神的に助けられていたことが多いので、そのときは本当にきつかったですね。あとは、僕が謎がられているっていうか、まあ謎が売りだった部分もあるんですけど(笑)。だから今でもマネージメントや事務所で、なかなか理解してもらえないことが多いです。自分の言いたいことが伝わらないってことが多いですね。昔からクラッシュの教えで、「来るもの拒まず、去る者追わず」っていうのがあって、それをずっと信じてます。だから仕事も本当に自分からアプローチしたことがないんですよ…。恵まれてるんですけどね、本当に。
2月24日に、入籍されたというニュースを耳にしました。ご結婚おめでとうございます。ところでなぜ今まで独身だったんですか?
ありがとうございます! ニュースに出てたんですか? ビックリだな~。独身だったのは…やっぱり「レコードレコード」言っているからみんな呆れてどっか行っちゃうのかな(笑)。「どっちが大事なの?」みたいな。あとは結婚すると構えちゃうっていうイメージで。家庭が一番、子供が一番ってなっちゃうだろうし。そうなると音楽が一番じゃなくなるのは流れだし、自分が結婚しちゃったらきっと今と同じことができなくなるなって思っていました。けど、自分がやっている7インチのプレイとか、若いDJでもスキルフルな子たちがいっぱい出て来ていて、そろそろ自分は違うとこに進む時期なのかなって思いました。
では、また新しいフィーリングの音楽がMUROさんから生まれるんじゃないでしょうか?
そうですね、そうかもしれないです。次はプロデュースを多めにやりたいなと思ってます。春くらいにビクターから新しくプロデュースした音楽が出ます。「流行る、流行らない、売れる、売れないとか、一切考えないで作っていいよ」って言われたので、全編英語歌詞のミニアルバムを製作中です。あとはバンドをプロデュースしたいですね。自分が指揮をとれるようなバンドを探しています。夏をテーマにしたような、自分のMIX CDのシリーズで「Tropicooool Boogie」というのがあるんですけど、そのままそれをバンド名にできるような、南国をイメージしたソウルファンクなバンドをプロデュースしたいですね。
帰国直前に急遽シドニーからもラブコールが入りイベントを開催されましたが、ここのシーンはどうでしたか?
日本との環境や気候なども違いとても新鮮でした。今回のオーストラリアツアーはメルボルン、アデレードのWOMADのフェスティバルにも参加させて頂いたのですが、シドニーでの現場も夕方からスタートして、お子さま連れのお客さま、真剣に音楽を追求されている方、純粋に音を楽しんでいる方などが感じ取れて自分も楽しんでプレイすることができました。今回初めて、オーストラリアでのプレイでしたが、ぜひ戻って来たいと思っていますので、そのときはまた宜しくお願いいたします。今回携わって頂いた関係者の皆さん、交流できた日本の方々ありがとうございました。感謝感謝です。
最後にオーストラリアにいる読者にメッセージをお願いします。
オーストラリアのお祭り騒ぎのイイ感じの「ノリ」を日本に持って来てほしいです(笑)。この「楽しもう!」っていうスピリッツをぜひ日本へ届けてください!
プロフィール
DJ MURO
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