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「ライジングサンⅡ/整列! 陸軍幼年学校の子供たち②」

05/08/2011

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新年サムライ特別随想・後編
「ライジングサンⅡ/整列! 陸軍幼年学校の子供たち②」

読者の皆様、ご機嫌如何でしょうか? 前回はダンボール奥底の、色褪せた写真が大学の下宿仲間を思い出させたお話でしたが、写真の束をよく見ると、時はさらに遡りまして、高校の修学旅行時のスナップがもう1枚、顔を覘かせます。そうそう、札幌のホテルでクラスメートと撮った写真です。三浦に山口、清水、木村、川口そして私…と、共に馬鹿をやったニキビ面が並びます。その中に、ひっそり皆の陰に隠れて写る或る同級生が1人、彼の前で私は指を止めました。皆とは対称に不愉快な表情で、目線はいつも外を向くW…。リビングの窓越しに広がる薄雲に目をやりながら私は、彼にまつわる当時のできごとをふと想いました。不肖、私サムライギターリストの新年随想。3部構成の最終回は、私の高校時代の同級生・Wのお話をもって御帳といたします…。


小学校卒業を機に、父のマイホーム購入で社宅から移った先の神戸は、私にとって或る意味、それまで住んだ西宮とは違う全くの別世界でした。中学高校の6年間を神戸は六甲山系の緑深い裏六甲で過ごすのですが、この間に起こった日常生活の数々は物語「ハックルベリー・フィンの冒険」よろしく、後の私に大きな影響を残すほどダイナミズムに富んだものでした。

クラス替えでユニークな連中が揃いに揃った高校2年の或る日、教室で仲間たちとワイワイ話に高じていると、いつの間に現れたのか直立不動で立つWの姿が在り、申し合わせるように一同静まりました。「お前ら一体、何の話や? 陸とか海とか」、Wが上から見下ろし加減で訊ねます。「いやなァ、木村の父ちゃんが自衛隊で戦車を運転してんねん。今度おやっさんに頼んでな、バズーカ砲を打たしてもらおうかって話をしてたんや。そしたら『自衛隊に入るとしたら陸海空のどれがええか?』いう話になってしもうてな。陸やったら歩兵突撃せなあかんし、海やったら艦が沈んで溺れ死ぬやろ? メシはタダで食わしてくれるけど、戦場で死ぬのは嫌や。お前やったらどっちにする?」、仲間の1人がWに尋ね返すとWの目がさらに釣り上がり、「お前らみたいなアホは陸も海もどっちもダメや、先ず訓練でギブアップやな。自衛隊に入る奴はみんなアホや。まァ、アホはお前らにお似合い様やなァ」と捨てゼリフを吐き、ワハハと高笑いながら食堂の方に去って行きました。私はそこに居た木村に、「あのWは何でもかんでも知ったふりして偉そばる寂しいやっちゃ、気にすんな。それよりも今度おやっさんに頼んでくれよ、バズーカ砲の話を」と言って慰めるも、父親の仕事を否定された木村はうつむくばかりでした。

私にはWと多くを語り合った記憶がなく、友人たちや他のクラスメートも私と同様、彼とは会話を交わさなかったようです。成績は中位でスポーツもまずまず、口数が少なく教室では目立たぬ存在だったWは、寒くもないのにいつもズボンのポケットに手を突っ込み、「自分以外はみんなバカだ」と言わんばかりに薄笑いを浮かべ、それでいて時折、一体何が面白くないのかふてくされた表情をする、煮ても焼いても食えない不思議な存在でした。クラスでWが辛うじてイジメられなかったのは、山道で出逢ったマムシが独特の臭気を放つように、蛇のように目を細めるのがトレードマークのWもあのマムシに似た、近寄り難い空気が彼を取り巻いていたからなのでした。

6月になると、行く先の未定だった修学旅行がスキー実習に決定、12月の初めに北海道の定山渓と札幌を巡り、束の間だった修学旅行の楽しい思い出を抱きつつ、就職組は将来の仕事に、進学組は受験校といよいよ進路を真剣に考え、我々は冬休みに入りました。年が明け3学期が始まり、私が教室に着くと、友人たちの間から何やらヒソヒソと話声が聞こえます。妙な胸騒ぎを覚え「何の話や?」と私が尋ねると、例の木村が「Wの奴なァ、あいつ冬休み中に自主退学したらしいねん。K先生に訊たら、『詳しいことは言えんが、Wは県外の学校に入り直すそうや』って言っとった。あいつ一体何を考えとるんやろう? 来年で卒業やっていうのに…」と答え、一同クビを傾げながらもその話はそれで終わり、我々もその後のWの消息を特に気に留めることもなく、そのまま月日は流れたのでした。

3学年の夏休み中に市内で開催された模擬試験の帰り道、神戸電鉄新開地駅構内の立ち食い蕎麦屋「高速そば」で皆と大食い競争し、テストの憂さを満腹で晴らして店を出ると、仲間の一人が「おい、あれWとちゃうか?」と、駅の連絡通路をさっさと歩く制服姿の青年を指差します。濃紺だったか草色だったか何か特別な学校の制服で、消防士が被るような帽子の徽章はキラキラ輝きます。小走りで追いかけ、「おいW、久しぶりやなァ、元気かいな? 今どこの高校に通ってるねん?」と私と仲間が親しく声を掛けると、「驚いた! なんやアホのお前らか。あの馬鹿高校を卒業しても未来はないから辞めたった。それに比べて今の高校は最高や、まァお前らが逆立ちしても入れん学校や。進学の問題も就職の問題も俺はもう一気に片付けた。休暇外出で今日、神戸に戻ったばかりや。悪いけど俺、急いでるから、じゃあな」と、雑魚に用はなしと言わんばかりの高飛車で立ち去ります。ところが、ふと急に何かを思い出した様子で行き足を止め、軍隊式に踵でくるりとターンしたWは、数歩戻ると少し間を置いて、「アホの諸君、自分はこれで失礼させて頂きますッ!」と腹まで響く怒鳴り声の号令を我々に浴びせ、落雷に打たれたように一同これには飛び上がりました。我々をぎゃふんと言わせて得意絶頂のWは、トドメにサッとカッコよく敬礼し「ざまァみろ」と言いたげにニヤッとすると、肩で風を切りながら颯爽と去って行くのでした。我々は只ただ言葉を失くし、その場に呆然と立ちすくんだのでした…。

それから間もなくして我々は、Wの編入した学校が神奈川県武山の陸上自衛隊少年工科学校(現在は「高等工科学校」に改名)だったと知らされます。入学試験の競争倍率は高く、全寮制で学費は無料、しかも国から給料を貰い、生え抜きの自衛官を少年期より育てる所謂、戦前陸軍の「陸軍幼年学校」を思い出させる学校です。「陸軍幼年学校」は軍隊生活の教育カリキュラムをもって、13歳からの子供を文武両道、生涯軍人に育て上げるというものでしたが、新旧どちらも軍事ベースの特殊学校であることに違いはありません。しかしながら後で調べてみると、実はこういった学校が日本のみならず、我が国に平和憲法を作らせた民主主義のアメリカにおいて、しかも、この平和な時代に堂々と存在するから驚きです。アメリカの資産家や財閥のトップ連は躾やエリート教育を与えるべく、一先ず親子の情を断ち切り、べらぼうに学費の高い陸軍幼年学校に令嬢子息を入れると言います(アメリカではそうすることがステータスシンボルとさえ言われる。また米国の幼年学校は民間の私立校だが、高等工科学校の生徒は国家公務員扱いとなるため、月額給与が支給される)。こういった本物のエリートを目指すアメリカの子供たちが幼年学校を終え、東部IBリーグに進学し、卒業後はグローバル企業の家業を継ぐか国務省等の政府の高級官僚に、はたまた将来のジェネラルやアドミラルを育てる陸軍士官学校や海軍兵学校へと進み、任官後は少尉となって中東の砂漠や第七艦隊に展開する訳です。「ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス=軍産複合体」が国内でガッチリ根を下ろす、世界戦略を常に考えながら事を進めるアメリカだからこそ成せる技で、さすがはアメリカ恐るべし、日本のエリートとは凡そスケールの幅が違う、全くアタマが下がる話です。

戦後の日本は、「高度経済成長の歯車」に順応し得る平均人間を生産するために、「管理教育」をもって子供たちを受験勉強へと追いやりました。勉強以外を犠牲にしたお陰で学力はそれなりにあるものの、その結果がコミュニケーション能力ゼロの、日本社会でしか通用しないひ弱で虚弱なエリートでした。本物のエリートとは何か? アメリカのエリートが手放しに素晴らしいとは思いませんが、次々と世界戦略のプランを実現させ全世界に展開する、社交性に富み知的でバランス有るもハガネのようにタフな、陸軍幼年学校卒の彼らは注目に値します。ニートやひきこもりの社会問題から、「徴兵制の復活を!」という提唱も近頃よく耳にしますが、目下の我が国でそれを実行するには余程の研究と事前準備が必要ですし、何よりも先ず、大人みずからが世界認識や現行の態度を改めねばなりません。

我々を尻目に教室の片隅で独り何かを考え、誰をも小バカにした態度だったW…。飽食の時代にあって早くから自分の将来を真面目に考え、「このままじゃダメだ」と危機感を持ち、誰に諭されることなく自らを磨く理由で少年工科学校に編入したのならば、「自衛隊はアホの集まり」とWの吹いたブラフにまんまとしてやられた訳で、ひょっとすると誰よりも周到だったのは忌々しいWこそその人、我々を出し抜き「人生の戦略」に先に勝利していたのかもしれません。木村にWは今いずこ? 遥か昔の想い出になりつつある写真を片手に、私は、リビングの窓越しに流れる薄雲をぼんやりと眺めたのでした…。


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ソロギターリスト。過去15年に渡り、延べ400人以上の生徒を指導。1999年より、シドニーにて「サムライギター教室」を開講。日本での経歴は、神戸を中心にロックバンドのリードギターリストとしてセッションワーク等をこなし、現在、ソングライター、創作家として活動中。2001年、初のソロギターアルバム『Rising Sun/ライジングサン』をリリースし、同年、ギター教室を中心とした総合音楽業務を内容とする、サムライ・ミュージック・エンターテイメント社を発足。同社代表取締役。

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