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おいしい駅弁に思いを馳せる

14/12/2018

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おいしい駅弁に思いを馳せる

横浜駅で買った二つの駅弁、今の紅葉時期に合わせて発売された期間限定の人気駅弁。手前が「おべんとう秋」。きのこ御飯、シウマイ、大学芋、ごま入り肉団子煮、椎茸煮、蓮根煮などなど。食材の豊富さが、食べる人の心の豊かさにつながり、食欲に昇華していく。
二〇一八年は明治百五十年の節目の年。駅弁の歴史は、一八八五年栃木県の宇都宮駅で売った握り飯が最初と言われる。駅弁食文化は鉄道と共に成長したが、機関車や車両の高性能化、線路などの設備改良で輸送状況が大きく改善されると、停車時間の短縮などで、弁当の販売実績は大きく落ちた。懐かしい「ベントベントーベントー」という売り子の声も消えた。駅弁の浮沈の話は、枚挙にいとまがない。
かつて長距離列車の多くはSLが引っ張っていた。SLは途中で給水が必要となり、峠越え直前の駅では必ず長く停車した。この停車時間こそ、駅弁販売の絶好のチャンス。かつての東海道本線の山北駅(現・御殿場線)や北陸本線の今庄駅、信越本線の横川駅などがそうした駅だった。
「天下の劔(けん)」の箱根越えを控えた山北駅。煤と煙で「山北のスズメは真っ黒」といわれる駅で、地元の清流・酒匂(さかわ)川で獲れた鮎を使った「鮎寿し」が超人気だった。一九三四年、丹那トンネルの開通で同駅は東海道本線からはずれ、名物の「鮎寿し」もやがて消えた。
群馬県の横川駅は、一九九七年十月まで、碓氷峠の往復に全列車が停車して機関車の連結・切り離しが行われていた。あの有名な「峠の釜めし」の荻野屋が明治時代から新幹線開業時まで弁当の立ち売りをし、販売員がホームで一列に並んで出発列車にお辞儀をする姿が名物だった。今なら、頭をあげたら、列車は小さくなっている。
いま、日本全国で静かな駅弁ブームだ。JR山手線でも駅弁を売り始めた。「リラックマX山手線 ごゆるりランチ」で、新登場。中身は環状線の山手線にちなみ、目玉焼きや鶏つくね団子など丸い食材を盛り付け、おまけに絵はがきが1枚。
一九九八年、明石海峡大橋の開通で発売された「ひっぱりだこ飯」の福岡版が明太子入りでJR小倉駅やJR博多駅で新登場。「鉄道の日」の十月一四日に、陶器の電車弁当シリーズの最新作「ハローキティ新幹線弁当」が神戸駅などで発売された。ハローキティのかまぼこなどを盛り付け、甘辛く炊いた国産牛をすき焼き仕上げに。子ども心を狙ったものだ。
美味しい全国駅弁ランキング第一位は、新潟県の「えび千両ちらし」だが、ランキングの無い時代に、オフクロの味を思い出させた「駅弁」も数知れずあったに違いないと私は、思う。

北村 元(きたむら はじめ)
大阪市生まれ。日本大学卒業後、アナウンサーとしてテレビ朝日入社。BBC放送出向。エープリルフール放送では、BBC放送史に残る番組を制作。バンコク、ハノイ、シドニーの各支局長を経て、テレビ朝日退職後、西シドニー大学名誉客員研究員。ベトナム戦争の枯れ葉剤被害の取材を続け、「アメリカの化学戦争犯罪」(梨の木舎刊)を出版。枯れ葉剤被害者の支援活動は29年目。今年は、ベトナム北部の貧困地域の小学校で、30人に奨学金を贈り、最上級生の5年生100人が一人一体の恐竜の模型作りに挑む。その後、5地域で枯れ葉剤被害者支援を展開する。
筆者のベトナムブログhttp://ainovietnam.jugem.jp/

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