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チテキング&マナブくん


海外へと旅立った日本人 ~移民たちの足跡~

17/12/2009

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チテキング&マナブくんと考える日本の社会科 ~海外へと旅立った日本人~(チアーズ2010年01月号掲載ダイジェスト版)

■最初に海外を目指した人たち

チテキング(以下チテ)…マナブくんは海外に出て生活する人たちのことをどう思うかの?

マナブ(以下マナ)…すごいと思うよ。僕にはそんな勇気はないや。

チテ…それでは100年以上前にそれをした人たちとはよっぽど勇気のある人たちだったんじゃろな。

マナ…そんな人たちがいたとしたら、よっぽど変わった人たちだったんじゃないの。

チテ…フォフォフォ。それがそういう人たちも実際に存在したんじゃ。例えば16~17世紀にかけては、貿易目的の日本の商人や侍の職を失った浪人などが海外に飛び出し、タイやベトナムなど各地で日本人町を形成しておったという史実がある。

マナ…そんな遠くまで行って暮らしてた日本人がいたんだ。

チテ…江戸時代の鎖国でそういった動きも一旦止まるが、明治維新で開国してからはさらに多くの日本人が夢を抱いて海外へ渡って行ったのじゃ。

マナ…へぇ、語学留学?

チテ…フォフォフォ。海外に夢を抱いて出ていくのは今も昔も同じかもしれんが、当時は今とはだいぶ事情が違っておっての。農村などの貧しい人々が仕事を求めて行くというケースが多かったんじゃ。

マナ…出稼ぎみたいな感じだったんだね。

チテ…日本では明治維新以来の人口増加により、国内で可能な雇用に対して労働力が過剰となっていたため、海外への渡航を奨励したいという日本政府の思惑とも一致したわけじゃ。

■〝楽園〟ハワイでの理想と現実

チテ…最初に移民団が送られた先はハワイじゃった。

マナ…へぇ、ハワイに住めるなんてラッキーだね。やっぱり環境がいいからハワイに目をつけたの?

チテ…フォフォフォ。サトウキビ産業向けの労働力を必要としていたハワイのほうから日本に派遣を要請してきたのじゃ。

マナ…日本とは逆で働いてくれる人が必要だったんだね。

チテ…ハワイがまだ独立した王国であった1881年にカラカウア王が来日して、明治天皇と会談を行い、日本が要請を受ける形で移民協定が結ばれたのじゃ。1885年に公式には初となる日本人移民がハワイに渡っておるぞ。

マナ…やっぱり皆、ハワイのことが気に入ったんでしょ?

チテ…いや、それが良い条件と聞いて故郷に錦を飾ろうと渡ってきた日本人たちには、辛い現実が突きつけられることになったのじゃ。

マナ…え? 何がそんなに辛かったの?

チテ…労働は白人の耕地主に監視されながらの過酷なものであり、賃金も期待していたものよりずっと安いなど、理想郷とはかけ離れた厳しい環境だったのじゃ。

マナ…それじゃ皆がっかりして、日本に帰っちゃったんじゃないの?

チテ…1900年にハワイがアメリカに併合されると、より良い労働環境を求めアメリカへと移る人々もいた。しかし、それでも手ぶらで帰国するわけにはいかない日本人たちはその後も根気強く頑張り続けた。結果的にはそれがハワイ経済の基盤作りに大きく寄与することにもなるのじゃ。

マナ…その頃から日本人は我慢強かったんだなぁ。

チテ…1924年までに20万人を超える日本人がハワイに移住しており、太平洋戦争が勃発した頃には、ハワイの全人口の半分近くを日系人が占めておったのじゃ。

マナ…もう半分、日本って感じだね。

チテ…現在でも州人口の約25%が日系人であり、先住ハワイ系やヨーロッパ系なども含めた全体の民族構成でも最も多い割合となっているんじゃよ。

マナ…日系人の存在はなんとなく知ってたけど、ハワイがそこまで日本とゆかりのある場所だとは思わなかったよ。

■アメリカに降り立った日本人

チテ…前述したように、ハワイが併合されて以降は、ハワイを経由してアメリカ本土に渡るものが増え始める。1920年にはカリフォルニア州を中心に、米国全土で約12万人の日系人が生活するまでになったのじゃ。

マナ…ロサンゼルスの日本人街〝リトル・トーキョー〟はよく知られているね。

チテ…アメリカでの仕事も決して楽ではなかったが、ここでも日本人は粘り強く頑張り、個人で農業を展開するなど、成功するものも徐々に出始めたのじゃ。

マナ…それじゃアメリカこそが彼らの安住の地になったわけだね。

チテ…それが成功し出すと今度は現地のアメリカ人に邪魔者扱いされるようになった。勤勉で我慢強い日本人は彼らの仕事を奪う存在であり、また単純に当時は現在とは比べ物にならないほどの人種差別もあったからのぉ。

マナ…う~ん、どこに行ってもまた障害が立ち塞がってくるんだなぁ。

チテ…1900年以降、日系人排斥協会の設立、公立学校からの日本人子女の締め出し、日本人の土地の所有や借地の禁止などの排日措置が各地で取られ、1924年にはとうとう「排日移民法」により、日本人の一切の移民が禁止されてしまった。

マナ…ずいぶんな仕打ちだね。

チテ…このような扱いを受けたことは当時、世界の一等先進国を自認していた日本の政府、国民にとってもショックなことであった。こういった反米感情の高まりが日本人を太平洋戦争へと走らせたという部分も否定できんじゃろう。

マナ…怒るのもしょうがないよ。

■時代に翻弄される移民たち

チテ…そして1941年に実際に両国間で戦争が始まると、アメリカに住んでいた日本人たちはその被害を直接こうむることになる。最悪な反日感情のなか、西海岸に住むすべての日本人約12万が、財産を没収された上で強制的に収容所に送られた。

マナ…ナチス・ドイツのユダヤ人強制収容はよく知られてるけど、日本人にもそんなことが起きていたんだ。

チテ…しかも同じく敵国であるはずのドイツ系やイタリア系にはこのような処置が取られることはなかったのじゃ。

マナ…同じ敵でも白人ならいいってわけか。まさに偏見と差別そのものだね。

チテ…次々に降りかかる災難も何とか乗り越えると、戦後しばらく続いた反日感情も徐々に緩くなり、日本人は自由を獲得するとともに、元来の誠実な性質から信頼を得ていくことになる。現在、アメリカ本土には約90万の日系人が住んでおり、高収入、高学歴という確かな地盤を築いて、現地社会に溶け込んでおるのじゃ。

マナ…そう言えば、〝日系ブラジル人〟って言葉もよく聞くけど。

チテ…ブラジルの日系人の人口は現在、世界で最も多い150万人を数えるくらいじゃからのう。アメリカが日本人の受け入れを拒否してからは、ブラジルが最大の移民先となったのじゃ。

マナ…ブラジルではどんな仕事をしていたの?

チテ…ブラジルではコーヒー農園での仕事が与えられたが、やはりここでも労働条件や賃金は劣悪なものであった。しかし、日本人は当時まだブラジルにはなかったレタスやトマトを日本から持ち込むなどして、自作農で成功を収め始めるのじゃ。

マナ…努力をすれば報われるってことだね。

チテ…ブラジルへの移民は戦後も行われたが、60~70年代に日本が高度経済成長で豊かになるにつれ、なくなっていった。その後、現地の日本人は様々な分野に進んでブラジルの発展に貢献し、現在ではブラジル社会をリードするくらいの活躍を見せているんじゃよ。

マナ…皆、がんばってるなぁ。僕もなんだか燃えてきたよ。

■移民が作ってきた日豪関係

マナ…オーストラリアにも日本人移民はいたの?

チテ…実は日豪の交流は意外と長いのじゃ。1880年代にはWA州のブルームやQLD州の木曜島での真珠貝採取産業に従事するため、日本の潜水夫が移民としてやってきておる。1890年代にはQLD州のサトウキビ畑で働く日本人が増え始め、1900年頃には3000人以上の日本人がオーストラリアに住んでいたんじゃ。

マナ…今度こそ日本人は歓迎されたの?

チテ…いや、オーストラリアでも状況はまったく一緒じゃった。特にオーストラリアでは日本人の前に中国人が大量に渡っておったから、アジア人労働者に対する抵抗は非常に強かった。

マナ…国は違っても結果は同じというのは皮肉だね。

チテ…今でこそ他民族国家として知られておるが、当時のオーストラリアは〝白豪主義〟という白人至上主義の性質を持っており、有色人種への排斥意識は特に強いものがあった。その結果、1901年には〝移民制限法〟により、ヨーロッパ言語の書き取り試験が課されるようになり、日本人は事実上排除されることになってしまった。

マナ…そしてまた戦争の時代がやって来るんだね。

チテ…そうじゃな。日本とオーストラリアは太平洋戦争で敵味方に分かれて戦っており、日本軍によるケアンズ空爆などの戦史がある。そしてアメリカでのケースと同じように、オーストラリアでも民間の日本人約1100人が施設に強制収容されておる。

マナ…アメリカの話はよく聞くけど、オーストラリアでのこういった話はあまり知られてないよね。それにしても日本人だってだけで、強制的に閉じ込められるなんてひどい話だね。

チテ…確かにの。ただ日本も同じく戦時中にオーストラリア、アメリカ、オランダなどの民間人を強制収容したという事実も忘れてはならんぞ。

マナ…う~ん、それが戦争ってもんか。

チテ…戦後はほとんどの日本人が強制的に本国に送還させられることになり、オーストラリアに住む日本人は激減してしまう。

マナ…移民の歴史はいったん途切れるんだね。

チテ…しかし戦後、人口増加政策を進めていたオーストラリアは、1972年に移民制限法を廃止するなど白豪主義を見直すようになり、ヨーロッパ人に続いてアジアからの移民も積極的に受け入れるようになった。

マナ…だんだん今のオーストラリアの形になってきたね。

チテ…この頃になるとオーストラリアは、経済成長によりアジアでの存在感を取り戻した日本をアジア・太平洋における重要なパートナーとして認識するようになり、両国は同じ価値観を共有する友人として歩みだすようになる。

マナ…一度ケンカをした相手だって仲良くなれるんだよね。

チテ…日本は1980年に他国に先駆けてオーストラリアと最初のワーキングホリデー制度を締結しており、現在も最も人気のある渡航先として年間1万人以上の日本人が同制度によりオーストラリアにやってきておる。

マナ…今じゃオーストラリアは有数の親日国として知られているくらいだもんね。う~ん、時代は変わるねぇ。

■日本が抱える移民問題

マナ…平和な今の時代からすると考えられないくらいの苦労や努力の上に、海外の日本人コミュニティが作られてきたんだね。僕も将来、一度は海外に出てみたくなったよ。

チテ…それはよいことじゃと思うぞ。さて、ここまで日本人移民の話をしてきたが、では逆に日本国内ではどうかの?

マナ…日本にいる移民ってこと?

チテ…日本には現在、約100万人の外国人労働者が在留しており(その家族なども含めると200万)、その数は年々増え続けている。さて日本という国はそんな彼らに優しい国かな?

マナ…よくわかんないけど、〝外国人〟って聞くだけでちょっと怖い感じがしちゃうかも。

チテ…過去に日本人が受けた粗末な社会保障や低賃金という条件を強いている事例もよく聞くのぉ。

マナ…人のことはよく見えても、自分たちのことはなかなか見えないもんだね。

チテ…現在、日本は少子高齢化や人口減少などの問題を抱えており、労働力を補うためにも将来的に積極的な〝移民の受け入れ〟が必要になるとも言われておる。

マナ…オーストラリアみたいに色んな人種が入り混じる国になるってこと? 正直、日本にだけはこのまま変わってほしくないって気持ちがあるかも。それってずるいのかな?

チテ…たしかに「日本も多文化社会へと変わるべき」と簡単には言えない部分がある。いざ自らが問題に直面してみると、日本人こそ外国人に対する〝偏見〟や〝差別〟が強いようにも思えてくるのぉ。

マナ…島国根性とか、鎖国体質ってやつだね。

チテ…世界を見回すとほかの先進国は早い段階から移民制度を取り入れてきておる。ただ、そこには負の側面として、〝文化の衝突〟〝差別問題〟などが発生するのも事実なんじゃ。

マナ…今の日本のままでやっていくことはできないの?

チテ…近い将来、人口問題から目を背けられなくなるのは確かじゃろう。どうしても〝単一民族〟ということにこだわるのであれば、そのためにはどうするべきなのか国民全体で議論していかなければならんじゃろう。皆の大好きな日本をこれからどうしていくか。これは我々、全員の問題じゃ。

マナ…そうだね。日本にはまだまだ話し合うべき問題が山積みだよ、チテキング! 来年もよろしく頼むよ!

チテ…フォフォフォ、望むところじゃ。

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