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風雲サムライギタリスト シドニー音楽街道を行く!


「提言する阪神大震災/復興の条件①」

05/08/2011

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災害緊急サムライ社説
「提言する阪神大震災/復興の条件①」

床下から拳骨で殴られたような衝撃の次に、壁に掛けた8本のギターが昨夜の演奏疲れでぐっすり寝込む私をめがけ、空を切って一斉に墜落した。分厚い冬蒲団はギターだけでなく、雑多な落下物から私の身を完璧に守った。半身起き上がり窓外に目をやると、送電線を走る火花の鮮やかな閃光が見えた。「奥村ッ!」、隣の6畳で寝る居候を私は大声で呼んだ。「おう!」、快活な返事が直ぐに返って来た。縦揺れが最高潮に達したとき、我を忘れた私は絶叫した、「死ぬッ!」。

揺れが間もなく止まり、嘘のような静寂が戻った。タンスの下敷きになった奥村に幸いけがはなく、私は居候の手を引っぱって脱出を試みた。床に散乱する食器のガラス片。風呂桶から飛び出た残り湯が、床いっぱいにぶちまけられていた。暗闇の中で靴を履き、我々はマンション3階の部屋を命辛辛這って出た。外は暗く空気は刺すほどに冷たい。階下でガス臭。「タバコ吸うなよ!」誰かが叫びながら、須磨寺の境内に通じる坂道を駆け下りて行った。周囲を見渡すが、何が起こったのか暗くてよく見えない。「地震やあらへん、きっとどっかの国が戦闘機で爆撃して来たんや。大体、神戸に地震なんか来るワケがない」、向かいに住む初老が寝巻き姿の隣人を相手に、そう話しているのが聴こえた。地震に疎い神戸の人間なら言いそうな、なるほどもっともらしい話に私も相槌をうった。

時計の針が午前6時を差した。「とにかく駅まで行ってみよう」、私は奥村を促し、ピアニストの笹原が住む駅近くの新聞集配所を目指した。早足なら5分と掛からない須磨駅までの細い道。小学校の石垣が崩れ、地滑りの土砂で小道は埋まっていた。駅まで半分の三叉路で、暗がりの中に惨めな姿を晒すベンツの傍ら、鳥居を残し木片屑に変わり果てた神社が薄ぼんやりと見えた。なぜこんなことに? 夜が明け、周囲が明るくなるに従い、私と奥村は呆然となった。崩れ落ちた屋根瓦。建物という建物は傾くか、或いは徹底的になぎ倒され粉砕されたか、電車のレールはぐんにゃり曲がってそびえ立ち、さながらジェットコースターの軌道を思わせた。やっぱり地震だったんだ! 東の空に立ち昇る幾筋もの黒煙。長田の工場街か? 報道カメラマンの卵の奥村が、さかんにニコンのシャッターを切り始めた。それにしてもこの地震で一体、どれくらいの人間が死んだのだろう? 凄まじい被害の有様に呆れた私は、笹原の集配所は後回しにし、奥村と共に先ずは街を一巡することにした…。

国道2号線の海岸通りに出ると、けたたましくサイレンを鳴らす救急車に続き、砂埃を巻き上げた消防車の行列が物々しく走り去って行った。歴代の天皇がその風光を愛し、束の間の憩いを愉しんだ古(いにしえ)の街、須磨。「淡路島 かよふ千鳥の鳴く声に いく夜寝ざめぬ 須磨の関守」とまで詠われた我が街は、一変して地獄絵と化した。大阪湾を眼前に控える歴史深い街は、地震に対してもまた無防備だった。馴染みの「一膳メシ屋」も倒壊は免れたものの、屋根が落ちて青天井だった。商店街の道端で、車輪の潰れた見覚えのある自転車が倒れていた。豆腐屋のおっちゃんの自転車だ! 木綿や絹ごしを作る界隈きっての店は、たった今、無残な廃墟に成り下がった。「兄ちゃん、外国に行くんか? がんばれば何とかなるで~!」、あんなに自分を励ましてくれたおっちゃんの死など、今は考えたくなかった。「おっちゃん…」、ふいに涙が溢れた…。

直ぐにでも倒れそうな家々を避け、辿り着いた新聞集配所は火事場の騒ぎだった。朝刊の配達完了と同時に激震に遭遇した笹原は、予想通りケロッとして変わり無かった。缶コーヒーを手渡しながら東京者の笹原が言った、「俺たちラッキーだったぜ。死んじまったら全部お終いだ。まだまだ音楽やりたいし女の子と遊びたいしョ」。そう、確かにお前の言う通りだ。しかし、本当にそれだけなのか? 隣の家に住んでいたら今頃、俺も奥村も確実に死んでいた。道路に開いたあの深い穴を見ろ、お前なんか集配バイクもろとも真っ逆さまで虫の息だったはずだ。あと8時間早く地震が来ていれば、俺はギターと、お前はピアノと一緒に悶死していたかもしれない。並ならぬ運に恵まれるほど、俺たちは他人よりも優れた人間なのか? じゃあ、「生」と「死」を定める基準とは一体、何なのか?

運命は誰にも判らない。「生」有る「今」とは逆も然り、「死」とまた裏表の「今」なのだ。だから「今を生きる努力」も是然り、不意に訪れん「潔き終末への身支度」と言えよう。さすれば笹原、若造の俺やお前がどうこう騒ぐほどの話じゃない、今日死ぬも60年後に老いて死ぬも大差無い、「死」とは日常の出来事の「単なる一つ」なのだ。だが、タダでさえ親不孝者の俺が今ここで死ねば、もっと親不孝で終わってしまう。居候の奥村がそばに居たのは幸いだった。奴が居なければ俺は誰にも見取られず、孤独な死を迎えていたかもしれない。奥村そして神様、俺を守ってくれてありがとう。やっぱり生き残ったことに感謝しよう、誰だって独りで死ぬのは辛いから…。私はふと、そんな独り善がりな考えに耽った…。

焼鳥屋に溜ったツケを払わなくて済むだの、昨夜のライブに来た女の子はどうだっただの、どうでもいい馬鹿話に夢中になる笹原を横目に、人の「素性」なるものについても考えてみた。極限状態の時こそ人が露(あらわ)になると言うが、混乱に引き摺られて理性を失くせば、それはもう人間じゃない。しかし、額に汗して積み上げたすべてが一瞬にして目の前から消え去るとき、人は感情を殺してまで理性に従わねばならないものなのか?そう考えると、普段は何気なく口にする「常識」やら「法律」とかいった言葉が、恐るべき自然の威力を前にしては何ら意味のない、まるで空虚なものにしか感じられなかった。そしてなぜか不思議と、むかし写真で見たことのある、空襲で焼け野原になった東京や広島の光景が蘇り、眼孔に残像を残して去って行った。結論として私は、「生きることの厳しさとはこういうものだ。口を開けばブー垂れて甘ったれる寝んねのお前も、今度のことでこっぴどく身に滲みたはずだ!」と手前を一喝することで、この支離滅裂な「独り禅問答」に一応の決着をつけたのだった。

現金で救いようのない楽天家のピアニストと別れ、薄ら疲れを覚えた私は奥村とノロノロ帰路についた。道の上で出遭う人々は、瓦礫になった我が家の前で忙しなく目を動かしては放心して佇むか、行き先も定まらぬまま、何処かに向かって足早に歩くかのどちらかで、何れにせよ他人の悲劇に構う余裕など皆、微塵も無かった。奥村とあれこれ話しながら急な石段を登ると、どこからかすすり泣く声が聞こえ、次第にそれが大きくなった。2階が1階になった学生寮の前に、腰が抜けたようにしゃがみ込む女子大生がひとり、他には誰も居ない。私と奥村がそっと近づき、真っ赤に腫らした目で見上げた彼女が、言った。「友達がこの中に居ます。まだ声がします、『体が挟まれて痛くて動けない』って。でも、声がだんだん小さくなっていくみたい。さっきから呼んでるけど誰も来てくれない。お願い、助けて…」。瓦礫の中の若い命、まだ間に合うかもしれない。今この瞬間に、彼女の友達を独りにしちゃいけない! そう、誰だって独りで死ぬのは辛いから…。

「奥村ッ!」、おもいっきり蹴飛ばされた猫のように、私と奥村は駅に続く道を一斉に駆け出し、海に向かって落ちる石段を一気に、飛んだ。

読者の皆様もご存知の通り、去る3月11日午後2時46分、宮城県三陸沖で発生した観測史上類例のない超大型地震の「東日本大震災」は、激烈な破壊力の津波を発生させ、千葉県から青森県に至る東北沿岸部の街々をのみ込み、多数の尊き人命を奪いました。また今回の地震は、原子力発電所被災という厄介な問題をも誘発させ、我が国は未曾有の惨劇に包まれました。家や家族を失くした人々、また放射能汚染の不安で避難を余儀なくされた人々、彼らは苦しい避難所の生活を強いられ、今この瞬間も苛烈な苦悩を味わいながら時を過ごしています。 冒頭でも書き下ろしました、1995年の「阪神・淡路大震災」で被災した私が、この度の震災の甚大なる被害を見るに中り、目下に想うは、ただただ胸苦しく古傷痛む極みであります。つきまして今月からは暫くの間、予定しておりましたプログラムを大幅に変更し、自らが味わった経験を基に、今回の大地震被害による「実質的な復興計画」を考える社説論調を、緊急企画として執り行いたいと思います。  先ずは不肖、私サムライギターリスト、被災された総ての方々にお見舞い申し上げると共に、お亡くなりになられた方々のご冥福を、此処に深くお祈りしたいと思います。


●順一T.ウエスト(じゅんいち たかばやし うえすと)
ギター講師、ソロギターリスト。過去15年に渡り、延べ400人以上の生徒を指導。1999年より、シドニーにて「サムライギター教室」を開講。日本での経歴は、神戸を中心にロックバンドのリードギターリストとしてセッションワーク等をこなし、現在、ソングライター、創作家として活動中。2001年、初のソロギターアルバム『Rising Sun/ライジングサン』をリリースし、同年、ギター教室を中心とした総合音楽業務を内容とする、サムライ・ミュージック・エンターテイメント社を発足。同社代表取締役。

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