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娯楽記事

北村 元 イロハ川柳


自衛隊 PKO卒業

28/01/2010

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自衛隊は、1992年9月以降、国際平和協力法に基づいて国際連合平和維持活動(PKO)の一環として、カンボジア王国へ派遣された。自衛隊からは施設大隊(施設科部隊)及び停戦監視要員が派遣された。同時に、自衛隊以外からは文民警察要員及び選挙監視要員の派遣も行われた。自衛隊にとっては、自衛隊ペルシャ湾派遣に続く2度目の海外派遣であったが、陸上自衛隊にとっては初、国連の枠組みで活動するPKO活動としても初の試みであった。また、日本がカンボジアに部隊を展開させたのは、旧日本陸軍の仏印進駐(昭和16年、1941年)以来のことであった。 1992年9月下旬に航空自衛隊輸送機により出発した第1次派遣施設大隊の第1次先遣隊は、数日でカンボジアヘ到着した。 10月初旬には第2次先遣隊の一部が、10月中旬には本隊が到着した。10月下旬より道路等の補修作業に着手した。第1次派遣大隊は1993年4月上旬までに帰国した。 まず、素直に、ご苦労様と申し上げ、改めて、命を落とされたUNV(国際連合ボランティア)の中田厚仁さんや、文民警察官の高田警部補(岡山県警)のご冥福を祈りたい。これらの川柳は第1次大隊の作品を抜粋したもので、所々当時の思い出を付記した。

「定期便 忘れた頃に やっと着く(本管中隊 XX三曹)」の作品と併せて鑑賞すると一層理解できる。暗い夜空の下で、作業で疲れた体をテントの中で横たえた時に、浮かんでくるのは日本に残してきた妻子であり、親である。次の定期便で来ると思っていたのに手紙が入っていなかった時には、読み古した本のごとく、前の手紙をまた読み返し、故国の家族を思うのだ。カナダの輸送部隊でも、「奴だけ家族から手紙が来てないんだ」と言って郵便係りが不憫に思っていたっけ。

 

自衛隊が駐屯したタケオには、露店もずいぶんできたよね。人が集まれば、そこが市場になる。昔の門前市と同じ。自衛隊員が困ったのは、給料の一部として支給された百米ドル紙幣だった。あの田舎町じゃあ、つり銭もないので、私もずいぶん両替を頼まれたもんだ。

 
 

自衛隊調査団の下見もあまりよくなかった。一例が、マラリアを随分気にしていたとみえ、派遣隊員には、健康手帳が支給された。そこに、刺した蚊の数と場所を記入する項目があった。正直、そんなものを数えている暇はないのである。この報告義務はすぐ廃止になった。

 

1980年代の初め、フォークランド紛争に出征するイギリス兵の夫に、私を忘れないでとばかり、イギリスの岸壁でブラウスをとって豊かな胸の膨らみを見せた新妻がいて、岸壁を離れる多くの兵士が最後の目の保養をした。

 
 

カンボジアのみならず、世界各地の平和維持活動は大変な苦労がともなう。特に気候である。カンボジアの暑さと埃は、乾季の特徴だ。幾多の困難を前に、早々弱気にもなれない。生活用水も十分ではない。一日平均40トンは足りなかったらしい。

 

トティエ山とは、かつてクメールの石の文化を支えた石材の切り出し場所だ。自衛隊が来て、そこはまた道路補修用石材の切り出しの山となった。トティエ山から切り出した石材で道路補修をし、確かにそれが人に幸いをもたらしてはいた。だが、国道3号線の補修はできたが、UNTACにアスファルト舗装の予算がなかった。

 
 

オーバーに聞こえるかもしれないが、事実はそうなのだ。インドシナの雨も半端じゃない。コンポントムで出会った雷混じりの雨は、命を失う恐怖感があった。道路は瞬時にして河川に転ずる。こういう雨では、一気に、路上から子どもとバイクが姿を消すのだ。

 

楽屋の話じゃないんだ。屋台の話だよ。インドシナの結婚式では、嫁さんの厚化粧が目立つ。こういっちゃあなんだけど、インドシナには色白は少ないんだから、もっと麦茶色の健康的な素地を生かすべきだと思うよ。大体なんで、そんなに白にあこがれるんやね。

 
 

読み人知らずと、仲間を守っているのもいい。自衛隊員の怒りが肌にひしひしと伝わってくる。そのほかに、8人の停戦監視員たちのサイレント・マイノリティから冷ややかな感じも、この中に入っているとみたい。隣国タイまで来ていながら、アジアドクトリン発表もないもんだね。確か、宮沢喜一とか言ってたな・・・。タイからだと、カンボジアのプノンペンまで1時間ちょっと。そこからヘリでも15分くらいだろう。総務副長官を送って、首相メッセージだってよ。そういやあ、自衛隊の凱旋の時も、首相は来なかった。こんなことありかい? でも、厚かましくベトナムから乗り込んで、カンボジア人の気持ちを逆なでしたフランスのミッテラン大統領もいた。同じ乗り込むなら、カンボジアからだろう。もっと、足元をよくミッテラン。

 

 

これはクメール語で、「何か頂戴」を意味する。先手必勝。生活の知恵である。自衛隊の基地や仕事場には、子どもが集まってきて、必ず物乞いをする。最初は、隊員も何だと思っていたのだろう。意味が分かってからは、言われる前に「無い」というのだ。

 
 
 

国道3号線などで自衛隊員が汗水たらして働いていると、いい年の男が朝早くからじっとしゃがみこんでサ、道路工事の一部始終を見ている。自衛隊が右に動くと、右を向く。「他に仕事がねぇのかよ」と、つい愚痴りたくなるが、仕事はないんだよ。

 

広報担当だった方らしい川柳だ。とにかく、当時は、多くの日本の先生方が日本的集中豪雨型視察に来たものだ。行きゃあ箔が付くとでも思っているのかしらね。中に、本当に力になってくれている先生もいたよ。でもね、現地の大使館も結構迷惑してたよ。「日本にできることは何ですか」と判で押したような金太郎飴的ワンパターンの質問。「俺にできるものはコレ」と、俺ジナリティを発揮しろよ! センセイ。

 
 

カンボジアは、当時は地方にいけば牛車の時代だったよ。右を見て、左を見て、ハイ渡りましょう、というわけがない。人がきちんとすれば、そのうち、動物のほうもちゃんとすると思うよ。

 

日本語の国際化だって考えてもいいと思うよ、私はね。もう亡くなったけど、プノンペンのJVC(ジャパン・ボランティア・センター)で、車の修理を担当していた馬 清さんが日本語で指示すれば、現地の修理工がちゃんとその修理道具をもってきたもんね、大したもんだと思う。

 
 

郵便事情の悪いプノンペンーバンコク間で、私もずいぶんと自衛隊員の愛のメールマンをさせてもらった。そこで、気づいたのは、わりかしローマ字に弱い人が多かったこと。おいおい、これで届くのかいなと。

 

 
 

バッタンバンやシエムリアプから一泊でバスや汽車を乗り継いでタケオまではせ参じた日本人がいた。日本人のNGOは、本当に良くやっている思う。頭が下がる。そんなに遠くで働く日本人を引き付けるほど、新春の日本祭りと寿司の威力はある。そういう人たちから見れば、集団で生活できる自衛隊はうらやましい存在に見える。

 

インマルとは、インマルサット(海事衛星)の略。もともとは船舶専用の通信衛星だった。早く帰ってきて下さいということなんだろうね。もうひとつ、「インマルで 話す言葉は 涙声(輸送中隊 XX曹長)」という作品がある。でもサ、妻たちがこれほどまでに悲壮になる必要もナイと思うよ。亭主たちは、国旗を背負った平和集団だから。自慢じゃないが、マスコミの妻で泣く人はいないよ。「あら、もう帰ってきたの」だもん。

 
 

民主国家建設へ向けた国連最大の実験―なんて言われたが、カンボジア国民もよく耐えたと思う。ただ、私の信念としてこれだけは絶対言える。「あの時のPKO派遣がなければ、その後の自衛隊のPKO派遣はなかった」ということだ。

 

 
 

過保護と思うかもしれないが、平和構築に汗を流しながら、タケオに住んでいると、ついついこういうものが夢の中に出てくることは仕方あるまい。まずいチャーハン、油の悪い野菜炒め、スネークフィッシュやイールフィッシュのフライでは、体中に油粕が溜まるよ。

 

 
 

 

自衛隊がカンボジアに来るという記者会見の日、中国新華社通信の若い記者が、いきがって私のところに来た。「先の戦争で蛮行を振るった日本に、参加資格はないのではないか」と、高圧的だった。「丸腰で来るんだ。平和構築のためだ。参加資格は十分にある。まあ、見ていてほしい。お宅は共産主義の地歩をここでも固めようというのか?」と、やりあった。しかし、最近の中国のPKO関連では、武力紛争を解決すべきPKO派遣国(中国)が、当該地域に武器密輸し、紛争を助長しているという話が流れている。PKOの目的を全く逸脱した国際犯罪である。目が離せない平和活動である。

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