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赤の広場のネギ坊主

17/03/2019

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赤の広場のネギ坊主

私が、初めてソ連に行ったのは、BBC勤務時代の1979年。ブレジネフ書記長の時代だった。ロンドンからモスクワへ。当時、テレビ朝日のモスクワ支局長は、大先輩のSさんだった。
「こちらに来るなら、持ってきてもらいたいものがある」と、大根、白菜、牛蒡、キューリなど生野菜類を頼まれた。雪に覆われた冬の大地からは、野菜は獲れない。
モスクワ空港の税関で、私の前の老女が、機内でもらったみかん1個で取り調べられていた。やばいと思った私は、野菜類の入った箱を出口の方に蹴飛ばし、娘をそこで待つように指示した。偶然功を奏し、ソ連への持ち込みに成功した。
この〝密輸〟に、大支局長さんは感激して、私たち家族を、ボリショイバレーに招待してくれた。ボリショイ劇場に車で着くと、大支局長さんは、雪の降る中、車のワイパーを二つとも外した。「劇場で楽しむ間に、盗まれちゃうんだよ」 やはり常識外の国だ。
翌日、門をくぐって入ったモスクワの赤の広場は、驚愕だった。一番奥に見える聖ワシリー大聖堂の9つのドーム。ニョキニョキとカラフルなねぎ坊主の屋根の彩り。常識外だった。大支局長のご所望にねぎはなかったが、見飽きたか。
正式な名称は、「ポクロフスキー大聖堂」。「聖なる愚者」として民衆の崇敬を集めたワシリー・ブランジェヌイが埋葬されているので、人は「聖ワシリー聖堂」と呼ぶ。「オニオンドーム」とも。
なんでこんな形か? 「雪を積もりにくくする」「神の存在を火の玉として表現した」「精霊の活動を炎で表した」とか言われるが、真実は不明だ。
この「ネギ坊主」が建設されたのは1591年。タタール民族と戦い、カザニ・ハン国を破ったイワン雷帝。
この勝利を「神のおかげ」とした皇帝はポストニク・ヤコブレフとバルマという建築家に命じて聖堂を建設した。
イワン雷帝はあまりの美しさに感動。作った建築家がこれ以上に美しいものを建設しないよう、その両目をくり抜いたという。ホントだろうか?
常識外の笑い話がある。
東欧諸国はソ連に鉄鉱石や石炭などを搾取されていたが、さすがにキレてソ連に言った。
「俺たちはあんたらに鉄やら石炭やら色々輸出しただろ! それを加工するだけでシコタマ儲けやがって!」
ソ連は彼らに詫び、必ず何かを無償で輸出すると誓った。
その後ソ連の貨物列車が到着した。
彼らは喜んで中を確認するとただ土くれが大量に入っているだけで、一枚の手紙が添えられていた。
「我々も君たちと同じく原料を輸出する。陶器にでも加工してくれたまえ」
なら、プーチン殿、常識を覆して、〝北方領土〟を日本に送ってくれんかのう。陶器以上に加工するから。

 

北村 元(きたむら はじめ)
大阪市生まれ。日本大学卒業後、アナウンサーとしてテレビ朝日入社。BBC放送出向。エープリルフール放送では、BBC放送史に残る番組を制作。バンコク、ハノイ、シドニーの各支局長を経て、テレビ朝日退職後、西シドニー大学名誉客員研究員。ベトナム戦争の枯れ葉剤被害の取材を続け、「アメリカの化学戦争犯罪」(梨の木舎刊)を出版。枯れ葉剤被害者の支援活動は29年目。今年は、ベトナム北部の貧困地域の小学校で、30人に奨学金を贈り、最上級生の5年生100人が一人一体の恐竜の模型作りに挑む。その後、5地域で枯れ葉剤被害者支援を展開する。
筆者のベトナムブログhttp://ainovietnam.jugem.jp/

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