オーストラリア・シドニーを楽しむための生活情報誌「チアーズ」
娯楽記事

reflection


reflection132

昭和の子ども文化・紙芝居

01/02/2019

このエントリーをはてなブックマークに追加

%e3%82%a2%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%9c%e3%83%bc%e3%83%89 6

昭和の子ども文化・紙芝居

平成最後のお正月 おめでとうございます。
横浜市都筑区の総合庁舎前で、紙芝居が見られるというので、ある土曜日行ってみた。紙芝居師は、なつかし亭の岸本茂樹さん(横浜市在住)だ。
〝紙芝居〟は、戦後最初の子供文化。昭和の風景に紙芝居は欠かせない。もっと、親子で参加してほしかったなと思う。
遠い昔の歴史はともかく、七十年ほど前の歴史では、日銭を稼ぐ手段として生み出された紙芝居屋さん。終戦の翌年の昭和二十一年、復員兵や失業者がその日から始められる商売として再び全盛期を迎えた。
東京・荒川区は紙芝居発祥の地といわれ、特に日本の紙芝居業界の御三家のひとつ、「大日本画劇株式会社」が現在の京成町屋駅近くにあったので、荒川区は紙芝居の町となった。
また、戦後の紙芝居の人気ナンバーワンであった「黄金バット」の原作者「加太こうじ」さんは、日暮里の太平洋美術学校で絵画を学んだ。こんな環境もあって、荒川区を初め東京の下町で、紙芝居は大隆盛。
最盛期の昭和二十五年から二十七年頃には、東京だけで紙芝居を見る子供は百万人も。紙芝居屋も三千人(全国では五万人)いたらしい。昭和の二十一年過ぎの紙芝居屋のおじさんは、皆復員兵だったのだろうか?
しかし、マンガ・ラジオ・映画・テレビとメディアが多様化してくると〝紙芝居〟は急激に衰退。昭和三十五年頃には絶滅種に。
紙芝居の箱を積んだ自転車に乗って、おじさん風の人が来て、お決まりの場所へ自転車を置くと、ハンドルに付けてあった大太鼓を叩きながら町内をひとしきり触れ回って、戻ってくる。
もちろん子供たちは、太鼓の音を聞きつけ、私も五円玉だったか、母親からもらい家をとびだした。紙芝居の古びた箱、不衛生な水飴がシンボルだった。
紙芝居が始まる前に買った水飴は二本の割り箸に巻つけられ、おじさんによって、あんずが中に入ったりした。


小さなヒノキの窓からは
素敵な世界が飛び出して
あなたの心に灯りをともす
爺ちゃん 婆ちゃん 姉さん 兄さん
良い子 悪い子 普通の子
すみからすみまでずずずい~と、ごらんあれ
はじまり~ はじまり~


太鼓や拍子木の音を合図に紙芝居が始まると、買わない子、買えない子は少し離れたところから。塀の上から見ている子も。いずれの子の目もその絵に釘付けになり、気がつくと、五円で買った私の水飴は、地面に垂れ落ちていた。懐かしい時代の思い出だ。

 

北村 元(きたむら はじめ)
大阪市生まれ。日本大学卒業後、アナウンサーとしてテレビ朝日入社。BBC放送出向。エープリルフール放送では、BBC放送史に残る番組を制作。バンコク、ハノイ、シドニーの各支局長を経て、テレビ朝日退職後、西シドニー大学名誉客員研究員。ベトナム戦争の枯れ葉剤被害の取材を続け、「アメリカの化学戦争犯罪」(梨の木舎刊)を出版。枯れ葉剤被害者の支援活動は29年目。今年は、ベトナム北部の貧困地域の小学校で、30人に奨学金を贈り、最上級生の5年生100人が一人一体の恐竜の模型作りに挑む。その後、5地域で枯れ葉剤被害者支援を展開する。
筆者のベトナムブログhttp://ainovietnam.jugem.jp/

このエントリーをはてなブックマークに追加


関連記事

Side girl 2019 0701
Side 2

FOLLOW US

SNSで最新情報をゲット!

NEWSLETTER

メールで最新情報をゲット!

メールを登録する

COUPON

オトクなクーポンをゲット!

全てのクーポンを表示