31/05/2014
ストラスフィールド市議会は、中国系と韓国系のコミュニティが連携して同市に慰安婦像設置の嘆願書を提出したことを受け、4月1日に公聴会を行い、本件については判断を州や連邦政府に委ねるという結果を発表した。あれから1ヵ月半が経過したが、事態はどう進んでいるのだろうか。
慰安婦贈設置運動が始まった当初は、シドニーシティでの設置も議論されていたが、これについて、シドニー市長のクローバー・モア氏から以下のような正式文をいただいている。
慰安婦像とは別件ではあるが、関連したニュースをここでひとつ紹介したい。連邦司法長官のジョージ・バンディス上院議員が、人種差別禁止法(Racial Discrimination Act)の緩和運動を行っており、世間を騒がせている。その一方でニールセン調査によると、緩和は、人種に基づいた中傷や脅しなどが許される社会を作り上げるとし、反対意見が88パーセントをしめた。社会の統合とは調和的交流が重要で、そうした交流は他人の尊厳を尊重するポジティブな精神によってさらに促進される。88パーセントという数字はオーストラリアの国民がそうしたハーモニーを高い次元で理解し、健全な秩序のもと生活をする、もしくはすることを望んでいるということを裏付けている。
慰安婦像が子供に与える影響について考える 日本語教育に携わる一人の日本語教師としての考え
NSW州日本語教師会役員へ慰安婦像が設置されてからの子供の安全性について質問を投げかけた。下記はNSW州の現地中高校で日本語を教え、NSW州日本語教師会の役員をしている教師の一人としての回答となる。 この像の設立は多分に韓国、中国による反日政策のひとつとして計画されているものだと認識しています。いわゆるこれらの国の『日本に対する政治的、外交的な戦略のひとつ』です。しかし、その像の設立に伴う負の効果はとんでもなく大きいものです。特に、日本や日本人、日本の歴史を全面的に非難するこの像やそこに書かれることになるであろう碑文は、日本や日本人に対するステレオタイプ的な、かつ悪い先入観を、それを見た人々や読む人々に植付けるものであり、『人を民族で一括りにする』ことにもつながってしまう、多文化主義を掲げている豪州、またそこに暮らす人々にとって、まったくためにならない計画です。日本語教師という仕事は、ご質問にあります通り、言語だけではなく、日本人の考え方、日本の歴史、生活様式、なども同時に教えることで、『異文化を理解し、それを受入れる度量をもった人間を育てる』ことを主眼としています。従いまして、このような像の設立計画は、我々日本語教師の仕事である『ポジティブな異文化接触』の促進に真っ向から対立する動きといえます。
日本語を履修している生徒の中には韓国人、中国人のバックグラウンドを持つ生徒が多数いるということですが、生徒からこの件で質問を受けた場合にはどのように答えていますか?
『そういう話は聞いているし、もしそういう像が豪州にできたら非常に残念なことです』と答えます。豪州の中・高等学校に通っている韓国系、中国系の生徒、及びその親は、自国で教育を受けたあとで移民として豪州にやってきた場合、本国で徹底した反日教育を受けている可能性があります。私の学校でも韓国で小学生時代を過ごした韓国系の中学3年生から『先生、独島は本当に日本の領土だと思っていますか?』といきなり質問を受けたこともあれば、同生徒から『韓国人の若い女性たちを日本軍が強制的に騙して連れて行ったことを悪いことだったと思っていますか?』と訊かれたこともあります。そのさい、私は、『自分で調べた限りでは竹島は日本の領土だし、慰安婦にしても、朝鮮半島から強制的に連れて行ったという証拠はどこにもないという話ですね』と答えました。その生徒はかなりショックを受けたようで、『でも学校(韓国の)で先生からちゃんと教えてもらった。日本人が朝鮮人にどんなに酷いことをしてきたか全部習った』と、彼の受けてきた教育からすれば、当たり前の反応を示しました。そこで、『同じ出来事に対してまったく異なる見解が存在するのは国家間では普通のことである』とまず話し、その生徒に自分で外国の見解がどうなっているのかも調べるように言いました。
セックス・スレイブ、20万人を性奴隷にした、という言葉が公共の場に平然とあることが、子供へともたらす悪影響について。
これは大変な悪影響になります。公共の場に書かれてある文言というのは、当たり前ですが、それを見た人が疑いなく信じてしまうほどの強い力を持っています。なにしろ、それを目にする一般の人々にとっては、自分が住んでいる場所、それが市であれ国であれ、その場の最高権力機関である、いわゆる『お上』が、そういう像を建てているわけですから。そして『日本軍によって』という一文からは『日本人はこういう酷い民族なのだ』というメッセージを受取ることになってしまい、日本、日本人に対する単なるネガティブ・イメージどころか、その像のモデルとなっている韓国系、中国系などの子供や一般の人々には『憎悪感情』的な先入観さえも植付けられてしまいます。
像が建ってしまったと仮定して、親は子供にこれを聞かれたらどのように 答えるべきでしょうか。
日本人の子供の親は、毅然とした態度で『こういう像は豪州の社会にとってよくない』ということを、きちんと教えてあげるべきだと思いますし、また、日本側から見た自国の歴史事実をきちんと教えてやるべきです。また、韓国系や中国系の親たちも、豪州という多文化主義国家ではさまざまな民族が調和して暮らすことが不可欠であり、こういう像の建立はまったくそのイデオロギーに相反するものである、ということを子供に教えるべきでしょう。子供たちがやがて社会で活躍する年齢に達してさまざまなバックグラウンドの人々と協調して豪州の未来を作り上げて行く過程で、民族間の対立は大きな障害になってしまいます。それは豪州の将来、そこに住む人々全体の利益にも反することになってしまいます。親は自分たちのバックグランドに関わりなく、豪州に生活する人間として、大局的な考え方で子供たちに接するべきでしょう。 この像があることによって、グレンデールと同じように起こりうる、子供同士のいじめなどの可能性について。
NSW州の学校でこの像の設置の動きにともなういじめ問題が現れている、という情報はまだ入ってきていませんが、米国でそのようなケースがすでに起こっているように、豪州でもありえる話だと思います。
一般的にゆがんだ教育で育ってしまった子供を、軌道修正することは可能なのでしょうか。
可能だと思います。とくに、まだ子供の場合にはそれほど大変なことではないと思います。偏った反日史観や反日教育も、先ほど述べましたように、一国からだけの見地ではなく、さまざまなな国の視点から同じ史実を子供とともに検証し、話し合うことで、歪曲されたものの見方は矯正できます。少なくとも、歴史には色々な見方がある、というだけことは、教えることができます。大人の場合には子供ほど簡単には行かないかもいれませんが。
藤岡信勝による歴史検証
質問1 日本側は、『韓国との請求権、経済協力協定』ならびに『サンフランシスコ平和条約』にて、韓国への謝罪および賠償責任は済ませたという認識に対して、韓国会会長側の意見は、「賠償責任を済ましたという発想は、加害者の責任回避本能からの弁明。政府間の協定で日本政府や日本企業による強制や詐欺性連行により、強制売春、死亡、傷害、拷問による被害は国家間の協定で源泉解消できることではない」と答えています。日韓請求権・経済協力協定の交渉の過程で、日本政府は、元従軍慰安婦に対する個人補償は日本政府が行うと提案。しかし、この提案を韓国政府は拒絶。韓国政府は、国全体及び個人に対する日本の賠償金は、韓国政府が一括して受け取り、韓国政府が、元従軍慰安婦、元徴用工に対する個人補償を行うと主張したということがあったと思うのですが、これは事実でしょうか。また個人への保障は韓国政府が行うとのことでしたが、このとき実際に、慰安婦への保障はされたのでしょうか。
まず、事実関係の確認から。1965年の日韓基本条約締結に至る過程で、韓国側は「生存者・負傷者・死亡者を問わず、軍人・軍属を含む徴用されたすべての人に対する補償」を要求しました。ただし、「慰安婦」への補償については、韓国側は一度も言及したことはありません。もし、今日言われているような事実があったなら、交渉を有利にするためにも、韓国側は真っ先に交渉の場に持ち出したはずです。「慰安婦問題」なるものは存在しなかったのです。
質問2 『韓日政府間協定にそのように(韓国への謝罪および賠償責任は済ませた)書いているとしても、英米法の契約法によれば、公平じゃない契約内容はそれに後から気がついても、無効になるとの趣旨を尊重している。被害者たちに賠償すべき。』と言っています。無効にするためには、公的な手続きをとる必要があると思われますが、実際に韓国政府はなにか公的なアクションを行ってきたでしょうか。
質問1への回答で述べたような経過がありますので、韓国政府は日本側に要求する筋合いではありません。ところが、北朝鮮の影響も受けていると言われる運動団体「挺身隊問題対策協議会」が2006年、韓国政府が慰安婦賠償を日本に求めないのは憲法違反であるとする訴訟を起こしました。驚くべきことで、2011年8月30日、韓国の憲法裁判所は、原告の主張を認める判決を下しました。これに基づき、韓国政府は従来の態度を一変させ、日本にこの問題に関する二国間協議を提案するというアクションを起こしました。日本側はこれを受け入れるはずはありません。もし受け入れるとすれば、1965年の日韓基本条約は破棄され、日本が与えた5億ドルの返還のみならず、日本人が戦前・戦中に朝鮮半島に形成した資産もその相当額を返還させることになります。
質問3 『当時韓国の政府は軍事クーデターで執権した軍政だったので、正統性問題に弱点があり、可能なら早速回りの主要国政府の承認を受けなければならない事情があった。対日協商においてもハンディキャップがあり、それを看破した日本政府は最大限その弱点を利用して、賠償額を最小限へ減らした。特に民間人賠償問題は再び挙論しないように韓国政府に圧力をかけた』とあるのですが、その当時弱みに付け込んで圧力をかけた、という事実はありましたか?
とんでもない事実誤認です。日本側は、まだ戦争による傷が癒えず、国家財政は厳しい状況でした。その中で、7000万ドルでも厳しいとしていました。これに対し、韓国は10倍の6億ドルを要求しました。最終的には金・大平会談で金額が決まったのですが、大平が折れて、結果は5億ドルになりました。一般の経済交渉ではあり得ない結末で、「弱みにつけ込んだ」のは韓国側です。日本はアメリカから、韓国を自由主義陣営につなぎとめるため、交渉を妥結するよう強烈な圧力をかけられていたのです。韓国会会長氏の見解は、事実と正反対です。どうぞ、資料にあたって事実経過をご確認ください。
質問4 『日本側にほぼ全部取られて譲った(サンフランシスコ条約の内容を日本が勝手に決めた)と、最悪の売国奴として朴正煕大統領に対する国内世論は最悪の状況において、そういう結果に賛同できないとはっきり言わないといけないから「韓日会談無効」を叫ぶデモで反対の意思を表現した』とありますが、当時の朴正煕大統領に対する世論はそのようなものだったのでしょうか?
確かに、漁民は李承晩ライン死守のデモ、学生による日韓会談反対のデモ、4万人規模の演説会など、反対運動はありました。これは北朝鮮政府からの工作も大きな要因でした。しかし、朴大統領の決断は正しく、韓国は日本からの経済協力によって、「漢江の奇跡」と呼ばれた経済成長を遂げることができたのです。
質問5 サンフランシスコ条約に関して、『南北戦争中、勝戦国と日本側がその内容を一方的に決めることになった』というふうに言っていますが、この当時の韓国側の時代背景はどのようなものだったのでしょうか。
サンフランシスコ条約に関して、韓国は連合国にさまざまな要請をしています。質問にあるような見方は間違いです。
質問6 河野談話は日本の政府見解であるのに、自国民より先に韓国側に通報され、韓国側からの強い提案を受け入れながらその手が加わって成立したと日本国内では言われています。一方で韓国ではそういった情報は出ておらず、日本国内用の世論造作というふうに捕らえられています。韓国と日本のすり合わせに関して何かしらの証拠はあるのでしょうか。
日本政府は河野談話の原案ができると、直ちに在日韓国大使館に渡して了解をもとめました。これに対し、韓国側は10箇所の修正を求めてきました。例えば、原案では、「慰安婦の募集については、軍の意向を受けた業者がこれに当たった」とある部分について、韓国側は「意向」を「指示」とするよう要請しました。しかし、日本側は軍が指示したという根拠がないとして、強い希望を示す「要望」がぎりぎりだと投げ返しました。すると、韓国側は「要請」にしてほしいと要求し、結局これが採用されました。これは、産経新聞が当時の政府関係者から取材して得た情報です。今後、日本政府及び議会の公式の調査が始まれば、これらは事実として裏付けられることになるでしょう。
質問7 1983年に吉田清治の『私の戦争犯罪朝鮮人強制連行』という本を出しており、吉田は済州島で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親を連行し、レイプしたという「体験」を語っています。その一方で『済州新聞』は、現地住民はそのようなことはなかった。吉田は嘘をついている、としています。これについても韓国側は初耳ということでした。実際は韓国側で時期をみて時折この本が紹介をされているはずですが、一般人の著書に対する認知度はどうなのでしょうか。
強制連行のイメージは、吉田清治の著書がすべての起点です。済州島の調査でその嘘がバレた以上、それでこの話は終止符が打たれるはずでした。すでに嘘とわかっているのに、メディアはいったんテレビなどを通じて日本国民の間に浸透したイメージを利用して、これが嘘話であることを隠しました。そのうちに、日本政府が妥協して、強制連行があったかのように読める河野談話を出してしまったために、それが今度は起点となって世界中に尾ひれがついた嘘が広がることになりました。最初の段階で、韓国政府の「日本側が謝罪すればことが収まる」という約束にだまされて、日本政府はやってもいないことを認めるかのような政治文書を作ったために、今日、日本の名誉を著しく損なう事態になってしまったのです。
藤岡信勝プロフィール
昭和18年(1943年)北海道岩見沢市生まれ。昭和20年釧路管内標茶村(のち町)へ転居。昭和46年北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取得。名寄女子短期大学、北海道教育大学、東京大学教育学部、拓殖大学を経て、現在拓殖大学客員教授。専攻は教育学(教育内容・方法)。自由主義史観研究会代表。新しい歴史教科書をつくる会前会長。著書・共著に『教科書が教えない歴史』(産経ニュースサービス)、『「自虐史観」の病理』(文藝春秋)、『教科書採択の真相』(PHP新書)など。
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